第22話 邪神官ザナック

 セラ達四人がリースリングの街へ到着する一週間前のこと。そこには月明かりの中、リースリングの北にある寺院に侵入しようとする冒険者の姿があった。

 人間の戦士が二人とケットシーの盗賊戦士、神官、魔術士が一人の五人のパーティである。

 ケットシーは二足歩行の猫みたいな妖精族で、いわゆる長靴を履いたネコだ。

 レベル8の戦士、リーダーのアルベルト・イェーガーが率いるリースリングの冒険者財団に所属する赤銅級カッパーの冒険者達だった。

 まず入口の見張り番をしている二人の神官を、魔女のマルレーネが、まどろみ(ドロウズ)の魔法で眠らせる。

 まどろみの呪文は第一位階の秘術魔法だが、4レベル以下の人間なら数人を回避判定なしで眠らせることができる強力な呪文だ。

 盗賊戦士のトムと女神官のレオナは眠った神官達を猿ぐつわを噛ませて両手両足を縛り上げ、見つからないよう入り口の外の岩陰に二人を隠す。

 こうすれば目を覚ましても、騒がれる心配はない。


「いつものことだけど、ちょっと面倒だニャ」

 首をナイフでひと舐めすりゃ簡単だってのニ」


 トムは髭を撫でながら怖い言葉をさらっと口にした。


「仕方がないわね。こいつらが悪党かどうかはまだわからないんだし。

 ガイバックスの神官としてはいきなり殺すわけにはいかないわ。

 特に相手が神官だと悪の手先だと思っても、いつも殺すのをためらっちゃう」


 レオナはそう言って苦笑いする。


「そうだ。パワード神は戦わずして相手を殺す事を好まない。

 戦士なら名誉ある死を与えるべきだ」


「さあ、中に入ろう」


 タウロスがそう言った後、リーダーのアルベルトが皆に声をかける。五人は見張りを排除したので寺院の正面から入ることにした。まわりを盗賊のトムが忍び足で警戒しながら廊下を歩いて石造りの大広間へと進む。

 奥の壁には2mほどの獅子の顔をした石像が飾られており、前の祭壇には火の付いた蝋燭やしおれた花が飾られ、銀貨や銅貨がまばらに入った金属の大皿が置かれている。本来なら祭壇を見守る神官が一人ぐらい立っていてもおかしくないはずだが、広間にはなぜか誰の姿も見当たらない。


「ご丁寧に外に見張りは立てているくせに御神体に祈る奴は一人もいないとはな。

 ここのやつら、とてもパワード神の神官とは思えん」


 信仰心の厚いタウロスが、獅子の像を見て苦々しく吐き捨てる。猫戦士のトムが大広間の横にある通路から手鏡を使い、奥の様子を探る。廊下の壁には光る水晶が仕掛けてあり中は思ったより明るい。こっそり忍び込むには向いていない通路である。

 向いの石壁には等間隔に複数の扉が並んでいて人が使っている雰囲気がある。トムは耳を動かして、それぞれの扉の音を確認するが、中から物音は聞こえてこないようだった。左手で腰のダガーを構えたまま扉のひとつを慎重に開ける。

 中を確認すると安物のベッドがひとつ置いてあるだけの簡素な部屋だった。

 他の部屋も同様で誰かがいる気配はまったくない。


「……変だニャ。祭壇にも部屋にもいないとすると、ここの神官たちはどこに行ったんだニ?」


 トムが思ったより無人の寺院にクビをかしげる。


「外には見張りが二人立っていた。乱れたシーツの感じからして少なくとも他に数人は神官達がいるはずだニャ。ここの寺院が空ってことは無いはずだニ……」


 リーダーのアルベルトもトムから無人だと聞いて不審に思っていた。


「どこかに隠し扉があるはずね…… 

 その中に奴らが集まってると考えるのが自然だわ」


 チームの知恵袋、魔女のマルレーネが最後尾から自分の考えを皆に伝える。

 トムはマルレーネの意見にうなずくと、聞き耳を立ててまわりを見渡した。

 通路の奥が行き止まりになっていて、角に蛇の像が乗せてある石の台座があるのが見える。


「何か不自然だニ。となると怪しいのはやはりここだニャ……」


 トムが忍び足で通路の奥まで進み、あたりの壁を軽く叩いて探ってみる。

 横の壁に比べ、奥の壁の音がわずかに軽くなっているように感じる。それは盗賊の耳でなければ聞き分けできないほどの小さな違いだった。

 この壁の向こうに空間がある可能性は高い。トムはそう考え、蛇の置物を罠が無いか慎重に調べる。そして罠が無いことを確信すると蛇の像をくるりと回した。するとゴトゴトと歯車の音がして石壁の一部が動き、奥に進む通路が現れた。通路の奥には地下に通じる階段が見えている。階段の奥に明かりは無く薄暗くて不気味な雰囲気が漂っていた。


