第11話

「なぁなぁ」


 

 ロビーで呼び止められて私は振り返った。



「あ……」



 一瞬ドキっとした。



「なんでハルと付き合ってんの?」



 小声でシュンくんは私に話しかける。



 そう、シュンくんを一瞬ハルくんだと間違えたのだ。



(これを言ったらまた怒るんだろうな……)


 

 少し苦笑いをしつつ「なんでだろうぉ~……」とはぐらかす。

「好みのタイプじゃねーはずなんだけどなぁ……」



 まじまじと私の顔を眺め、胸から下を流し見るシュンくん。



「な、なんでしょう……?」



「う~む……わかんねぇ」



 失敬な!



 私のナイスボディを……いや、ごめんなさい。



「じゃ、じゃあそういうことで……」



 逃げるようにオフィスに戻る。

「芋まんじゅう」



 この呼び方……あいつか。



「なんでしょう取締役」



「ん、あのな。来週の20日に千代田の祭りに行ってほしい」



「お祭りですか!? 行きます行きます!」



 メガネガエルは思わずテンションが上がる私を一瞬だけチラッとみると、デスクに置いてあった資料を手渡した。

「この祭りに協賛している企業からオーダーがあってな。簡単なチラシのデザインを頼まれている。お前には写真を撮ってもらいたい」



「写真ですか?」



 ……また写真だ。なんでこの男は私に写真を撮らせたがるのだろう。



「今回は注文しとくぞ。この祭りのメインは灯篭流しだ。ボートを漕ぎながら灯篭を眺めるってのが特徴らしい。

 

 本来、このボートに乗れる組は限定されているんだが、今回特別に1枠撮影の為にもらった。アキと一緒に行ってくれ」

「はい! ……やった、是非やります! やらせてください!」



 単純にお祭り=ボートで灯篭流しというワードにテンションMAX!



 あとあとハルくんに愚痴を言われることなんて忘れて、はしゃいでしまった。



「で、おまえ。浴衣持ってるか?」



「へ、浴衣?」



「そうだ。浴衣」

「尾崎……?」



「それはゆたか」



「ゆかただよ! どんだけおちょくんだおまえは!」



「ひゃ、ないです! ……そんな女子力の高い鎧なんて……」



 お約束の“終盤にかけて小声”がさく裂した。



「あ~……そうだろうと思ったよ」



 

 メガネガエルはスマホを取り出し、「ちょっと待ってろ」と言ってどこかに電話をした。



 これだけ会話をしてるのに、私を見たのはさっきの一瞬だけ。



 この人は他人に興味がないのかな?



『望月あんこは俺の女だ』



 もしかして、あれもなんか夢だったとか?



 いやいや……ダメだ。



 私には年下のスィーツ系の彼氏がいるじゃないか。←スィーツって言いたいだけ

 メガネガエルは、キコキコと椅子を鳴らして電話をしている。



 こないだのことばかり考えていたせいか、メガネガエルの話している内容は全然聞こえていなかった。




 ギシッ



「栗まんじゅう、仕度しろ」



「はい?」



 メガネガエルは急に立ち上がると私に仕度をするように言った。



「仕度って……あの」



「なんだお前、聞いてなかったのか? ボーっとしやがってアホか」



「ア、 アホ……」



「とにかく仕度しろ。衣装屋に浴衣借りてやったから、選びに行くぞ」



「え、浴衣ですか?! 借りるって……」



 メガネガエルはデスク越しに前のめりで私の顔に近寄る。

「他の奴に頼んだッていいんだぞ。さっさと用意しろ」



「は……はいっ!」



 急に距離を詰めてきたメガネガエルに一瞬心臓が止まりそうになった。



「不意打ちは卑怯なりよ……」



 外出の用意をするのにロッカールームへと向かいながら、胸を抑えた。

「嬉しそうだなオイ」



 ロッカーで鏡を見ていた私にハルくんが声を掛けた。



 声の調子からして機嫌が悪そうだ。



「取締役はカッケーし、アキはジャニ系だし? 内心喜んでんじゃない?」



 ……。



「なんだよ、図星かよ」



「聞いてたの?」



「聞こえたんだよ」

 私は振り返ってハルくんに歩み寄る。



 ほんの10センチくらいしか離れていない距離に立ち、ハルくんを見上げた。



「あのさ」



 私は無表情に努めながら一言投げかけてみた。



「……なんだよ」



 ハルくんの顔が強張る。私が次に言う言葉に構えているみたいだ。

「やきもち妬いてんの~?」



 ハルくんの鼻をぐにっと摘まんでおもいっきり笑う。



 やった! してやった! 我奇襲ニ成功セリ!



