第24話 襲撃

 舞台上空に突如として現れた渦のような黒の輪から巨大な狼が三体も飛び出してきた。


「「「アオォオオオオオーーン!!」」」


 ビリリと空気を振動させ、心胆を寒からしめる遠吠えを響かせる。


「きゃあああああ!!」

「ひぃいいいい!!」

「こ、黒瘴灰こくしょうはいだぁああああ!!」

「どうしてよぉ!! ここは聖域でしょ!!」

「逃げろぉぉぉ!!」


 舞台とその周囲を囲うようにドーム型の黒瘴灰が現れた。大気中に霊力が満ちた聖域内のはずなのに。


 そしてその黒瘴灰のドームがゆっくりと広がっていくのだ。人々は悲鳴をあげ、迫ってくる黒瘴灰のドームから逃げようとする。大混乱だ。


「ヴァレリアっ!」

「マチルダ! 駄目だよっ!」


 黒瘴灰のドームへ走り出したマチルダの手を僕は慌てて掴む。


「離してくださいまし! ヴァレリアがっ! あの馬鹿がまた首を突っ込んで! それにバーニーさんもっ!」


 ローズとバーニーは巨大な狼が現れたのと同時に、舞台側の方へと飛び出してしまったのだ。つまり、二人は黒瘴灰こくしょうはいのドームの中にいる。


「マチルダっ、〝浄灰〟を展開してないでしょ!」

「何を言って――」


 霊力で黒瘴気こくしょうきや黒瘴灰の浄化を行う〝浄灰〟。


 黒瘴灰のドームに突っ込むには、その〝浄灰〟をオーラ状に纏うか、もしくは結界のように周囲に展開しなければならない。そうでないと、黒瘴灰に蝕まれ大やけどを負ってしまう。


 けど、マチルダはそれを纏っていない。


「ッ、どうしてですのっ。纏った傍から消えていくっ!?」


 そう〝浄灰〟が消えてしまうのだ。いくら纏わせても、すぐに霧散してしまう。


「どうやってかは分からない! けど、周囲一帯の霊力が霧散されてるんだよ!」


 それなら聖域の中で黒瘴灰が存在できる理由にも納得がいく。


「ともかく体内の霊力には効果が及ばないから、黒瘴灰が届かない上へ逃げるよ」

「……分かりましたわ!」


 黒瘴灰のドームはまるでショッピングモールにいる人を外へ追い出すようにゆっくりと広がっていく。


 僕たちは外へ逃げたいわけじゃない。黒瘴灰をやり過ごして、ローズたちを助けに行きたいのだ。なら、上へと逃げればいい。


 黒瘴灰のドームが中央広場を埋め尽くす前に僕たちは身体強化をし、勢いよく地面を蹴って二階のガラスフェンスを掴む。そのままガラスフェンスの上に立ち、同じ手順で三階、四階へと跳びあがる。


「マチルダ、大丈夫?」

「だ、大丈夫ですわ……」


 軽業のような動きは身体強化の出力というよりは、慣れやセンスとかの技術が必要になる。慣れている僕はともかく、四階まで命綱なしで跳びあがるということにマチルダの顔は少々蒼くなっていた。


