第3話 ラク酒のまち






「えーっ、なんだって?ラク酒の他にも馬車の運賃が初乗り50プンスになり、待てっ、待て。エントラントの関税が1チロにつき、1ルギー?ふざけやがって」


 ビンデは新聞をカウンターに叩きつけた。


「王は国民を締めつけ、自分は毎晩、宮殿に芸人などを呼んでは余興をやらせて、酒宴を楽しんでいるらしい。なのにこれかッ」


「ああ、拳闘士など使って、殺し合いなどもやっているらしいぞ」


 トダンがグラスを拭きながら言った。夜になり、トダンの酒場は賑わいを見せはじめていた。


 ビンデは、毎晩のようにトダンの酒場のカウンターの一番隅の席に陣取って、泡ラク酒を飲んでいる。


「前に奴隷商人が腹痛を起こして、困っていたのを助けてやったが、そいつの話ではロス王が一番の上客らしい。ふざけんなってんだ」


「前王の時の方がまだマシだったな」


「段々と狂ってきたのさ。先々代は名君として皆に愛されていたが、そう言うのは続かないらしい。まったく、今の王はとんでもない愚王だ」


 とビンデが吐き捨てた時、それを聞いていた客の一人が店を出て行った。


「おい、ビンデ。そんな所にいないでこっちにこいよ」


 トダンの酒場の常連たちがビンデを自分たちのテーブルに呼んだ。みな、昔からの顔なじみである。ビンデは木のジョッキを持って、四人が座るテーブルに行った。


「なに、カウンターでトダンと難しい顔して話しているんだ?お前らしくもない。なあ、この泡ラク酒の名前考えてきたぜ」


 鼻の頭を赤くして、ケロット・モンスがジョッキを持ち上げた。ビンデとは幼なじみであり、悪友であった。


「アワラクってのはどうだ?」


「ん?あんまピンとこないな……ダメだ」


 ビンデは即却下する。


「じゃあ、これは?」


 モンスの隣に座るのはその弟、ケロット・ボンズである。ボンズは細身の兄とは対象的に大柄で筋肉質な男だ。二人ともナターシャで裏稼業をしていて、たまにビンデに仕事を回してくれる、よき友だ。


「なんだ?」


「ラ・ラ・ラク酒。どうだ?響きがいいだろ?」


「長いよ。それに言いにくいし、多分、言ってるうちにただのラク酒に戻ると思うぞ。もっとコンパクトで、ガツンと来るヤツじゃなきゃダメだ。次は?」


「オナーラはどうじゃ?」


 寝ているとばかり思っていたカルじいが発言した。八十を越えているが、毎晩トダンの酒場で飲んだくれている元気なじいさんだ。


「オナーラ?」


「水の中で屁をすると泡が出るじゃろ。それとよく似ておる」


 じいさんはそう言って、ジョッキの中を覗き込んだ。


「汚いよ。そんなもん誰が飲むんだ?おなら入りなんて……イメージ悪いわ」


「これは?ハイ・ボー……」


 モーリオ・サンが言おうとしたそのときであった。店のドアが激しく開き、憲兵が三人なだれ込んできた。


「動くな。これより、この店の調査をする」


「い、いったい何の調査ですか?」


 トダンが驚き、尋ねる。


「この中の反逆者がいる」


 すると、先ほど店を出て行った小さな中年男がビンデを指さし、憲兵に耳打ちした。憲兵たちは真っ直ぐビンデに向かう。


「お前か?陛下の悪口を吹聴していたというのは?」


「吹聴はしてないが、言っていたのは事実だが……」


「おいっ、そんな正直に……」


 トダンが止める。


「よし、来い」


 ビンデが、自分より頭一つ分大きな憲兵二人に両脇を抱えられ、連れていかれる。


 出口付近で、密告者の男と目が合った。ビンデが立ち止まると、男は気まずそうに固まった笑みを浮かべた。


「これでいくら貰ってんだ?」


 ビンデが聞いた。


「へ?」


「寂しいな……トダン、こいつに酒を奢ってやんな。それと、みんなにも景気づけに一杯奢るぜ」


「おうよ」


 酒場にいる客たちが、一斉に盛り上がった中、ビンデは余裕の笑みを浮かべ連行されていった。



  *        *        *



 首都グララルン・ラードの北西、リザード連峰の麓の町、オーブンはラク酒の生産地として広く知られている。


 リザード連峰から流れ来る深層水と麓の田園で採れるラクの実を蒸して、発酵させたものを混ぜ合わせて、樽に入れておくと一年でラク酒となる。そして、ラク酒は樽の中に付ければつけるほど、味が濃厚となり、熟成される。


