元カップルは記念日を祝わない件(下)

 朝――といってももうお昼前だけど、目が覚めると家の中には天海くんの姿はなくどうやら出掛けているようだった。


「ゴールデンウィークだし、米田くんと遊びにでも行ってるのかな……」


 リビングにいくとテーブルの上に1枚の置き手紙があり、それによると夕方頃には帰ってくるらしい。

 ……まあそうよね。別れた恋人との1年記念なんて普通は気にしてるわけないよね。

 頭ではわかっていたけど心の中ではどこかで、もしかしたら――と期待していた自分がいた。

 

「なに今更弱気になってるんだか、わかってたことじゃん!」


 落ち込みそうになっている自分に言い聞かせるようにそう口にすると、私は俯いていた顔を上げ、急いで自室に戻って出掛ける準備を始めた。

 天海くんがなんとも思ってなくたって、忘れていたっていい。私はこの計画を実行する――。

 私は出掛ける支度ができると、いつもより一回り大きな買い物袋をカバンに入れ、いつもの近くのスーパーではなく少し離れたショッピングモールへと向かった。




 

 今日の夕食は豪華にしよう。数日前から決めていたことだ。

 私はいつもなら買うのを躊躇する大きなエビをすでに山盛りのカゴに入れる。エビは天海くんの好物だ。この約1ヶ月、天海くんと過ごしてある程度、食の好き嫌いがわかるようになってきた。続いて精肉コーナーでグラム300円の塊肉を500グラムもらってレジへと向かう。

 今日の夕食の費用は私持ちなため、お会計の時はどんどん増えていくモニターの数字に思わず顔を引き攣ってしまった。


 パンパンの買い物袋を引っ提げてモールを出ようと出入り口に向かう途中、目に入った化粧品屋で私は足を止めた。

 

「……一応、ね」


 私はその化粧品屋で1つ買い物をすると今度こそモールを後にし、家に帰ると早速、夕食の準備に取り掛かった。




 

 午後6時過ぎに天海くんは帰ってきた。ガチャリとリビングに入ってきた天海くんはテーブルに並ぶ豪勢な料理の品々に目を見開く。


「……今日の夕食は随分と豪華だね」

「うん……たまにはね」


 記念日だから――というのは口にしない。なぜなら私たちはもう恋人同士ではないから。もし、あの時私たちが別れていなければ確かに今日は1周年記念日。だけどそれは私たちじゃない別の世界線の話だ。別れた私たちに1周年記念日なんてイベントは訪れない。この豪華な料理も偶々今日はそういう気分だっただけ。


「ほら、早く荷物置いて手洗ってきて。ご飯よそうから」

「うん……」


 ご飯と味噌汁をよそい、待っているとすぐに天海くんが戻ってき、席に着く。


「いただきます」

「……いただきます」


 その会話を最後に私たちは黙々と料理を食べる。正しくは何を話したらいいのかわからなかった。この様子を見るに天海くんも薄々気づいているのだろう。この料理の意味に――

 

「…………」

「…………」

「……このエビフライ、美味しいね」

「ありがと……」

「こっちのローストビーフも……」

「うん……」

「…………」

「…………」


 お互い何か喋らなければ――いつも通りに振る舞わなければと思うほど上手く会話を続けれず、少しぎこちない会話をしてはまた沈黙を繰り返す。

 そして時間はそんな私たちを待ってくれたりはしない。

 結局そのまま大した会話もせず作ったご馳走は綺麗に空皿となった。


 ……もう終わりか……


 全く期待していなかったといえば嘘になる。私だってもしかしたら何かあるんじゃないかと沈黙の度に思っていた。けど現実はそんな幻想とは相違していて……


「……お皿下げるね。天海くんはお風呂にでも入ってきて……」

「…………」


 リビングから出て行く天海くんを見送ると私はテーブルの食器をシンクに運び、そのままの流れで洗い物を始める。それと同時に私の脳内では1人反省会が開始された。

 

 ――もっと積極的に行くべきだったな……

 ――もっと会話弾ませれたはずなのに、なんであんな……

 ――カッコつけずに記念日だからって言った方がよかったかな……


 1つ、また1つと湯水のごとく湧き出てきた反省という名の後悔は私の気持ちを底なし沼の奥の方へと引きずり込んでいくようだ。

 洗い終わった食器を食洗機にかけ、キッチンからリビングに戻ると、お風呂に行ったはずの天海くんがソファーに座っている。それはまるで何かを待っているかのような……。

 

 淡い期待をしてしまう。

 

 ――まだ終わってないのでは!


