第6話 彼と彼女



 柊征しゅうゆさんたちと待ち合わせしているカフェに向かう途中。


 女の人に声をかけられた私──佐東明生さとう あいは、気づくと小さな部屋に閉じ込められていた。


 少しだけ話を聞いて欲しいと言われて、女の人の車に乗ったのが間違いだった。


 渡されたココアには睡眠薬が入っていたみたいで、どうやってこの部屋に来たのかもわからなかった。

 

「──ダメよ、助けなんて呼んじゃ」


(スマホ取り上げられちゃった……もう少しだったのに)


 お兄ちゃんに助けを求めてメッセージを入力していた最中に、〝サツキ〟さんに気づかれてスマホを奪われてしまった。


「私をどうするつもりですか?」

「それは彼に聞いてみないとわからないわ」

「彼?」

「今は眠っているから、彼が目覚めたらあなたは……きっと殺されるわ」


(彼って誰だろう? 銃の持ち主は女の人だって、かざりは言ってたけど……それにこの人、この間となんだか雰囲気が違う)


 サツキさんの意図がわからなくて、混乱する中、ふとこちらに背中を向けた彼女がピタリと動きを止めた。


 そしてゆっくりと振り返ったかと思えば、サツキさんは機械的な笑みを浮かべた。


「初めまして、お嬢さん」


 さっきとは違う声音に違和感を覚えて、私は思わずその言葉を繰り返していた。


「初めまして?」

「僕が初めましてと言えば、初めましてなんだよ」


 私を誘拐した女の人が、突然知らない人間になった。


 同じ顔なのに、纏っている空気は全然違う。

 

「僕? あなたは……誰?」

「残念ながら、僕には名前がないんだ」


 私は目を細めて女の人を凝視する。


 今までと違って、強い負の感情を放つその人に、恐怖さえ感じながらも聞かずにはいられなかった。


「サツキさんが〝目覚める〟と言っていたのは……あなたのことですか?」


 すぐにピンときた。


 さっきからずっと違和感があったけど、その理由がわかった。


 同じ女の人でも、中身は別人だってこと。


 女の人の中には、複数の人間がいるみたい。


 ころころ変わる顔色はそのせいだろう。


 そして今、目の前にいる彼女……いや、からは、誰よりも危険な香りがした。


「もう気づいたんだね。ああ、そうさ。目覚めたのはこの僕だよ」

「私をさらったのは、あなたですか?」

「違うよ、僕とは違う人間だ……いや、人格と言ったほうがわかりやすいかな?」

「どうして私を?」

「彼女は僕の衝動を知っているから、僕のために君を用意してくれたんだ」

「彼女? おじさんと一緒にいた人?」

「違うよ。本人格は俺たちのことを知らないんだ」

「知らない? あなたの体には何人いるの?」

「さあ。何人いるんだろうね。それにしても、君は怖くないのかい? 普通にお喋りをしているけど」

「あなたのこと……怖いです」

「じゃあ、もっと怖い思いをさせてあげよう」






***






「名前はあとでつけてやるから、明生あいの居場所を教えろ」


 明生がサツキの別人格を知った頃。


 湖に囲まれる灯台にいた柊征しゅうゆは、付喪神つくもがみから明生の居場所を聞き出そうとしていた。


「おい柊征、そんな簡単に請け負う奴があるか。神に名を授けることが、どういうことかわかっているのか?」


 かざりが淡々と告げると、文の肩にいた小さな付喪神は口を膨らませる。


「ああ、付喪神の神格が上がるだろうな」


 柊征は眉間を寄せると、さらに付喪神に訊ねる。


「本当に、俺たちと同じ宿神やどがみになる覚悟はあるのか? この世知辛い世の中で」

「私はお前たちのような自由がほしいんだ。物に縛られるのはもうたくさんだ」

「物と同化しているうちは腹も減らないが、宿神やどがみになれば、人間として生活する必要が出てくるんだぞ?」


 文の指摘にも、付喪神は動じなかった。


「そんなこと、わかっている。私は自分の足で歩きたいんだ」

「お前が思っているほど、簡単じゃないんだ」


 文がため息混じりに言うと、付喪神は急かすように告げる。


「わかっていると言っているだろうが。それよりも早くしないと、女の子が危ないぞ?」


 付喪神の言葉に、柊征しゅうゆまなじりが上がる。


「なに!?」

「……仕方ない。名前は俺がなんとかしてやるから、早く明生の居場所を教えろ」


 柊征しゅうゆよりも冷静な文だが、その口調は苛立ちを含んでいた。


「わかった。あの女の子は今……この近くのコンテナにいる──が、面白いことになっているな」

「面白いこと? 明生は無事なのか?」

「なかなか肝の据わったお嬢さんだ。人殺し相手に戦っているぞ」

「どういうことだ?」

「早く明生のところに向かおう」






***






「さっきと同じように飲み物を三つ用意した。毒が入っているのはこのうち二つだ」


 とある暗い部屋の中。

 

 目の前の女の人──に言われて、私、明生あいは頷いた。


 さっきからずっと同じゲームを繰り返していた。


 複数の飲み物の中に毒が混ざっていて、選んで口にするというもの。


 この人はこのやり方でたくさん人を殺しているらしい。


 けど、私は……。


「私、これがいい」


 彼の目を見ながら、リンゴジュースを飲み干して見せた。


「これで私の五勝だね」

「……」 


 毒が入っているかどうかは、彼の目を見ればわかった。


 負の感情が揺れる瞬間──悪いことをする前触れがわかる瞬間があって、それを避ければ毒を飲まずに済んだ。


 けど、勝ちを重ねるたび、不安にもなった。


 (勝ち過ぎて、この人の機嫌を損ねたらどうしよう)


