第17話 生まれながらの王

 衛士から報告を受けた時、スリュムはベルゲルミルと共に、ゲイルロズがアールヴに弓を教えているのを眺めていた。

「なかなか筋が良さそうじゃな」

 満足そうな笑みを口元に浮かべ、スリュムは言った。

 ベルゲルミルは同意して頷く。

「兄者たちの話では、剣の素質は無いが、弓は悪くないらしい」

「剣が上達しないのはギリングの教え方が悪いんじゃないのか? あいつは気が短いからな」

「それを言うならゲイルロズの兄者なぞ、『よく狙って射ろ』としか言ってないそうじゃ」

 ベルゲルミルの言葉に、スリュムは眉を上げる。

「ゲイルロズにしてみれば、それでもかなり喋った方じゃろ」

「違いない」

 衛士が緊張した面持ちで駆けつけて来たのは、そう言ってベルゲルミルが笑った時だった。


 豪族との会議が紛糾し、逆上した豪族の長の一人が暴言を吐いたため、オリアスが彼を斬り捨てたとの報告に、スリュムとベルゲルミルは驚愕した。

 オリアスはいつも冷静だし、豪族たちに対して、スリュムから甘いと言われる程、穏健な政策を採っていたからだ。


「暴言だけじゃ判らん。具体的に、何と言ったんじゃ?」

「そ……それは…………」

 スリュムに問われ、衛士は口ごもって俯いた。

 スリュムはやや厳しい口調で重ねて問いただしたが、衛士はますます俯き、青ざめるばかりである。

「豪族との会議ならエーギルも出ていた筈じゃな。エーギルを呼べ」


 呼ばれて姿を現したエーギルも、先ほどの衛士同様、答えるのを躊躇った。

「とっとと言わんか!」

 割れ鐘を打ったような声でスリュムが怒鳴ると、ビリッと空気が震える。

 エーギルは思わず後退り、おずおずと顔を上げ、それからやっと口を開いた。

「豪族のバウギが、アルヴァルディ様に向かって『いざりの子』……と」

「何じゃと……!?」


 怒鳴ると共にスリュムが立ち上がったので、勢い良く椅子が倒れた。

 重い樫の椅子が露台の石畳にぶつかって、大きく甲高い音を立てる。

 その音とスリュムの発する怒気に、数十ひろ離れた中庭にいるゲイルロズとアールヴも、弓を射る手を休めてこちらを見た。


「すぐに兵を集めろ!バウギの領地に攻め入って、全滅させてくれる」

「承知じゃ!」

 スリュムの命に答え、ベルゲルミルはその場から駆け去った。

 アールヴを中庭に残したままゲイルロズが歩み寄って来ると、スリュムは次男にも同じ命を下した。

 ゲイルロズは理由を尋ねもせず、ただ頷いて踵を返す。

「バウギはまだ息があるのか?」

「い……いえ、一太刀で絶命しました」

 スリュムに問われて、エーギルは答えた。

 スリュムは憎々しげに顔をしかめる。

「それでも構わん。八つ裂きにして晒し者にしてくれる――どこの議場じゃ?」


 エーギルが再び返答を躊躇っていた時、現れたのはオリアスだった。

「バウギの領地を焼き払うぞ。お前も来い」

 スリュムの言葉に、オリアスは首を横に振った。

「そうならぬよう、父上を止めに来たのだ」

「止める? 馬鹿な事を言うな。バウギを斬り捨てたのは誉めてやるがな」

 オリアスは微かに眉を顰めた。

「バウギは既に罰したのだ。もう、充分だ」

「あんな暴言に対して、バウギごとき一人の生命では到底、足らん。領地ごと焼いて皆殺しに――」

「騒ぎを大きくするのは止めてくれ」


 相手の言葉を遮って、オリアスは言った。

 端正な顔には、憤りよりむしろ苦痛に似た色が現れている。


「騒ぎが大きくなれば、噂がヘルヘイムまで流れるだろう。そうなれば、母上の耳にも入る事になる」

「……じゃが――」

「もう、済んだ事だ」

 それだけ言うと、オリアスは踵を返し、その場から足早に歩み去った。

「……まだ話は終わっておらんぞ」

 やや唖然として、スリュムはぼやいた。

 オリアスがこんな態度を取るのは珍しい。

「……陛下、申し上げても宜しいでしょうか?」

 去ってゆくオリアスの後姿を呆然と見遣やっているスリュムに声をかけたのは、オリアスの側近のヴィトルだった。

「何じゃ?」

