犬が欲しい

口羽龍

犬が欲しい

 恵(めぐみ)はがんに侵されている中学生だ。そのため、中学校には全く行けていない。度重なる手術で体力は落ち、歩く事さえままならない。だが、恵は信じていた。いつかまた退院して、中学校に行けるようになるんだ。そしてみんなで卒業式を迎えるんだ。だが、中学校にも行けないままだ。


 恵の体に異変が起きたのは小学校3年の頃だった。腹痛がひどくなり、病院に行ったところ、がんが判明した。両親は信じられなかった。それから、何度も手術を重ねてきた。だが、がんは完全に取り除けなかった。それどころか、日に日に進行していく。手術同様、がんも恵の体から少しずつ体力を奪っていく。


 そんな恵を、両親は一生懸命励ました。だが、励ましてもなかなか治らない。次第に恵は、もう治らないんじゃないかと思うようになってきた。


「恵、大丈夫?」


 病室の恵みの元に、母、愛がやって来た。愛は専業主婦だったが、恵の治療費ために再び働き始めたという。つらいけれど、恵のためだ。


「うん」

「お母さん、いつまで入院するのかな?」


 恵は外を見ながら、心配していた。今頃、同級生は楽しい中学校生活をしているだろう。その中に私もいられないのが、とてもさみしい。本当は一緒にいたいのに、私は行く事ができない。


「大丈夫。絶対によくなって、退院できるから」


 愛は励ました。だが、恵は下を向く。もう退院できないんじゃないかなと思い始めてきた。


「本当に?」

「うん。信じようよ!」


 愛は恵の肩を叩いた。だが、恵は元気がない。もう一生ここで暮らす方がいい。病気はもう治らないんだ。死ぬまで病気を背負わなければならないんだと思っている。


「うーん・・・」

「お医者さんを信じようよ!」


 愛はお医者さんを信じていた。お医者さんなら、絶対に愛を元気にしてくれる。そして、退院できるように治療してくれるはずだ。


「だけど・・・」

「負けないの!」

「うん・・・」


 弱気な恵を、愛は励ました。だが、愛の表情は変わらない。


 と、恵は窓からある物を見ていた。それは、犬を散歩させている主婦だ。主婦はミニチュアダックスフントと散歩をしている。とても微笑ましい光景だ。恵は思わずほころんだ。


「どうしたの?」

「犬、可愛いなと思って」


 恵には、犬を飼いたい、可愛がりたいと言う夢があった。だが、なかなかお金が貯まらない。夢のまた夢に終わってしまうんじゃないかと思っていた。


「可愛いよね。私も可愛いと思うわ」


 愛も同感だ。愛も犬が好きだ。飼ってみたいと思っている。だが、なかなかそんなお金が貯まらない。


「犬、欲しいな。飼いたいな」

「いつもそう思ってたよね」


 愛は犬のある生活を想像した。家に帰ると、犬が迎えてくれる。そして、一緒にリビングでくつろぎ、一緒に散歩をする。どれだけこんな毎日にあこがれたんだろう。


「退院したら、欲しいな」

「欲しいの?」

「うん」


 恵は、今度の退院祝いに犬が欲しいと思っていた。今度こそ、犬を買ってもらえるんだろうか?


「そうね、お金が貯まったらまた考えておくわ」

「ありがとう」


 愛は病室を出ていった。もうすぐ夕方からの仕事が始まるからだ。残念だけど、また来ればいい。いつもここで待ってくれているから。


 愛と入れ替わりに、担当医の日下(くさか)がやって来た。30代の若い医者で、恵はそんな日下を『先生』ではなく『お兄ちゃん』と言っていた。恵にとってはお兄ちゃんのような人で、とても優しいからだ。


