「簡雍」

「お、鼻毛がよーけ抜けたわ。おい!玄徳!」


 遊女と呼ぶには些か老いすぎているみすぼらしい女性たちが数人ばかりよたよたと踊るあばら家の一室。

 ふっくらと脂肪を蓄えた白髪交じりの男は鼻先まで赤く染めながら、抜いた鼻毛を嬉しそうに頭上へ掲げた。

 しかし彼の呼びかけに返事をする者は居ない。それに気づいて、男は寂しそうに鼻毛を遊女に向かってふっと飛ばした。


「チッ、汚いねぇ、まったく」

「文句言うな。おめぇらの踊りのがよっぽど汚ぇぞ!」

「ふん、安酒しか頼まねぇ男が贅沢言ってんじゃねぇわ」

「高級な遊女はもう見飽きたんだ。そこまで言うなら、金は払うからもっとマシなヤツ見せてくれや」


 男はゲラゲラ笑いながら銀を床に撒いてみせた。

 とても金を持っているようには見えないみすぼらしく不潔な男の懐から出てきたそれに、遊女達は目を丸くする。


「あんた、これはどっから」

「だから何度も言ってるだろ。俺はこの国で五本の指に入るくらい偉い男なんだって」

「はいはい。どっかからくすねて来たんだろ。まぁいいさ、金払ってくれるなら文句はねぇ」


 遊女たちはうきうきと銀を拾い集めながら服を脱ぎ、乾いて皺の寄った裸で踊り始める。

 割れた器を箸で叩き、酒で焼けた声で歌い、とても見てられないものだったが、男は嬉しそうに一緒になって踊りだす。


「金持ってる男は嫌いじゃないよ、名前は?」

「簡雍だ。おい、寄るんじゃねぇ婆ぁ!」

「もっと持ってんだろ? いいじゃあないか、ちょっとくらいさぁ」

「盗むなんて冷めるようなことはすんな。俺は楽しけりゃいくらでも金を払う男だ、安心しろ」

「よーく見りゃ良い男だねぇ」

「金を見た途端に褒めてきやがって」


 簡雍。当代の英傑「劉備」の旗揚げ当初から付き従ってきた、最古参の臣下である。

 北の辺境のヤクザの親分から、今や天下の英傑に。その道のりの全てを見てきたのが簡雍であった。

 そして初めて、簡雍はその劉備の下から離れることにした。時は二一九年。劉備が「漢中王」に即位した年のことである。



 東に進むにつれ、戦争の臭いが濃くなり始める。

 兵糧の徴収があったのか誰もがひもじさを顔に出しており、しかし街に進むと戦場の噂話で不思議な活気に満ちている。

 勝っているのだろう。流石だな、あの男は。簡雍は長く付き合ってきた長髭の将軍「関羽」の姿を思い出していた。

 任侠一本筋の堅物な気質で、出会った頃から何一つ変わらずここまで駆けてきた男だった。あれを世間では「英傑」と呼ぶのだろう。


 それに民にも人気があった。強く、威厳があり、貧民とも平等な目線で語り合う。 軍事関連に心を傾け過ぎているため他所と比べると徴兵や税の負担は大きいものの、民心は離れていない。

