第2話

 一九八八年の銀行の支店での年末忘年会は、グァム島で行われた。如月はボーナスで購入したばかりの――SONYのハンディカム――を慣れない手つきで操作して、風景を撮影していた。恭介は、海外旅行でも使い捨てカメラの――写ルンです――を愛用していたので、ビデオ・カメラを構える如月と行動を共にするのが恥ずかしくなった。

 観光スポットの恋人岬の高台にある展望台からは、美しいタモン湾が見渡せた。午後は『フィッシュアイ・マリンパーク』に行き、海中展望塔で三六〇度海の中を眺めた。海の中にはチョウチョウウオ、スズメダイ、ブダイ、ネズミフグなどの色鮮やかな魚たちが、気持ち良さそうに遊泳していた。

 毎年、旅館の座敷で催される宴会が、今年はホテルの宴会場で行われた。宴会の出し物は――行内で人気があったバラエティー番組『オレたちひょうきん族』を真似て、支店長がタケちゃんマン(ビートたけし)、部長がブラック・デビル(明石家さんま)に扮して、寸劇を披露し大いに盛り上がった。ビートたけしや、たけし軍団の芸人たちは、フライデー襲撃事件の謹慎が解けてから活躍していた。

 ホテルでは、如月と同室になった。

 如月は「ファミコンの『ドラクエⅢ』は、苦労して手に入れただけあって面白いよ。病みつきになりそうだ」と、旅行に持参できなかったのを悔やんでいた。

 夜になり、消灯すると如月は「かわいさとみを知っているか?」と、尋ねた。恭介が何の話かと考えあぐねていると、続けて「アダルト・ビデオで『ぼくの太陽』というのがあるけど、ベストセラーになっていた。僕も見たけど、嫌らしい感じがしなくてね。それが、淡くて切なくて、何か胸キュンドラマだった」と打ち明けた。

 如月の話で、かわいさとみ――が、ビデオの主演女優の名前なのが分かった。

「僕は、まだ見てないので、よくは分からないけど……。そんなにいいのか?」

「ああ、世の中にあんな子がいるのだなと、思ったよ」

「それ、本当にアダルト・ビデオなのか?」

「恐れ多いね。あのビデオは僕の宝物だ」

 恭介は、如月の話を聞いていて、妹から借りた少女漫画の登場人物とダブらせてイメージしていた。それよりも、アダルト・ビデオ店でポルノグラフィを購入できる如月の男らしさに、感心していた。

 テレビの深夜番組の11PMの火曜日のコーナー『秘湯の旅』で、うさぎちゃんと呼ばれる女性レポーター二人が、全裸で温泉地の様子や、泉質、効能を紹介しているのを視聴しても、戸惑いを感じる恭介には、如月の大胆さが羨ましかった。

 如月は、ハイテクに興味がある様子で「パソコン通信は、おとぎ話に出てくる魔女の水晶玉みたいに……、テレビのようなマス・メディアの提供するものを凌駕するよ」と、予言的な言葉を口走った。

 グァム島の二日目は、ホテルに来た送迎バスを利用して、島の南東部のタロフォフォ川に着くと、ジャングルの中をカヤックで進む「リバー・クルーズ」に挑んだ。カヤックの漕ぎ方の説明を受け、ライフ・ジャケットを装着して、如月が前、恭介が後に位置取り、二人乗りカヤックに乗り込んだ。両岸からヤシや、マングローブなどの熱帯植物が、せり出す川の中を進むと、徐々に川幅が狭くなった。

 恭介は映画の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』や『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の場面を思い出していた。

「僕は今、魔宮の伝説でインディ・ジョーンズの搭乗した飛行機が墜落し、ゴムボートで川に流されたあとで、インドの小さな村に到達する場面を思い出していた」

「偶然だな。僕も同じ場面が頭の中に思い浮かんでいた」

「まるで、冒険映画の世界だ」

 会話を交わしながら、二人で息を合わせてパドルを漕ぐと、カヤックはどんどん前進した。澄んだ空気の中をのんびりと、青い空や周囲の緑や川を眺めながら、一時間すると村にたどり着いた。

 映画の魔宮の伝説では、小さな村は邪教集団に襲われて、人々が連れ去られていた。頭の中に想像が膨らみ、子供のようにわくわくしていた。

 恭介たちを乗せたカヤックは、古代チャモロ村遺跡のある岸辺に上陸した。映画と異なり、大勢の観光客で賑わっていた。村では、火おこしに挑戦したり、ココナッツを割って実を食べたり、絞ったココナッツ・ミルクを飲んだりして楽しんだ。

