第19話

「こ、これ……」



 マイクを握り、歌う準備をしているメガネガエルを見ずに私は絶句した……。



「ま、魔法少女パステルまみこ……」



 2人でカラオケに来てアニソンを入れるのもすごいといえばすごんだけど、それよりも……



「な、なんだ。俺の好きなもんに文句……」



「んめぇっっっっちゃ! 好きだったんですよーーーー!!!」



「なに!? そうなのか!」


 魔法少女パステルまみこといえば、私が小学生の頃にハマりにハマったアニメだった。



 カラオケで自分が歌うことはあっても、人が歌うなんて見たことない!



 うっひょー!



「そうか! いや、俺は女が喜ぶような歌知らないからな! 唯一好きだったこのアニメの歌くらいなら反応するかと思ったが……よし」



 そして、メガネガエルは爛々と瞳を光らせる私の前で歌った!



「♪~ドレミのリズムで滅殺~♪」



「めっちゃ下手!」



 メガネガエルはソファに泥のように崩れ落ちた。落ち込んでいるみたいだ。



「あ、いや! その個性的であの……」



「いいんだ……知ってたから」



 メガネガエルは立ち上がり、また歌い始めた!



「カラオケってのはな! 楽しんだもん勝ちなんだ! 美味い下手じゃない!」



「おおーーー!!」



 その姿勢にテンションが上がった私はマイクを取り、メガネガエルと一緒に歌った。



「♪憎悪に萌えた~復讐の鬼ぃ~♪」



 メガネガエルは急に歌に参加し始めた私に一瞬驚いたみたいにこっちを見たけど、すぐににやりと笑ってハモッた。



「♪1・2・3! 魔法少女パステルまーみこー! ♪」



「……」



 サビを歌いきったところで思わず目が合う。

「あっはっはっはっはっは!!」



 その妙にシンクロしたハモりにおかしくなり手を叩き笑った。



「ひぃ~苦しいぃ~!」



 メガネガエルもお腹を抱えてうずくまっている。



「よぉ~し! じゃあ私は……」



 コントローラーを手に取るとピッピッとお目当ての曲を選曲する。



 画面の上らへんに入力した曲が表示されると、メガネガエルは

「プフーッッ!!」



 思いっきり吹いた。



「か、亀の子たーとる!? お前、なんでこんなもん知ってんだ!!」



「パステルまみこ好きなら絶対これ好きだって思ったんです~」



 ドヤ顔。どやっ!



「おもしれー! じゃあ俺はこれで……」



「っぎゃー!! 時空戦隊サイレンジャーってまさかの特撮!?」



 ドヤ顔返しされた!

 散々歌い倒して店を出た。



 アニソン合戦から始まり、バンド縛りや年代縛り、喉がガラガラになるまで歌いまくった。



 めちゃくちゃ楽しかった。



 けど、



「……明るいな」



「明るいです……ね」



「何時だ」



「5時です」



「そうか。やっちまったな」



「……はい」

 年甲斐もなくオールをやってしまった。



 お互い、家に帰ってシャワーを浴びればまた仕事だ。



「高校生かよ」



「なに言ってるんですか! 取締役は中学生レベルでしたよ!」



「お前が言えるか!?」



 すっかり雨はやんでいた。私達は自らがやってしまった過ちを悔いながら歩く。


「あ、取締役……送ってもらわなくてもいいですよ! もう明るいし平気ですから」



 ふと同じ方角を歩いているメガネガエルに気付き、もしかしたら私を家まで送ってくれるつもりなのかと心配になった。



「? なに言ってんだお前、正直なんでついてきてんだと思ってたんだ」



「へ、じゃあなんで……」



「車を止めてるんだよ。こっちのパーキングに」



 不機嫌そうにメガネガエルは進んでいる方向を指差しながらガラガラの声で言う。



「あ~! そうですか! てっきり私はかよわい部下を家まで送り届けてくれる優しい上司だと思いましたよ!」

「なんで俺が紅白まんじゅうの家まで送らなきゃなんねぇんだよ!」



「こ、紅白まんじゅう……なんかめでたいな」



 ムッキャー! やっぱりハラ立つー! ちょっとでもいい人だって思った私がバカでした! ええバカでしたよ!



