恐怖の妖怪(1)

 翌朝、ノアと明理は総隊長室でデスクを挟んで話をしていた。


「さて。お前の番だな、ノア」

「覚悟は出来ています」

「よし、じゃあこれからお前に倒して貰う妖怪の名前を告げる。その名も――『恐怖の妖怪』だ」


 直後、ノアは体をビクッと震わせて両肘を抱える。


「な、何でしょうかこの感覚。その名を聞いた瞬間、背筋がぞわっとして……」

「本当か、記録させてくれ。そいつは昨日倒した奴と同じ新種でな。名前はあるが、その全容は誰も知らないっつう厄介な妖怪なんだ」

「そんな奴が、今回私の相手に……」

「本当は別の奴を相手にする予定だった。だが例の金槌妖怪の痕跡を諜報部に調べさせた結果、コイツがフィルディアのどこに居るのかが明らかになってな。早急に対処する必要が出てきたんだ」

「そんなにヤバい妖怪なんです?」

「端的に言えば、コイツは妖怪の祖だ。全ての妖怪は一つの例外無くコイツから生まれ、人間が妖怪を産む原因となる恐怖もまた、コイツが居ることで発生する」

「待って下さい。今、妖怪の発生源が人間の恐怖と仰いました?」

「まあ知らないよな。この情報は公にしてないんだ、人間を狙う奴が出てきたら困るからな」

(狐、金槌、通り魔……確かに全部、あらゆる角度から人に恐怖を与える存在だ)

「鵺の目標は七つの街にそれぞれ一体ずついる恐怖の妖怪を全て倒し、世界を妖怪の脅威から救う事。フィルディアに居るそいつを倒す事は、その目標への偉大なる第一歩と言える」

「うぅ……凄いプレッシャーです。本当にそれ、私じゃなきゃダメですか?」

「いや? 組織的には別にお前じゃなくても良い。奴を倒せる戦力には心当たりがあるから、万が一お前が手を出せなくても対処は可能だ。だがな――」


 明理は机から身を乗り出し、台上前転の容量で机の上を転がってノアの目の前に立つ。


「個人的には、是非お前に倒して欲しい。倒せて当然の奴らが倒してもつまらんしな。あの恐怖の妖怪を、鵺に来て三日しか経っていない新人が倒したという面白い歴史が残るのも悪くない」

「が、頑張ります」

「まあそう気張るな。ただのオレの願望だ、命令じゃない。死なれる方がよっぽど嫌だから、死に掛けたらすぐに連れて帰る。そのつもりで戦え」

「あれ、明理さんも来るんですか?」

「忘れたか? これはお前が、白虎隊を抜けるに値する実力を持っているという証拠を作るための戦いだ。特に相手は恐怖の妖怪だ、カメラマンはオレ以外には到底務まらないだろう」

「ついに明理さんに直に私の実力を見て貰える日が来たんですね! 私、頑張ります!」

「期待してるぜ」


 その後、ノアと明理はポータルを開いて現地へ赴く。ポータルを通った先にあったのは、薄暗い森だった。


「暗いですね……」

「カメラのライトを点ける。言わんとしてることは分かるな?」

「ライトの先から目をそらすな、ですよね! 私も昨日――っ!!」

 続きの言葉を言い掛けて、ノアはふと歩みを止めてしまう。体は震え、目は開いたまま。そんなノアの状態に明理は不安を覚える。

「ノア? どうかしたか――」


 明理がノアの見つめる先を見るとそこには……『怪物』がいた。目の前に立つ影は絶えずそのカタチを変化させていた。人とも、獣とも、そのほかあらゆる生物とも認識出来るそれに明理は酷く困惑する。


「んだコイツ……外見が視界上で定まらねえ。コイツの身長、特徴がまるでわからねえ。ただ一つだけ、コイツが恐怖の妖怪だって事は分かるぞ。ノア、大丈夫か?」


 返事はない。ノアは引き続き震え、足をガクガク震わせている。


「……ダメそうだな。幸い、奴から何かしてくる気配はない。今の内に撤退するぞ――」

「無銘金重!!」


 ノアは突然刀を手に取り、鞘から刀を抜いて妖怪に突きつける。


「おい、何してんだ。早く帰るぞ」

「いいえ! コイツはここで倒します! 私には分かります。コイツは絶対に、フィルディアに住む皆さんの元へたどり着かせてはいけない!」


 そう意気込むノアの目は異様な開き方をしており、冷や汗も大量に掻いていた。


「やめろ、自分の精神状態が今どうなってるのか気づいてるのか? そんな状態で戦ったって――」

「うわあああああああ!!」


 雄叫びを上げながら妖怪へ斬りかかるノア。


「馬鹿! 止めろ!!」


 ノアの後を追おうと明理が一歩踏み出したその時、既に全てが終わっていた。明理が阻止する間もなく、ノアは妖怪に首根っこを掴まれ持ち上げられていた。


 そうなるまでに妖怪がノアに何をしたのか、早すぎてまるで見えなかった。さらによく見るとノアの首には妖怪の爪が食い込んでおり、刺さった部分からどんどん皮膚が黒くなっている。