 やはり英傑の活躍の一助になれているという思いがあるのだ。これは、関羽にしか成し得ない国家の形であった。


「おい、そこのガキ!」

「なんだ酔っ払い! あっちいけ!」

「元気そうで何より!」


 土に汚れてしなびた山菜を籠に背負い、ふらふらと歩く痩せた少年。そんな子供にも悪態をつかれるほど、簡雍もまた千鳥足であった。

 彼があの劉備の賓客であり、最たる側近であったことを一目で分かる人間はいないだろう。


「お前が集めたのか、特に小根蒜(ノビル)が美味そうだな。おい、いくらだ」

「これは、あそこの店に届けるやつだ。買うならあそこで買え」

「あそこは八百屋じゃなくて酒屋だが、あー、そうか、つまみで出してるのか。良いことを聞いた」

「おっさん、朝から酔い過ぎじゃねぇか? 大丈夫かよ」

「ガキに心配されるほど落ちぶれちゃねーぞ。それじゃあ、一緒にいくか。どれ、俺が籠を背負ってやってもいいぞ」

「舐めんな、殺すぞ」


 少年は悪態をつきながらも、足早にその酒屋へと駆けて行った。

 ぼちぼち人通りもある道なのに、ふらつきながらもスイスイとそれを掻い潜っていく。

 山育ちなのだろう。良い足腰をしていると、簡雍は人にことごとくぶつかりながら後を追いかけていった。


「ひぃー、俺も老いたなこりゃ」

「あ、アイツだよ、その怪しいやつって」


 店に入ると、籠を抱える店主らしき壮年の男と、さっきの少年が居た。客は一人も居らず、ガランとしていた。

 よく見ると男は体格は良いが片腕が無い。恐らく戦で失ったのだろうというのが一目で分かった。

 少年は早くアイツをたたき出してくれと男に頼み込むが、その男は簡雍を見るなり目を丸くして、その場に片膝をついていた。


「もしや、簡雍殿か」

「いかにも。小根蒜を売ってくれ、あれは酒に合う」

「相変わらずですね、貴方は」

「え? 知り合いなの?」

「そうだな。この御方はあの関将軍の、そして漢中王殿下のご友人だ。覚えておいでですか、関将軍の騎兵部隊に所属していた羅広です」

「あそこ騎兵部隊はお前みたいなごつごつしたのが多くて、いちいち覚えとられん! 生まれはどこだ」

「徐州の彭城です」


 羅広と名乗る男はノビルから土を振り落として木机の上に並べていく。

 その間、簡雍はうんうんとうなりながら首をひねっていた。


「忘れた、すまん!」

「ふっ、それでいいのです。それでこそ簡雍殿、相変わらず気持ちのいいお人だ」

「いくらだ」

「いえいえ、簡雍殿からお代はいただけません」

「じゃあお前には払わん。ガキ、お前にくれてやろう。とっとけ」


 金の小さな塊を袋からざらざら取り出して、少年の手に乱暴にのせる。売ればひと月は食うに困らない生活が出来るだろう。

 少年はそんなもの今まで見たこと無いものだから、少し震えながらもまだ現状を飲み込めないような顔をしていた。


「お前の息子か」

「いえ、息子は今戦争に出ています。関将軍の下で私と同じ騎兵隊です。こいつは武陵蛮の者で、地理に明るいのでウチで雇ってるんです」

「この辺りに詳しいのか。じゃあちょっと道案内を頼みたい」

「ど、どこに行きたいんだ? どこでも案内するよ!」

「公安に入るための抜け道が知りたい。あ、それと羅広、俺がここに来たってことは誰にも言うなよ」



 元々、荊州の地に劉備が本拠を構えていた時、この公安が中心地になっていた。

 そして今、その公安を守るのは「士仁」という将軍で、彼も張飛や関羽に並ぶ古参の軍人である。つまり簡雍の顔なじみだ。

 だからこそどうしてもこの公安にはひっそりと入らないといけなかったのだ。顔が割れてる以上、関所は通れない。


「ねぇ、簡さん。そんなに偉いんだったら、堂々と入ればいいじゃん。なんで間道を通るの?」

「許可を貰ってないからな。士仁は馬鹿真面目な男だから、見つかればややこしいことになる」

「でも昔からの友達なんでしょ?」

「だからこそだ。俺が今から会おうとしてる人は、まぁ、普通は誰も会っちゃいけない人だからな。バレたら叱られる」

「ふーん」


 こういうのにはあまり首を突っ込まない方が良い。少年は子供ながらに何となくそれを感じ取っていた。

 既に警備兵の警戒も及ばない地域に入り、公安の潜入にも成功。少年はそれを確認するなり、さっさと簡雍に別れを告げた。


「助かった、ありがとなガキ」

「簡さんも気を付けなよ。それじゃ」


 漢民族の出自ではない。故に人々から「異質なものを見る目」を向けられる。だからこその気遣いなのだろう。

 多くの土地を巡り歩き、多種多様な人間と酒を飲み交わしてきた簡雍からすればあまり理解できない感覚である。


 こうして間道を抜け、竹林を歩き、遠くに見える屋敷を目指す。

 既に公安を守る直属の守備隊の警戒域に入っていた。簡雍は服を泥に濡らしながら草木に紛れ、日の暮れを待ちながら道なき道を進む。

 懐かしい。思えば劉備と共に過ごした日々は、こうして泥に塗れていた時間のほうが長かったようにも思う。


