かくりよの花嫁

石堂十愛

第1話 プロローグ

 あのとき、修学旅行で体験した不思議な経験は、今でも決して忘れることはできない。私は私自身が選択して今、常世にいるのだ。

 彼は元気だろうか。また会うことができるのだろうか。まだ、私は彼の花嫁なのだろうか。

 

 二〇一五年四月

 初めての京都。

 

 秋田県を出たことのない私の初めての関西が京都への修学旅行であった。京都は七九四年から一八六七年までの約千年間、日本の都として栄えた日本の文化や歴史の中心地。数多くの世界文化遺産を有する国際観光都市であり、誰もが憧れる日本らしさに会える観光地ともいえる。もちろん、修学旅行先としても人気が高い。秋田県からは新幹線を乗り継ぎ陸を這っての長い旅路か、空の便で伊丹空港から京都に向かうかである。

 秋田県は温泉に恵まれた土地で、角館の武家屋敷や田沢湖、東北三大祭でもある秋田竿燈まつりが有名だ。観光地は少ないが、ナマハゲやきりたんぽ、大曲の花火は多くの人が知っていると思う。そんな秋田県から出たこともない私にとって、今回の修学旅行先である京都というのは実に未知の世界だった。

 

「自由行動、どこいく?」

 色素の薄い目で、環奈が私を見る。

「私たちが決めなくても大丈夫」

「見て見て見て!候補候補候補!」

 飛び抜けて明るい声が教室に響く。

 持ちきれないほどの資料を持って、萌がすべり込んできた。

「京都といえば!ってとこ集めてみた!二人の行きたいところは?どこ?どこどこ?」

 萌は同じ言葉を三回繰り返すクセがある。

「私は京都っぽければとこでもいい」

 環奈が答える。

「萌の行きたいとこに行こう」

 私も答える。

「えー!なんでふたりとも丸投げ!?みんなで決めてみんなで楽しもうよぉ」

 萌は愛嬌があってとても可愛い。世話焼きで、いいお嫁さんになりそうなタイプだ。

「んーじゃあ伏見稲荷か清水寺?」

 環奈が知っている名前を挙げる。

 伏見稲荷の千本鳥居と環奈は似合いそうだ。環奈は色素が薄く、透明感のあるとても美しい顔立ちをしている。

「千本鳥居で環奈の撮影したら楽しそう!」

 萌も同じことを思ったようだ。

「いやいや、そういうのいいから。」

 秋田県には美人が多い。顔面偏差値が高いのだ。秋田美人とはよく言ったものである。学校のクラスもほとんどが美人だ。私の叔母は、仙台の人と結婚をしたが、秋田では目立たなかったのに仙台では、とたんに美人な嫁として話題になったらしい。帰省するといつもその話ばかりしている。

「凛は?行きたいところないの?」

 環奈が私に問いかける。

「歴史があって古い場所がいいなぁ。」

「渋っ」

 二人が声を揃える。

「京都なんてどこも歴史あって、古いところばっかりだよ!どうする?楽しいところがいいよね?どこがいいかなぁ。」

 萌はたぶんどこに行っても楽しいだろう。自分が行きたくないと思っていた場所ですらその場所の良さや、楽しさを見つけてしまうと思う。良い面を見るが得意で長所なのだ。

「やっぱり萌が決めて」

 私と環奈が声を揃える。

「分かった!じゃあ朝一番に伏見稲荷に行ってその後清水寺!あとはホテルに戻るまではノープランにしよう!」

 萌の口からノープランという言葉が出るとは。

「ノープランだって」

「うん。ノープランって言ったね」

「ノープランでブラブラするのも旅行の醍醐味でしょ?」

 萌はなんでもあらかじめ決めておきたいタイプだ。事前調査にも抜かりない。以前萌の家に泊まった時は、旅行さながらの予定が家の中なのに組まれていて驚いたものだ。そんな萌がノープランとは…。

「団体行動で伏見稲荷と清水寺って行かないの?」

「行かないよ!団体行動は平等院と東大寺だって」

 奈良で鹿せんべいをたくさん買って萌に持たせたら面白そうだ。環奈もにやにやしている。たぶん同じことを考えていると思う。

「じゃあそれで決まり」

「計画書は私が提出しとくね」

 高校最後の旅行。楽しみになってきた。私は三年間、この二人に出会えて本当に幸せだった。声に出さなくても通じ合える関係というのは、なかなかない。お互いに思っていることがわかってしまうのも不思議だ。私は口下手なので、話すのが億劫だし苦手だ。言葉は何のためにあるんだろうと思う時がある。

 本音を隠すため?本音を伝えるため?コミュニケーションをとるため?文学は素晴らしいと思う。でも人と人の繋がりは、言葉だけではなくお互いの行動で繋がれていくように思うのだ。言葉は時にその人の人間性を曇らせる。誤解を生んだり、なかなか真意が伝わらないことも多いのだ。そしてその人のことがどんどん分からなくなってしまう。この二人に出会うまではそんな風に感じていた。同じ学校に通い、長い時間を過ごせるのもあと少しだと思うとすでに寂しい。

