第18話 過去の話1

 らいは今でも覚えている。個室の雰囲気は変われどここをよく利用していた也夜なりや


 当時來は大輝と別れても気持ちをズルズルと引きずったまま仕事をしていた。

 それを見かねた大輝からとある仕事を任される。


「ヘアセットを君に頼みたいと、也夜なりやくんからご指名があってね」

 也夜はタレント事務所に配属されていてモデルとして知る人ぞ知る人であった。

 來は他の客の話でもちらほら也夜の名前は聞いてはいて、掲載されていた雑誌も見たことはあったがまだそこまで爆発的には売れていない時であった。


 店長である大輝がずっと担当をしていたのだが、也夜は來のシャンプー練習やブローなど快く引き受けてくれていた。


 來が入ってくるなり也夜は長い脚をすたっと着けて椅子を回転させて立ち、來の前に来た。


「來くん、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします……」

「えっと……こないだ成人式だったみたいだけど」

「あ、はい。20になったばかりです」

 成人式のときにこの店で髪の毛のセットをしてもらって出た後に也夜とすれ違ったのを來は思い出した。それを覚えていたのか、と驚く。


「僕の方が三つ上だけどタメ口でいいからね」

 少しキザな喋りかただなぁ、モデルというのはこういうものか? と來は思った。


「いつもシャンプーとかブローとかしてもらってるけど君の指遣いが好きでね。気持ち良くて」

「いえ、その……いつもありがとうございます。こんなペーペーに……也夜さんの髪を触らせてもらえるなんて」

 はははっと也夜は笑った。來は何事かと。


「僕はそんなに偉い人かい?」

「偉いというか、この美容室ではお得意様ですし……お世話になってるし」

「敬語」

「あっ」

 ふふふと笑う也夜の笑みは品があり、來は少しドキッとした。

 普段は大輝がメインに入っていて話は大抵二人がしていたため來は聞いているか、輪に入れず準備や片付けをしていた。


「シャンプー、して。いつも通りカットをして終わったら僕がチェックするから」

 大輝に言われ來はハイと返事をして個室内にあるシャワー台に也夜は横になる。大輝は外に出て行った。


「二人きりになれたね」

「あ、は……うん」

 也夜は微笑んだ。いつもは大輝も個室内にいたのだが今は二人きり。シャンプーをする時は也夜はタオルをかけない。來はいつもドキドキしていた。

 整った美形の顔が自分のそばにある。

 目を瞑ってはいるが目を閉じても美しい造形にいつもドキドキしてきた來。


「また寝てしまったらごめんね」

「大抵は寝ていますよね」

「……君の手つきが気持ち良くてね」

「それは嬉しい」

 やはりぎこちないタメ口、時折敬語になるがいつものシャンプーよりも話しかけてくる也夜。


「來くんのボディソープの匂い、好きだな」

「えっ」

 ただの人からもらった普通の石鹸なのだが、と思いつつもやはりシャンプーする時、自分の香りが客に嗅がれてしまうのかと思うと毎朝念入りに体を洗ってデオドラントは忘れてはいけない、そして服の柔軟剤やボディソープやクリームの匂いはキツすぎず柔らかい匂いのものを使うよう心がけていた。大輝にもそう言われていた。


「でも匂い変わったよね」

「あ、うん……変えた」

 大輝と同棲を解消したからだ。同じシリーズの少し安くなっていたやつだ。柔軟剤も同様に。


「そうなんだ」

 也夜は目を少し開けて來を見た。ドキッとする頼。


 匂いの違いがわかるのか……。

「痒いところは」

「無いよ」

「流しますね」

 いつもこの流す作業の頃には寝ていることが多い也夜は來との会話でここまで起きていた。温かいお湯に

「ああっ」

 とつい声が出る也夜。その声がとても色っぽいといつも思っていた。

「気持ちいい? このお湯」

「ああ、適した温度と君の手つきがたまらないんだ」

「ありがとう」

 也夜はずっと目を開けていた。それを気付きながらも目線をわざと逸らす來。作業に集中する。



 シャンプーも終わりカットへ。まめに髪の毛を切りにきたり、染めに来たりと来店頻度は多い也夜。

 髪型はほぼ同じなのは事務所社長の意向でまだ名前と顔が売れるまではドラマやモデルの仕事などで先方からの指定がない限りは宣材写真とは変えないようにしているようだ。


 茶髪にレイヤーの効いたおしゃれな髪型は大貴が社長やマネージャーと話し合って決めていたのを來は見ていた。


 タブレットで宣材写真を映し出し365度いろんな角度で撮影された写真が一枚画になっておりその通り整える。


「僕さ、ちょっとこの襟足切ってもいいかなぁと思うんだけどさ」

 と也夜が提案する。

「……やっても大丈夫なんですか?」

「ほんの少し、君に切って欲しい」

「大輝さんに聞いてきます」

「聞かなくていい」

 と來の手を握る也夜の手は温かい。いちいち也夜とのやりとりにドキドキさせられる。

 しかも今まで決まっていた長めの襟足を担当である大輝のいないところで自分の裁量で切っていいのかと來は戸惑う。

「君なら大丈夫」

 と微笑む也夜の言葉に後押しされて少しずつ切っていき、聞きながらまだ、あと少しと言われながら切っていくとかなりさっぱりとした髪型になった。


「……かなり切っちゃいましたよ」

「そうかなー。すごく上手だよ、來くん」

 と鏡越しでなくて振り返って也夜ら來に微笑んだ。


 今までに見たことのない也夜、それを自分で……と。すこし嬉しくなった。しかしなんでこんな感情が湧くのか、來にはわからない。


 すると大輝が入ってきた。もちろんさっぱりとした也夜を見て驚く。

「ちょ、也夜……その髪型!」

「僕がお願いしたんだよ」

 來は苦笑いしていたが大輝はいい顔をしていない。

 後で聞いた話だと也夜は事務所でマネージャーに怒られたと言っていたものの、その髪型にしてからなのかどうなのかわからないが仕事が増えて今の人気に至った。


 來ももちろん大輝に怒られたのは言うまでもないが。

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