第35話 心は緊張と戸惑いです

 しかし本当にいいのかと思う。時刻は本当に真夜中、今から生徒と会うなんて。

 あの後、ジャンともう少し話したかったが、落ち着かない気を紛らわすためにアルコールを飲んでしまった。一度家に帰って風呂も済ませ、つなぎ姿ではなんだと思って、一応シャツとズボンへの着替えも済ませてしまった……。


(あ、会う前に綺麗にしておくなんて、そばに寄られるのを前提にしてるじゃないか……自惚れが過ぎる……いや、でもマナーだよね……)


 クラヴァスは本当に来るのか。待ち合わせはレンガ造りの建物に囲まれた街中の静かな公園。ぼんやりした街灯に公園の遊具や周囲の植木が照らされているが、もちろん人気はない。少し遠くで生活音がかすかな音を立てている。


(静かだなぁ……)


 このまま来ないかも。来なくてもいいかもしれない。その方が平穏なままでいられるから。

 でもそうもいかないのが現状だ。


「レオさん」


 どこからかフワッと現れた、青い髪の青年。口元に笑みを浮かべ、いつもの制服ではない白いシャツと足の長さが際立つ黒いスリムなズボンを履いている。

 いつもと違う容姿を見て(かっこいいなぁ)と思ってしまい、恥ずかしくなった。これでは待ち人の登場に心ときめかせているみたいじゃないかっ。


「ま、魔法で、飛んできたのかい? 寮の窓やドアは魔法で施錠されているのに、よく大丈夫だったね……」


「そりゃあね、俺、天才だから」


 ニコッとスマイルを決めてくれ、さらに自信過剰マックスなお言葉。でも彼が言うとハズレていないから、ちょっとうらやましい。


「レオさん、ちゃんと着替えてくれたんだ。いつも作業着だったから、なんか新鮮」


 そうは言っても、ただのグレーの長袖シャツとカジュアルズボンなのだ。オシャレ着なんて元からないけど、オシャレして来たら本当にこれが二人で出かける“アレ”になってしまうから。


「でもクラヴァスくん、こんな夜中に大丈夫? 明日の授業」


「レオさん、明日は土曜日だよ」


 言われて気づく。そうでした。バタバタしていたせいで忘れていた。


「だから一晩中“デート”して俺は大丈夫だよ」


 言葉にするのを避けていた“アレ”がクラヴァスの口から発せられると胸が締めつけられた。

 その言葉は聞き慣れない、自分に似合うものではない。挙動不審にならないよう、手を握りしめておいた。


「ま、まぁ一晩中は置いといて……クラヴァスくん、どこに行くんだい」


「もちろん、上」


「う、上?」


 クラヴァスは上を指差す。そこは夜空しかない。


「レオさんと二人っきりになるには下より上が一番だ」


 その言葉、入学当初の彼が聞いたら驚愕だろうな……『生きてるの楽しい?』って聞かれた当初。でも今の自分は、なんだか。とても楽しい。恥ずかしくもあるけど自然と笑ってしまう。


「まかせるよ」


 そう言うとクラヴァスはスッと手を伸ばし、手を握ってくれた。

 すると身体全体が軽くなったような浮遊感。次には羽のように宙を飛び、あっという間にレンガの建物街を見下ろせる位置へ。


「わ、わっ」


 魔法ってすごい。使いこなせばなんでもできると言われているが自分は味わったことなかったから。初めての感覚が少し怖い。


 するとこちらの“ビビり”を察したのか、クラヴァスは肩に手を置き、身体を引き寄せてくれた。彼の身体が当たる左側、そして腕が当たる背中、手の平が触れる右肩が一気にあたたかくなった。


(お、おじさんにこれはちょっと……)


 なぜクラヴァスはここまで自分を大切にしてくれるのか。いくら彼に色々言ってお節介を焼いたからと言っても。こんな素敵な子が。


 クラヴァスは街よりもさらに上に飛び、雲間を抜けた。目の前には雲の上に立つ白い満月と広がる紺色の世界。音はなく、風もそれほど吹いてなく、実に穏やか。寒さも感じないのは魔法のおかげだろう。


「すごいねぇ……こんなの初めて見たよ」


 とにかく圧倒。綺麗すぎて涙出そうだ。


「魔法使いはみんなこういうのをたくさん見ているんだ?」


「俺はね。他のヤツらはまだ浮遊魔法は使えないよ。だって寮の中だけだと退屈じゃん。謹慎中も自分の分身を部屋に置いて、ずっと外を飛び回ってたんだ」


 これは悪知恵の働いたカミングアウトだ。担任には言わないでおこう。


「そっかぁ……いいね、色々見れるの。僕はこの国以外出たことないから。クラヴァスくんは色々なものが見れるんだね」


「今度、レオさんも一緒に見ようよ」


 その言葉に胸がはずむ同時に、痛んだ。その未来は本当に進んでいいものなのかと思うと……微妙だから。


「……レオさん?」


 返事がないことを気にしたクラヴァスはその原因と“彼が考えていること”を口にした。


「バエルのことなら心配ないぞ。アイツのことは俺がなんとかする。まだ期間はあるから、レオさんが望む最適な方法を探してみせるから」


「そのこと、じゃないんだよ」


 本当に気にしていないのだろう。自分を好きだという、その真っ直ぐな気持ちのままで、いていいと彼は思っている。


「じゃあ……何? 何が問題?」


 全部、と言いたいところだが。彼を完全に否定するわけにはいかない。だって人を好きになるのは自由だし、その気持ちは良いと思うし。思われた方は嬉しい。


(でも、僕といても……)

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