第19話

       22.土曜日午前11時


 長山が慌ただしく動いているのを、翔子は身を潜めるようにうかがっていた。

 べつに隠れることはないのだが、久我との対決で、警察の力に頼ることを卑怯と考える自分が生まれていた。コールセンターから長山が姿を消したのを見計らって、翔子は杉村遙に声をかけた。

「いいですか?」

「ええ」

 嫌悪感をあらわすこともなく、遙は応じてくれた。普通なら、自身のことを掘り起こされるのだから、不快感を抱かれても仕方のないことだ。

 オペレーターの女性たちは、ここ最近はそれほど忙しくはないようだった。四つのうち二件は解決し、もう一つも長山の動きから推察するに、終焉に向かっているようだ。なので当初にくらべ、情報提供の電話は格段に少なくなっている。

「また、公園のほうがいいですか?」

 二人して廊下に出ながら、遙が気をきかせてくれた。

「あ、いえ……今日はすぐすみますから」

 翔子は、廊下で話すことを選んだ。

「あの、森元さんと……お父様と親しかった人とか、ご存じないですか?」

「父と?」

「そうです、行方不明になったころ」

 近所の人たちから騙した詐欺は、金融機関を名乗った男の共犯者がいたはずなのだ。森元貞和が家族ぐるみで被害者に近づき、金融機関の男を紹介していた。

「どうでしょう……まだ中学生でしたし、父の交友関係に興味はありませんでしたから」

 そういうものだろう。翔子だって、父親の知人のことなどよくわからない。

「そのころ、というわけではないですが……」

 そうことわりを入れてから、遙は語ってくれた。

「ずっとむかしから、お世話になってる方ならいます」

「どういう人ですか?」

「立花のおじ様です」

「親戚の方ですか?」

「いえ、うちには親類と呼べる人たちはいなかったので」

 どうやら、遙が小さいときから親しかった人間のようだ。

「その方は、いま?」

「連絡は取り合ってますよ。母が死んでから、わたしの頼れる人はおじ様しかいませんので」

 では、行方不明になったあとも交流が続いているということだ。

「海外留学も、おじ様に援助してもらったんです」

「その立花さんは、お父様と仲がよかったのですか? それともお母様?」

「どっちだったんだろう……」

 遙は、深く考え込んだ。いまのいままで、気に留めたことなどなかったようだ。

「物心ついたころには遊んでもらってましたので……」

 もともと、どちらの友人だったのかは不明ということだ。

「その方にお会いしたいんですけど……」

「まさか、おじ様を疑ってるんですか?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 というより、会ったこともない人間なのだから、疑うかどうかの材料すらないのが実情だった。もし、その立花という男が詐欺の共犯だったとしたら、仲間割れで事件を起こした可能性も捨てきれない。

 深くえぐり取らなければ、事件の真相は闇から姿を現さない。

 あのとき久我は、挑戦してみろ──と自分をけしかけたのだ。翔子には、そう思えた。

「わかりました……竹宮さんの好きなようにしてください」

 その立花という男性の携帯番号を教えてもらった。

 遙と別れると、翔子はすぐに連絡をとってみた。行方不明になった森元貞和さんについて、お話を──そう告げたら、簡単に約束をとりつけることができた。夕方五時に、新宿にある喫茶店で待ち合わせることになった。

 翔子は編集部に寄って、そこで三時まで時間を潰し、そして新宿へ向かった。それでも一時間近く前についてしまった。約束の五時よりも十分ほど早く、立花はやって来た。年齢は五十代後半ぐらいだろう。ちょうど森元貞和と同年代になるはずだ。スーツ姿だが、普通の会社員のようには感じなかった。

「はじめまして、竹宮といいます」

「立花です」

 型どおりの挨拶を交わしてから、本題に入った。

「森元貞和さんの家族とは、むかしから親交があるんですよね? いつごろからですか?」

 白髪混じりだが、老けた印象はなかった。むしろ紳士のようで、信頼できる風貌をしている。

「そうですねぇ、あいつとは高校がいっしょでした。でも、その当時は仲が良かったわけじゃない。たしか就職してから、偶然再会したんですよ。それからです。二五、六ぐらいだったかな。あいつが結婚してまもなくですよ」

