第三十五話 アントン・カスケードの愚行 ⑥ 

「ミーシャ、もう大丈夫なのか?」


 僕はソファに寝ているミーシャに慌てて駆け寄った。


「ご心配をおかけして申し訳ありません」


 ミーシャは罰の悪そうな顔で頭を下げてくる。


 その態度だけで僕にはわかった。


〈防国姫〉として自分のことを情けないと思っているのだろう。


 僕はミーシャの両肩に手を置いた。


「そんなことは気にしなくていい。君が無事なら僕はそれでいいんだ」


「陛下……」


 ミーシャは嬉しそうな顔に一変する。


 僕の偉大なる国王の言動に感激したのだろう。


 いや、僕の威厳に惚れ直したに違いない。


 僕は自画自賛しそうだった心をぐっと堪え、ミーシャにニコリと微笑む程度で抑えた。


 本物の王者は言動以上に雰囲気で語るものであり、こうした大勢の前でおくびに出してしまったらマイナスの印象が王宮に広まる可能性が高いからだ。


 けれど、そうしたことに気をつければ僕に対する周囲の印象はプラスに働く。


 僕はちらりとミーシャから侍女長たちを見る。


 侍女長たちは僕に対して潤んだ瞳を向けていた。


 言葉を聞かなくてもわかる。


 侍女長たちはミーシャに優しくしている僕に対して、心の中では「アントンさまは何てお優しい方なのかしら」や「さすがはカスケード王国の国王さまね」などと称賛しているだろう。