「寂しいなぁ」

 環奈と萌が声を揃える。やっぱり不思議だ。

 

 計画書を提出してすぐに許可もおり、あっという間に修学旅行の当日を迎えた。私たちは地を這うコースだった。東京駅で乗り換えをして、京都に向かう。最初は浮き足立っていた学生達も時間が経つにつれ、静かになり寝ている生徒も多くなっていた。私はといえば、隣に座った環奈と向かえの席の萌が繰り広げるの他愛ない、雑学講義や歴史講義を京都に着くまでずっと聞いていた。二人とも優等生で博識なのだ。京都の方言についてや、土地の言い伝え、二人ともはじめての京都が楽しみなのか色々と教えてくれたので退屈しなかった。二人の話を聞きながらふと思った。数百年の間に変わった常識というのは本当に目まぐるしい。と。

 昔は京に登るために籠や歩きで向かったのだという。様々な危険に巻き込まれることになるため、早朝に出て、夕方には目的地に着かないとならなかったそうだ。県外へでるにも通行手形が必要だったので自由には出れなかった。今ではこんなに簡単に、誰でも県外へ旅行することができるし、移動は新幹線で、時間がかかるといっても数時間で、何週間もかかるわけではない。それに女性がひとり旅行するとしても日本は海外に比べるととても安全だ。便利になった今の時代に生まれた私たちにはそういう昔の苦労は知り得ない。今のこの便利さが当たり前であることに慣れてしまっているのだ。それは幸せのようで少し寂しいような気もした。

 

 皆が疲れて寝静まってた頃にやっと、京都駅に到着した。思っていたよりも整備されていて、秋田よりはずっと都会の京都につき、駅からはバスで宿泊の旅館まで移動をした。京都に旅館は数多くあるが、教育旅行を受け入れているところは限られるそうだ。私たちが宿泊したホテルは広いロビーが特徴の和モダンのホテルで客室も小綺麗だったことをよく覚えている。確か温故知新がテーマだっただろうか。ホテルに着くとグループ別の部屋に移動し、夜の食事の席までほんの少し自由時間があった。部屋でゆっくり休む人もいれば、ホテルの外へ散策にでる生徒もいた。私はというと、同じ部屋割りの生徒が休みになり、一人部屋になったようで、荷解きが終わってからさっそく一人で大浴場に向かった。宿についてすぐお風呂とはなんとも中年の旅行のようだが、私にとっては自然だ。温泉もお風呂も大好きなのだ。特に貸切状態の広くて大きなお風呂は格別だ。

「もー全然返信ないから!やっぱりお風呂だと思った!」

 環奈と萌が大浴場に私を探しにきた。二人とも私の行動はお見通しのようである。

「私たちはまだお風呂は入らないから、一時間後お部屋に集合ね!」

 私の入浴の時間を勝手に決めないでほしいが、適切な時間なのがまたおもしろい。

 部屋に戻ると、なぜか二人の荷物がわたしの部屋に移動しており、二人がお茶を飲んでいた。

「え?部屋ってここ?」

「うん!もう部屋割りも変えてもらったし」

 二人は声を揃える。どうやら、先生に交渉して部屋を変えてもらったらしい。二人とも交渉上手である。一体将来はどんな職業につくのか、どちらも何か経営でも始めてそうだ。

「明日は団体行動だから、朝からバスだって。凛は酔い止め飲んどきなよ」

 環奈は気だるそうにお茶をすすっている。

「近くでバスで食べるおやつ買ってこようかな!近くになんかないかなぁ」

 萌のなかではすでに明日のバスツアーが始まっているようだ。

「今日の夜、舞妓さんがくるみたいだよ」

 私は、舞妓さんを生で見れるというのを楽しみにしていた。美しいに違いない。

「舞妓さんって、わたしたちと同じ年くらいなんだって!びっくりだよね。もうしっかり大人の世界で仕事してるとか。ほんとすごい。尊敬しちゃう。」

 萌は誰でも尊敬してしまうのだ。わたしはそんな萌の素直さこそすごいと思うのだが。

「なんで舞妓さんになったんだろうね。文化を担うと言っても、大変なことの方が多そうだし、相当努力しないと認めてもらえなさそう。私には茨の道に見えるよ」

 環奈はため息をつきながらそう言っていたが、環奈こそ茨の道を選ぶタイプである。楽な道は決して選ばない。常に人が嫌がることや、無理だと思われることを率先して選んで実践している。それでいて美人なのだから、まさに高嶺の花である。

「早く見たいなぁ。癒されそう。」

「オヤジ!?」

 また二人が声を揃える。私は小さな頃からから中年みたいとい言われて育ってきた。両親がディズニーランドに連れ出そうとしても、県内の温泉旅館のほうが良かったし、放課後友達と集まるよりも、祖母と過ごす方が楽しかった。学校の先生は私にものを教えるのを嫌がった。私が学生らしからぬ指摘をするかららしい。祖母の誕生日には、貯めたお年玉でマッサージ機を買い、近所の人たちへの挨拶もかかさない。子供らしくないとか、近年問題になっているヤングケアラーのようだと言われてしまうとそれまでたが、私自身は無理はしていないし、何よりそれが楽しかった。

