第6話:恋愛経験の差

 昼食を食べ終え、少し休憩をしてから夕食の下拵えを始める。まだ早いが、夜は一緒にイルミネーションを見に行きたいから先に作り置きしておくことになった。


「なんかさー。恋人と一緒に料理するっていいね」


 じゃがいもの皮を剥きながら、彼女が楽しそうに言う。


「……そうだね」


 幼い頃、母と一緒に料理をしたことを思い出す。母は身体が弱い人だった。自分が長くないことを知っていたのだろう。お母さんが居なくても一人で出来るようにと、色々と教えてくれた。父も結婚するまでは家事を全くしない人だったが、母に叩き込まれたらしい。

 母が亡くなってから、母の話は父以外とはしなくなった。出来なくなった。みんな気を使って話題にしないし、私から話しても微妙な空気になる。だけど、聖は違った。


「あのさ、すうのママって、どんな人だったの?」


「え……」


 そんなことを自分から聞いてくる人はほとんどいない。聞かない方がいいことだと判断されるから。驚いて手を止めてしまうと、聖は言った。


「……なんか、寂しそうだからさ。ママのこと思い出してるんかなって思って」


 優しい声で彼女は言う。彼女は優しい。出会った時からずっと。私に優しい人は大体、大人に言われたからとか、可哀想だからとか、そういう理由があった。聖の優しさはそういうのではないと分かる。私の家庭事情を知る前からずっと優しかったから。


「ごめん。やっぱ聞かれたくなかったかな」


 私の目元を拭いながら彼女は申し訳なさそうに言う。彼女の指についた雫を見て、自分が泣いていることに気づく。違う。悲しいことを思い出してしまったから泣いているわけではない。母が亡くなったことは悲しい。だけど、それ以上に、母が亡くなったことで母との思い出話を出来なくなったことの方が辛かった。


「……ううん。聞いてほしい。ずっと、誰かに聞いてほしかった。でも……みんな気を使って話題に出さないようにするし、私から話しても空気が重くなるし、お父さん以外には話せなくて……話しても、良い?」


「良いよ。むしろ聞きたい。聞かせて。ママとの思い出話」


 母が亡くなって約五年。私は初めて他人に母との思い出話をした。一緒に料理をしたこと、誕生日を祝ってもらったこと、出掛けたこと。聖は剥いたじゃがいもを鍋に入れながら、耳は私の方に傾けて相槌を打つ。その姿優しい横顔が母の姿に重なる。寂しさが込み上げてくる。だけど同時に、なんだか心が温かくなる気がした。


「パパはどんな人なの?」


「お父さんは……ちょっとうざいけど良い人だよ」


「うざいんだ?」


「うざい。けど……嫌いでは、ないかな」


「ツンデレだ。可愛いー」


「う、うるさい。私ポテトサラダやるから、聖はクリームシチュー作って」


「ふふ。はーい」


 茹で上がったじゃがいもを潰して、冷ましている間にきゅうり、トマト、ハムを切る。しかし、まだじゃがいもは温かい。切り終えた具材はとりあえず皿に置いておいて、手を洗ってから、クリームシチューをかき混ぜている聖の背中に抱きつく。彼女は驚いたのか、びくりと跳ねて固まってしまった。


「うぇっ!? な、ななな、なに?」


「……甘えてる」


「え、ええ……何それ……猫かよ……」


「……手止まってる」


「そ、そりゃ止まりますよ急に抱きつかれたら」


「そんなに動揺する? こういうの慣れてるくせに」


「いや、確かに料理中に抱きつかれたことあるけどさ……その時はドキドキより邪魔すんなって気持ちの方が強かったわ」


「……私はドキドキする?」


「最初ドキっとしたけど、可愛いーって気持ちの方が強いかも。愛しいってこういうことなんだろうなみたいな。そのままくっついてて良いよー」


 そう言って彼女は私の頭を撫でる。なんだか思った反応と違う。彼女は背が高い。170㎝もあるらしい。対する私は150も無い。その差二十㎝以上。逆だったら包み込んでやれたのに。でもまぁ、愛しいと言われるのは悪くはない。


