第29話 神様にお願い



 突然襲ってきた平安装束の女の子が、消えてしまうという事件の後。


 自宅に帰る頃にはすっかり遅くなっていた。 


 しかも玄関に入るなり、なぜかかざりがいて、私に駆け寄ってくる。


明生あい……! お前、どこ行ってたんだよ!」

「文」

「おい、あんた……明生になんのようだ」


 私が曖昧に笑う中、私の後ろについてきた加那川かながわ先生──南閣なんかくさんを見て、文は眉間を寄せた。


 私は慌てて説明する。


「文、先生は悪い人……じゃなくて、悪い神様じゃないよ。私のことを助けてくれたの」

「神様? ……何があったんだ?」

「実は……」




「……なに? 明生が神を消した?」


 リビングに移動して説明すると、文は驚きの声を上げた。


 ……まあ、そうだよね。私にだって信じられないんだから。


「そんなことが可能なのか?」


 まことお兄ちゃんがお茶を出しながら訊ねると、ソファに座っていた南閣さんは頷いた。


「明生さんは、少し普通ではないようです」

「少しどころじゃないだろ。神ですらないというのに、断罪するなんて」


 お兄ちゃんの言葉に、私は首を傾げる。


「断罪って何?」

「だから……前にも言っただろ。神を裁くことだ」


 私がきょとんと目を丸くしながら文の言葉を聞いていると、文の肩に甚人じんとが現れる。


「明生は悪いことをした神を異界送りにしたんだ」

「悪いこと?」


 私が訊ねると、甚人は踊りながら教えてくれた。


「女の断罪者に攻撃されただろう? 断罪者が同胞や人間に攻撃するなど、本来はあってはならないことだ」

「甚人はいなかったのに、どうしてさっきのこと知ってるの?」

「名づけ主のことだからわかる」

「異界送りって……あの人、死んじゃったの?」

「いや、新しい神に生まれ変わったんだ」

「それっていいことなの?」

「悪事を働いた神を異界へ送ることは、悪いことではないはずだが……明生は人間だからよくわからない」


 難しい顔をする甚人を、文が睨みつける。


「こら、甚人」

「本当のことだろう?」

「明生、気にするな。攻撃を仕掛けてきたのは相手だろう?」


 文は慰めてくれるけど、私はなんとなくモヤっとしてなんとも言えない気持ちになった。


「……そうだけど」


 私が俯いて考え込んでいると、ソファに座る南閣さんも納得できないとばかりに言った。


「断罪者は本来、気が遠くなるほど長い時間修行することで、断罪する資格を与えられるものだが」

「なら、明生にはすでに神を断罪する資格があるというのか?」


 お兄ちゃんが訊ねると、南閣さんはお兄ちゃんをまっすぐ見返した。


「もしかしたら……」

「なんだ?」

「明生さんは断罪者の生まれ変わりなのかもしれない」

「断罪者の?」


 訝しげな顔をするお兄ちゃん。


 文もおかしいと思ったようで、眉間を寄せて口を開いた。


「だが、明生は人間なんだぞ?」

「そもそも、明生さんは本当に人間なのか?」


 南閣さんの言葉に、お兄ちゃんは大きく見開く。


「……え?」


 お兄ちゃんが視線をうろうろさせながら押し黙る中、文が代わりに訊ねる。


「人間の腹に、神が宿ったとでも?」

「前例がないわけじゃない」


 その言葉で、文は考え込む。


 けど、私には南閣さんの言う意味がよくわからなくて、皆の顔色を伺う。


「どういうこと……?」


 すると、文が簡単に説明してくれた。


「つまり、明生は生まれながらの神……かもしれないってことだ」

「は? 何言ってるの? 私のお父さんもお母さんも人間だよ? たぶん」

「そうだな。だが稀に、人の間から神が生まれることもあるんだ」


 文はそう言うけど、お兄ちゃんは納得いかない様子で呟く。


「だが、神ならば俺たちにだってわかるはずだが」


 そのお兄ちゃんの言葉を、甚人が拾う。

 