 そして私が懸念していた通り、彼はどんどん機嫌が悪くなっていった。


「君は……どうして毒を飲まない?」

「私、運がいいんだ」

「……いや、違うな。あの時、君は〝負の感情〟が見えると言っていた」


 立てこもり事件の時、彼も話を聞いていたらしい。


 せっかくここまできたのに、もうネタバレするなんて最悪である。


「バレちゃった」

「ということは、僕を見て、毒かどうかを判断していたということか?」

「……」


 彼はネタがわかって、安心したようだった。


 そして彼はまた、複数の飲み物を持ってくる。


「今度は巧妙に混ぜてあるから、どれが毒かは僕にもわからない。これでもう、顔色を見て判断はできないぞ」

「あなたは……どうしてこんな方法で人を殺そうとするの?」

「ただ殺すだけではつまらないからだよ。わかっているだろうけど、逃げようとすればそこでゲームオーバーだからね」


 彼は銃をちらつかせて見せた。


「わかった。逃げない」


 目の前に並べられた飲み物は三つ。


 彼が言った通り、どれに触れても彼の目の色は変わらなかった。


「じゃあ、これ」


 私は勘だけで飲み物を選ぶしかなかった。


 そして心臓をバクバクさせながらコップに口を近づけたその時──


「明生!」


 ガラス窓が破裂する音に驚いて振り返ると──柊征さんがいた。


「え? 柊征さん? それに文も?」

「おい、お前……何をやっている!?」


 柊征さんの怒声に、私は思わずジュースを床に落とす。


 すると、は悲鳴をあげた。


「誰かが私の部屋に侵入してきたわ!」

「誘拐犯が何をいうか!?」

「誘拐? 何を言うの? この子が勝手に入ってきたのよ。不法侵入で訴えるわよ」 

「とりあえず通報したから、じきに警察が来るだろう」




 それからサツキさんは未成年者誘拐と殺人未遂の疑いで逮捕された。


 けど、本人は何も覚えていないの一点張りらしい。


 彼女が多重人格症状であることを警察にも言ったんだけど、本人格以外の人格が出てこないとか。


 ちなみにあとから知ったことだけど、最後に用意された飲み物からは、毒は検出されなかったという。


 それどころか、毒なんてどこにもなかったらしい。


 私が睡眠薬を飲んでいなければ、彼女は簡単に解放されていたのかもしれない。


 文や柊征さんたちに助けてもらえたのは良かったけど、なんとなくモヤモヤが残る出来事だった。






***






 もう何度目かの警察署の帰り道。


 夜の繁華街は、人で溢れていた。


 疲れと眠気で私がふらふらと歩く中、仕事で忙しいお兄ちゃんの代わりに送ってくれた柊征さんが、怖い顔で訊ねてくる。


「毒でロシアンルーレットをさせられたというのは本当か? 明生」

「……うん。毒は検出されなかったけど」


 私があくびをすると、文の肩に平安時代の服を着たロボットが現れる。

 

「あの女は特殊な毒を使っていたらしいからな」


 ロボットが最もらしいことを言うのを見て、私が目を白黒させていると柊征さんは腕を組んで考え込む。 


「本人は無罪を主張してるし……マズイな」


 文もいつになく険しい顔で言葉を繋ぐ。

 

「あの女、銃をたくさん所持していると付喪神は言っていたよな? それも見つからなかったらしい」

「どこかに隠し持ってるのは確かだろうな」


 ロボットが踊りながら言うと、柊征さんが思いついたように告げる。


かざり、力を使って女を吐かせたらどうだ?」

「そうしたいところだけど、本人格ほんにんは何も知らないようだからな」

「力ってなあに?」

「ああ、こっちの話」

「なによそれ。教えてくれたっていいじゃない」

「俺と結婚するなら、俺のすべてを教えるけど」


 文の大胆な発言にぎょっとしていると、柊征さんが目を吊り上げる。


「なんだと! 俺の目の黒いうちは結婚なんて許さないからな」

「どうして柊征さんが怒るんですか?」

「いや……まだ女子高生で遊びたい盛りの明生……ちゃんには早いと思って……」

「そんなことより、あの女、このまま釈放されたらまた同じことするんじゃ……?」


 文が言うと、ロボットが踊るのをやめて文の顔をぺしぺしと叩いた。


「おい」

「なんだよ、付喪神。今真面目な話をしているところだぞ」

「名前をくれる話はどうなった?」

「それはあとで家に帰ってからゆっくり決めてやる」

「嫌だ。今すぐ決めてくれ」

「待てないやつだな!? 子供か?」


 まるで人間のように喋るロボットに興味津々な私は、その小さな人形ひとがたに喋りかけてみる。


「ロボットさんこんにちは」

「こんにちは、お嬢さん」

「ロボットさんは名前が欲しいの?」

「そうだ」

「だったら、私が決めてあげる」

「いや、名前は力のある者でないと意味がないのだ」

「あなたの名前は甚人じんと──なんてどうかな? お父さんの名前だけど」


 私が思いつきで言うと、ロボットは動きを止めた。


 そして──


「うわああああ」

「どうした付喪神!?」

 

 いつも何事にも動じない文が驚く中、ロボットは文の肩の上で倒れて──落下したところを柊征さんがキャッチした。


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