万五郎は座りたい〜陰キャたちの頭脳戦〜
Mojarin_Baby
降車流
この男、普通の大学生、新田中万五郎。
否、普通と言うべきではあるまい。
なぜならば彼は、いわゆる陰の者ゆえ。
恋愛経験はもちろんゼロ。
この世に生を受けてから今日に至るまで、できた友人も片手で数えられる程にしかおらぬ。
彼は起床すると、朝食も食わずにバスに乗る。
彼は関西在住であるため、その際は後方の入り口から乗車することになるのだが……
いや、万五郎のバス乗車は、バスに乗る以前にもう始まっているのだ。
まずは迫りくるバスの種類を遠目に確認し、誰よりも早く待機列に並ぶ。
そして、ある程度バスが迫ると、彼はバスの車窓の奥に広がる車内の様子を冷静に分析する。
――ほほう。
後部の一人用座席は満席。
そして前方の座席にはポツポツと空きがあるが、
さて、彼の言う玉座とはなにか。
それは運転席の真後ろで、(タイヤの真上ゆえ)少し高くなった座席のことである。
この座席に座るには、二段ほどの階段を上らねばならず、それゆえ足腰の悪いの乗客はこれを好まない。
一方で、運転席の様子を眺められるため、バスマニアには人気がある。
それゆえこの座席は、「オタシート」などとも呼ばれる。
しかし、万五郎がこの座席にフォーカスするのは、彼にそういう趣味があるためではない。
彼が、陰の者だからだ。
まず二人掛け、あるいは最後方の五人掛けの座席は論外だ。
隣を人に座られては、スマホで優雅にソシャゲの周回をすることも、エロ広告の跋扈する〇ちゃんスレやそのまとめサイトを巡回することすらかなわない。
ましてそのような座席の奥に座し、通路側に別の客に陣取られては、降車の際に、
「すみません、降ります」
と言って席を立ってもらわねばならない。
陰の者である万五郎に、このような会話は苦痛である。
また、玉座以外の前方の座席もダメだ。
優先座席は当然に席を譲る際に何らかのコミュニケーション(発生を伴わないものを含む)を要するし、そもそも座席を譲らねばならないという時点で、座席を確保するという目的にそぐわない。
また後方の座席と違って、玉座を除く前方の座席には入り口からの経路上に段差がないため、たとえそれが優先座席でなくとも、優先座席がいっぱいになった際に、特に足腰の弱い乗客に座席を譲らねばならないシチュエーションに陥りやすい。
ゆえに、万五郎にとって座すに値する座席と言うのは、玉座と、後方の一人用座席のみであるのだ。
万五郎の先刻の分析は、これを踏まえたうえで成されたものである。
万五郎は乗車後すぐ車両の前方へと足を運んだ。
狙いは玉座。
だが、玉座の真横より少し後ろに一人のサラリーマンが陣取っている。
――玉座の真横、やや後方。
そこは、玉座を狙うためのベストポジション。
間違いない、この者は――席トリスト。
席トリスト。
それは、万五郎のように特定の座席を狙う狩人たちの総称。
そしてその争いは、
座席を確保することというのは、案外たやすい。
極論、なにかわけがある風にして「すみません、譲ってもらえませんか」と一言声をかければそれで済んでしまう。
だが、それでは陰の魂に反する。
一言も発することなく、
他人に気を使わせず、
注目を浴びることなく、
自然に、
狙った座席を手に入れる。
そうでもなければ、獲得した座席に価値はない。
なぜなら他人に意識されて座席を確保することをよしとするならば、二人掛けでも五人掛けでも構わないということになるだろうし、なんなら少しでも長く足を休めるためになら、優先座席にだって座るべきという話になるだろうからだ。
玉座の真横、やや後方。
この位置がベストポジションであるのもそのためだ。
つまり、少年の降車後確実に座席を確保するならば、玉座の真横に陣取り、少年が降りようとしたときに、後方に避け、少年が降りる動線を確保しつつ、その背で他の乗客をシャットアウトすればよい。
だがそれでは少年との間にコミュニケーションが発生し得る。
だから少し後方に陣取り、少年の動線を予め確保しておくのだ。
とはいえリスクもある。
もし他の乗客に玉座の真横に陣取られ、先述の動きをされれば、もはや成すすべはない。
そして今まさに、万五郎の後から乗車した中年の男性が、速足で万五郎を追い越し、玉座の真横についた。
サラリーマンは敗北を悟り、スマホをいじりだした。
万五郎は勝利を確信した。
万五郎は通路の左側、つまりは玉座とは反対の側の位置に陣取った。
バスの前後で言うと、ちょうど中年男性とサラリーマンの間ぐらいの位置だ。
発車したバスは、信号ですぐにまた停車する。
と、その時。
後方の座席に座っていた、少年と同じ制服の小学生らが一斉にこちらにやってくる。
小学生らは万五郎たちの足の間を縫うようにして、玉座の小学生の傍に集まり、お喋りを始める。
それは、次のバス停で降車するためでもあった。
サラリーマンと中年男性は、少年の制服から次のバス停で降車することまでは予期していたのだろうが、このように他の小学生が集まってくることまでは予測できなかったのだろう。
だが万五郎には読めていた。
それは、蓄積された経験によるものだった。
中年男性は、小学生らに押されて、万五郎に行く手を阻まれて、車両前方に追いやられた。
小学生らが降りていく。
車両前方に追いやられた中年男性には、その降車の流れに抗って玉座を目指すことはできない。
逆に万五郎はその降車流に乗って、ごく自然に玉座へと至った。
決め手は、サラリーマンが勝負を降りたことだった。
降車流に乗って座席に座る、この戦法において最も有利なのはサラリーマンの位置だからだ。
万五郎は玉座についてようやくスマホをポケットから取り出した。
休講の連絡メールが届いていた。
万五郎は座りたい〜陰キャたちの頭脳戦〜 Mojarin_Baby @MojarinBaby
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