 下を見やれば、黒瘴灰がどんどんと広がっている。いずれ最上階である四階にも黒瘴灰が迫ってくるだろう。


「ホムラさん、どうするんですのっ?」

「こうするんだよ」


 僕は“焔月”を展開し、跳んでガラス張りの天井の一部を四角に切り落とす。ガラスが割れないようにキャッチして、着地する。


「あ、アナタ……」

「き、緊急時だし、大丈夫だって」


 ジト目を向けてくるマチルダから視線を逸らしつつ、僕は四角い穴が開いたガラス張りの天井から外へと出る。マチルダもだ。


 ガラス張りの天井のふちへと移動する。周りを見渡せば、ショッピングモールから逃げる人が見えた。


「……それでこれからどうするんですの?」

「まずは霊力を練る。マチルダも出来る限り、練って」

「どういうことですの?」


 僕は“焔月”をマチルダに見せる。マチルダは今頃気がついたのか、大きく目を見開いた。


「ッ!? どうして霊装が展開できてますのっ!?」

「練ったからだよ。どうにも霊力の密度をあげれば霧散され難くなるっぽい。とはいえ、いくら霊力を練っても霊装以外はすぐに霧散されるよ。〝浄灰〟は使えなかったし」

「どうしてそれを……」

「さっき一通り検証した」


 マチルダが驚いた目を僕に向けてくる。


「検証って、事が起こってから数分も経ってないんですのよ……」

「最弱の僕たちにとって情報の有無が生死を分けるからね。異常事態が起こった時こそ、できることとできないことをすぐに判断しないと」


 僕はマチルダに他の情報を共有する。


「霊力を練りながら聞いて。まず、敵はテレポート系の力を持ってる」

「……敵? 狼の黒瘴獣こくしょうじゅうではなく?」

黒瘴こくしょう狼の可能性もある。けど、他の可能性もある」


 黒瘴獣こくしょうじゅうは黒瘴灰を生成し操る以外にも特異な力、つまり異能を持っている。その数や種類は限りはないが、おおよそ強さに比例する。


「あの三体の黒瘴こくしょう狼はDランクだから、テレポート系の強力な異能を持っているとは考えづらいんだ」

「Dランクっ!? っというか、どうしてそれが分かるんですのっ!?」

黒瘴獣こくしょうじゅうの知識は一通り頭に入ってるから。足と瞳の模様を見る限り、ブルネン地方の南側に主に生息する個体だね。雷の異能をよく使う。そして大きさと黒瘴灰の操る量を考えると、Dランク相当だと分かる。まぁ、そうでなくても最弱の本能恐怖で大体わかるけど」

「恐怖って……」


 少し茶化してみるが、マチルダはそれに反応せず絶句していた。


 その心情を理解できる。


 Dランクの黒瘴獣こくしょうじゅうは、その地域で半年に一度現れるかどうかで、しかも一般の聖霊騎士数十人が連携をもって倒す存在でもある。


 そもそもFランクの黒瘴獣こくしょうじゅうでさえ一般の聖霊騎士と同格の力を有しているのだ。


 そんな存在が三体も現れたという事実をすぐに信じられないのも無理はないと思ったのだけど、マチルダはグッと唇を噛み、真剣な表情を僕に向けた。


「ホムラさんはアレを倒せますの?」

「二、三十分は戦い続けられるけど基本的に倒せないよ。致命傷を与えられない」

「基本的にってどういうことですの?」

「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫を使えば別ってこと」

「なら――」

「けど、出力や発動回数に制限があるから三体の黒瘴こくしょう狼を倒すのは難しい。少なくとも考えなしに飛び込んだら確実に勝てない」


 負けないわけではないけど。


「話を戻すよ。今回の事態は人為的な可能性がある」

黒瘴こくしょう狼をこのショッピングモールに招いた人がいるって事ですのっ!?」

「そして霊力を霧散する空間を張った存在でもあるんだよ。もちろん、可能性の一つだけどね」


 霊力の霧散。方法はいくつか思いつくけど、その手段が膨大な黒瘴気こくしょうきによる霊力の相殺でない以上、霊具を使った方法しかない。そして霧散の仕方的に黒瘴気こくしょうきによるものではなかった。


