義妹

 下駄箱に入っていた手紙の文面から考えると、私が近付いていることに危機感を覚えた夫の浮気相手が、私に対して警告してきたのではないか。

 昨日、友人である彼女と帰宅する際には、下駄箱にくだんの手紙が入っていなかったことから、昨日の放課後から今朝までの間に手紙が入れられたということになる。

 そのことから、夫の浮気相手が学校関係者であるという可能性がさらに強まった。

 深夜に学校に侵入し、私の下駄箱に手紙を置いて去るという行為は、学校関係者ではなくとも実行することが可能だが、学校の警備状況を考えると、それを実現させることは難しいだろう。

 ゆえに、私が登校するまでの間に、何者かが手紙を置いていったという可能性が高いということになる。

 学生時代の知り合いが夫の未来の浮気相手ではないかという私の推測は、間違っていなかったのだ。

 目指すべき方向が正しかったということは自信に繋がったものの、その一方で、新たな問題が浮上してしまった。

 私がこのまま浮気相手の調査を続けていた場合、私の口を封ずるために、相手が実力行使に及んでくるのではないかということである。

 かつての私は、浮気相手の調査などという行為に及ばなかったために、この世を去ることになったのは今から二十年以上が経過した後のことだったが、過去とは異なる行為に及んだことによって、未来が変化してしまうかもしれない。

 つまり、私が学生時代のうちに生命を奪われるという可能性も、考えられるようになってしまったのだ。

 そのような事態を避けるために、これまでは必要最低限の相手のみと接触していたのだが、どうやら浮気相手は鼻が利くようだ。

 だが、此処まで来て、諦めるわけにもいかなかった。

 常に背後に気を配るような生活を続けなければならなくなってしまうが、それも浮気相手が明らかになるまでの辛抱である。

 私は手紙を鞄の中に仕舞うと、何事も無かったかのように振る舞うことを決めた。

 しかし、それでも不安が滲み出てしまっていたのか、彼女は私の顔を見つめながら、

「何か、悩み事でもあるのですか。私に出来ることがあるのならば、遠慮することなく言ってください」

 自分では気が付いていないが、手紙による警告は、想像している以上に私を動揺させていたのかもしれない。

 それは、私の言動の端々に表われていたのだろう。

 彼女にとって私は唯一の友人であり、必然的に共に過ごす時間が長かったことから、私の些細な変化に気付いたのかもしれない。

 だからこそ、彼女はそのような言葉を私に向かって吐いたのだろう。

 それほどまでに心配をしてくれる友人を持つことができたことが、私には嬉しく思えた。

 頼みたいことが出来たときには協力してほしいと告げると、彼女は口元を緩めながら、首肯を返したのだった。


***


 夫の浮気相手の候補者として選んだ次の人間だが、これは可能性が低いと考えていた。

 何故なら、相手は血が繋がっていないとはいえ、夫の妹だったからである。

 物心がつく前に、夫と義妹の親が再婚したことから、子どもたちにしてみれば、実の兄と妹のような関係性だった。

 実際、二人は幼少の時分から仲が良く、夫の義妹は私が姿を現すと、大好きな兄を奪われるのではないかと機嫌を損ねていたほどだったのだ。

 成長するにつれて、私に対する義妹の態度は段々と軟化していったが、それでも兄との仲は変わることなく、聞いた話によると、小学校を卒業するまでは共に入浴をしていたらしい。

 ゆえに、血が繋がっていないということを理由に、兄に対して抱いていた好意が恋愛感情へと変化していったとしても、それほどの驚きはなかった。

 だが、夫が義妹に対して抱いている感情は、どのように考えたとしても、家族に対する愛情のように見えた。

 義妹が腕を組み、身体を自身に密着させたとしても、夫が動ずるようなことはなく、義妹が下着姿で家の中を歩いていたとしても目で追うようなことがなかったことなどから、夫が義妹のことを異性として認識しているとは考えがたかった。