 どうやら奥さんではなく、森元貞和の友人のようだ。この男が共犯の確率が、少しだけ上がった。

「立花さんは、どんなお仕事を?」

「むかしは、会社員でしたよ。貿易関係の」

 森元貞和と再会した当時は、という意味らしい。

「いまは、画廊を経営しています」

 そう言って、名刺を差し出した。翔子は受け取ると、自分の名刺を渡した。

「出版社の方だったんですか? てっきり、あの懸賞金の関係者なのかと……」

「あ、いえ……でも、いまはいろいろとそっちのほうを手伝ったりしています」

 なんと説明していいのかわからなかったので、そこは曖昧にしておいた。

「そうですか」

「たいへん聞きにくいことを言ってしまいますけど……森元貞和さんが詐欺をおこなっていたかもしれないこと、ご存じでしたか?」

「その話は、遙ちゃんから聞きました」

 詐欺容疑について、あれから遙は、この立花と話をしていたようだ。

「どう思いますか?」

「ははは、そんなことはありませんよ」

 屈託なく、立花は笑った。心の底から信じていないようだった。様子に不審なところもないので、彼がその仲間であるとは考えづらい。もっとも、相手は詐欺師かもしれないから油断はできないが。

「では、森元さんが行方不明になった心当たりはありませんか?」

「いままでにも、奥さんや遙ちゃんにも聞かれたんだけど、私に心当たりはないね」

「たとえば、自らの失踪だと思いますか?」

「思わんね。奥さんと娘を残して行くわけがない。とくに、奥さんはむかしから持病をもってたんだから」

「持病?」

「心臓だよ。本当は移植させたかったんだろうけど、なかなか順番がまわってこない」

 現在、ドナーを待っている患者は、九百人ほどいる。翔子も取材経験があるので、その困難は知っているつもりだ。

「手術費も高額だ。いまとちがって、当時は保険がきかなかったんだ。でも、海外で手術をするよりはマシだけどね」

 たしか海外での手術費用は、億を軽く超えてしまう。

「いまなら、私はそれなりに稼ぎがある。でもね、当時は一介の会社員だ。援助したくても、そう簡単じゃなかった」

 無念そうに、立花は語った。

「手術費用を……欲しかった、ということにもなりますよね?」

 慎重に言葉をつむいだ。

「それは否定できない」

 さすがに気分を害したようだ。

「でもね、森元はそんな人間じゃない。それは私が保証するよ」

 この人は、心の底から信じている──だがそれは、詐欺師ならではの演技かもしれない。翔子には、この立花という男の本性がわからなかった。嘘を言っているようには思えない。しかしプロの詐欺師ならば、自分のような素人を騙すなど朝飯前だろう。

 どっちだ?

 彼は……天使か、悪魔か──。

「お金は、どこに流れると思いますか?」

「え?」

 立花は、首をかしげた。それほど意外な質問だったのだろう。

 というより、なにを聞かれたのか理解できなかったのかもしれない。翔子自身も、なぜそんなことを口にしてしまったのか……。

 きっと、久我の顔が脳裏に浮かんだのだ。善か悪かを見極めようとしたときに──。

「画廊を経営されているということは、大金を動かすこともあるんですよね? そのお金が行き着く先は、どこだと思いますか?」

「どういう意図の質問かわかりませんが、そうですねえ……お金は人の意思ではコントロールできない。どんなに欲しいと念じていても、その人のもとに行くとはかぎらないし、もう金などいらないと思う人間のもとに舞い戻るのかもしれません……神の采配じゃないですか? 結局、われわれではどうすることもできないんですよ」

「……」

「あのとき森元に金が流れていれば、いまでも奥さんは生きていたかもしれない。そうですね、森元が金を工面するために、何事かに巻き込まれた可能性は否定しません……残念ながら、森元は神に選ばれなかった」

「神? 悪魔かもしれません」

「どちらでもいいですよ……神でも悪魔でも……どちらでも」

 翔子は、立花の眼をジッとみつめた。

 その瞳は、天使でも悪魔でもなかった。


        * * *


 財団本部の一室に、園田和人が宿泊することになった。簡易ベッドや液晶テレビも運び込まれていて、さながら安物のビジネスホテルといった様相だ。

 夜になって長山は、その部屋に顔を出した。不安がっているであろう園田を元気づけるためだ。

「どうだ? 居心地は?」

 長山は、わざと親しげな口調で声をかけた。

「……いいです」

 本心から、そう言っているとは思えなかった。気をまぎらわせるためか、テレビがついていた。長山が観たこともないようなバラエティ番組だった。部屋にはテーブルも置かれていて、その上には日用品が乗っていた。中西が用意したものだろう。