「マルの予想通りだったニ。どうする? アル」


「ここから先は戦闘になる可能性が高いな。レオナ、マルレーネ、支援魔法を頼む」


 トムに聞かれたアルベルトは、二人の呪文使いに魔法の支援を要求した。


「わかりました。強力な負死者アンデッドもいることを考えて、

 対悪防御円イビルプロテクションサークルの呪文を使います。

 これでアンデッドから先にわたし達に触れることはできなくなるわ」


 大司教のレオナはそう言い終わると支援魔法を唱え始める。

 詠唱はすぐに終わり、五人のまわりを緑色のオーラが包んでいった。


「みんな、いつものように高速移動ハイスピードの魔法を使うわよ!」


 魔術師のマルレーネも、高速移動の呪文を唱え始めた。

 青い光がみんなを包み込むと六人の動きが動画の早回しのように早くなる。


 高速移動の呪文は第四位階の秘術魔法で、術者のレベルまでの仲間の行動速度を2倍に加速できる強力な支援魔法である。この魔法をかけられた冒険者は移動速度や行動回数が2倍になり、攻撃を二回行うことができるのだ。ただし効果は30分、その後は10分間動けなるので、ここぞという時にしか使えない。また会話の速度は早くならないので魔法の詠唱速度や特殊能力を1ラウンドに二回使うことはできない。


「みんなには悪いけど、私は影分身を使わせてもらうわ」


「じゃあ、あたしはさらに戦意高揚モラルアップの魔法を使うわね」


 高速移動に加えて、影分身の呪文まで唱えるマルレーネ。

 分身が一人増え、魔女の姿が二人になった。

 さらにレオナの呪文で、みんなの身体の中から戦う勇気が沸いてくる。


「ついてないわね。こんな大事な時に一体だけなんて……」


「そういう日もあるさ。とにかく前に進むぞ!」


 ぼやくマルレーネを慰め、先頭で盾を構えたアルベルトが下に見える階段を慎重に降りていく。アルベルトの光る剣と、タウロスの光る戦斧であたりを照らしながら降りていくと目の前に金属の扉が見えてきた。トビーが扉を確認し、罠や鍵がかかっていないことをリーダーに告げる。アルベルトが扉を開けると部屋の中には動死体ソンビ骸骨戦士スケルトン6体が待ち構えていた。アルベルトとタウロスが前に出てアンデッドを防いでいる間、レオナは負死者浄化アンデッドブレスの祈りを行い、トムはレオナの祈祷が邪魔されないように辺りを警戒する。祈祷が終わるとゾンビやスケルトン達は白い光に包まれ、次々に床の上に倒れて動かなくなった。


「ガイバックスのご加護は流石ね。レオナ、いつも助かるわ」


「すべては偉大なるガイバックスの御威光よ」


 マルレーネのかけ声にレオナが当然とばかりに応える。だが倒れたゾンビ達を見て、マルレーネは顔をしかめた。おそらくこの死体はどこからか連れて来られた冒険者や巻き込まれた一般人なのだろう。


「マリー、俺達はそうならないよ…… 俺がそうはさせない!」


(カッコつけちゃって)


 マルレーネはアルベルトの言葉に苦笑いする。死体をそのまま放置して五人はさらに廊下の奥へと進んだ。だが廊下の中央にある、やや黒ずんだ石畳をタウロスが踏んだ瞬間、カン、カン、カンと何やら鐘のような音が寺院の廊下に鳴り響いた。