「はぁ・・・」

「大丈夫ですか?」


 聴診器を首にかけた日下も、外を見た。そろそろ日暮れだ。今日も平凡な一日が終わった。明日はどんな日になるんだろう。それは全くわからない。


「飼いたい飼いたいと思ってるのに、お金がないやらエサ代が大変やらで、何らかの理由つけてなかなか飼ってくれないんだよ!」


 恵は悔しがっていた。犬が欲しいのに、なかなか買ってもらえない悔しさがにじみ出ている。


「大丈夫大丈夫。きっと飼えるようになるから」


 日下は肩を叩いた。いつか、夢がかなう日が来るさ。だから、頑張って生きよう。


「いつなの?」

「きっと来るさ。信じよう」


 だが、恵は泣きそうになった。きっと来るさと何度も言われたからだ。何度言われても、犬は来なかった。もうそんな言い方に飽きていた。




 次の朝、愛と夫の健斗(けんと)は話をしていた。恵が入院して以降、2人が会うのは朝のみになった。苦しいけれど、恵のためだ。だけど、そんな生活に慣れてきた。


「ただいまー」


 いつものように愛が朝帰りしてきた。健斗は朝食を作っている。恵が入院してから、日中に仕事をしている健斗が料理を作っている。


「おかえりー」


 健斗は嬉しそうだ。何があったんだろうか?


「ママ、やっとペットショップで犬が買えるほどのお金が手に入ったんだ」

「そう。よかったね」


 愛はほっとした。やっと犬を飼えるまでのお金が貯まった。きっと恵も喜ぶぞ。


「これで恵を迎える準備ができたね」

「あとは退院するのを待つだけだな」

「うん」


 2人は喜んでいた。実は恵の退院が迫っていた。完治してはいないものの、徐々に普通の生活に慣れるためだという。


「明日は休みだから、ペットショップで犬を買ってこようかな?」

「いいね。私も行くわ」


 愛も乗り気だ。2人で気に入った犬を買ってこよう。


「いいねー。で、帰ってきたら恵に報告しようよ」

「そうだね。きっと恵、喜ぶぞー」

「恵の顔が楽しみだなー」


 健斗は、犬を見た時の恵の表情を考えた。きっと満面の笑みを浮かべるだろうな。




 その翌日、2人は車でペットショップにやって来た。ペットショップには何人かの人がいる。その中には、家族連れの姿もある。彼らの子供は元気そうだ。まるで恵とは正反対だ。恵があれだけ元気ならよかったのに。神様はどうしてこんな試練を与えたんだろう。元気に遊んでいる子供がうらやましい。私たちもこんな子供が欲しかった。だけどそれは、神様が決めた事なんだ。


「いらっしゃいませ!」


 2人はペットショップに入った。ペットショップには様々な犬がいる。この中からどれを家で飼おう。2人は嬉しそうに悩んでいた。どの子も可愛い。それを買っても恵は喜ぶだろう。


「どれも可愛いなー。どれにしよう!」


 と、愛は白い雌のチワワを指さした。そのチワワはとても可愛い。


「このチワワにしようよ!」

「そうだね! 恵が喜ぶぞー」


 2人は決めた。このチワワをうちの子にしよう。この子を買おうと思い、愛は近くにいた店員を呼んだ。


「これください!」

「ありがとうございます」


 2人は会計を済ませ、車で家に向かった。チワワを家に預けたら、すぐに恵に報告だ。犬がやって来たと聞くと、恵は元気になってくれるはずだ。楽しみだな。


「さぁ、家に帰ったら、恵に報告だー」

「楽しみだね!」


 2人は夢に見ていた。3人と1匹が一つ屋根の下で暮らす日々を。




 10分後、2人は家に戻ってきた。家は静かだ。恵が入院する前は、恵がいたのに。だけど、もうすぐ再び会える。楽しみだな。


「さて、病院に行くか」

「そうだね」


 家にチワワを預けた2人は、病院に行こうとした。だがその時、電話が鳴った。こんな時間に電話とは。何事だろう。まさか、病院からだろうか? 恵の体に何かが起こったんだろうか? 嫌な予感しかない。


「あれっ、電話」


 愛は受話器を取った。受話器の向こうは、騒然としていた。まさか、病院だろうか?