 昼食は、伝統のチャモロ料理を食べた。大皿に載せられた料理は、いずれも味が濃厚なので、和食とはかなり風味が違っていた。が、アチョーテの実と一緒に炊いた「レッド・ライス」は旨く「ドライ・ビーフ」はビールのつまみに最適だった。

 恭介と如月がビールを飲んでいると、グァム旅行の幹事を任されている課長が「ビールは一杯だけにしてください。昼間から酔わないように……。酒の楽しみは、夜の宴会まで待ってください」と、全員に声をかけて回った。

 夜の宴会は、二日連続ホテルで行われた。ただし、出し物はなく幹事が――酒を楽しむ会――と名付けていて、ビール、ワイン、ウイスキーなどの多様な酒が並べられた。

 三日目は自由行動とされていたものの、ほとんどの者は買い物に出かけた。恭介も「タモン・サンズ・プラザ」に出かけると、母や妹に頼まれていたブランドのアクセサリーや小物を購入した。

 恭介は、帰りの飛行機の中で――現状の幸福が、少しでも長く続きますように――と、念じていた。欲得は、自己中心的だと煩悩になり、利他的だと菩提心につながる――が、恭介には万人が幸いな世界をリアルに想像できなかった。

 日本国内では、バブル景気がまだまだ続くと夢想するように、放蕩無頼な生活に慣れ親しむ人たちが街に繰り出していた。ビジネス街じゅうのサラリーマンやOLが、キタやミナミの繁華街にあふれ出て、満月の夜に変身する狼男さながらに酔っ払いに変貌を遂げ、放歌し高声で喋る姿は痴態にしか思えなかった。それを知りつつも、彼らは、酔態に――泥のような心地よさ――を感じているかのごとく、足元をふらつかせながら通りを往来していた。それは、恭介も同じだった。

 哲学者として知られるバートランド・ラッセルは、著書『怠惰への讃歌』で「われわれは生産をあまりにも重視し、消費をあまりにも軽視しすぎる」と、警告していた。それに反して、バブル経済は消費に支えられていたが、金融市場、不動産市場の取引が膨らみ破裂寸前になっているのが予見できた。

 恭介は、理屈で考えたとき――、バブル経済は、真実のみが有するしなやかさも、しっとりと潤いのある魅力も伴わないもの――に、思えていた。

       ※

 不動産業界では、投資家を対象とした小口化商品が扱われ始めたが、一般の認知度はまだ低かった。一方で、投資用ワン・ルーム・マンションの開発会社の躍進ぶりが注目されて、話題になった。なかでも、家賃保証と賃貸管理が一体となったビジネス・モデルで注目され、週刊誌の記事などで目を引いた。業界は、様々なビジネス手法を編み出し市場に投入していたが、バブル景気は多くの人から大局観を失わせていた。

 現代日本人の性格として、約束を守る誠実さ、勤勉さ、きれい好き、集団主義で協調的などの長所が数えられる一方で、主体性に欠ける、外国語が苦手で自己表現が拙劣、大局的な見地から考えない――等々の短所が、指摘されている。恭介は、これらの短所よりも、本来は長所とされる日本人の集団主義の精神構造が、現状を単一性尺度でしか考えなくさせているのに危うさを感じていた。

 ある日、恭介は不動産会社の分譲マンションの応援に駆けつけて、接客するうちに、ある事実に気づいた。U社の亀山の話では、マンション購入者は若年層が多く、平均年収は四五〇万円で融資の目安が年収の五倍とされるので、二二五〇万円が限度になる。状況を考えると、不動産価格は、青天井に高くなり続ける展開は予見できなかった。

 顧客の中には、居住用不動産を投資目的で購入しようとする者が、あきらかに存在していた。恭介は、彼らが高値掴みをして資産を失うのを放って置けなかった。恭介が、茶谷に説明すると、すぐに事情を理解して「居住目的の顧客だけで抽選日には即日完売し、キャンセルが出ても、すぐに次の候補者が見つかります。明らかな投資目的のお客さんは断ってもらってもいいですよ」と、お墨付きを貰っていた。

 販売事務所のデスクに腰かけた恭介は、居住用不動産を投資目的に購入しようとする顧客に「無理をして買わない方が良いですよ。不動産価格は、異常なまでに高騰しています。今買っても大損し、大きなローンだけが残る可能性があります。転売目的で買うのは控えた方がいいでしょう」と伝えた。

