中嶋ラモーンズ・幻覚3

高橋 拓

中嶋ラモーンズ・幻覚3


 普段、猫背の中嶋は、子供の頃には楽しかった冬を思い出しながら、降り落ちる歪んだ雪の結晶の中をゆっくりと歩いて街の中心部にある湯沢駅に向かっていた。急いで古いアパートを出発した為に手袋を忘れてしまったので手がかじかんでくるのを後悔した。氷柱が折れるような指先の痛さを我慢しながら右へ左へ細い住宅地の道を抜けて、国道13号線に出る角で立ち止まると、降り雪ぐボタン雪の空を見つめてからうつむいた。綺麗な白い天使も地上に降りればドロドロの厚化粧の女性と変わらない。


「色々な男にやられちゃったのね、君は。」


そうつぶやきながら新雪の場所を探して歩いては、レッドウイングのエンジニアブーツに烙印されている靴底の翼のマークを挿入していった。


「もう一度、白い天使になれるといいね。」


寒さで急に背筋を伸ばした中嶋は、国道13号線を走る暖かそうな自動車の流れを横目で見つめながら右のポケットからタバコを取り出して火を点けた。そして、東京都に住んでいた頃のことを少しだけ思い出して、立春を過ぎた湯沢市の冬が冷たいせいか感傷的な気分にひたりながら湯沢駅までまた猫背でうつむき歩き始めた。



 秋田県湯沢市から東京都へ上京して5年半。最後の三ヶ月、立川市の郊外にある精神病院に入院していた俺は、若いのに髭をはやした担当医から病気の診断と田舎町に帰るように勧められていた。   


「君は、もう東京で暮らさない方が良い。君には、この街は刺激が強すぎる。ゆっくり田舎に帰って静養しなさい。君の面倒は、田舎が見てくれる。」


ゆっくり若い担当医の髭を見ながら説明を受ける俺は意味が分からないでいた。明確なレントゲン写真がある訳でもないし、結核患者のように咳き込む自分がいる訳でもないので、怪訝そうな顔をしながらボインの看護師の胸を凝視して、若いのに髭をはやしている担当医の話を聞きながら、時折、精神病棟の中央にある青々しい大きな木を見る。その大きな木の周りには沢山のモズクが小さな羽をパタパタと大きく広げていた。それを見つめるように灰色の入院着を纏った患者達が、ユラユラと小刻みにゆれている。昨日まで、俺もユラユラとゆれながら、薬でたっぷりとオレンジ色になった味のしないお茶碗のお米を口に運んでいたのを走馬灯のように感じながら、髭とボインの口角にたまる泡を眺めては、また別の方向を向いた。


「あのやけに細い女の子かわいいな〜、でもまた秋田か〜、シンとかトシとか居るのかな〜。なんだか、まんつ大変なことになってしまったべ。」


湯沢駅に着いた中嶋は、ユラユラと時刻表を眺めながら昨日カフェで呑んだちゃんぽん酒が、胃の付け根からこみ上げてくるのを心底耐えていたのだが、年配の女性清掃員がいるトイレへ足早に駆け込んだ。突然、下呂温泉したくなったからだ。


「ゲロロロロ、ウエウエウエ、ゲホ。」


白い天使、トイレを勢い良く汚してしまい、豪雪の天使どころでなくなったことを深く動揺して、怪訝そうにしているお姉さんに見えた清掃員に、深くお詫びのお辞儀を三度ほどしてやり過ごした。この町の駅前の立ち食いそば屋を出禁になっているくらいだから丁度良いくらいだ。すいません。


「しかし、今日は凄く寒いしなんだがな〜。」



 東京で、最後の半年。一番最初に感じた感覚の日。東京都国分寺市の国分寺駅南口で、子供の頃に白黒写真で見たゼロ戦が軽やかに旋回していくのをはっきりと眺めていた。今となっては、あの有名な映画のワンシーンのようにゼロ戦パイロットの顔もはっきり確認できて、その綺麗な戦隊一機はゴミゴミした駅前通り急上昇して快晴の空へ無音のまま消えていった。その後、国分寺駅の時刻表は、パタパタと全部テレビ映像へ変わり、インドから核ミサイルが発射されたと厚化粧のニュースキャスターが速報で伝えた。だが、その核ミサイルの映像が、どう観ても昨日呑んだ緑色のハイネケンの瓶ビールが、百発くらい飛んでるとしか中嶋には見えないので、誤報だと考えて国分寺駅のマルイ前で猫背で座り込んでると、すっと警察官二人が声をかけてきた。


「君、なにしてるの?君、どこすんでるの?。」


そうジロジロと上から下まで視線を走らせながら言うと、警察官の一人が、俺の着ていたラルフローレンの長袖シャツをいきなり両腕とも強引にめくり上げてきた。


「まんつなにしてんだ、おめら〜、ほじねな。」


そう大声で応えると警察官二人は、足早にその場を立ち去っていった。今日思うと、その時に世界で核戦争が始まったか日の丸警察官に聞けばはっきりとした思考の矛盾に戻っていたのだと思う。



 旅先の何処の駅に着いても中嶋の思考は、国分寺駅での出来事に立ち返る。あの日に見た、無音で旋回して消えた勇姿あるゼロ戦は、間違いなく本物だった。たったー度だけ姿を見せたヤンキー烈風隊カラーのゼロ戦は、確かに本物だった。しんしんと音色を変えた雪が降る中に辿り着いた湯沢駅でも、またそのことをぼんやりと考えていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

中嶋ラモーンズ・幻覚3 高橋 拓 @taku1998

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