 しかし、異性に関心を持つ年頃であることを考えれば、義妹とはいえ、魅力的な異性に誘惑されてしまえば、心が動いたとしても不思議なことではなかった。

 そのように考えた結果、私は夫の義妹を浮気相手の候補者として選んだのだが、今回においては、あまり自信が無かった。

 何故なら、とある時期を境に、義妹が夫に近付くことが、無くなったためである。

 それまでは見ている此方が恥ずかしくなってしまうほどの仲の良さだったが、何時しか義兄に向ける視線の種類は変化し、それはまるで汚物を見るかのようなものだった。

 そして、学校ですれ違ったとしても、義妹は顔を背け、声をかけてきた夫のことを無視するようになったのだ。

 夫が義妹の機嫌を損ねるような真似に及んだのかと思い、それとなく訊ねたことがあったが、夫は心当たりが無いと首を傾げるばかりだった。

 一体、何が原因で、義妹は夫に対する態度を真逆のようなものへと変化させたのか。

 過去に戻る前の私は、義妹の態度の変化の理由を突き止めることはできなかったが、浮気相手の候補者として選んでから、一つの可能性を思いついた。

 それは、義理とはいえ兄と妹である自分たちが関係を持っていることを悟られないようにするために、仲が悪い姿を見せていたのではないかということである。

 同じ空気を吸うことすら嫌悪し、私と夫の結婚式にも顔を出すことはないというほどに徹底していれば、まさか二人が関係を持っているとは考えないだろう。

 だからこそ、私の生命が奪われるその日まで、義妹は夫と仲良くしている姿を見せないようにしていたのかもしれない。

 この調査においては、二つの答えを得る必要があった。

 一つは、義妹が夫の浮気相手かどうかを確認するということである。

 もう一つは、義妹が夫の浮気相手ではなかったとしても、何故そこまで夫のことを嫌悪するようになったのか、その理由を知ることである。

 夫がそれほどまでに義妹を怒らせるような理由を想像することができないために、よほどの行為に及んだのだろう。

 だが、これまでのように、二人には仲良くしてほしかった。

 共に笑顔を浮かべていた姿を知っている分、関係を修復してほしかったのである。

 義妹が夫を嫌悪するようになった理由を聞いたところで、私が役に立つのかどうかは不明だが、改善するための協力をすることくらいはできるだろう。

 手紙の送り主による襲撃を警戒しながら、私は義妹についての調査を開始することにした。


***


 義妹は私に対して、刺々しい態度を見せることはなかった。

 当初は夫と同様に、私までもが嫌われているのではないかとも考えていたが、それは私が夫と共に行動することが多いために、夫に対する義妹の鋭い眼差しが私にも向けられていたと勘違いしていただけであり、義妹が私を嫌っているわけではなかった。

 それどころか、かつては私のことを義理の兄を奪う敵として見ていたものの、今では頼ることができる姉のように慕ってくれていたのである。

 学生時代は勉強や流行の服装について頻繁に訊ねられ、学生という身分を失った後は、仕事に対する不満や愚痴を言いながら共に酒を飲むなどという行為に及んでいたことから、夫よりも遥かに良い待遇だと言うことができる。

 私もまた、義妹のことを可愛がっていたのだが、だからこそ、そのような人間が私のことを裏切っていると考えたくはなかった。

 何も知らない私のことを、陰では嘲笑っているのではないかと想像するだけで、気分が悪くなる。

 ゆえに、これまでの浮気相手の候補者のように、義妹は無実であってほしかった。

 しかし、近しい存在だからこそ、これまで以上に調査には気を遣う必要があった。

 もしも義妹が夫と関係を持っており、僅かでも私が疑っているような素振りを見せれば、二人はこれまで以上に関係が露見することがないように気を付けることになり、私が証拠を押さえることが出来なくなってしまう恐れがあるのだ。

 かといって、夫の実家に監視装置を仕掛けるわけにもいかないために、今回の調査は、これまでの中で最も難易度が高いといえた。

 そのようなことを考えながら、成果というものをほとんど得られることがない調査の日々を過ごしていたのだが、あるとき、転機が訪れた。

 自宅に戻ることを避けるようになった義妹が、私の自宅に宿泊したいと申し出てきたのだ。

 これまでは友人の自宅で寝泊まりしていたが、とうとう全ての友人の自宅で宿泊してしまったために、頼ることができる人間が消えてしまったということが理由らしい。

 ゆえに、私の自宅で宿泊しても良いかどうかを訊ねてきたのだが、私は迷うことなく首肯を返した。

 この状況ならば、自宅に戻ることを避けている理由が聞き出しやすくなるためである。

 勉強を教え、雑談を交わし、共に入浴し、食事をした後、私の自室で布団に入ると、揃って天井を眺めながら、再びたわいない会話に及んでいた。

 話題が途絶えたところで、私は夫と何があったのかと訊ねた。

 義理の兄と関係を持っているのではないかという前提ではなく、あくまで、これまで仲が良かったにも関わらず、突然態度を変化させてしまったことに困惑しているという立場で、話を訊いたのである。

 その問いに対して、義妹が即座に返答することはなかった。

 身体を起こし、表情を見ると、話すべきかどうかを悩んでいるといった様子だった。

 眉を顰め、口を開くかと思いきや閉じ、再び悩ましい様子を見せるという行為を繰り返している。

 そのような姿をしばらく見つめた後、私は努めて笑みを浮かべると、話したくなければ話す必要は無いと告げ、再び布団に入った。

 だが、今度は義妹が身体を起こすと、複雑な表情を浮かべながら私の顔をのぞき込み、観念したかのように瞑目してから、

「兄の交際相手であるあなたには、話しておいた方が良いのかもしれません」

 そのように前置きをしてから、義妹は語り始めた。

 その内容は、私が一度も想像したことがないものであり、同時に、過去に戻った私が明らかにしようとしていた、夫の浮気相手の正体についてのものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る