 ここで行かなければさっきまでの反省会の意味がない。私は火の中に飛び込むような覚悟で天海くんの隣に腰掛けた。そして――


「あのさ……これ――」


 私は綺麗にラッピングされた四角の箱を天海くんに渡した。


「これは?」

「開けていいよ」

「…………これ――」

「ヘアアイロン……」


 実は少し前に買って用意していた、いわゆるプレゼントってやつだ。


「これって……」

「ほ、ほら、天海くん朝寝ぐせついてること多いでしょ。こういうのあったら家出る前にちゃちゃっと寝ぐせ直せるし、それに天海くんは髪の毛ちゃんとしたらもっとカッコよくなるとおも、う、よ、って――」


 ――やっちゃった! 思わず言わなくていい事までペラペラと早口で……。さすがに引かれてちゃったよね。

 天海くんを窺うとその顔は引いているというよりなんだか嬉しそうで――


「ちょっと待ってて」


 そう言い、天海くんは足早にリビングを出て行ったかと思うとすぐに小さな紙袋を持って帰ってきた。

 それ、帰ってきた時持ってた荷物――


「実は……」


 天海くんは紙袋を私に渡すと中を確認するよう促す。


「これ――アロマキャンドル?」

「その、いつも働いてて疲れてるだろうからその労い? 的な感じ」

「これって――」

「あくまでも雇用主として従業員のケアをしてるだけであって他に深い意味はないからな」


 1年記念日のプレゼント! って、一瞬思ったけどあくまで雇用主としてね――

 アロマキャンドルを丁寧に紙袋に直そうとすると紙袋の中にまだ何か入っていることに気づいた。

 それを取り出すと正体はただのボールペン――だけど私はそのボールペンの柄に見覚えがあった。ボールペンには様々な色のバラがいくつかプリントされている。

 そのボールペンを持ったまま天海くんを見やると、天海くんは顔をそっぽを向けていて一切表情が見えない。けれど横から見える耳が微かに赤くなっているに気づき、それが可愛くて思わず笑ってしまった。


「何がおかしいんだよ」

「いいやぁ~? ねぇ、覚えてる? 付き合って半年記念で天海くんがご飯に連れて行ってくれたよね」

「……覚えてるよ」

「あの時、私にスケジュール帳くれたの覚えてる?」

「……忘れたくても忘れられないよ。あんな黒歴史……」

「ふふっ、ロマンチストだな~って私は思ったよ」


 ~半年前~

 

「どのお料理も美味しかったねっ。今日はありがと、天海くん」

「う、うん……」


 ホテルビュッフェを存分に堪能した私たちはそろそろお店を出ようかという雰囲気になっていた。


「あ、あのさ……これ、プレゼント――」


 少し震えた声でそう言った天海くんはカバンからきれいにラッピングされた小包みを取り出すと、それを私に差し出してきた。


「え! いいの?」

「開けてみて」


 言われたと通り小包を丁寧に開けると中から色とりどりのバラがプリントされた手帳型の物が現れた。


「スケジュール帳……来年は二人でそのスケジュール帳をたくさん予定で埋めよう――」


 ~現在~


 恥ずかしそうにそっぽ向く天海くんを見ていると私の中の小悪魔がそっと囁く。


 ――ほんとに見てるだけでいいの?


「ねぇ……ボールペンこれってほんとに雇用主としてだけなの――」

「…………そうだよ…………」

「ほんとうに~? もし、別の理由があるなら教えて欲しいな。場合によってはいいことしてあげるのに――」


 天海くんは目を見開き、私はその眼を覗き込むように距離を詰める。

 肩と肩が引っ付くと天海くんの体温を服越しでも感じられた。

 少し前のめりになって体重をその肩に預けると一瞬揺らいだもののしっかりと受け止めてくれて、男の子だということを改めて実感する。

 天海くんは身長と同じで座高も高いせいで私が倒れれば倒れるほど顔の距離は離れていく。このまま身を委ねているだけじゃダメだ。最後の一歩には勇気が必要なのだ。

 私はソファーに着いた手で身体を押し上げ、一気に顔を近づける。

 最後に見たのは呑み込まれそうな漆黒の瞳――それを最後に私の視覚は全ての情報を遮断した。人はしっかり時目を閉じる。これは人が無意識に五感で拾っている情報を強制的に制限することで他の感覚に集中するためだと聞いたことがある。

 今の私が感じるのは唇に当たる天海くんの息と自分のうるさい心臓の音だけ。それ以外は何も感じない。一瞬頭をよぎったことといえば、夕食の買い物に行った帰りに買った新しい口紅のことだろうか。一応買っておいてよかった。

 

 私の唇と天海くんの唇が重なる直前――時間にするとあと0.5秒もせず私たちの唇は触れていただろうというタイミングで私のポケットに入れていたスマホが着信を知らせ、唇にだけ集中させていた五感のすべてが飛び起きたかのように覚醒した。


「っ――――――!」


 まるでくっついていた磁石の片方の磁化がいきなり反転したかのように勢いよく飛び離れた私は立ち上がり、溶け切っていた脳みそを再構築し現状の把握を始める。

 いま私とんでもないことを――

 顔が火照るように熱い。きっと今の顔は茹でだこのようになっていることだろう。

 

「わ、私――お風呂入るから!」


 こんな恥ずかしい顔、天海くんに見られたくない。早くこの場を離れたい。その一心で私は逃げるようにお風呂場に駆け込んだ。

 頭と体を洗って浴槽に浸かると少し冷静になったのか、頭の中にさっきまでのことが次々思い浮かんでくる。


「……もし、あのときスマホが鳴らなかったら――」


 その先のことを想像して恥ずかしさのあまり悶えそうになる。


「はぁ…………今日のお湯なんか熱いなぁ――」

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