感謝

 一行は、バルラト山を登っていった。

 ブリンケンの話によれば、山頂付近には『巨人の通路』という名の洞窟があるらしい。巨人と名付けられるだけあって、高さ幅ともに桁外れの大きさである。巨象でさえ余裕で通り抜けられるスペースだという。

 その洞窟を抜けた先に、天空人たちの移動装置があるのだ。

 普段、入口は巨大な岩で閉ざされている。しかし、ブリンケンは開ける方法を知っていた。あとは、その巨人の通路さえ抜ければ、ふたりを無事に帰せるはずだった。

 一行は、ひとまず目的地近くの洞窟へと身を隠す。山の中には、まだまだ敵がうろついていた。慎重になるにこしたことはない。

 ところが、敵の動きは予想を超えるものだった──




「とんでもないことになったぞ……」


 昼間、単独で先行し偵察に赴いていたブリンケンだったが、帰って来るなり青い顔で呟いた。


「どうしました?」


 カーロフの問いに、ブリンケンはさらに表情を歪めて口を開く。


「入口のところに、ご丁寧にも住み着いてる連中がいたんだよ」


「住み着いてる連中? どういうことだよ?」


 尋ねたのはジョニーだ。


「人間、ゴブリン、オーク、さらにはオーガーまでいやがった。正確な数はわからねえが、たぶん百人を超えている。そんな連中が、入口のところで野営してやがるんだよ。俺も、危うく見つかるところだったぜ」


 軽い口調ではあるが、表情は真剣だ。ジョニーとカーロフは顔を見合わせた。


「何で、そんなことになってんだ?」


 さらに尋ねるジョニーに、ブリンケンは低い声で答える。


「連中はもう、なりふり構ってられないのさ。自分たちの権力と金、そしてコネを使って、数で潰しに来やがったんだよ。ザフィーは、エルフが黒幕だと言ってたが、天空人の権力者も一枚噛んでるのは間違いない」


「クソが……」


 ジョニーが毒づいた時だった。カーロフが、思いつめた表情で口を開く。


「私が行きます。私が行って、奴らの注意を引き付けます。その隙に、皆さんが巨人の通路に入ってください」


「ちょっと待て。なぜ、お前が行くんだ?」


 ムッとした表情で尋ねたのはジョニーだ。しかし、カーロフは冷たい目を彼に向ける。


「では、他に何かいい方法がありますか?」


 聞き返されたジョニーは、歪んだ表情で下を向く。

 少しの間を置き、顔を上げた。


「お、俺が奴らの注意を引く」


「無理ですね。あなたは弱すぎます。あなたでは、あっという間に奴らに捕まるだけです」


 言った直後、カーロフは鼻で笑った。その態度に、ジョニーの表情が変わる。


「なんだと……」


 低い声で凄むジョニーだったが、カーロフは冷めた表情で答えた。


「聞こえなかったのですか? ならば、もう一度いいます。あなたは弱すぎる。この役目を担うには、力不足なのですよ」


「ふざけ──」


 それ以上、言葉を続けることは出来なかった。カーロフの手が伸び、ジョニーの首を掴んでいた。巨体に似合わぬ速さに加え、完全に不意を突かれていた。さすがのジョニーも反応すら出来ない。

 次の瞬間、カーロフは片手でジョニーの体を高々と持ち上げたのだ。ジョニーは懸命に手から逃れようとするが、その握力は強く外れる気配がない。


「どうしました? あなたが強いというのなら、この手から逃れられるでしょう。それが出来たなら、私もこの役目をあなたに譲ります」


 挑発するような言葉に、ジョニーは必死でもがいた。しかし、カーロフの握られた手は異常に固い。鋼鉄の錠前にて、がっちり閉められたかのようだ。

 苦し紛れに、カーロフの顔面を蹴飛ばしもしたが、全く効き目がないらしく微動だにしない。その間にも、彼の手は首を容赦なく締めあげる。

 ジョニーの顔が、徐々に青くなっていく……と、イバンカがカーロフの足にしがみついた。


「カーロフ! もうやめるのだ!」


 叫び声を聞き、カーロフは手を離した。

 ジョニーは、その場にどさりと倒れる。荒い息を吐きながら、カーロフを睨んだ。しかし、彼に怯む気配はない。


「あなたは、私の手すら逃れられなかった。これが敵なら、死んでいますよ。引っ込んでいてください」


 冷酷な口調で言い放つと、カーロフはイバンカの方を向く。


「では、用意するとしましょうか」




 やがて、準備を終えたカーロフは、スクッと立ち上がった。にこやかな表情で、三人に向き直る。


「ブリンケンさん、後のことはよろしくお願いします」


 最初に出たのは、この言葉であった。ブリンケンは、うんと頷く。


「あ、ああ。ここさえ突破できれば、後は一本道だ。どうにでもなる。目をつぶってても行けるさ」


 言った後、ブリンケンは目を逸らした。体を震わせながら、言葉を搾り出す。


「カーロフ、あんたに会えて良かったよ」 


 言われたカーロフは、微笑みながらイバンカの方を向いた。


「イバンカさん、あなたは素直で優しい女性です。その素直さと優しさを忘れないでください。そして、いつの日かふたつの世界を繋ぐ架け橋になってください。それが、隊長の願いです。また、我々の願いでもあります」