 顧客は、販売員に購入しないように勧められたのを怪訝そうにしていた。

「そういうものでしょうか?」

「今すぐの必要性がなければ、慌てて購入しない方が、経済的なダメージにもつながらないでしょう」恭介は自信を持って告げた。

 新聞報道では、日本人全体の平均年収が六五〇万円なので、このままでは融資を受けても、サラリーマンが居住用不動産を購入できなくなる事実――を証明してはいないか……と、恭介は恐ろしくなった。好景気は、誰の目にも美酒に見えていて、実は毒の匂いが含まれていた。

 株価の推移だけを追いかけて――実態経済なのか、否かは判断のしようがない――と主張する論者は多いが、恭介は居住用不動産の顧客層の所得と、不動産の物件価格との乖離が目安になるものと、分析していた。暴騰によるリスクの有無については、明確な指標は存在していて、逆算可能だと判断した。

 国土利用計画法の「土地取引の規制に関する措置」に基づく、事前届出制では――区域内の土地取引については、契約締結前に当事者全員の届出が必要とされている。この制度では――土地の利用目的に加えて、取引価格が著しく適正を欠く場合には、取引の中止又は変更の勧告――が、なされる内容だ。

 ところが、U社の茶谷によると「市役所の担当職員は、従来よりも取引価格を高くしても何も勧告しない」と説明した。恭介は、不動産価格は公示価格でも、路線価格でもなく、実勢価格を抑制すると、高騰に対する調整弁になりうると考えていた。実勢価格の目安になるものが、購買層の年収の五倍を超えると、正常な取引がなされなくなるのを案じていた。恭介はバブルの好景気の後で、恐るべき不況の幕開けになる事態に戦慄を覚えていた。

       ※

 一九八九年一月七日、昭和天皇が崩御された。翌八日元号が――平成――に改元された。恭介にとっては、生まれたときから天皇は――象徴的な天皇――であって、年老いたとしても死がリアルに連想できなかった。

――巨星墜つ――と、恭介はイメージした。昭和の天皇は、我が国においては戦前・戦中・戦後を通じて、とてつもなく巨大な星だった。日本を代表する一人の高貴な人の死が、陰鬱な季節の扉を開くのを……、恭介は予感すると、それと同時に恐れていた。

 恭介は、好景気が永遠に続くとは信じられなかったが、行内では――土地の価格は、いつまでも高騰し続けるのを確信する不動産神話――と、自己資金と借入金を併用し、小さな資金で大きな事業に投資すると、収益性を拡大できるレバレッジ効果――の期待感を根拠に、経済大国日本の屋台骨は揺るがない――と、主張する論者が大勢存在していた。実際のところ、株式や不動産投資で儲けた者たちの金は、消費に向かった。物が売れると、在庫が減り、企業が設備投資に金を使うので、景気が良くなり、日本経済はかつてないほどの活況を呈していた。

「日本人の勤勉さや堅実な価値観が損なわれて、お金を中心とした異様なものになっていて、恐ろしい気がします」と、恭介が管理職に話しても「誰でも、豊かになりたい。思いが続く限りは、需給バランスが良好に推移して、崩れはしない。金持ちを妬んでいては、銀行マンは務まらないよ」と、窘められた。

 金融機関による土地を担保にした融資は、さながら狂騒のありさまを呈していた。恭介は万一でも――地価が暴落する事態になれば、金融機関へのダメージは免れず、破綻リスクを背負う展開もありうるのではないか――と懸念し、背筋が寒くなった。

 恭介が上司や同僚たちに指摘するたびに「君は極端な悲観論者だから、経営に向かない」と非難された。飲み会で酒の勢いを借りて、上層部の方針を批判したところ、所属課長に「三人寄れば文殊の知恵――というが、エリート官僚や学者の数万人もの優秀な頭脳が……、頭を寄せ合い思索をめぐらした結論に、ぼんくらな君一人が勝ることは永遠にありえない」と痛罵を浴びて、反省を促された。

「今のまま、若年層が将来の生活設計を立てて、住宅を購入し、資産を形成する流れを澱ませるのではないでしょうか?」恭介は、疑問をぬぐい切れずになおも問いかけた。

「君は給料をいくらもらっている? 物価が高騰しても、それに見合う所得が上昇すれば、問題なくペイできる」

「それだと、鼬ごっこになるだけではないですか?」

「抽象的だなあ。いったい、君は鼬ごっこの何が悪いと思っている?」

「間尺が合わないじゃないですか? 不動産価格の高騰に、所得の上昇が追いつくとは思えません。仮に、企業が積極的にベース・アップを続けても、数字上の差は生じるし、タイミングが合わなくなると、ドボンになる。つまり、不動産市場の需給バランスが、極端に崩れるでしょう」