 可能性と言ったけど、ほぼ確実に人為的なものだろう。


「……もし人為的ならば、黒瘴灰の中にいるヴァレリアや子供たちは」

「人質だね。だから、脅迫などで聖霊騎士団は迂闊に動けないと思う。つまり、自由に動ける僕たちが――」


 鍵だ、と言おうとして。


「キィイイーー!!」

「ッ! 黒瘴獣っ」

「黒瘴灰がっ!」


 ショッピングモールの中央上空に突如として渦の様な黒の輪が出現し、そこから大鷲の黒瘴獣こくしょうじゅうが現れた。


 黒瘴こくしょう大鷲は黒瘴灰を生成し、ショッピングモールをドーム状に囲ってしまう。僕たちは閉じ込められたのだ。


「マチルダ、見つかる前に隠れるよ」

「分かりましたわっ」


 僕たちは先ほど通った穴からショッピングモール内へと戻った。


「黒瘴灰がありませんわね」

「あの黒瘴灰は余計な客を追い出すためだったんだよ」


 小声で答えながら、ショッピングモールを見渡す。


 ショッピングモール内には黒瘴灰はなかった。その代わりに暗い通路には防火シャッターが下りていた。


 改めてガラス張りの天井を見上げ、黒瘴こくしょう大鷲と黒瘴灰のドームの位置を確かめた。


 そして僕は声を潜めて、マチルダを手招きする。


「なるべく音を立てないで」

「ええ、分かりましたわ」


 僕たちは抜き足差し足でガラスフェンスへと近づき、柱の影に隠れて下を見下ろす。身体強化の応用で視力と聴力を強化する。


「……アナタの予想があたってましたわね」

「……そうだね」


 黒瘴こくしょう狼が警戒するように、中央広場をグルグルと歩いていた。テレポートを行った渦の様な黒の輪は消えていた。


 舞台の上にはローズとバーニー、クッキンキャットの四人とスタッフ数人。それに数十人の幼子とその親御さんたちがいた。


 そして、獅子の黒瘴獣こくしょうじゅうを撫でる人が二人、いた。


「……丸耳ヒューマン族の女と、鼠人族の女ですわね」

「うん。実行犯ってところかな」


 そう。二人の内一人は、鼠人族の女性だった。


 けれど、それ以上に気になることがあった。テロリスト二人が黒瘴こくしょう獅子じしを撫でている事だ。それに周囲を警戒するように動く黒瘴こくしょう狼のそれは、その二人によって明らかに統制されている動きである。


「……見間違えではないですわよね?」

「信じがたいのは分かるけど、現実だよ。誰かが操ってるんだ。可能性としては精神操作系の異能か、もしくは……いや、あり得ないか。まぁ、精神操作の異能だよ」


 情報の整理がついたのだろう。静かな口調でマチルダが尋ねてきた。


「あの獅子の黒瘴獣こくしょうじゅうの強さは分かります?」

「……Dランク、下手したらCランク相当かもしれない。黒瘴こくしょう大鷲はFランク」

「ッ」


 マチルダの顔が酷く恐怖に歪んだ。けれど、すぐに深呼吸をした。


「大丈夫?」

「……見くびらないでくださいまし。これでもわたくしは聖霊騎士見習いですのよ。それに、どんな状況でも二度とあのバカをおいて逃げるなんてしないと誓ったんですの」


 マチルダの碧眼は強い意志の光が宿っていた。

 

 たぶん、入学前の霊航機での件を言っているのだ。あの時、席こそ離れていたが、ローズとマチルダは同じ霊航機に乗っていた。一緒に乗ったのだろう。


 そして僕を追いかけて霊航機を飛び出したのローズをマチルダは止められなかった。


 その時の黒瘴こくしょう竜への恐怖から動けなかった自分への怒りと、ローズを失ったかもしれない恐怖は想像を絶するものだったに違いない。


 僕の想像だけど。


 強い闘志を燃やすマチルダに僕は言う。


「確認だけど、僕たちはあそこにいる人たちの救出が目的で、黒瘴獣こくしょうじゅうを、ましてテロリストたちを倒すことでもない」

「分かっていますわ。……それで何か策はありますの?」

「いくつか考えて――」


 僕の自分の考えを話し、またテロリスト二人の会話を聞きながら、作戦を立てた。


「じゃあ、作戦通り――」


 そして作戦を実行しようとした時、テロリストとローズが口論を始めた。きっかけは子供の一人が泣き出してしまったところからだ。


「何やってんですの、あのバカっ」


 ローズが鼠人族の女の命令に従って、制服を脱ぎ始めたのだった。

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