「もしもし!」

「恵さんのお子さんですか?」


 電話の声は、日下だ。恵の身に、何かがあったんだろうか? 愛は一気に不安になった。


「はい」

「恵さんの容体が急変しまして、危ない状況です! 今すぐ来てください!」


 もうすぐ退院だと言うのに、どうして容体が急変したんだろう。愛は震えていた。その様子を、健斗は不安そうに見ている。まさか、恵の身に何かがあったんだろうか?


「は、はい!」


 愛は受話器を置いた。そこに、健斗がやって来た。


「あなた、恵の容体が急変したんだって!」

「そ、そんな! 早く行くぞ!」

「うん!」


 2人は急いで病院に向かった。何とか元気になってくれ。チワワも待っているぞ。帰ったら、絶対に抱かせてやるから。




 10分後、2人は病院にやって来た。2人は焦っていた。早く恵の元に行かないと。2人が来れば、恵は再び元気になるかもしれない。2には奇跡を信じていた。


 2人が車から出ると、日下がやって来た。2人が来るのを待っていたようだ。日下も焦っている。日下の焦っている表情を見ると、大変なんだろうと察しが付く。


「め、恵さんのご両親ですか?」

「は、はい・・・」


 2人も焦っていた。早く恵の元に行かないと。


「早く来てください!」

「はい!」


 2人は急いで恵の病室に向かった。病院内は走るなと言われているが、今は非常事態だ。早く病室に行かなければ。


 数分後、3人は恵の病室にやって来た。恵の周りには、何人かの医者と看護婦が来ている。再び具合がよくなるように、必死に頑張っている様子がうかがえる。だが、予断を許さない状況だ。


「恵! 恵!」


 そこに、両親がやって来た。両親は、今にも死にそうな恵を見て、泣きそうだった。だが、まだ泣く時ではない。励まさなければならない。


「恵、父さん、犬を飼ってきたんだぞ! 退院したら、犬を抱かせてやるぞ! 犬も待ってるぞ! 頑張れ!」


 だが、間もなくして恵の心臓が止まった。恵は息絶えた。


「ご、ご臨終です・・・」


 日下の言葉に、両親は肩を落とした。あれだけ一生懸命育てて、どうしてこんなに早く死ななければならないだろう。神様はどうしてこんな運命にしたんだろう。そんなの、ひどすぎる。こんなの悪い夢だ。夢から覚めてくれ! だが、これは夢じゃなくて現実だ。


「そ、そんなー!」

「恵ー!」


 愛は泣き崩れた。あれだけ愛情をもって育ててきたのに。恵と過ごしが日々が走馬灯のようによみがえる。もうこんな日々は戻ってこない。もう恵を抱く事はできない。


「犬が欲しいと言ってたから、今日犬を買ってきたのに、どうして・・・」


 いつの間にか、健斗も泣いていた。犬が欲しいと言って、やっと飼い始めたのに、どうしてこんな事になったんだろう。これから幸せな日々になるのに。


「どうしてこんな事に・・・」

「運命だったんだ。受け止めよう・・・」


 健斗は愛の肩を叩いた。だが、愛は泣き止まない。




 家に帰って来た2人は、肩を落としている。だが、チワワは何事もなかったかのようにはしゃいでいる。チワワは恵が死んだなんてお構いなしのようで、遊んでほしいようだ。


「せっかく買ってきたのに。これからなのに」

「残念だな」


 2人ともぐったりしている。恵のためにあれだけ頑張ったのに、恵が死んでしまったらでどうしろというのか。


「うーん・・・」


 と、愛は何かを考えた。それは、このチワワの名前だ。


「そうだ! この子の名前、恵とかどうかな?」

「どうして?」


 健斗は驚いた。まさか、死んだ子の名前にするとは。なかなかいい案だ。そして、そのチワワを恵の生まれ変わりとして育てよう。


「恵の生まれ変わりだから!」

「それはいいね!」


 健斗は笑みを浮かべた。今さっき、娘が死んだのに。


「そうしよう! よーし、今日からお前の名前は恵だ!」


 健斗はチワワを抱えた。その様子を、愛は見ている。


「まぁ、あなたったら!」


 思わず愛も笑みを浮かべた。きっと天国の愛も喜んでいるだろう。

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