「そうですか! じゃあ、私ここ曲がったところなんで!」



「へーへーお疲れ様。じゃあまた月曜日にな」



「お疲れ様です!」



 もうほんと激おこぷんぷん丸な奴だわ!

 部屋に入ると、私は絶望的なことに気付いてしまった。



「シーツ干してたんだ!」



 あわわー! と慌ててベランダに飛び出して確認してみると、思った通りシーツは雨でびちょびちょだった。



「うぅ……最悪……洗ったばっかなのにぃ……」



 ベランダの柵にうなだれていると、メガネガエルと別れた角を駅に向かってメガネガエルが歩いてゆくのが見えた。



 ベランダから私が見ていることに全然気づいていないみたいだ。

「……もしかして、車で来てたって……」



 いやいや、まさか。もしかしたらカラオケボックスに忘れ物しただけでしょ。



「メガネガエルも人の子だねぇ……カエルなのに人のことはこれいかに?」



 寝てないので妙なテンションな私は、びちょびちょのシーツを引き上げるととりあえずバスルームへ投げ込んだ。

 月曜日、渋谷駅に降りるとまた人身事故があったようで、電車が遅れているとアナウンスがあった。



 幸い、私の乗っていた電車には影響なかったけど今運行しているダイヤがけっこう遅れているらしい。



「おはようございます」



「おはよう望月さん。よく遅れずに来れましたね、なんか人身事故あったんでしょ?」



「ええ、タイミングが良かったみたいで、私は普通に来ることが出来ました」



 会社に着くとトウマさんが早番作業をしている途中だった。



「稲穂兄弟と取締役が延着の関係で遅れると連絡があったところです」



「そうなんですか……。取締役は自動車で通勤すればいいのに、なんでしないんでしょうね」



「自動車?」



 社長なんだから車通勤くらいすりゃいいのに、と思った私の素朴な疑問にトウマさんが目を『?』にしていた。



「え、取締役は車を持ってるんじゃないんですか?」



「車どころか、あの人は原付の免許証しか持っていませんよ」



「え、だってあの時……」

『車を止めてるんだよ。こっちのパーキングに』



 カラオケボックスから私の家は、駅と逆方向。



 用もないのにメガネガエルが来る必要なんてないよね?



 それってやっぱり私を家まで送ってくれたって……こと?



『どくんっ』



「んっ……!」



「どうしました? 具合が悪いのですか?」



 トウマさんが心配して私の顔をを覗き込む。



「あ、いえ……なんでもないです」



 無理矢理笑うと私はロッカールームへと急いで駆け込んだ。



「はぁ……はぁ……」



 これはヤバイ。そんなことされたらヤバイって。



 自分の胸を押さえてみると驚くくらいに心臓が早く動いている。



 私の中の太鼓叩き職人が、必要以上の仕事をしている。



 この気持ち……、絶対ヤバイ……ダメだって!



 私がメガネガエルを!? まさかあり得ないって!



 あんな子供で、イヤミっぽくて、口も悪いし、いつも見下してばっかで……

『望月あんこは俺の女だ』



 あの時の台詞



『やった!』



 オムライスを見た時のリアクション



 手を繋いだときの体温と感触、車道側を歩かせない思いやり



『あっはっはっはっはっは!!』



 カラオケボックスでの笑顔



『なんで俺が紅白まんじゅうの家まで送らなきゃなんねぇんだよ!』



 心配させずに家まで送る優しさ

 私は今、メガネガエルの嫌なところを思い出そうと目をつむり、



 あいつがどんなに嫌な奴だったかを思い浮かべようとした。



 でも、思い出すのはドキッとした場面ばっかり。



「違う! もっと嫌な……私が嫌いな……」



 