 声にならない、悲痛な叫びを上げるノア。


「……この分からず屋が! 来い、『クラッチ』!」


 明理はクラッチレバー付きのグリップを左手に出現させ、レバーごとグリップを強く握り込む。


「四速、カグツチ!」


 大きく一歩前に踏み込み、猛火を纏う右手で妖怪の体の中心を殴る。するとあっという間に妖怪の全身は炎に包まれ、さらに凄まじい速度で後方に吹き飛ぶ。


 妖怪が手を離したことで地面に倒れ込んだノアの体を抱え、明理は急いでポータルの中に飛び込む。


 ◇  ◇  ◇


 本棚の前で膝を抱えて顔を伏せるノアと、人差し指の先を忙しなく机に打ち付けながら受話器を耳に当てる明理。そんな総隊長室に突如、机を叩く大きな音が響き渡る。


「特務隊も一番隊も出れない!? っざけんな! アイツら抜きでどうやって恐怖の妖怪を倒せってんだよ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「確かにオレ達は、恐怖の妖怪と会ったことで人間の匂いを教えちまった。奴がフィルディアを探し当て、そこに居る総人口20万人全員を妖怪に変えちまうのは時間の問題だろうよ」


 ノア、驚愕して顔を上げる。


「責任なら後でオレが全部取る! だから今すぐ特務隊の討伐依頼を取り消して、フィルディアに向かわせてくれ! ……自己責任だ? 何言ってんだ、おい! ……クソっ」


 受話器を力強く本体に投げつけ、背もたれに荒々しく寄りかかる明理。


「諜報部の奴ら、自分たちが出なくていい理由を見つけたからって、活き活きと助力を断りやがった……どうすんだこれマジで」

「……」

「……最悪、オレが一人で相手するか。オレには奴の発する恐怖に対するある程度の耐性があるらしい。工夫すれば、相討ちには持ち込めるだろ」

「そんな、それだけは――」

「じゃあどうすりゃ良いんだよ! あぁ!?」


 ノアの方を向いて大声で吠える明理。直後ハッと我に返り、口を押さえる。


「……悪い、少し頭冷やしてくる」


 再び顔を伏せるノアに目もくれず、明理は早足で部屋を出た。


(あの時……私の脳に直接、今までの人生で味わってきた恐怖を遙かに超える値のそれを流し込まれた。アレをもう一秒でも長く浴びていたら、確実に廃人になっていた! 明理さんごめんなさい、あれをもう一度なんて、私には無理だ……)


 ノアの心は完全に後ろ向きになっていた。立ち上がる気力も無く、ただただ座って居ることしか出来ずにいる。


(舐めてた。今までがあまりにも順調だったから、今回も楽勝だろって油断してたんだ。その結果がアレなんだから、明理さんが激怒してしまうのも無理はない)


 拳を握りしめるノア。悔しさはあれど、それを恐怖が塗りつぶして怒りきれずにいた。


(このままだと明理さんは死にに行ってしまう! せっかく彼女の人生が面白くなってきた頃だったのに……ようやく、普通で居られる時間が出来たのに!)


 思わず地団駄を踏むノア。やりきれない思いに唸り声を上げて苦しむノアだったが、そんな彼女の脳内に、昨晩明理とゲームをしていた時の記憶が再生され始める。


 ソファーの上に二人並んで座り、テレビの凝視しながら手元のコントローラーを忙しなく動かすノアと明理。テレビ画面に『2P Win!』の文字が映ると、ノアは後ろにひっくり返る。


「へへん、これで5勝0敗だ!」

「また負けたー! 明理さん、どうしてそんなにゲームが強いんです!?」

「そりゃあ地道にスコア更新するために練習し続けたからな」

「辛かったり、飽きたりしないんですか?」

「とっくのとうに飽きてる。だからオレは、その飽きを『いつか対戦するであろう相手に弱いと侮辱されるかもしれない』という恐怖で塗りつぶして練習してたんだ」

「負の感情を、更に強い負の感情で塗りつぶして原動力に変える……ですか」

「ああ、このテクニックは存外使える。覚えといて損はないぞ」


 回想を終えたノアの脳内には、ある結論が浮かび上がる。


 ――恐怖の妖怪からもたらされる恐怖を、簡単に塗りつぶすほどの怖い目に遭えば良い。


(荒療治だけど、私がもう一度アイツの前に立つにはそうするしかない。何より……私はそれを与えてくれる相手に心当たりがある)


 ゆっくりと立ち上がり、扉の方を向くノア。


(明理さんを死なせるくらいだったら……私が苦しむだけでそれを回避できるんだったら、迷わず突き進め!!)


 ノアはその場から駆け出し、総隊長室のドアを思いっきりこじ開ける。そうして彼女が向かった先は――

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