「そもそも神の『負の感情』を見抜く人間なんていないだろう」

「……そうだが」


 狼狽えるお兄ちゃんだけど、南閣さんはさらに何かを告げようとする。


「問題は……」

「なんだ?」


 その南閣さんの意味深な様子に、お兄ちゃんは先を急かすけど──


「いや、……柊征しゅうゆ、あとで少し話せるか?」

「……ああ」


 南閣さんはそれ以上何も言わなかった。






 ***






 南閣なんかくさんがうちを出ていくと、お兄ちゃんも追いかけるようにして外に出ていった。


 そしてリビングに残された私は、一緒にいたかざりに思わずこぼす。


「私が神様なんて、信じられないよ」


 そう告げると、文はむしろ謎が解けたように口を開いた。


「けど、断罪者なんて普通の人間がなれるものじゃない。むしろ明生が神だったなら、これまでのことが納得できる」

「私が神様だったら、何かいいことあるの?」

「お前……損得で考えるなよ。神のくせして」

「だって、神様になるメリットがわからないよ」

「そんなんで、よく断罪者になれたもんだな」

「私は断罪者なんかじゃないもん」

「俺もお前が断罪者になれるとは思わないけどな」

「なによ! 文だって変な神様だし」

「変な神様ってなんだよ」

「私みたいな人間を好きになるなんておかしいよ」

「そこかよ」

「この世の中には、私より綺麗な人だって面白い人だっているのに、どうして私なの?」

「好きになることに特別な条件が必要か? そうじゃないだろ。俺が好きになったのが、たまたま明生なんだよ」

「やっぱり文はよくわかんない」

「……まあ、俺の話より……明生はこの先どうしたいんだ」

「この先?」

「お前が本当に神だったら、今のような生活はできなくなるぞ」

「……え?」






 ***






「明生から聞いた時はまさかと思ったが、お前が担任だったとは……明生に近づいたのは、どうしてだ?」


 明生あいのいるマンションの屋上で、ネットフェンスに背中を預けた柊征しゅうゆは、南閣なんかくに訊ねる。


 南閣はふっと息を吐いて自嘲する。


「秘密にしていたことを、責めたりしないんだな。お前は相変わらず、模範的な神だな」

「何か事情があったんだろ?」

「それについてだが……」

「明生を監視していたのか?」

「監視というより、観察だな」

「明生のことを知って、どうするつもりなんだ?」

「俺はただ、彼女に断罪者の素質があるかどうかを確認していただけだ」

「確認してどうする?」

「世の秩序を乱すものなら、封印するつもりだ」

「封印? 明生の力をか?」

「ああ」

「封印か……明生は神になることを望んではいないだろうからな。それも悪くはないだろう」

「だが、封印すれば、力や神にまつわる記憶も封じ込めることになる」

「神にまつわる記憶……俺たちのことも忘れるのか?」

「そういうことだ」


 柊征にとっては、予想通りの答えだった。

 

 諦めたようにため息を吐く柊征を見て、南閣は少しだけ驚いた顔をする。


「意外だな」

「何がだ?」

「今の話を聞いて動揺すらしないなんて」

「明生を一人にするのは心苦しいが、いつかこういう日が来ることを予想はしていた」

「お前……それほどまでに彼女を」

「俺は明生に依存しすぎていたようだ」

「兄妹とは、そういうものだろう?」

「違う……俺は……」

「それ以上は言わなくていい。言ったところで、俺に何か出来るわけでもない」

「……」

「だが封印を望むなら、いつでも言ってくれ。彼女の平和を守るためにも」

「……ああ」


 柊征は南閣に背を向けて、ネットフェンスを掴む。

 

 その悔しさが滲んだ顔は──誰にも見られることはなかった。





 ***






「今日は楽しいかき揚げ~♪」

「ただいま、お兄ちゃん」


 私──明生あいが帰宅してリビングに入ると、キッチンにいたまことお兄ちゃんが顔を覗かせる。


 その顔を見たら、思わず泣きそうになって──私は目に溜まった涙を見られないように顔を背けた。


 でもさすがお兄ちゃん。


 ずっと一緒にいるだけあって、私の異変に気づかないはずがなかった。


「おう、お帰り……どうしたんだ? 顔色が悪いようだが」


 私は覚悟を決めて、その日の学校帰りに起きたことを正直に話した。 


「あのね……今日……また断罪者って名乗る人を異界に送っちゃったんだ」

「……そうか」


 私の話を聞いてもお兄ちゃんは動揺したりしなくて、私の頭を優しく撫でてくれた。


 そしたら、胸の奥でくすぶっていた塊が決壊して、自然と涙がポロポロと落ちてくる。


「どうしよう。今日でもう五回目だよ? 私……こんなの嫌だよ」

かざりもついていただろう? あいつはどうしたんだ?」

「文は何も言わないんだ。もしかしたら、文は私が怖いのかもしれない」


 いつも強気だった文が、今日は強張った顔でこちらを見ていた。


 そのまるで化け物を見るような目が頭から離れなくて──私は制服の胸元をぎゅっと掴む。


 けど、お兄ちゃんはやっぱり優しい声で私の頭を撫でてくれた。


「そんなことはないだろう」

「だって、あれだけ好きって言ってたのに……もう何も言わないんだよ?」

「それは……文にも何か考えがあって……」

「ううん、違うよ。きっと文は私のことを嫌いになったんだ」

「明生」

「私だって、私が怖いもん!」

「明生!」


 泣き叫ぶ私を、お兄ちゃんはぎゅっと力強く抱きしめてくれた。

 

 その温かさに、私はさらに涙が止まらなくなる。


「大丈夫だ……お前は普通の人間だ」

「どうしよう、そのうちお兄ちゃんや文まで異界に送っちゃったら……そんなの絶対に嫌だよ」

「そうだな……だったら、南閣に力の使い方を教えてもらおう」

「私……こんな力いらない!」

「……明生。大丈夫だ、大丈夫だから……」

「……お兄ちゃん」


 お兄ちゃんは私を腕から離すと、微笑みながら訊ねる。


「なあ、明生。明生はこれからどうしたい?」


 私は思わず大きく見開く。

 

「……え?」

「もしも、明生が普通の人間でいたいなら、お兄ちゃんがお前を人間にしてやる」

「普通になれるの?」

「ああ……お兄ちゃんは神様だからな、お前の願いくらい叶えるのは簡単だ」

「本当に……?」

「ああ、お兄ちゃんを信じろ」

「……うん」

「じゃあ、改めて聞くが、明生はどうしたい?」

「……私、普通の人間になりたい。だからお兄ちゃん、お願い……!」

「ああ、その願い、俺が確かに受け取った」


 お兄ちゃんはそう言って、私の額に唇を寄せた。


「お兄ちゃん!?」

「ごめんな、明生。今までありがとう」


 その時の私は、お兄ちゃんの言葉の意味を──理解していなかった。


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