「しまった、敵に気づかれたか? すまんアルベルト、いったん撤退するか?」


 動揺するタウロスに聞かれて少し考えたアルベルトは魔法の持続時間を考え勝負に出ることにした。


「いや、強行突破だ。ここで引くと敵に警戒されてザナックに近づけなくなるかもしれない。最悪、このまま別の国に逃げられる可能性もある。

 一刻も早くエゴン王を救う必要がある」


「じゃあ、やるっきゃないわね」


 円盾と戦槌メイスを構えたレオナが不敵な笑みを浮かべる。全員が覚悟を決めて、廊下の奥へと全力で走った。銀色に光る金属の扉を開けると、中は洞窟のように岩をくり抜いた大広間になっていた。広間の床にはいたるところに男女が蛇とからみあう、3mもあるような怪しげな石像が立っていた。そして広間の中央に赤い法衣をまとった男が一人、余裕の笑みを浮かべながら待っていた。こちらが五人に対し相手の姿はこの大広間にたった一人である。


「私がザナックだ。我が教団へようこそ。冒険者諸君!」


「あいつがザナックか」


「アルベルト気を付けて、何か変だわ」


 余裕たっぷりのザナックの様子を見て、魔女のマルレーネが罠を警戒し、リーダーに警告する。


「こっちは高速移動中なんだ。あの距離なら1ラウンドで間合いを詰めれる。

 行くぞ、タウロス!」


「おうよ、アルベルト!」


「さあザナック、今回の陰謀を全部喋ってもらうぞ!」


 狼のような速度で全力移動するアルベルトが一気に間合いを詰め、神銀ミスリル製の長剣で目の前の神官を袈裟切りにする。ザナックは剣を避ける素振りも見せず、ただ笑っているだけだった。続けて巨漢の戦士タウロスの片手用バトルアックスが横からザナックの脇腹へと命中する。だが二人の攻撃は、どちらもこれといった手ごたえが無い。まるで幻の人形を叩いているかのような感触だった。


「しまった、これは幻覚か? 本体はどこだ?」


「まったく挨拶も無しに攻撃とは…… 無粋な人たちですネ。

 おやおや、どうしましタ? あなた方の攻撃はそれだけですカ?」


 ザナックが余裕の表情でアルベルト達を挑発する。マルレーネを守るようにメイスを構え前に出る神官のレオナ。赤い衣装を着たザナックは、その様子を見て邪悪な笑みを浮かべた。


「魔光弾!」


 魔女のマルレーネが杖で方向を指示すると5個の魔光弾が浮かび、赤い神官服の男に一斉に飛んでいく。狙われた神官は避ける素振りも見せず、魔光弾は狙い通りに全弾が男に命中して弾けた。だが男は倒れるどころかぐらつく様子すら見えない。


「魔光彈が効かないなんて、そんなことがあり得るの? 聞いたことがないわ」


 魔法すら効かない相手にマルレーネはひどく動揺する。


「ハーッハッハ! 愚かなる冒険者達ヨ。

 お前たちが信奉する神よりも世界には偉大なる神が存在すル。

 光栄に思うがよイ。お前たちは偉大なラフト神への供物になるのダ」


「どうするんだ? アルベルト、指示をくれ!」


 必死の形相のタウロスが横にいるアルベルトの方を見た。


「嘘でしょ? なんで効いてないの?

 こいつ魔法耐性があるっていうの!」


「レオナ撤退だ!」


 アルベルトは直感で自分達が勝てない相手だと、すぐに判断した。


「わかったわ、アルッ!」


「そうはいきませんよ、アナタ達。

 私の秘密を知ったからには、ここから返すわけにはいきませン」


「レオナ、マルレーネを連れて一緒に逃げろっ。ここは俺が食い止める」


「アルベルト、ごめんなさい」


 魔女のマルレーネは、そう言って後ろに引き始める。


「遊びはここまででス。やってしまいなさーイ!」


 ザナックのかけ声と共に、石像の裏に隠れていた5人の闇神官達が、5人の冒険者に対して一斉に金縛ホールドの呪文を詠唱した。


「金縛!」


「金縛!」


「金縛!」


「金縛!」


「金縛!」


 金縛の呪文は第二位階の神聖魔法で、一度に四人を対象に麻痺させることができる。いくら高位の冒険者とはいえ、平均四回の対麻痺判定を、全員が回避するのは不可能に近かった。