「すうの得意料理ってなに?」


「……親子丼かな」


「あー。良いねえ」


「……今度遊びに来た時に作ってあげる」


「へへ。楽しみ。その時はあたし、味噌汁作るね」


「聖の味噌汁は何が入ってるの?」


「その時にあるもの適当に。大体入ってるのはネギと豆腐かな。すうは何入れる?」


「親子丼の時はえのきと麩」


「親子丼の時は?」


「親子丼作る時はえのきとか麩でかさ増しするから。あまりを味噌汁に入れるの。あと、高野豆腐もたまに入れる。これは味噌汁には入れないけど」


「えー。もうそれもう親子丼じゃなくて大家族丼じゃん。めっちゃ美味そう」


「鶏と卵以外は他人だけどね」


「わからんよ。養子かもしれん」


「ふふ……何それ」


「それもママから教わったレシピ?」


「……うん。具沢山の方が美味しいからって」


「分かるー。あたしも具沢山好き」


 そう言いながら彼女がかき混ぜるシチューには、大きめの具材がゴロゴロ入っている。良い匂いがする。美味しそうだ。


「ところでさー、じゃがいも、そろそろ良いんじゃね?」


 彼女に言われて思い出す。ポテトサラダのことをすっかり忘れていた。彼女から離れて、すっかり冷め切ったじゃがいもと切っておいた具材を混ぜてマヨネーズで和えていると隣でクリームシチューを作っていた彼女が火を切って私の後ろに移動した。長い腕が腰に絡みついて、彼女の身体に包み込まれる。思わず手を止めてしまうと彼女はわざわざ耳元で「手、止まってるよ」と囁くように言い、ちゅと耳にリップ音を残した。思わず振り返ると、彼女は「可愛い」と揶揄うように笑う。


「うう……」


「あははっ。ドキドキした?」


「……うん」


「可愛い。ちゅーしていい?」


「い、今したじゃん」


「え?」


「……み、耳に……したじゃん……」


「ああ。嫌だった?」


「嫌じゃない……けど……びっくりした……」


「ごめんごめん。……次はこっちにしていい?」


 彼女の指が唇をなぞる。


「そ、それもさっき……したじゃん」


「さっきって言っても結構前よ」


「……好きなの? キス」


「キスというか、すうが好き。すうは?」


「……キスはわかんないけど、聖は好き。その好きは多分、恋だと思う……まだちょっと、自信ないけど……」


 目を逸らしながら答えると、彼女は「そうか」と小さく相槌を打つ。彼女に視線を戻す。私のことを愛おしいと思う気持ちが目から伝わってきて、恥ずかしくてまた目を逸らす。


「えっ……と……その……」


「うん」


「ど……どうぞ……」


 顔を上げて、目を閉じて待つ。彼女の手が私の頭を撫で、そのまま後頭部を支えるように添えられる。置き場に困っていた腕は彼女の背中に導かれ、唇に柔らかいものが触れる。一瞬離れたかと思えば、もう一度。二、三度繰り返して、終わったかと思いきやもう一度。


「な、何回するの……」


「ごめん。なんか、止まんなくて。……嫌だった?」


「い、嫌じゃ……ないけど……ドキドキしすぎて苦しい……」


「は? 何それ可愛すぎるんですけど」


「な、慣れてない……から……」


「慣らすためにもうちょっとちゅーしよっか」


 そうおどけるように言いながら、唇を尖らせて顔を近づける彼女。顔を逸らして拒否して押し返す。


「も、もうおしまいだってば」


「ははは。ごめんごめん」


「うー……」


 心臓が速くて息苦しい。対する彼女は余裕そうだ。彼女も同じくらいドキドキしてたと思うのだが。やはり恋愛経験の差だろうか。少し悔しかった。

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