第20話

        23.土曜日午後8時


 園田和人の実家に到着すると、母親が玄関でポスターを渡してくれた。警察の人間がやって来たことに一抹の不安を抱いたようだが、息子のことを質問されるようなことはなかった。

 ポスターは思ったよりも大きなもので、広げこそしなかったが、1メートル四方はありそうだった。折り目がつかないよう巻物のように丸められ、園田の言うとおり、専用のビニールに入れられていた。一応、長山は手袋をはめていたが、肝心なのはビニールの中身のほうなので、母親が素手で触っていたことも問題はない。

 その足で、本庁に向かった。事前に連絡をしてあるので、一課長が帰らずに待っているはずだ。霞が関についたとき、時間は九時近かった。すぐさまポスターは鑑識にまわされた。明日の朝には結果が出ている。長山は帰宅し、翌朝六時には財団本部で待機していた。本庁から鑑定結果について連絡があったのは、八時だった。

 長山は、すぐに久我へ報告した。久我は、朝から最上階につめていた。というより、ここに泊まっているのだろうか。しかしそれにしては、生活感のない空間だ。そもそも、こんな広すぎる部屋で暮らせるものなのか。

「動きがあったようですね」

「服部幸弘の指紋と、現場で採取された指紋が一致しました」

 ポスターからは、三人の指紋が検出された。その一つは園田和人のもので、残る二つのうちの一つが、サインを書いたアイドルのものであろうと思われた。可能性として、アイドルの指紋が犯人の指紋だと邪推することもできる。しかし、アイドルが犯人であると仮定するには無理があるし、必要にせまれば、一ノ瀬マコから指紋の提出をしてもらえばすむことだ。

「捜査一課は、逮捕状を取ると思います。少年法の関係で公開手配はできませんが」

「どれぐらいで逮捕されますか?」

「わかりませんね」

 公開指名手配された容疑者でも、何十年も逃げつづけていることはめずらしくない。それに、生きているであろうと見込まれてはいても、最近の目撃情報があるわけでもない。いまでは顔形を変えているかもしれず、ここからが事件解決を左右する局面になる。二週間でみつからなければ、数年にわたる長丁場となるだろう。長山は、そう推測をたてた。

「では、罠をはりましょう」

 久我が、不穏なことを言い出した。

「なにをするつもりですか?」

「午後にでも、会見をひらきます」

「なんの会見ですか?」

「犯人の特定にいたったので、懸賞金を情報提供者に渡すという会見ですよ」

 久我は、さらりとそう言ってのけた。

「園田和人を囮につかうつもりですか!?」

「べつに彼の名前は出しません」

 あたりまえだ。だれが懸賞金をもらったのかは、秘密にされなければならない。久我自身が決めたルールだ。しかし犯人である服部幸弘には、それがだれなのかわかってしまう。逮捕前にそれを広めることは危険だ。通常の捜査とはちがう。二十億もの金がかかっているのだ。

 金は、人の心を歪ませる。

 犯人自身は捕まって、裏切った友人は億万長者となる。

 犯人の心情は憎悪だけで埋めつくされる。

 たとえ少年法があったとしても、慰めにはならない。

「やめたほうがいい……なにがおこるか」

「大丈夫ですよ。園田和人さんの命は、ぼくが守ります」

 久我は言った。虚勢をはっているのでも、口からでまかせを言っているのともちがう。どんな意図が腹のなかに隠されているのだろう。

 長山は、この男のことが、ますますわからなくなった。

 こちらの忠告を聞かないまま、久我は中西を呼んだ。

「会見の準備を。それと、マスコミ各社に午前のうちにそのことを知らせてください」

 事を大きくするつもりだ。その報道を眼にすれば、服部幸弘になにかしらの動きがあるかもしれない。それを狙っている。

 不吉な予感があった。

 長年の刑事の勘が、そう囁いていた。


        * * *


 朝になって、翔子は立花の経営している画廊を訪れていた。場所は青山の一等地で、外観を見るかぎり、怪しげな印象はない。それどころか、こんな場所に画廊をかまえることができるということは、それなりの実績がなければ無理だ。

 画廊は、十時からのようだった。日曜日でも営業しているようだ。翔子の携帯の時間は、九時四十分を表示していた。周囲で聞き込みをしたいところだったが、どの店もまだ営業前だった。おしゃれなブティックや不動産屋が軒を連ねている。業種によっては、休業日のところもあるだろう。