 食事は出前を取ってくれたようで、どんぶりこそ見当たらないが、ラーメンの香りがまだ残っていた。

「……いつまで続くんですか?」

「服部が捕まるまでの辛抱だよ」

「金を渡せば、許してくれるでしょうか?」

「許すもなにも、犯罪をおかしたほうが悪いんだ。あなたが気に病むことじゃない」

「それに……」

 まだ、彼には心を悩ませる心配要因があるようだ。

「証拠は無いんですよね? ぼくの話だけなんですよね?」

 そのとおりだ。だが服部幸弘が生きているのなら、指紋の照合が可能になる。

 身柄さえ確保すれば、白黒つくはずだ。

 そのことをあらためて伝えても、彼の胸には響かなかったようだ。

「あいつが否認すれば……無罪になってしまうかもしれない」

「でも、もし本当に無罪だったとしたら……無罪になったとしたら、あなたに報復する理由がなくなる。ちがいますか?」

「そ、そうかもしれませんけど……」

 そう慰めても、早く安心を得たいようだった。それにその場合、二十億も無くなってしまうから、それはそれで困るのだろう。

「指名手配とかはできないんですか?」

 身柄の確保には動いているが、それはあくまでも重要参考人としてだ。指名手配をかけるには、確定的な証拠が必要になる。逮捕状を請求できるほどの。

「顔写真をニュースで出すとか」

 もし全国指名手配にできたとしても、公開することは難しい。そこにも、少年法の壁が立ちはだかる。再犯の可能性が高く、公開手配しなければ、次の犠牲者が出てしまう場合でないと、公開にはいたらない。

 いまここにある懸念は、それにあたらないだろう。この彼に危害を加えるかもしれないと考えるのは、ただの思い込みかもしれないのだ。

「写真は無理です。でも指名手配になれば、もっと人員を多くかけられますがね」

「指紋があればいいんですか?」

「まあ、そうですね」

 しかし行方不明になって、もうだいぶ経っているから、住んでいたアパートでの検出は現実的ではない。検出できたとしても、それが服部幸弘のものだとする証明がさらに必要となる。当時の家財道具も処分されている。これまでに判明している潜伏先でも数年は経っているし、ほかの人間の出入りも多いだろうから、状況は同じだ。

 服部幸弘が確実に触ったと証明できる物がなければならない。

「それが、まちがいなく服部本人のものと断定さえできれば」

「あいつが触ったものならいいんですか?」

「そうですね……でも、ほかの人間も触ったのなら、だれのものだか特定できない」

「どうにか特定する方法はないんですか?」

「そのモノについているほかの指紋が特定できれば……つまり、残ったものが服部幸弘のものということになる」

「……あいつからもらったものがあるんですけど」

 自信なげに、園田は声に出した。

「どういうものですか?」

「最後に会ったとき、渡されたものです。自殺するって言われたとき……」

「ですから、なにを!?」

「一ノ瀬マコのポスターです。サイン入りの……」

「一ノ瀬、マコ?」

「知らないですよね。いまでは名前も聞くことないですから」

 どうやら、当時ファンだったアイドルらしい。

「ビニールに入ってるんですよ。外のビニールには、不特定多数の指紋がついてるかもしれないですけど、なかのポスターは、たぶんあいつと、ぼく、それと一ノ瀬マコだけだと思います。もしかしたら業者の指紋もついてるかもしれませんが、そういうの気をつけると思うんですよね、貴重なものですから」

 それが、どれほど貴重なのか長山では推し量れないが、たしかに印刷業者の人間ならば、手袋をして作業をしているのではないか。

「そのポスターは、あなたの部屋にあるんですか?」

「実家のほうです」

「すぐ手に入れたい。いまから、いっしょに取りに行ってくれませんか?」

「え!?」

 彼は難色を示した。夜になっているし、外出はしたくないのだろう。とくに場所を知られている実家には。

「親には連絡しときますから、長山さんが取ってきてくれませんか?」

「わかりました。そうさせてもらいます。そのまま鑑識にまわしますよ」

「正直、もういらないものなので、汚れても破いてもかまいません」

 そのアイドルが気の毒に思えたが、長山は彼が実家に連絡しおえるのを待ってから、財団本部を出た。

 そのポスターの指紋と、犯行現場で採取された指紋が一致すれば、すくなくとも服部幸弘に逮捕令状が出され、指名手配にはできるだろう。

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