第35話 三日目② ~プランテーション・カレー・海鮮~


 天然ゴムは東南アジアが世界最大の生産地だ。最も一般的なパラゴムノキは元々アマゾン原産だったのが二十世紀初頭に南米で猛威を振るった葉枯病にり壊滅的被害を受けたため、爾来、東南アジアが主生産地となっている。


 ゴムと聞いてし観葉植物のゴムの木を想像するなら、大きく裏切られることになる。プランテーションでえられているゴム林の様子は白樺の林を思い泛べれば実状に近いだろう。淡い色の樹皮、淡緑の涼しげな葉、整然とならたかい樹々――東南アジアでそのような光景を見かけたなら、ゴム林である可能性が高い。樹幹をよく見て、人の腰ほどの高さにコップが括りつけられてあれば、もう間違いない。

 ゴムの木と並んで多く見られるのはパーム椰子で、こちらもきちんと縦横が揃った様子で直ぐプランテーションと判る。いずれも収穫は人の手だ。農村に暮らす人々の生活は今も牧歌的で、長閑のどかと云えばきこえが良いが、近代化から取り残されたようなその生活様式に経済発展の恩恵はなかなか及ばない。それでいて海沿いの工業地帯と此の農村は、実は車で走って三十分ほどのへだたりしかないのだ。


 樹々の間を裸に近い恰好で無邪気に遊ぶ子供たちの姿は、微笑ましくも何処か考えさせられる。無論、彼らを憐れと観ずること自体が傲慢の為せるわざには違いない。仮令たとい物質的に豊かな生活を知らずとも、子供たちの笑顔は本物だ。彼らの親にしてもきっとその笑顔を守る為、さして実入りの良くない仕事と承知していようと必死に汗をかいているのだ。日々の小さな喜びのため生きる者たちを悲哀と見るか眩いと見るかは各人各様だろう。いずれが正しいなどと論じる心算つもりはないし、その論に意味があるとも思わない。

 樹々の列ぶ間に牛の群れがやすんでいる。日本で見るよりずいぶん痩せた姿は、あまり美味しそうには見えない。ういう種なのか労働用なのか、事情は判らないが実り豊かな熱帯雨林の中に在るのに、半裸で遊ぶ子供たちの小さな姿と重ね見るとき、それは妙に寒々しい。



 その日午餐ひるにと立ち寄ったのは、プランテーションから戻って来た町の入口にあるインド料理店だ。

 し私一人だけだったならけして入ることはなかっただろう。う思わせるほどに構えの見窶みすぼらしい、レストランであることを疑わしくさえ思わせる様子さまだった。椰子の葉でいた屋根をくぐってなかに入る。昼食にはやや時間が遅い所為せいか店内に客は疎らだ。不安な目をポーリィさんへ向けると彼女は、

「本格インドカレーよ」

 と自信ありげな笑みで返した。


 成る程本格的ではあるらしい。と云うのも、皿の代わりに卓子テーブルにはバナナの葉が並べられているのだ。大きく、滑らかな光沢ある葉は慥かに皿の代用を為すに適しているだろう。何より、店の出す食器の清潔を信じず自ら洗う文化を持つ彼らだ。誰かが前に使った皿より使い捨ての葉の皿の方がよほど信を置けるのかも知れない。

 葉の皿となれば当然のように、スプーンを使わず手で食べる。手で食べることに関してはインド人だけでなく、マレー人も同様だ。見ていると彼らは実に器用に指を使って食事する。スープ状の御菜おかずでさえも米にまぶして丸め、指の第二関節より先しか汚れていない。

 彼らに倣って指で食べてみたが直ぐに無理だと諦めた。鬱金ターメリックの匂いを放つ手を水で洗って、気を取り直し、スプーンでカレーを掬う。米はサフラン入りのインディカ米で、ナンはプレーンと香草入りとの二種がある。


 本格インドカレーとの評は正当だった。ただしマハラジャをもてなすカレーではない。市井のインド人たちが日々口にするような、だが如何いかな陋巷にも隠れた名人は育つと証すように、ありきたりな食材を使ったそのカレーは絶品の味を実現させていた。意外と辛さは理性的だ。にも拘らず、幾つもの香辛料が溶け合わさったカレーは大釜の中で魔女のまじないでも籠めらているのか不思議と食欲を誘う。誘われた以上は乗らねばなるまい。朝に続いて昼も満腹だ。


 飲み物はマンゴーラッシーである。カレーに副えられてみると激甘のラッシーとカレーの組合せは必然だと分かる。一口だとたいして辛さを感じないカレーも、辛さの波状攻撃に口腔が痺れてきている。中和するのに水では足りないのだ。

 香辛料の発汗作用は覿面てきめんで、毛穴と云う毛穴から汗が噴き出し店を出た。熱帯の太陽が町を灼き、汗は容赦なく蒸発したと思う先からまた滲み出る。これでは体内の塩分が不足しかねない。



 遅めの昼食を済ませた後はホテルに入り、暫くやすんだあとまた外へ。

 夕食は漁村の海鮮料理だ。

 生け簀には伊勢海老ほどもあるおおきな蝦蛄シャコ、重厚な鎧を持つ蟹、ウツボに雷魚風の魚とバラエティ豊かだ。珍しいところではカブトガニ。試しに頼むと焼いて出てくる。は殆どないが、抱かれた卵を摘まむと味はそれなりだ。

 茹でられた蟹は命を失ったあとでも堅い甲羅に守られ、むざむざ食用に供されてなるものかと抗う。そこで渡されたのが木槌だ。木槌で叩いて殻を割り身を出すのである。薄く塩味が振ってあるが醤油をつけるとより旨い。刻んだ青唐辛子を混ぜた醤油はピリ辛だ。

 靭は脂たっぷりの白身を蒸したもの。華人のコラーゲン好きは此処でも健在だ。うすい醤油の上品な味つけは、靭の脂たっぷりな白身を愉しむ至上の調理法と云ってよいだろう。

 巻貝は大蒜ニンニクとともに煮込まれ皿に山と積まれている。一つ一つ出すのは手間だが酒のつまみにちょうど好い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る