 なぜか年配の人といると、落ち着くのだ。そして同年代で唯一落ち着く存在が萌と環奈である。

 

 初日の食事は大広間に集合で、時間になると皆が移動した。はじめての京料理はあまりにもしょっぱかった。秋田県は濃口だと聞いていたが旅館の方が配慮して濃いめの味付けにしてくれたらしい。先入観や偏見というのは怖い。きっとこうだろうということが、相手も求めているとは限らないし、良かれと思ってしたことというのは大概裏目に出ることのほうが多いのだ。こんなにキレイな旅館なのに、この配慮のせいで料理はしょっぱくてイマイチだったという印象になってしまうことが残念だ。本当はもっと薄口で美味しいのかな?と考えながら口に箸を運んだ。

「しょっぱいねー」

 萌が小声で私たちに目を配る。

「旅館の人に聞こえるでしょ。」

 私たち二人は萌を諫める。いつものやりとりである。

「本日は宮川町よりお越しいただきました」

 先生が紹介すると、所作の美しい舞妓さんが登場し、皆が息を呑んだ。小さな顔に愛らしい瞳。白塗りに赤い唇が映える。

「ふく珠どす」

 一瞬時が止まった。同じ年代とは思えないほどの洗練された所作。おじぎひとつも本当に美しい。

「最初はみなさんからの質問に答えてくれますよ。質問ある方!」

 先生が誘導する。舞妓さんはやわらかく微笑んでいる。まるで人形のようだ。本当に生きているんだろうか?歩く芸術品とはよく言ったものである。

「どうして舞妓さんになったんですか?」

 王道の質問である。先生が舞妓さんにマイクを手渡す。

「へぇ…うちは小さい頃から日本舞踊を習っておりまして、もともと日本の文化が好きどした。うちの祖母は日本舞踊を教えておりまして、その祖母の夢が実は孫を舞妓はんにすることだったんどす。それが、いつの間にか自分の夢になっとったんどす。」

 何度も質問されているのだろう。やんわりとした京言葉だが、無駄のない回答だ。

「出身は京都ですか?」

 これも王道である。

「うちは兵庫県どす。秋田県の方は本日はじめてお会いしました。女性の方はみなさん秋田美人でびっくりしとります。角館の桜や田沢湖見てみたいおす。」

 後から聞いた話だが京都の芸舞妓さんで、京都出身というのは実は少ないそうだ。みな芸舞妓に憧れて地方からやってくるのだとか。

 それにしてもさすがである。自分の出身地の質問なのに秋田県のことを交えて返すのだ。毎日のお座敷の仕事に比べたら修学旅行の仕事というのは華やかなものではないと思うが、しっかりとその場の人を楽しませようという気持ちが伝わってきた。その後も質問が何個か続き、少しすると舞の披露へと移った。その時の美しい踊りはすごく印象に残っている。皆が息を呑んだ。移動の疲れが吹き飛ぶほどに、みな見入っていたと思う。十七歳の私が言うのもなんだが、その若さでしかも違う土地から芸舞妓さんになりたいと故郷を飛び出すというのはどういう気持ちだったのだろう。厳しいお稽古や女社会での大変さを十五歳位から味わうとは、まるで昔々の日本のようである。煌びやかなだらりの帯の内側には涙が滲むような努力があり、それが彼女たちを一層美しく仕立てているのだと感じた。一日目の夜、舞を拝見している時に実に不思議なことがあった。思えばこれが京都での「不思議な体験」のはじまりだったかもしれない。

 舞妓さんの一挙一動にまったく同じ動きをするキラキラとした影のようなものが見えたのだ。私だけではない。他の二人もだった。

「あれ見える?」

「見える」

 キラキラとしているからか、嫌な雰囲気はなく、すごく不思議だった。舞妓さんに姿に寄り添っていて、ひと型をしている。最初はオーラのようなものかと思ったが、舞が終わるとさっと消えてしまったので、それとはまた違うのだと思う。

「なんだろー。踊る時だけ見えるなんかすごいやつなのかな?」

 萌は余韻を楽しむようにまだ舞妓さんを眺めている。

「私たち以外にも見えてたかな?」

 私はそれが気になっていた。

「見えてないと思う。見えてたらもっとザワついてるでしょ」

 環奈が答える。確かにそうである。

「ラメみたいでキレイだった!」

 萌はあのキラキラが気に入ったようである。三人とも不思議と怖いという感覚はなく、親近感すら覚えていた。今思えば当たり前なのだ。あれに私たちはその後助けられることになるのだから。

「あっ!」

 萌が声を上げた。

「キラキラあっちに歩いてった」

「どこ?」

 私と環奈にはよく見えなかったが、萌にははっきりと見えていたようだ。

「追いかける?」

 萌はなんだかワクワクしている。

「やめときなよ。まだ食事終わってないし」

「えー。でもでもでも、追いかけないと見失っちゃうかも」

 萌の同じ言葉を三回言うクセが出る時は、わたしと環奈がいくら諌めてもまず言うことは聞かない。萌が立ち上がったので、わたしたちふたりも後を追うように大広間を後にした。

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