第5話

 カンカンカンカンカン!!!


「っ!?」

「なっ、何事!?」



 昼下がりの帝都にけたたましく鳴り響く鐘の音。

 その音に嫌な胸騒ぎを覚えた私は、同僚と共に治癒院を飛び出す。

 その瞬間、逃げ惑う人々からある単語が飛び出した。



「スタンピードだーー!!」



 っ!? スタンピードですって!?


 言葉を失う私の隣で、同僚が顔面蒼白で唇を震わせる。



「嘘、魔王は隣国の聖女が倒したんじゃなかったの?」



 恐らく、この子は帝都から……いや、帝国から一歩も出たことがないのだろう。


 恐怖で唇だけでなく足も震わせた同僚を見て、冷静さを取り戻した私の耳に、再び誰かの声が飛び込んできた。



「発生源は帝都近くの森で、今は帝国兵が抑えているらしい。だが、押し寄せてきた魔物の数があまりに多く、帝国兵でも殲滅出来るかどうか……」



 聞こえてきた絶望的な状況に拳を握り締めると、震えている同僚の方を掴んだ。



「ほら、しっかりして! あなたは私と同じ治癒師なのだから、先輩達と一緒に緊急の救護所に行って患者さんを診ないといけないでしょ!」

「はっ! そうだった! 私、治癒師として患者さんを診ないと!」



 少しだけ正気に戻った同僚は、駆け足で緊急の救護所に向かう。

 その背中を見送った私は、急いで治癒院に戻ると、ロッカーから姿隠しの魔法が付与されたローブを取り出した。


 初給料で奮発したこれが、まさか役に立つなんて。


 クスリと笑みを零した私は、ローブを羽織ると裏口から外に出た。

 そして、お父様から教わった風魔法を使って帝都の空を飛んだ。





 正直、魔物退治なんて初めてだ。

 だって、ゲームが始まる前にレベッカが魔王を退治したのだから。



「本当は、魔物退治じゃなくて怪我した人々の治療をした方が良いのかもしれない」



 だって、今の私は治癒師なのだから。

 でも、聖魔法が使える私にはそれが出来ない……いや、許されない。


 帝都を見渡せる時計台に降りた私は、堅牢な壁の向こう側に広がる光景に目を見開く。



「あれが、スタンピード」



 前世でファンタジー小説を読んでいたからどんなものか知っていたけど……こうして目の当たりにすると怖い。


 壁の外側では、帝都を飲み込まんと襲来してきた1000を超える魔物と、その魔物達から帝都を守ろうと1万人以上の帝国兵が乱戦を繰り広げていた。



「なるほど、さっき聞いた言葉はあながち間違いではなかったということね」



 とは言っても、さすが魔王の眷属。

 数では人間の方が圧倒的に有利でも、聖魔法以外の魔法では簡単に倒れてくれない。



「レベッカやゲームの中のアリアも、こんな気持ちで魔物と対峙していたのかな?」



 恐怖と使命が混在している気持ち。

 そんな気持ちを抱え、レベッカやヒロインはヒーロー達と共に得意の聖魔法で魔物退治をしたのか。



「だとしたら、本当にすごいわ。レベッカもアリアも」



 臆病な今の私には、真正面からあんな数の魔物を一気に討伐するなんて出来ない。


 初めて見るスタンピードに、胸をきつく抑えた私は大きく深呼吸すると、目を閉じて胸の前で両手を組んだ。


 遠くからは魔物の咆哮と、魔法を放ったような爆発音に剣戟の音。

 そして、下からは人々が怯えて泣き叫ぶ声。

『助けて』『助けて』と耳元に流れてくる声に、恐怖で震えていた手がぴたりと止まる。


 レベッカは……いや、ゲームのヒロインだったアリアは何を願った。

 牙を向いてくる魔物達を前に、心優しい彼女は何を想って願った?



「違う」



 今の私は、乙女ゲーム『チューリップ国の聖女様』のヒロイン、アリア・キャンベラじゃない。

 フリージア帝国の治癒師アリサよ。


 守ってくれるヒーローなんていない私が、聖魔法を通じて願うこと。

 そんなの、たった1つしかない。



「偉大なる女神、アムネシア様よ」



 ゲームでヒロインが唱えていた言葉を口にした時、手に感じていた温かい聖なる魔力が優しく体を包んだ。

 でも、その魔力でやって欲しいことは私を包むことじゃない。



「敬虔なる信者アリサが、畏れ多くも願い奉ります」



 この願いはアリサの願い。ヒロインアリアの願いじゃない。

 だから、自分のことを『聖女』だなんて言わない。

 治癒師である今の私には、恐れ多いから。


 体を包んでいた魔力が大きくなると、胸の前で組んでいた両手を天に伸ばした。



「どうか、この街を襲う魔を浄化し、人々に安息と平穏をお与えください」



 お願い、届いて!


 姿隠しのローブを身に纏った私の願いは、帝都を襲っていた魔物が一掃されたことで叶えられた。

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