 ならば僕はもっと自分の好感度を上げるために努めようと決意した。


「だが、本当に体調はどうなんだ? 吐き気やめまいなどはないか?」


 僕が優しい声でたずねると、ミーシャは小さく首を左右に振った。


「はい、本当に大丈夫です。この程度ならすぐに仕事を開始できます」


 ほう、と僕は感心した。


 意識を取り戻したあとにすぐに復帰したいとは見上げた根性である。


 やはり僕の見立て通り、ミーシャはアメリアを超える〈防国姫〉だ。


 このミーシャがいる限り、国内でどんなことが起きようとも大丈夫に違いない。


 などと僕が思ったときである。


 ふと僕の目線はミーシャの足元に吸い寄せられた。


 現在、ミーシャは動きやすいワンピースを着ている。


 そしてソファの上で寝ていたため、太ももが少しだけ露わな状態になっていた。


 このとき、僕の性欲がムクムクと起き上がってきた。


 理由はここ最近の辺境地域からの報告書と嘆願書のせいだ。


 あれのせいで僕のする仕事が増えていき、同時にストレスも上昇の一途を辿っていた。


 その疲れのせいでミーシャとの性交の回数も減り、一夜に1回だけしかできないときも出ていた。


 これまでは若さに任せて3、4回は平気だったのにだ。


「おい、お前たち」


 僕は顔だけを振り向かせ、侍女長たちに満面の笑みを向けた。


「ミーシャと2人だけで話したいことがあるから、お前たちはしばらく席を外してくれ。そして僕が呼ぶまで誰1人としてこの部屋には入るなよ」


 当然ながら国王の僕に逆らえるはずもなく、侍女長たちは「わかりました」と頭を下げてすぐに退室していく。


「陛下、話とはなんです?」


 そう訊いてきたミーシャに僕は抱き着いた。


 居室のソファはシングルベッド並の大きさがあるため、やろうと思えば男女の性交も十分に可能だ。


「へ、陛下……こんなところでするのですか?」


「すまん、もう我慢できなくなってしまったんだ」


 僕はミーシャの上に馬乗りになり、強引にキスをする。


 ミーシャは思いがけないことに少しだけ抵抗したものの、すぐに僕を受け入れてくれた。


 キスをしている最中に、身体の力がすっと抜けたことがその証拠である。


「もう陛下ったら、こんなところでしたら他の人間が入ってきますよ」


 キスをやめると、僕の目の前には顔を赤らめたミーシャの顔があった。


「ここは侍女たち以外は入ってこない。僕たちがしていても大丈夫さ」


「ですが、わたしには〈防国姫〉としてやることがあります」


「そんなものは終わってからでいいだろう?」


 僕はミーシャの首元にキスをすると、すべすべな太ももに右手を這わせていく。


「いけません、陛下。こうしている間にも王都の魔力水晶石や辺境の魔力水晶石にも異常が出ているかもしれません。それを防ぐためには結界部屋の魔力水晶石に〈魔力〉を流さなくては……」


「だから終わってからでいいと言っているだろう。それに王都の魔力水晶石はともかく、辺境の魔力水晶石など多少の異常があったところでどうでもいい」


 そう言ったとき、ミーシャの身体がピクリと反応した。


「どうでもいい?」


 すると僕の耳にミーシャの低い声が聞こえてくる。


「陛下、辺境の魔力水晶石がどうでもいいとはどういうことですか?」


 僕はミーシャの顔を見た。


 ミーシャは先ほどと違って真顔になっている。


「どうもこうもない。そのままの意味だ」


 僕は正直に答えた。


「辺境地域のことなど僕にとってはどうでもいい。そもそも辺境地域は辺境伯どもが取り仕切っているからな。だが、辺境の魔力水晶石も定期的に魔術技師によってメンテナンスさせる必要があるから、仕方なく魔術技師庁から魔術技師を派遣させているだけだ……そうそう、今回は新米の魔術技師を派遣させたな。確か名前はアルベルトだったか」


「え?」


 直後、ミーシャの表情が激変した。


 目玉が飛び出るほど両目を見開いて僕を見上げてくる。


「アルベルト……さんを辺境に派遣したのは陛下の命令だったのですか?」


 おや、と僕は思った。


 あの新米魔術技師とミーシャは顔見知りだったのか?


 そのことを問うとミーシャは「何度か社交界で会ったことがあるだけですが」となぜか歯切れ悪く答える。


 まあいい、と僕はアルベルトを辺境に派遣した理由を話した。


 そもそも隠すようなことではなく、僕にとってあんな新米魔術技師など辺境の魔力水晶石よりもどうでもいいことだ。


 それこそ、あの新米魔術技師が辺境の地で生きようが死のうが構わない。


「…………」


 アルベルトを辺境に派遣した個人的理由のすべてを話すと、ミーシャは一瞬だけ凄まじい形相になったものの、それは本当に一瞬だけのことですぐに天使のような微笑みを浮かべた。


「おい、どうしたんだ? 今一瞬だけ物凄く怒り狂ったような顔になったぞ」


「気のせいですわ、陛下……いえ、もしかすると今の自分の不甲斐なさが一瞬だけ顔に出てしまったのかもしれません。それよりも――」


 ミーシャはガバッと僕を抱き寄せてきた。


「そんなにお忙しいのならば、陛下のために特別な薬をお作り致しますわ」


 耳元でミーシャが妖艶な声で囁いてくる。


「特別な薬?」


「ええ、日頃からお疲れになっている陛下の身体を整える最高の薬です。それを飲めば疲れなどあっという間に吹き飛び、そしてわたしと何度もできますよ。それこそ何度でも」


 ゾクリ、と僕の背筋に快感の波が走った。


 そのミーシャの声と言葉の内容だけで、僕の男の象徴がはち切れんばかりに勃起する。


「そんな薬があるのなら、ぜひとも頼む。ただし、今は薬に頼らなくても何度もできるぞ」


 僕は鼻息を荒くしながらミーシャの肉体を堪能した。


 しかし、このときの僕はミーシャの表情に最後まで気づけなかった。


 ミーシャは吐息交りに喘ぎ声を発していたものの、僕の見えないところではずっと無表情だったことに――。

 

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