「馬鹿なのか? 君は……。まともに、計量経済学を学んだのか? 大学の経済学の先生や、統計データを駆使するエリート官僚が、計算ミスをするとは思えないね」

 恭介は――ジョーン・ロビンソンが『マルクス主義経済学の検討――マルクス・マーシャル・ケインズ』(一九五六)の中で「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである」と述べているのを思い出すと、課長の言葉は、ある種の信仰表明のように聞こえてならなかった。

「課長のおっしゃる話は、分かるのですが……」

「しつこいな、君は……。酒がまずくなる。それに、君の意見が妥当だとしても、どうしようもない。お上は目安箱を設置していないし……、君の意見など、何も通らないよ。サラリーマンは、会社の利益の追求だけを考えればいい。ない知恵を絞ってまで、余計な理屈は、考えるな」

 そこに、東大法学部卒の田丸係長が加勢して「君の心配も分かるが、俺の同窓……、つまり、俺たちの先輩や後輩がした判断だから、間違いはしでかさない。心配ないよ」と、宥めるように告げた。

 本来、甲論乙駁の議論の先に、新しい地平が見えた例があったか? 衆愚が集まって意見を戦わせるのは、知的遊戯に見えていて、実は……、何物ももたらさない時間の濫費でしかなかった。恭介は、内心でそれを避けたかったが、必ず議論に巻き込まれた挙句、言い負かされる羽目になった。必要なのは――意見の具申を受けたときに、仮説を検証し、実行するに値するか否かを決める姿勢であり、言下に否定するのでも、ひたすら妄信して迎合する構えでもなかった――。恭介は、周囲の無理解に苦しみ、ひどく傷つけられていた。

 恭介は、侮辱してやろうと目論む至極単純な試みに対しては、一顧だにしないつもりだったが、論争に巻き込まれると、自説を述べずにはいられなかった。それが、彼らの勘気に触れていた。彼らの顔色を窺ったうえで、追従する構えを見せ、うまく同調する処世術ができなかった。快活な態度や、あどけない微笑で臨み、相手の感情への配慮を示せれば、向かい風にさらされなかったが……、恭介は、明らかに愚策を講じていた。

 一九八九年四月、テレビや新聞の報道で、神奈川県川崎市高津区の竹やぶから一億三〇〇〇万円分の札束が入ったバッグが見つかった。さらに五日後には九〇〇〇万円入の紙袋が発見された――と報道された。

 合計二億二〇〇〇万円の大金を拾った人を羨みながら、犯罪がらみの金ではないか、誰が捨てたのか――と、様々な憶測がささやかれた。

 所有者の会社社長がマスコミの前に姿を現すと「善意の人に拾われて、どこかに寄付してくれることを願って捨てました」と、動機を明かした。大金を拾った二人には、それぞれ一〇%にあたる報労金が支払われていた。

       ※

 銀行では、経済紙や金融誌の購読が義務付けられており、定期的なペーパー・テストも実施された。税理士や簿記の一級資格を持つ者も多く、経済・金融に関する知識は一般の会社員の比ではなかった。さらに、毎日、多額の紙幣を扱いながらも……、熱に浮かれたように、恭介には……、周囲の危機意識が感じられなかった。

 客観的に見た場合、こうした現象は、世界中のあちらこちらで行われており、現代人は例外なくそんな風だと指摘されるのが予想できた。人々が朝早くから夜遅くまで、身を粉にして働き、残りの時間にテレビを視聴したり、ギャンブルに金を使ったり、異性とのおしゃべりのために時間を用いるのに、今更ながら疑問を呈するものなのか――と、思うのに不自然さはなかった。

 さらにいうと、豊かな生活に憧れて、自己資金を何に投じて、享楽的に時間を空費しようとも――自己責任であり、他の誰もが責めを負うものではないと……。

 しかしながら、恭介にはテレビのコメンテーターの迎合的な姿勢も、同僚たちの無責任論も、サーカスの道化師が振る舞う、観客やスポンサーへの媚態のごとく思えると、たちまち滑稽にしか見えなくなった。

 一九八九年八月、恭介は、映画『その男、凶暴につき』を映画館で視聴した。銀行で意見が受け入れられずに、やさぐれた気分の自分には、ビートたけしが演じる刑事の心境が理解できた。

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