『それは出来ません』



 DDDで見せた真剣な目。真剣な表情……



『お前ならどうする?』



 ……



『お前の考えを聞きたいんだ。お前の』 

「わ、私は……春日ナツメが好き……」



 口に出した瞬間、それは私の中の事実になった。



 本当の気持ちになってしまった。



 アッくんのこと、ハルくんのこと、ブリリアントのこと、写真のこと……



 考えなければいけないことは山ほどあるのに、暇なんてないのに、



 私は人を好きになってしまった。



 一番好きになっちゃだめなのに……

「……よし、みんな揃ったか」



 通常の勤務開始時間より15分ほど遅れてメガネガエルが出社し、それに5分ほど遅れてハルくんとシュンくんが出社した。



 それぞれ準備が終わった頃を見はからってメガネガエルがみんなに呼びかける。



「みんな……つうか、アキが来てませんけど?」



 シュンくんがアッくんのデスクを覗き込み言った。



「まぁ、その件でだな……一度ミーティングがしたい。全員ちょっと、ゲストルームに集まってくれ」

 事の成り行きを知らないみんなはなんのことか分からないといった表情でぞろぞろと移動する。



 この緊迫した雰囲気の中なのに、私はどうしてもメガネガエルの顔を見てしまう。



「ん、頼むぞ」



 それをこれからのミーティングでのアッくんのフォローだと勘違いしたっぽいメガネガエルは、



 私と目が合うとそう言った。



「はい……」



 私はつい俯いてしまう。

 どうしよう。アッくんのことについての大事なミーティングだっていうのに、



 私の心はムカつくくらいにここにあらずって感じで……



「みんな、急に集まってもらって悪いな。今回集まってもらったのは他でもない、



 アキのことについてなんだが……」



 真剣な表情でみんなの方を向いてやや低い声で切り出した。



 ……ヤバイ、かっこいい……



「アキについて? ……なんの話ですか、今日アキが来ていないことと関係あるんですか?」



 ハルくんがメガネガエルのいつもと違う雰囲気に気付いて聞き返した。

「ああ、例のブリリアントの件だが……どうやら、デザインを流出させたのはアキのようなんだ」



「……は?」



 場内がシンと静まる。みんなメガネガエルが言ったことがよく分かってないみたいだ。



「ブリリアントのデザインラフをアキが……ですか」



 さすがのトウマさんも口元に手を当てて、眉と眉の間に皺をよせている。



「なんすかそれ!」



 意外にも大声で怒鳴ったのはハルくんじゃなくて、シュンくんだった。



「シュン……」



 当のハルくんも意外だったのか、シュンくんの名前を呼ぶしか出来ないみたいだ。



「それで!? アキはどこにいんすか?? ちゃんと警察に突き出したんでしょうね!?」



「落ち着けシュン。そんなことが出来るわけないだろう」



「立派な犯罪でしょ!? 社外秘の情報をアップしたんだ、そのせいでハルが……」

 ハルくんがシュンくんを抑えると、明らかに怒りを我慢してるっぽい顔で



「……なんでですか。なんでアキは俺のデザインをイグジードなんかに……」



 うわ、完全に怒ってる顔だ……これ、見たことある。



 シュンくんが先に爆発しちゃって消化不良なのがまるわかりだ……。



「わからん。理由は俺も聞きたいんだが、本人と連絡がとれなくてな」



「当然、クビっすよね!?」



 ハルくんが震えた声で確認するけど、メガネガエルは黙っている。



「……クビっすよね?」



 もう一度念を押すように。



「俺は、アキを許してやりたいと思っている」



 言っちゃった。

「はぁ!?」



「ハル、取締役だぞ。口の利き方を正しなさい」



 トウマさんがハルくんを注意するけど、そんなのは耳に入ってないみたい。



「いい、トウマ。こいつの怒りはもっともだ」



「人のデザインパクって他の企業に売っておいて、許したいって何考えてんすか!?