「いて! お前……やってくれんじゃん」



 逃げる私を捕まえようとするハルくん。



「しぃ~~! まだ知られたくないんでそ? こんなとこでお姉さんとイチャついてたらみんなにバレちゃうよ!」



「……くぅ……覚えとけよ」

 そういいながらもハルくんはまんざらでもない顔だった。



「心配しないで。私、ハルくんの彼女だから」



「心配なんてしてねーよ」



 ハルくんは強がってはいるけど、少しホッとしたような顔をした。



「じゃ、いくね」



 出ようとする私の手を引き、抱きとめると反応する間もなくキスされた。



「さっきの嘘。ほんとは心配してんだ」



「……わかってるよ。大丈夫だから」



 オフィスから「毒まんじゅう、まだかー」とメガネガエルの声が聞こえた。



「じゃ、いってくる」



「すぐ帰ってこいよ」



 バイバイ、と手を振ってロッカーを出た。

「なにやってんだお前、そんなに時間食うか普通」



 少しだけイラついているのか、メガネガエルはオフィスに戻った私に言った。



「すいましぇん……へへ」



「なにへらへらしてんだ」



 さっきのハルくんとのことを思い出してついニヤニヤとしてしまった。



 どうなることかと思ったが、思ったよりも私は今幸せかもしれない。



 えへへ

 オフィスの外に出ると、灼熱の太陽に襲われた。



 オフィスは最新の省エネエアコンのおかげで涼しかった為に、外との温度差に一瞬吐き気がする。



「あ、暑い……」



「そうだな」



 しかしメガネガエルはというと、この暑さにも関わらず妙に涼しい顔をしている。



「と、取締役……暑くないんですか?」




「なに言ってんだ。ここ見てみろ」



 メガネガエルは額を指差す。



 ……うっすらと汗ばんでいる。



 私はというと……



「…………」



 ハンカチでおでこを撫でると琵琶湖の地図みたいなシミ。

 昼の日差しは容赦なく私の肌をジリジリと焦がしてゆく。



「日傘……持ってくるべきだった……」



 私の美白、私の美白が汚されてゆくぅ~あぁ~



 相変わらずうっすら汗のメガネガエルの背中についてゆく。



 ブリリアントに行った時に思った、あの背中の感じ。



 少しは想うところあるかと思ったけど、暑さのせいでなにも感じなかった……ていうかそれどころじゃなかった。

「あの……電車ですか?」



「悪いか」



「いえ」



 渋谷の駅の方向へ向かっているのに気付いた私は、おもわず聞いてしまった。



 うー歩くのいやだよぅ……車がいいよぅ……



「……帰りにメシおごってやるから、もう少しがんばれ」



 RPGゲームの序盤に出てくるスライムのようにドロドロになっている私に見かねてメガネガエルが珍しく言った。



「おごり? ……マジっすか」



「マジっすか……ってお前……」



「あの、アイス食べてもいいっすか」



「好きにしろ」



 シャキーン

「私、頑張ります!」



「……頑張ってくれ」



 元気を振り絞って灼熱と戦う決意をした私。



 がんばれあんこ! 負けるなあんこ!






 30分後……




「あのぉ……」



「なんだ」



「随分と遠いんですね」



「そうだな」



 麻布十番で降りて20分……ひたすら私たちは歩いた。


 しかし一向にたどり着く気配がない。

 地面から照り返す熱がヒールの中を蒸す。



 窮屈な足の指たちがぬるぬるしているのが分かる。



 ……ああ、とにかくストッキングを脱ぎたい。ヒールも脱ぎたい。



 プール入りたい!



「もしもし、トウマか。衣装屋ってどこだ」



「……へ」



 メガネガエルの声に顔を上げる。



 今、なんていった?

「ああ、なるほどあの青いたばこ屋だな……」



「あの……取締役?」



 メガネガエルが電話を切るのを待って私はおそるおそる尋ねてみた。



「もしかして迷いました」



「ああ、迷子だ」



 がびびーん!



 へなへなとその場にへたりこんだ。

「おい、行くぞ。次は完璧だ」



「……うぅ」



 この汗の量を見たまえよ! ブラウスなんてびちゃびちゃで透けちゃうからジャケット脱げないし、前髪もぺっとりーん!



 もうダメだ、もうなにがあろうとも動けない。



 ギブミービール



「……アイスにケーキもつけてやってもいいぞ」



「足がちぎれるまで頑張ります」



 シャキーン


 そんな遠回りを経てようやく衣装レンタルのお店についた。



「うわぁ~……」



 通された衣裳部屋には所せましとドレスが並んでいる。



 そのどれもが私にはとても似合いそうにないものばかり。



「ここのドレスが似合うようになったら……王子様が……」



 メガネガエルがスタッフの女性と一緒に戻ってきた。

「こちらはFOR SEASONがよくお世話になっているドレスレンタルの酒井さんだ」



「よろしく、酒井です」



 紹介された女性は、思っていたよりもかしこまっていなくて、格好もスーツはスーツだけどラフに着こなしている。


 