「恐らく……アルヴァルディ様は後悔しておられます」

「後悔じゃと?」

「バウギを斬った事ではなく、一時いっときの感情で行動してしまった事を……です」

 ヴィトルの言葉に、スリュムは口を噤んだ。

 数百年前の出来事を思い出したのだ。



 ギリングが軍議の決定に反して独断行動を起こして窮地に陥り、それを救うために駆けつけたオリアスの軍にも甚大な損害を出した時、まだ戦の途中であったにもかかわらずオリアスは自分の天幕に引き篭もり、丸一日、姿を見せなかった。

 スリュムは、オリアスがギリングの行動に憤り、側近を死なせてしまった事を哀しんでそんな行動を取ったのだと考えた。

 その二つとも外れてはいなかった。が、それ以上にオリアスを苦しめたのは自責の念だった。


 ギリングの軍は本陣の左翼から外れた所に展開しており、スリュムの率いる本陣からは遠かった。

 ゲイルロズは右翼で指揮を執っており、ベルゲルミルはスリュムの補佐についていた。

 つまり、左翼にいるオリアスの他に、ギリングを救える者はいなかった。

 だがギリングの救出に向かえば大きな損害が出る事は明らかであり、その上、成人して十数年しか経っていない当時のオリアスには、損害を正確に見積もるだけの経験が欠けていた。


 オリアスは自分の経験不足を認識しており、想像以上に大きな損害が出る可能性も了知していた。

 それでもギリングの救出に向かったのは、自分を戦士エインヘリャルと認めようとしないギリングに、勇猛さを示したかったからだ。


 その結果、大切な側近の一人を喪った。


『お前の側近が死んだのは残念じゃったが、ギリングの窮地を救ったのは良くやった』

 翌日、天幕から姿を現したオリアスを宥めようと、スリュムは言った。

『お前は立派な戦士エインヘリャルじゃ』

『……ただの戦士であれば、そうだったかも知れぬな』

『何?』

 オリアスの言葉に、スリュムは訊き返した。

『私がただ一人の戦士、ただ一人の兵士であったなら、身の危険を顧みずに誰かを助けようとするのは立派な行いかも知れない』

 だが、と、オリアスは続けた。

『私は数千の兵士と戦士を率いる将軍で、私の決断、私の采配が彼らの生死を左右するのだ。それだけの責任を負っているのに、感情的な理由で決定を下すべきでは無かった』

『……ギリングを助けた事を、後悔しておるのか?』

 スリュムの問いに、オリアスは首を横に振った。

『私が後悔しているのは伯の兄上の救出に向かった事ではなく、感情的な理由からその決断を下してしまった事だ』

 スリュムは何も言わず、オリアスの整った横顔を見つめた。

 そして、これが生まれながらの将帥であり、生得の王というのはこういう者を言うのだろうと、感慨にふけった。



「父者、兵どもに下知したぞ。ギリングの兄者にも伝えたか?」

 戻ってきたベルゲルミルの言葉に、スリュムは我に返った。

「……出陣は待て。そのまま待機させておけ」

「待つ、じゃと?」

 怪訝そうに、ベルゲルミルは訊き返した。

「バウギの郎党が復讐のために戦を起こすなら、塵ひとつも残らんほどに叩き潰す。じゃが、バウギの非礼を詫びて処罰を受け入れるなら……そうじゃな、領地の半分も没収して、それで赦してやろう」

「ずいぶん、甘い処置じゃな」

 ベルゲルミルの言葉に、スリュムは眉をひそめた。

「騒ぎが大きくなれば、噂がヘルヘイムまで流れる」

 オリアスの言葉を、スリュムは繰り返した。

「それの、何が悪いんじゃ?」

「バウギの暴言が、フレイヤの耳に入る事になるじゃろうが」

 そこまで言われて、ベルゲルミルはようやく納得した。

「じゃが……アルヴァルディがバウギを斬ったんじゃから、それだけでも充分、大事じゃろ? どのみち噂は広がるんじゃないか?」

「お言葉ですが」と、言ったのはヴィトル。

「議場にいた他の豪族たちも、バウギの暴言には非常に驚き、またアルヴァルディ様のお怒りの大きさに恐れおののいておりました。一応、口止めは致しましたが、それがなくとも暴言の内容まで言いふらすとは考えにくいかと」