 だがリーダーのアルベルトは奇跡的にその僅かな可能性を掴み、金縛を避けることに成功した。とはいえこの絶望的な状況では選べる選択肢は逃げることしかない。

 この邪教の信者たちに捕まることがどういうことかアルベルトには痛いほどよくわかっていた。つまり仲間を見捨てればみんながどうなるかを……

 だが10年以上冒険者のリーダーを続けてきたアルベルトは冷酷にも最善の策、つまり逃げる選択をすぐに選んだ。


「ほう、ここで仲間を見捨てて逃げるとは、ちょっと手強いですネ」


 一人、走って逃げ去ろうとする戦士のアルベルトを見て、ザナックの顔から笑みが消えた。


「アナタは相当に運が良いようでス。それではこの魔法からも逃げられるか試してあげましょウ」


 ザナックは呪文を唱え、入口の廊下に向かって全力で疾走する金色の板金鎧の男を指さした。


死指デスフィンガー!」 


 死指は死者蘇生の逆呪文で、第五位階神聖魔法である。

 指定した相手を生き返らせるのではなく、呪い殺すという悪の神官が好んで使う呪文だ。指定された相手は死の抵抗に成功しない限り、心臓が停止して死亡する。あとわずかで廊下に逃げ込めるという寸前、アルベルトの心臓は死指によって無情にも停止した。剣を床に落とし、彼の身体が石畳の床に崩れ落ちる。


「レオナ…… すまない」


 最後に仲間の女神官の名前を呟くと、それが彼の最後の言葉となった。

 すべてを見ていることしかできなかったレオナの両目から、ただ涙だけがあふれてくる。


「……危うく逃げられるかと思いましたヨ」


 死の呪文を使ったザナックが、安心したかのように深呼吸する。


「さて皆さン、女には特別の使い道がありまス。

 いつものように捕まえておいてくださイ。

 男はいつものように必要ありませン。

 装備を剥ぎ取ってから、すべて処分してくださイ!」


 ザナックが再び邪悪な笑みを浮かべ、五人の神官達に命令する。


「ははっ、ザナック様!」


「この女はなかなかワタシ好みですネ。これはたっぷりと楽しめそうでス……」


 ザナックが舌なめずりしながら、麻痺で動けなくなった神官のレオナの胸をまさぐる。レオナは恐怖と羞恥に震えながら、心の中でガイバックス神の加護を祈ることしかできなかった。


「ザナック様、こちらの女はどういたしましょうか?」


「そちらは魔女ですか。

 私はこちらの女で楽しむのでアナタ達が好きにして構いませんヨ。

 ただし乱暴に扱って殺さないようにネ。後で商品にするのですかラ……」


「ははっ、ザナック様に栄光あれっ!」


 五人の神官達が下卑た笑みを浮かべ合唱する。悔しさに顔を歪ませるマルレーネだったが、もはやこの状況をどうすることもできない。できることはただ自分達の甘さを後悔することだけだった。 ……そして何の音沙汰もないまま一週間が経過した。リースリングの冒険者財団ではアルベルト達の失敗が濃厚になり、どうするかが話し合われていた。


「……アルベルトのやつ、ずいぶん遅いな。

 エミリア、連絡はまだ入っていないのか?」


 冒険者財団のテーブルに座ったままエールを手にしたドワーフの顔が曇る。


「ヤスマさん…… 北の寺院の調査あなたが引き継いでくれませんか?」


 エミリアがテーブルの横にきて切ない表情でヤスマに嘆願する。


「ぜひにも受けてやりたいがルナとワシの二人だけではな。

 アルベルトもワシと同じ手練れの赤銅級カッパー冒険者じゃった。

 それが帰って来れないとなれば相手はかなり手強かったということだ。

 少なくとも同じ赤銅級、できれば白銀級以上の奴が仲間に欲しい。

 これは中央に応援を要請するしかないかもしれん」


「そんな。今から中央財団へ支援要請を出せば支援隊の派遣には早くても一か月はかかります。あまり遅くなると死体の回収も難しくなるのですが……」


 死体が痛み過ぎると神聖魔法である死者蘇生リザレクションでの復活は難しく、さらに上位の上級蘇生ハイリザレクションの魔法が必要になる。

 だが、上級蘇生の魔法が使える黄金級の大聖人は帝都にすら一人しかおらず、こんな地方に来るはずもないのだった。


「アルベルト達を早く助けたい気持ちは良くわかるが、ワシもルナを預かる身である以上、あまり危険を冒すわけにはいかないんじゃ」


「すいません、無理を言ってしまって……」


 悲しそうな顔で頭を下げるエミリア。


「エミリア、もう少し待ってくれんか。

 気休めかもしれんが、もうすぐ良い風が吹いてくる気がするんじゃ。

 ただの予感だがワシは自分の勘には自信があってな……」


 ヤスマはそう言うと残っていたエールを一気にあおった。

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