第31話 ああ、汝田舎よ、いかに険悪で猥雑なるよ 🪶



 安雄の誕生から間もない翌年正月、黒光は愛蔵とともに、守衛さの訪問を受ける。絵の勉強でも、明治女学校生たちの押しかけ恋愛でもいろいろあったらしい東京を引きあげて来たと思ったら、今度はアメリカへ渡るという突拍子もない話に、じつの姉と思っていてくれていたはずなのにどうして?! 裏切られたような気持ちになった。


 守衛が意気揚々と旅立って行ったあと、屋敷つづきの桑畑を流れる小川で安雄のおむつを洗っていると、女中が一通の手紙を届けてくれた。それは布施淡の逝去の報。仙台へ帰省したときに訪ねた布施家で妻の豊世と三人で語り明かした一夜のことを思い出した黒光は、貧しい絵描きに早逝された母と子のこれからを思って胸を傷める。


 東京の豊壽叔母の訃報が知らされたのはそれから間もなくで、それより少し前に連れ合いの佐々城本支も亡くなっていた。長女・信子の国木田独歩とのスキャンダルで婦人矯風会の幹部の位置を追われた豊壽叔母の晩年はさびしかったろうと思われる。せめて葬儀に行きたかったが、肩で息をするような健康状態ではそれも適わない。


 仙台から姉の蓮子の逝去が伝えられたのは、さらにひと月後だった。俊子を連れて帰省したとき、尼のように頭髪を剃ってもらって、ちんまりとおとなしくなっていた蓮子が哀れでたまらず、愛蔵に安雄を預けて部屋に籠った黒光は思いきり号泣した。それにしても立てつづけに四件の訃報とはなんたる因果なめぐり合わせであろうか。



      *



 悲しみに打ちのめされ、体調の悪化に堪えながら二児の子育てに追われる黒光は、夏蚕があがった夜、とつぜんの呼吸発作におそわれた。愛蔵が夜道をとなり町の医院まで走ると「蚕の蛾がこぼす白い鱗粉に因する喘息だろう」という診断だった。思えば俊子が生まれたあとの秋口にも同じ症状で病んでいる。いわば職業病と言えそう。


 乳飲み子がいる身に注射は打てないし往診も無駄だと言われてすごすご帰って来た愛蔵は、脂汗を流して苦しむ妻を前にしてひとつの決心をかためていたことを黒光は知らなかった。なんの手も施されないので、発作はどんどん周期を狭めてゆき、月に一二度が週に一二度になり、はたで見ている方もいたたまれない状況になってゆく。


 呼吸できない黒光の前に、穂高の山岳は、ますます魔王のように立ちはだかった。どんなに苦しくても一歩もここから逃がしてやるものかと言いたげなそれは絶望の壁だった。みんなが忙しくしているときほど若い病人の疎外感はいや増す。花見の榛の木林が唯一の隠れ場所だったが、湧き水は甘い囁きで一体になるように誘って来る。


 心ならずも二児の世話を義姉にゆだねて寝てばかりいるようになると、褥瘡じょくそうができた。それは死の兆候だと階段の下で囁くだれそれの声が殷々と病人の耳に運ばれて来る。布団をかぶってもしつこく追いすがって来る底意地のわるい声、声……。気をふるい立たせて起きた黒光は『女學雑誌』に掲載された原稿を再読してみる。



      *



 それは「田舎の嫁」と相前後して投稿した数編の随筆や評論で、全編これ田舎への憎悪に満ちているといってよかった。ここを故郷とする愛蔵には申し訳なかったが、よそから飛びこんで来た身の生きづらさを夫に分かってもらおうとは思わない。ただ積もりに積もった思いの丈を自由に書かせて発表させてさえくれればそれでいい。


 ――ああ、汝、田舎よ、汝はいかに険悪で、猥雑なるよ。われは汝を想うごとに、一種いうべからざる不快の感を喚起せざるを得ざるなり。汝は自然という仮面をかぶりて、世慣れぬわれを虐待し、あらゆる手段をもって欺き、ついに回復し難き絶望と無限の怨恨とを懐き、ふたたび万丈の塵深き都に舞いもどらざるを得ざらしむ。


 質朴と見えたのは生活程度が劣っているからで、都会人の専売特許と思われた世辞追従はここ田舎がむしろ本場。自然の美には無関心な劣等人種、耕しては食い、食っては耕し、肥くさい襤褸をまとい、鎮守の祭と盂蘭盆会では老若男女の醜行が公然の秘密で、舅が嫁を、姑が婿を、肉欲の狼になりて、人生を夢のように浪費する。


 手を出す必要のないときわざと襷がけで嫁の鼻先で立ち働き、嫁がおどおど自分がしますと言えば、いいえ、お手が汚れますと言って聞かない。若夫婦が打ち揃って野良に出て行くのを見れば心気むらむらと煮えくりかえり、あのざまはまるで鶏のようだと罵る。嫁の周章狼狽ぶりを見るのが老後のこの上ない楽しみという姑たち……。


 雑誌を見せられた愛蔵は複雑な顔をしたが、そこは万事に鷹揚な人柄ゆえ「どうせペンを使うなら個人的なエモーショナルに留まらず、天下に知らしめるくらいの意気ごみで書いたらどうか」と励ましてくれた。樋口一葉さんほどの文才は逆立ちしても望めないが、体力さえ回復すれば、いまにわたしだってという気持ちも湧いて来る。



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☆相馬黒光さんより三十数年後に東京で生まれた歌人・齋藤史さんは、太平洋戦争時の疎開で移り住んだ長野市(父・瀏の故郷)周辺の風土が肌に合わず「山棲みの心鬱たる日はまして視野さへぎらぬものの恋しさ」「たたなはる山国信濃見慣れざる女の歌に風が当たりき」など、悲鳴のような歌を何首も詠まれています。これという意思を持った女性に対するまなざしには、現代の移住者へのそれの何倍かきびしいものがあったものと拝察されます。                    by真理絵




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