魔法使いの弟子の旅立ち

ミドリ

第1話 泣かない季節

 国一番の魔法使い、青の魔法使いレナード。


 彼の屋敷は広大な草原の中にぽつんと建っており、シンシンと降る初雪の中、静寂に包まれていた。


 だが、突如として静寂が破られる。


「この悪魔、返せよ! うあああ!」


 屋敷中に響き渡る悲しみと怒りに満ちた子供の叫び声で、クルトは飛び起きた。


「な、なんだ!?」


 気が狂ったような怒鳴り声が続いているが、段々と悲鳴めいてきている声は聞き取りづらい。

 

 だが、分かった。


 あの声は、十歳の弟エリクのものだ。


 クルトの寝室にいる筈の妖精のモリの姿を、月明かりを頼りに探す。


「モリ! 今の聞いたか!? ……あれ、モリ?」


 誰にも見られない存在であったモリは、唯一姿を見られるクルトと出会って以降、基本クルトの傍を離れない。


 なのに、今夜に限ってモリの姿が見当たらない。


「モリ?」


 おかしい。


 言いようのない不安が押し寄せる。クルトは肩がけを羽織ると、部屋を飛び出した。


 モリがいるとしたら師匠の研究室しかない。あそこにはモリの食料である魔石があるからだ。


 出会った頃は幼児の姿だったモリの食欲は、次第に増した。摂取量と共に、モリの姿は青年へと変わっていった。


 クルトとて、わずか数ヶ月の間での変化に異質なものを感じてはいた。だが、師匠の魔力の象徴でもある魔石を勝手に食べさせていたと知れば、確実に叱られる。


 ここのところ自分に対する師匠の視線の厳しさが増すのを感じていたクルトは、師匠にバレたら追い出されてしまうのでは、とモリのことを話すのを躊躇っていたのだ。


 そう、クルトにとって、最早この場所は離れ難い居場所となっていた。


 大好きなリーナがいるからだ。


 酒乱の父から大切な弟たちを解放するのがクルトの当初の目的だった。だが、すぐ下の弟ヨルが父に熱湯をかけられ火傷を負って、弟二人と共に逃げ込んできた。


 無理をしたヨルはそのまま息を引き取ったが、クルトは己が一瞬考えたことに慄いてしまった。


 これでここを離れなくてもよくなった。薄情にもそう思ってしまったのだ。


 勿論、クルトはすぐに己の考えを恥じた。弟の命と自分の恋心を天秤に掛けてしまった自分が恐ろしくなり、己の心の弱さに打ち勝つべく、修行に打ち込んだ。


 そんな最中の弟の悲痛な叫び声。


 まさか、モリを見られたのか。


 焦燥感の中、クルトは研究室へと走った。


 成長が始まるにつれモリの黒い羽根は大きくなり、捻れた角も生えてきた。あの姿を最初に見たら、禍々しい存在と思われる可能性は高い。


 でも、モリは優しくて寂しがりやの妖精だ。モリには傷ついてほしくないし、同時にここから追い出されたくない。


「――エリク、どうした!?」


 バン! と扉を開く。黒く陰ったもやのが、室内に充満していた。


 目を凝らして見てみると、泣きじゃくるエリクの姿がある。


 そして、エリクの目の前に立つ、モリと同じ角と羽根を生やしたもうひとりの弟デールの姿も。


「デール……?」


 デールはパッとこちらを見ると、嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。


「クルト、見ろ! モリ、身体できた!」

「え……モリ? ちょっと待って、デールは?」


 混乱しているクルトの腰に、日頃は無表情を貫くデールが満面の笑みを浮かべながら抱きつく。


「モリとこいつ、契約した! こいつ父殺したい。モリ身体ほしい! だから一緒になった!」

「は……?」


 驚いて目を見開いていると、真っ青な顔のエリクが苦しそうに呻いた。


「やめろって言ったのに……! その悪魔がデールを!」


 モリ・デールが、一瞥をエリクにくれる。


「モリ、悪魔じゃない。クルトの妖精」

「え……兄さん、どういうこと!?」


 クルトは慌ててエリクの元に駆け寄ろうとして、突如バチン! と青い障壁に行手を阻まれた。


「触るな! 魔物にしたいのか!」


 レナードの声が響く。


「こ、これは何なんですか……!?」


 美貌の青の魔法使いに肩を抱かれてこちらを見ているのは、クルトの想い人リーナだった。彼女は苦しそうに顔を歪め、必死な様子でレナードにしがみついている。


 レナードが眉間に皺を寄せつつ答えた。


「これは瘴気だ。吸い込むと呑まれるぞ、結界から出るな」

「ですが、みんなが!」

「エリク、来い!」


 レナードの呼び声に、エリクは転びつつ二人の元へ駆け寄る。


 レナードが、悲しそうな瞳でクルトたちを見た。


「瘴気に耐えられるのは、魔の眷属のみ。二人は既にあちら側にいる」

「そ、そんな……っ」


 リーナが手をクルトの方へと伸ばし――弱々しく下ろす。


「ま、待って師匠! リーナ、俺、俺……!」


 クルトはリーナに一歩近付いた。すると黒いもやが押し寄せ、リーナが苦しそうに喉を押さえる。


 クルトの足が止まった。


 嘘だ。近寄ることすら許されないのか。


 クルトは泣きたくなった。だが、泣く権利はクルトにはない。この事態を招いたのは、クルトだからだ。


 肌が切れそうな冬の寒さが、クルトの涙を出る寸前で凍らせる。


 泣いていい時期は、とうに過ぎていた。


「殺しにいくぞ!」


 モリ・デールが笑顔で言った。

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