 オーブンの町にはラク酒の醸造所が軒を連ね、ラク酒の豊潤な香りが町全体を包み込み、訪れた酒飲みを喜ばせる。


 その夜、町の寄り合い所では、ラク酒の醸造所の主たちが一同に集まり、みな難しい顔をして黙り込んでいた。


「……いくら何でも50パーセントの増税は酷すぎる。これでは、酒が売れなくなってしまう。ただでさえ、昨年は天候により、ラクの実が不作。今年は、前年の70パーセントしかできない計算だ」


 口を開いたのは、しわの深いあごひげを生やした老人である。


 振り上げたその掌は、ランプの光を反射するほど光沢をもっていた。ラク酒を混ぜる時にでる成分が手に触れると皮膚を固くさせ、何時しか、このような手になる。長い間、ラク酒の製造者に関わってきた者はみな、同じような手をしている。


「しかも、運賃まで値上がりだ。これでは、全国に酒を届けたら、完全に赤字になってしまう。王は我々を飢え死にさせたいのか?」


 小太りの主人がみなを見回していった。丸い大きな円卓に十数人の主人たちが薄暗いランプの下に会していた。


「王はラク酒を憎んでいる。演説でも、国民が堕落したのは、ラク酒のせいだと言っていたそうだ」


 集まった製造主たちは首を振って嘆いていた。


 その中に場違いのような若い婦人の姿があった。先年、父を亡くし、跡を継いだパムル酒造の女主人パムル・リターである。彼女は目立たないように末席に座っていた。


「これはもう直訴しかないな……」


 先のしわの深い老人がぼそりと言った。その一言にみなが無言で頷く。


「しかし、誰が行く?王様はとても気難しく、怒らせたらそれこそ事だぞ」


 別の古老が言った。


「国王に直訴した者が処刑されたという噂話もあったな。しかも、ほんの些細な理由でな」


「今の王様ではないだろう?」


「だが、保証はない」


 皆が押し黙ってしまう。


「……やめておこうか?」


「別の方法を……」


「ちょっと、やめるんですか」


 男たちが弱気な発言をし始めると、今まで黙っていたリターが声を上げた。


 皆の視線が一斉に集まるとリタ―はたじろぐが、それでも続けた。


「どちらにしても後がないんじゃあないですか。このままじゃあラク酒づくりは衰退してしまいます。私たちには死活問題ではないですか?」


「なら、あんたが行けばいい」


 一人の古老が言った。


「そうだ。若い女子なら、国王も話を聞くかもしれん」


 他の者が同調する。


「おお、そうじゃ。若い女子ならまさか殺しはせんだろうしな」


 たちまち、一同が賛同した。


「えっ?私ですか……いや、それは、やはり組合長がいいのでは?」


 さっきから、上座に座る腕を組んで黙っている老人を見てリターは言った。すると、


「いや、あんたがいい。あんたが行きなさい。あんたが適任じゃ。いや、まったく」


「そうだ、そうだ」


 組合長の一声に、一同は今までにないほど声を上げて、盛り上がる。


「あんたがダメなら、その次は、儂が行こう」


 組合長の鶴の一声でリタ―の国王への直訴が決まった。



  *        *        *



 その日の朝、多くの若者たちが王宮に集まっていた。


 王宮に通じる跳ね橋の上では、息子たちを送り出す家族が涙を流したり、激励をしている。


「……生きて帰って来るんだよ」


 縋り付く母の手を握り、言葉なく頷く若者。


「……早いもんだ。今年も徴兵の季節か」


 門を潜り、王宮へ入ってくる若者たちの姿を二階の執務室から見下ろしながら、宰相のウェス・ドムスンが言った。


「我々の存在とは、いったい何なのかな?」


 隣に立つ財務大臣のドナルドが言った。


「まったくだな」


 ウェスが頷く。


「国の未来も描けず、闇雲に若者たちを死地へ向かわせる。一握りの人間の欲望を満たすためにな。それを止める事も出来ん」


 ドナルドがため息を付き、鼻を鳴らした。


「諦めるな。まだやり方はあるさ」


「ウェス、私はもう疲れたよ」


「諦めるな。私も尽力を尽くすつもりだ、頑張って……」


 しかし、ドナルドは首を横に振った。


「私はどうやら、歳を取りすぎたようだ。後は君たちに託すよ」


「そんな、無責任だぞ。ドナルド」


「……すまん」


 ドナルドは、ひどく疲れたように若者たちを見下ろしていた。

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