 加々尾さんに比べたらまだフランクなイメージだった。



「あ、望月です! よろしくお願いします」



「どうも、望月さん。今日は浴衣って話だけど」



「そうなんだ酒井。千代田の灯篭流しを撮影するのに使うんだが……」



「ああ、そう? じゃあ灯篭の光に映えるのがいいね」



 “酒井”って……親しいのかな? この二人



「望月さん、こっちで選んじゃってもいい?」



「あ、はい! 是非お願いします!」



 私の目の前で次々と浴衣を取り出しては、合わしてゆく。



 それをみながら二人はあーでもないこーでもないと相談し合っている。

「サンセットイエローにこの紫系の帯が無難だけど……少しおばちゃんっぽくなっちゃうから」



「夏だからな、ライト系の青にオレンジなんてどうだ」



「それなら青よりもグリーンが入っていた方が……」



 眉間にしわを寄せて話す二人の前でただ立っているだけの私。



 全然話に入れない。



「ねぇ、望月さん。こっちとこっちならどっちがいいと思う?」



「え、そ、そうですね……こっち……かな?」



 急に振られたのでなんとなく答えてしまった。

「……こっちかぁ」



「違うんだよなぁ」




 じゃあ聞くなよ!






 しばらくしてようやく浴衣が決まり、メガネガエルと酒井さんは軽く談笑していた。



 それを眺めていると、メガネガエルがお手洗いで席を外し、酒井さんがこっちやってきた。



「お疲れ様。大変でしょう? ナツメのオフィスで仕事するの」

「ナツメ……、あ! 取締役ですか!? いえ、全然、大変じゃないですよ!」



 私がそういうと酒井さんは一瞬目を丸くし、驚いたように言った。



「へえ、そうなの? あなたみたいなの初めてね」



「初めて……ですか?」



「そうよ。今まで何人か女の子がFOR SEASONで働いたけど、みんな自己中な男どもに呆れて辞めちゃったのよ」



「自己中……ま、まぁ……そうですね……でも、そんな我慢できないほどのことじゃ……」

「我慢できないのよ。だって、みんな大手から引き抜いてきた子ばっかりでしょ?



 FOR SEASONくらいの規模の会社で、好き勝手言われることに耐えられないみたい。



 あなたはそうじゃないの?」



 なんだそれ。初耳だぞ?



 確かに以前に勤めていた女性社員はみんな辞めちゃったとは聞いたけど



「いえ、私は大した大学でてませんし、前職は小売業だったので……」



「え、そうなの?!」



 酒井さんはまた目を丸くして驚く。

「いくぞ、葛まんじゅう」



「あ、はい!」



「ま、まんじゅう?!」



「ああ……私の会社でのアダ名です。びっくりするくらい気に入ってませんけどね……」



 えへへ、と苦笑いしつつおじぎをしてメガネガエルの元へと駆け寄った。



「すみません。今日はありがとうございました」



「ええ、じゃあ、当日にまた来てちょうだい。時間はナツメにまた言っておくから」



「はい、ありがとうございます」



「じゃあな、酒井」



「またね」

 外に出ると、再びあの灼熱地獄が私の美白を襲った。



「そんなに真っ白な肌じゃないんだから、もういいだろ。褐色でいけよ、案外受けるかもしれないしな」



「な、なに言ってるんです?! 私の美白を……」



「美白……ねぇ」



 メガネガエルの溜息。



 お前が溜息するかー!



「じゃあ、メシ食おうか。お前のせいで腹が減った」



「ええーー! メガ……取締役が道に迷ったからでしょ!」


「今無性に誰かを不当にクビにしたい気分だ」



「申し訳ありませんでした社長」



 そんなとりとめのない話をしながらメガネガエルについてゆくと、一軒のカフェ風のレストランに入った。



「好きなのを食え」



 案内されたテーブルにつくと、真ん中に開いたメニュー。



 どれもこれもおいしそうでよだれが出そうになる。



「あ、あざっす! あざーっす!」



 

 メニューに穴が空くんじゃないかと思うほど食い入って見る。



 グラタン……ハンバーグ……パスタ……。



 な、なにィ……焼きたてパン食べ放題……だと?



「ご注文をお伺いします」



 店員のかわいらしい女性が注文をとりにきた。



「えっと、えっとね……」



 究極の選択を迫られ、パニックになる。

「オムライス」



「えっ! 私オムライスじゃないですよ! パスタかハンバーグかグリル……」



 勝手にメニューを決められた私は涙目で訴えた。



「オムライスは俺だ」



「……ああ、そうですか……じゃあ、私はパスタ! このシチリア風レモンバジルのパスタで!」



「かしこまりました」



 メニューを畳んでテーブルの脇に立てる。

「……なんだ」



「え」



「なんか言いたそうだな」



「あ、いや……」



 ちょっと驚いただけだって!



 だって、イメージつかないじゃん! この人がオムライスって!



「オ、オムライス……お好きなんですか?」



「オムライスの何が悪い」



「いえ……なにも……。おいしいですもんね! オムライス!」



 そういいつつも思い出した。この男と初めて会ったとき、ケチャップの香りがしたっけ……。






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