 ヴィトルの言葉に、ベルゲルミルはスリュムに問いただされても答えなかった衛士と、怒鳴られてようやく返答したエーギルを交互に見た。

 二人とも、困惑した表情で俯いている。


 ベルゲルミルは溜息を吐いた。

「……何じゃ。久しぶりに戦ができると思ったのに、がっかりじゃな」

「バウギの郎党が反乱を起こしたら、存分に叩き潰してやれ」

 残念そうにぼやいたベルゲルミルに、スリュムは言った。



 バウギの遺体は刑場に遺棄され――極刑に値する罪人の遺体を刑場で晒すのは、ヨトゥンヘイムの慣わしだった――一族に対しては、会議の場で非礼があった為、オリアスに処刑されたのだと説明がなされた。

 バウギの一族は、彼が非常に気性の激しい男で、怒ると一族・郎党に対しても暴言を吐き、暴力を振るう事が珍しくなかったのを知っているし、一方でオリアスが豪族に対して寛大な政策を採っているのも判っている。

 であるから、オリアスがバウギを処刑したのであれば、バウギの側に相当な問題行動があったのだと考え、事件の詳細を問いただす事をせずに処罰を受け入れた。

 そして、バウギの正室がみずから王宮を訪れて涙ながらに亡夫の非礼を謝罪し、領土の半分を残す寛大さに感謝した。


 これを受けてスリュムは、バウギの長男が領地を相続して豪族の長となる事を許可した。

 ヴィトルが言っていた通り、会議の出席者たちはオリアスの憤りを恐れて堅く口を噤み、暴言の詳細が広まる事は無かった。

 また、彼らの多くは闘技場建設のための費用の供出に難色を示していたのだが、それについても手の平を返して態度を軟化させ、費用負担を承諾した。



「雨降って地固まる、というやつじゃな」

 バウギの正室の謝罪を受けた後、オリアスの私室を訪れて、スリュムは言った。

 そして、バウギの一族に対して下した措置と、他の豪族たちが闘技場建設費の捻出に同意した事を話した。

「……まるで剣で脅して費用負担を強制したような結果になったな」

 幾分か不満そうに、オリアスはぼやいた。

「豪族どもはお前の融和政策に甘えて付け上がっておったからな。ちょうど良い機会じゃ」

 スリュムの言葉に、オリアスは答えなかった。

 黙ったまま、視線を窓の外に向ける。

「……お前が後悔しているじゃろうと、ヴィトルの奴が言っておった」


 静かに、スリュムは言った。

 オリアスは瞼を閉じ、溜息を吐く。


「悪くすれば、バウギの郎党と戦になるところだった。他の豪族たちも呼応して、大きな反乱になった可能性も否めない」

「ベルゲルミルはそうならなかった事を残念がっておったがな。暇を持て余している兵士どもも同じじゃろう」

 やはり十年は長い、と、スリュムは言った。

「闘技場の建設にどうしても十年はかかるのじゃったら、平原かどこかで競技会をやるか、どこかに遠征する必要があるな」

 オリアスはスリュムを見、微かに眉を顰める。

「平原での競技会はともかく、遠征だと?」

「ヴァナヘイムあたり、どうじゃ?」

 オリアスは首を横に振った。

「ヴァナヘイムは私の母方の祖母殿の故国だ。戦など……」

「じゃったらアースガルズでも構わんぞ」

「アースガルズと戦するならば地理的にヴァナヘイムの協力が不可欠だが、あの二国は同盟関係にある。逆にこちらが攻め落とされるだけだ。それ以前に、戦を仕掛ける理由が無い」

「ヨトゥンヘイムの男は戦うために生まれて来たんじゃ。戦をするのにいちいち理由なぞ要るか」


 やや強い口調でスリュムは言った。

 が、オリアスが哀しげに眉を曇らせたのを見て、その勢いが殺がれる。


「……どこかの平原で、武術競技会を開くか?」

 ややあってから、スリュムは言った。

 乱闘になる可能性を考えると賛同しかねるのがオリアスの本心だったが、理由も無い戦よりは増しだと思い、頷いて同意を示した。



 ヨトゥンヘイムで血生臭い事件の起きていたその頃、ヘルヘイムでも血の流れる異常事態が発生しようとしていた。

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