 十時まで待った。

 すると、画廊に客らしき人間が入っていった。十分ほどで出てきたので、翔子はその人物に話を聞くことにした。

「すみません」

 五十代ぐらいの紳士風だった。

「こちらの画廊──」

 その男性は不審がる様子も見せず、話をしてくれた。

 男性は、都内に数店舗の飲食店を経営するオーナーだという。店に飾る絵を、この画廊から買っているそうだ。価格も適正で、良いものには高い値段がついている。名のある画家ではなく、むしろ新進気鋭を多く取り扱っている。絵画のコレクターよりも、普段、絵に興味のない人間のほうが顧客としてはいるのではないか、とその男性は語った。口コミで評判が広がっているので、信頼性も高く、男性のようにビジネスとして絵を必要としている者には、最適の画廊だという。

 絵を見る立花の眼力は偽物ではなさそうだった。抱いた印象どおり、裏の顔はなさそうだ。この画廊を立ち上げるのに、詐欺による収益が関係しているのではないかと疑っていたのだが、的がはずれた。

 ということは、詐欺の共犯がべつにいることになる。

 振り出しにもどった。刑事の捜査とは、こんなことを繰り返しているのだろうか。真相にたどりつくまで、気の遠くなるような道のりが続いてゆく……。

 一旦、財団本部へ帰ることにした。まだ、なにか見落としていることがあるはずだ。

 いろいろと頭をめぐらせていたら、時間の経過は風のように速い。いつのまにか、本部近くを歩いていた。脳内の時間と実際の時間の流れが一致していなかった。

 財団本部の前が、騒がしくなっていることに気がついた。

(なにかあったのかな……)

 報道陣が詰めかけているようだ。それだけではなかった。ある男性の姿が、なぜだか眼をひいた。年齢は、三十代前半ぐらいだろうか。キャップを目深にかぶり、ギラついた視線で本部建物を睨んでいた。

 どこかで見たことがある、と感じた。

 よくは思い出せない。むかしの知り合いだろうか……。

 そのとき、着信があった。編集長からだ。

「あ」

 携帯に一瞬、瞳を落としたすきに、男性の姿はどこかに消えていた。そのことは忘れ、電話に出た。

「編集長?」

『ついに、あの事件も解決か!?』

 弾んだ声で、編集長は言った。

「なんのことです?」

『会見の話、知らないのか!? 午後三時から練馬の事件のことで、あの御仁が会見するそうだ』

「ホントですか!?」

『おまえ、いったいどこにいるんだ!?』

「財団前です! あ、ごめんなさい、あとで連絡します!」

『おまえ、ちゃんと取材してん──』

 まだ編集長はなにかを言っていたが、翔子は通話をやめて、本部へ急いだ。

 なかに入るのは大変だったが、手助けしてくれた人がいた。中西だった。こういう事態のために、待機してくれていたのだろう。

 なかに入ると、久我の姿をさがした。会見のひらかれる部屋に顔を出したが、見当たらない。時間までは、まだしばらくあるから、最上階にこもっているのかもしれない。

 廊下で、長山に会った。

「長山さん! 捕まったんですか!?」

「ちがうよ。でも服部幸弘でまちがいない。警察は手配をかけた」

「その会見ですか?」

 長山は、厳しい表情でうなずいた。

「園田和人を囮にするつもりだ」

「え?」

「とにかく、君からも久我さんを説得してもらいたい。私からじゃ聞いてくれない」

「わたしでもムリですよ!」

 長山は、あっというまに行ってしまった。

 久我は最上階で、窓から景色を眺めていた。

「捜査のほうは、どうですか?」

 近づいたら、彼のほうから話しかけてきた。

「行き詰まってます」

 こんなところで嘘を言っても意味がない。

「立花さんという画廊のオーナーを調べてみましたけど、見当はずれでした」

「そうですか」

 久我が、窓から視線をこちらに向けた。いや、完全に向いたわけではない。翔子からは横顔が見える。その口許が、ゆるんでいるような気がした。

「もしかして……立花さんのこと、知ってましたね?」

「さあ、なんのことやら」

 久我が事件の犯人でないのだとしても、なにかしらの関係はある。翔子は、そう考えている。

 もとから立花のことを知っていたのか、それとも事件のことを独自に調査して、わかったことなのか……。

「角度はいい。方向がちがっただけかもしれませんね」

「?」

 理解できない言葉だった。おしいところをついている……そうとることもできる。そうだとすると、久我は事件の真実をやはり隠していることになる。

「……」

 それを問いただしてやりたい心境を、どうにか抑えた。

 堂々巡りだ。彼は、それを絶対に言わない。

(わたしが、みつけなきゃ……)