「わ、わかったのだ……」


 涙を拭きながら、答えるイバンカ。

 次にカーロフは、ジョニーへと向き直る。


「ジョニーさん、生きてください。あなたは、まだ若いのです。人生は、まだこれからですよ。あなたなら、戦いに勝つことよりも大切なものを見つけられます」


「いいか、必ず生き延びろよ。そしたら、さっきの借りは返させてもらうからな」


 ふて腐れたような表情で、ジョニーは言葉を返した。態度は悪いが、それが彼の本音でないのは一目瞭然だった。カーロフは、くすりと笑う。


「わかりました。命あったら、また会いましょう」




 カーロフは、のっそりと外に出ていった。

 背中には、大きな袋を背負っている。袋の口からは、赤い髪の毛が飛び出ていた。イバンカの髪の毛を、少し分けてもらったのだ。こうすれば、イバンカを背負っているように見えるだろう。

 その格好で、カーロフは進んでいった。やがて、目指す場所が見えてくる。


 木々の生い茂る森の中、カーロフは足を止める。大木の陰に潜み、目指す場所をじっくりと観察した。

 彼の潜む場所から、あと少し歩けば風景が一変する。一面に草原が広がっており、さらに進めば高い岩場がそびえている。そこから上に進むのは、空でも飛ばない限り難しいだろう。ブリンケンの話では、この岩場のどこかに『巨人の通路』への入口がある、とのことだ。

 だが、そこにたどり着くには大きな障害があった。草原を、びっしりと埋め尽くしている者たちがいるのだ。緑色の肌をした小鬼のゴブリン、豚のような顔を持つオーク、犬のような獣人コボルト、体だけならカーロフより大きな巨鬼オーガー……様々な種族が、岩場の周辺を埋め尽くしていた。皆、テントを張ったり食事の準備をしたりと、完全に住み着く気である。もはや、集落と言っていい状態だ。

 カーロフは、手近な木を両手で掴む。力を込めて、一気に引き抜いた。

 その木を、無造作に放り投げる──

 木は、恐ろしい速さで飛んでいく。投げられた槍のように、集落の真ん中へと突き刺さった。

 途端に、混成軍は一斉に動いた。座っていた者や寝ていた者は立ち上がり、立っていた者はあちこちを見回し、襲撃者がどこにいるか見つけようとする。

 カーロフは、その場で高らかに叫ぶ──


「私は、人外部隊のカーロフだ! お前らの探し物はここだぞ! 私に殺される覚悟があるのならば、ここまで取りに来い!」


 その声に、混成軍はすかさず反応した。森の中にいるカーロフ目がけ、一気に押し寄せていく。津波のような勢いで襲いかかって行った──


 ・・・


「あんた、ずいぶんとひどい面してんね」


 初めてカーロフに会った時、ザフィーはそう言った。

 そんなことを言われれば、当然ながら良い気分ではない。いろんな人間に「醜い」「化け物」と言われ続けてきた。その言葉は、容赦なくカーロフの心をえぐる。どうしても、慣れることは出来ない。

 しかし、ここからは違っていた。ザフィーは、顔の下半分を覆っていた布を外してみせる。 醜い傷痕の付いた口元を晒し、ニッコリと微笑ながら言った。


「あたしと一緒だね」


 こんなことを言われたのは初めてだった。カーロフは、なんと答えればいいかわからない。困惑の表情で、あちこちに視線を泳がせる。

 すると、ザフィーの手が伸びてきた。カーロフの腹を軽く叩く。


「ここは、笑うとこだから。あんたも一緒に笑ってくんなきゃ」


 言われたカーロフは、仕方なく笑ってみせた。だが、どうにもぎこちない笑顔である。

 ザフィーは苦笑し、またしてもカーロフの腹を突いた。


「そんな顔してたら、子供が泣いちゃうよ。しょうがない奴だね」


 以来、カーロフはザフィーの部下となる。やがてマルクが仲間になり、ミレーナ、ジョニーと続く。

 戦うことが嫌いなため、基本的にはその大きく頑丈な体で皆の盾となるのが主な役目だ。もっとも、他に出来ることもあった。マルクに辛抱強く言葉を教えたり、ミレーナの潜入を手伝ったり、ジョニーに文字の読み書きを教えたりもした。カーロフは、ようやく己の居場所を見いだしたのだ。

 しかし、その居場所はもはやない。彼の愛していた者たちは、目の前で次々と死んでいった。

 これ以上、愛する者が死ぬところを見たくない。


 ・・・


 カーロフは、次々と敵を蹴散らしていく。

 彼が拳を振るうたび、群がる兵士たちが次々と吹っ飛ばされていった。その様は、荒れ狂う竜巻のようであった。襲いかかる者たちは、まるで風に吹かれて舞い散る塵のように四方へ飛ばされていくのだ。

 そう、この男は今……生まれて初めて本気の殺意を抱いて暴力を振るっていたのである。敵兵を次々と薙ぎ倒していくカーロフは、心の内で創造主であったフランツとビクトルに語りかけていた。


 私は、今もあなた方を憎んでいます。

 あなた方のしたことを、許すことは永遠に出来ないでしょう。

 ただし、ひとつだけ感謝していることがあります。

 あなた方は、私を強くしてくれました。お陰で、私は愛する者たちを守ることが出来ます。

 本当に、ありがとう。




 カーロフは、凄まじい勢いで戦い続けた。手足を振り回し、巨体で突進し、掴んで放り投げる。

 周辺の土は、みるみるうちに変色していく。戦いで流れたおびただしい血が大地に染み込み、異様な色へと変わっていった。

 その変色した土の上に、次々と倒れていくゴブリンやオークや人間たち。大地は、徐々に死体で埋め尽くされていく。

 しかし、敵側に怯む気配はない。集団を形成することにより生まれる狂気にも近い興奮が、恐怖心の入り込む余地を与えないらしい。その上、どこからともなく続々と増援が現れる。

 雑多な種族で構成された混成軍は、カーロフに次々と襲いかかっていく。さながら、獲物に襲いかかる蟻の群れのようだった──





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