 あれのせいで俺がどんな目に会ったか、知らないんですか!!」



「あいつはまだ子供だ。物の良し悪しなんてちゃんと理解していない。今回のことだってきっと、



 そんな子供じみた理由なんだろう。



 高校も行かずにこの会社に来て、社会のことなんてここでしかしらない奴だ。



 これを悪いことだってちゃんと教えてやって、あいつを成長させてやらなくちゃならない。



 だから、この件については目をつむってやってくれないか」



「ふざけんなっ! そんなもん俺が……」


 ハルくんが更にメガネガエルを責めようとした時、メガネガエルは立ち上がり、



 深々とみんなに頭を下げた。



「この通りだ。今回だけはこの俺に免じて許してやってくれ」



 その姿に誰も何も言えなかった。



「……俺があいつを許すのは時間がかかりますよ」



 根負けした様子でハルくんは、頭を下げたままのメガネガエルから目を逸らして言った。

「充分だ。ありがとう」



「しかし、取締役。いくら私たちが許すと言っても、本人が会社に来ていないということは



 アキにも思うところがあるのでは?



 アキ本人が会社に来る気にならなければ解決にはなりませんよ」



「ああ、わかってる」



 ようやく頭を上げたメガネガエルは、みんなを見渡して「わがまま言って、すまん」ともう一度謝った。


「あの!」



 みんなが一斉に私を見た。



 うう、なんか話づらいなぁ……でも、ここしかない。



「アッくんがハルくんのデザインを流出させたのは、私のせいなんです」



「おい、煙まんじゅう、お前はなにも……」



「け、煙……。いいんです、取締役も聞いてください」



 煙まんじゅうに突っ込みたかったけど、我慢して私は続けた。

「アッくんは、私のことが好きだったみたいなんです。



 それで、ハルくんと私が付き合っていることを知って別れさせようとあんなことをしたんです」



「お、おい! あんこ……あ」



 つい私を「あんこ」と呼んでしまい、口を押えるハルくん。



 私はハルくんにジェスチャーで“ごめんね”というと、話を続けた。



「その発想がすごく子供じみてて、短絡的なんだけど……。それがやきもちだって思うと



 なんだか可愛い気もします。けれど、私にはそこまでなんです。かわいいな、って思うだけ……」

「え、付き合ってたのお前ら」



 ハトが驚いたような顔でメガネガエルは反応した。



 トウマさんは、“やっぱり”といった表情。さすがだ、かなわないな。



 シュンくんは気まずいのか、窓の外を見ている。



「……それで、そこにはすれ違いがあったんです。そもそも」



 私はカラカラになった喉に無理やり唾を飲みこむ。

「あの子は私とハルくんが別れて、自分のものにしたかったみたい……。



 でも、それは無理だし、だからって言って、ハルくんと戻ることもないです。



 だって、私は……」



 言っていいのか、こんなこと。



 言っちゃまずいよ。



 やめときなって! ねぇ、あんこ! 



 そんなことみんなの前で宣言することじゃないよ!

「だって私は、春日取締役が好きだから!」



 ……



 …………



 ………………しーん



「あ、あれ? なにこの空気」



 静まり返る場内。みんな呆れてるのか? それとも驚いているのか?



 それさえも読めないなんともいえない表情をしていた。



「……そ、そんなこと知ってたし! 大体、デザインどうのこうのっていうより、それが原因で別れたからな!」



 突然ハルくんが声を裏返して言った。



「俺も、社長尊敬してるから、社長にはかなわないって思ったしさ」



「お、おい、お前ら何言ってんだ? これを信じ……」

 私はメガネガエルに「しーっ!」と指を立てて黙らせる。



「だから、アッくんには悪いけど私には脈なしなんだよね。変に期待持たせちゃうとあれだから」



「社内恋愛はどうかと思いますが……そういうことなら確かにアキがなにかに気を取られることはなくなるかもしれませんね」



「お、おいトウマまで」



「じゃあ、それをネタにアキを説得すりゃいいのか。ハルも振られてるし戻ってきやすいかもな」



 いつの間にかシュンくんの機嫌も直っている。

「だから待てって! 俺を会話から外すな!」



「取締役……」



「な、なんだよ」



 私はメガネガエルの胸に鼻が当たりそうな距離に立ち、メガネガエルの整った顔を見上げる。



「好き」



「え、えいぎょう」



「?」



「営業に行ってくる!」



「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 私も……」



「来んな!」



 オフィスから出る間際、ハルくんに向かって『ありがとう』と口パクで伝えた。



 ハルくんは親指を下に向けて『地獄へおちろ』ってしながら笑ってくれた。






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