 翔子は、話題を変えることにした。

「会見、長山さんが反対してましたけど」

 意味深長な笑みが返ってきた。この話も、まともに受け答えはしてくれないようだ。

「また、悪辣な者に金が流れるんですか?」

「園田和人が、悪辣だと?」

「そうでしょ。最初は犯人になりすましてまで、お金をもらおうとした男ですよ。彼に正義はありません」

 犯罪を憎んで情報提供したわけではない。すべては、二十億のためだ。

 久我はそれには答えず、視線を窓の外にもどした。

 翔子は、部屋を退出した。これ以上、会話は続かないと判断したのだ。

 二階の廊下で、再び長山と出くわした。

「やっぱり、やる気か……」

 翔子の表情から、それを察したのだろう。長山が顔を見るなり、そう言った。

「また、悪辣な者に……ですよ」




        24.日曜日午後3時


「本日は、お集まりいただきまして、ありがとうございます」

「久我さん、練馬の事件が解決間近だというのは、本当なんですか!?」

「それは、いまからご説明させていただきます。いまの質問のとおり、ある情報提供者から、犯人を特定する、たいへん有力な情報がありました」

「犯人は、どういう人物なんですか!? 名前は!?」

「犯人の名前や人物像などは、この場では発表できません」

「それは、警察発表を待て、ということでしょうか!? 警察も当然、把握してるんですよね!?」

「すでに指名手配をして、犯人を追っているということです。じき発表もあるでしょう」

「では、警視庁のほうで詳しく教えてくれるということでよろしいのですね!?」

「はい。ですが、氏名の発表はないものと思います」

「それは、どうしてですか!?」


        * * *


 昨日から泊まっている部屋で一人、彼はテレビを通して会見を眼にしていた。日曜日にこのようなワイドショー形式の番組をやるのは、めずらしいことではないのか。同じ建物内でおこなわれているというのに、とても距離を感じた。映像のなかの出来事が、遙か遠くの世界のような……ちがう。すぐそこに、恐怖はあるのだ。

『理由は、お察しください』

『まさか、犯人に精神疾患があるということでしょうか!?』

『そうではないと思います』

『では……成人ではないということでしょうか!?』

 久我という男は、その質問には答えなかった。しかし記者たちは、その沈黙を肯定と受け取ったようだ。

 真実を知っている彼は、画面から眼を離せなくなった。いつ、犯人の名前が出てくるのか……いつ、情報提供者である自分の名前が出てくるのか──。


        * * *


「当時、少年だったということですか!?」

 久我は、やはりそれには答えない。

 一般に、少年犯罪であった場合、市民が犯人の氏名を知る方法はない。マスコミであっても、それは同じだ。が、実際にはマスコミは名前を知っている。近所の噂にまで規制はかけられないのだ。遠く離れた街に住む人間にはわからなくとも、近くの住人は逮捕された少年のことをよく知っている。マスコミは独自の取材で、その名をつきとめる。

 今回に限っては、それは難しいはずだ。それこそ、警察関係者が漏らさないかぎり、知る術はないだろう。服部幸弘は、当時の厳しい捜査でも対象者リストには載らなかった。さらに、これまでずっと行方不明であり、どんなに取材を繰り返しても、儚い幻を追いかけるようなものだ。

 もしくは、懸賞金に関する人間がリークしなければ……。

「われわれ財団としては、事件解決のために必要であると考えられることは、すべておこなうつもりです」

 久我の言葉が続く。

 長山は、胸のなかに危ういものが広がっていく感覚を味わっていた。

 この男は、なにを言うつもりだ……!?

「いま、この場ではひかえますが、そうですね……三日後、同じ時間に容疑者の顔と名前を明かしたいと思います」

 場内がざわめいた。

「それは、少年法に抵触するのではないでしょうか!?」

 その記者の問いかけに、久我は揺るぎない様子で、こう答えた。

「それが不満ならば、三日以内に出頭すればいい」

 ざわめきが大きくなった。久我は、犯人を挑発している。

「懸賞金は、情報提供者に支払われます。二十億です。犯人であるは、希代の凶悪犯として、残りの余生を過ごすことになるでしょう」

 きみ──服部幸弘は、どこかでこの模様を観ているだろうか?

「すべては、自業自得です。懸賞金が設定されたときに、名乗り出なかったのまちがいだ」

 会場が一瞬にして静かになった。

 久我の声に……悪魔の声に、心を奪われたのだ。

「二十億を手にする最初で最後のチャンスを逃した」

 服部幸弘が、どんな人生を逃亡中に送っていたのだとしても、それだけの金を手にする機会はなかったはずだ。普通の人間には、夢のような大金。

 久我は、ある日、それだけの金を手に入れた。いや、もっとケタ違いの大金を。

 この男には、わかるのだ。

 人と金がめぐり会うタイミングが──。

 そして、服部幸弘が億万長者になるには、ここしかなかった。

 久我は、犯人にチャンスをあたえ、服部幸弘は、その機会を永遠に逃した。

「怒りをぶつけるのならば、自分自身に向けるがいい!」

 その言葉で、会見を締めくくった。

 怒りをぶつけるなら──二十億を奪っていった、園田和人に向けるがいい!

 長山には、そう聞こえた。

 おそらく久我も、胸のなかではそう叫んでいたのだろう。

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