 鈴虫だけが鳴く晴れた夜。

 コツコツと小さな音で窓の格子が叩かれる。


「酒を持ってきたぞ、友よ」

「…な、簡憲和か? なぜここに」

「いいから早く入れてくれ」


 簡雍が友と呼ぶその男。その名は「劉璋」。

 元は益州に居を構えていた群雄であり、その益州を劉備に奪われた男である。

 今は前政権の当主ということもあって厳重な監視下に置かれており、誰の面会も許されていなかった。

 そこに、簡雍は訪れた。劉璋が驚き目を丸くするのも無理はない。

 ひそかに窓の格子をうまく取り外し、簡雍はどたどたと屋敷の一室に転がり込む。 泥に濡れた着物がぐしゃっと床に張り付き、砂利を一面に散らした。


「着替えはあるか? あと濡れた布も」

「あーあー、ここで脱ぐでない。とはいえ湯浴みは、衛兵にも警戒されるし、あーもー、ワシの憩いの場が台無しじゃあ」


 簡雍が転がり込んだ一室。そこには多くの絵が飾られており、そのどれもが見事な出来栄えだった。

 美しい風景画に、妖艶な美人画まで、これを見ながら飲む酒はうまそうだと簡雍は目を輝かせる。


「ふー、やっと落ち着いた。服は捨てといてくれ」

「あのなぁ、ワシは仮にも元益州牧で、それなりに偉かったんじゃぞ? それを召使いのように扱いおって」

「なんだかんだ言いながら全部やってくれるじゃねぇか。やっぱり底なしに良い人だよ、あんたは」

「お前にそう言われると、不思議と怒る気にもなれん。はぁ…よく来てくれた、我が友よ」


 益州を巡り、劉備と劉璋が争った戦役。やはり乱世に揉まれてきた劉備軍は強く、劉璋軍は善戦はしたものの連敗が続いた。

 劉璋はもはや益州の都である成都を守るのみとなり、劉備軍がその成都を包囲した際、降伏勧告の使者になったのが簡雍であった。

 簡雍は使者としてではなく、友として城に入った。劉璋も簡雍を使者ではなく、友として迎え入れた。

 その時に二人が何を語ったか、それはこの二人のみしか知らない話であり、最終的に劉璋は成都の無血開城を受け入れたのであった。


「やはり一人は寂しいものだ。誰にも会えず、誰とも話せず、何をするにも監視の目がつく。湯浴みも、厠でさえも」

「法正や諸葛亮は、あんたを殺すべきと言っていた。俺と玄徳がそれに反対した。だが、これ以上の譲歩は勝ち取れなかったよ」

「良いのだ、むしろ少し誇らしくはある。ワシは警戒されるほどの値打ちがあったのだな。しかし法正、あいつだけはどうにかならんか。書状をよこしたと思えば、嫌味なことばかり書いてきおる」

「イッヒッヒ、それでこそ法正だ。軍師ってやつは性格が悪くないといけないもんさ、俺は好きだぜ」


 元劉璋配下ながら率先して劉璋を裏切り、劉備のために益州攻略戦で大いに才を振るったのがその法正であった。

 今や劉備が最も重用する臣下になっており、政権構築のために多忙のはずだが、わざわざ嫌がらせの書状を書いているあたり、とことん性格が悪いらしい。

 簡雍はにやにやと笑いながら、泥まみれの衣服からひょうたんを一つ取り出した。

 酒だろう。劉璋は呆れながらも近くの棚から椀を二つ、そのまま床に並べて置く。


「あの日と同じ酒だ。成都で、二人で交わした最後のな」

「益州の酒か。久しく飲んでいない」

「懐かしいか? 未練はあるか?」

「まさか。納得の末の決断だ」

「ふん、嘘だね」


 酒を注ぎながら、簡雍は風景画を見ていた。どれもが益州の風景を描いたものばかりだ。

 美人画も、益州の名産品である着物や飾りがあちこちに見える。これで未練がないとは嘘にもほどがあった。


「お前が書いたのか」

「そうだ。これしかやることがない」

「上手いな」

「為政者よりも画家のほうが向いているかもしれんと、最近よく思うことがあるよ」


 注がれた酒を、同時に飲み干す。湧き水のような、清らかな酒である。

 そして心地よく後を追うように、のどや胃が火照り始めた。

 つまみはないが、酒だけで十分だと思える。それほどに飲みやすい酒であった。


「それで、なぜここに来た。その姿を見るに勝手に来たんだろう?」

「俺は酒を飲みたい奴と、飲みたいときに自由に飲む。玄徳だって俺を止めることはできねぇよ」

「…それだけか?」

「ん? そうだ、それだけだ。成都で約束しただろ、また酒を飲もうと。その約束を果たしに来て何が悪い」

「それだけのために、わざわざ」

「おう。玄徳にも止められたから、勝手に職を辞めてきてやった! 今はあいつも忙しいみたいで俺に構ってくれねぇし、暇だったんだ」


 簡雍は劉備の賓客であり、政権の中でも特に高位の立場であったはずだ。それをいとも簡単に捨ててきたと言った。

 さすがに劉璋も開いた口が塞がらず、次の言葉を発せないでいた。しかしこれでこそ簡雍だとも、なぜか納得できた。


「お前は、嘘は吐かない質だ。きっと本当の話なんだろう。羨ましい生き方だよ、あきれ果てるほどにさ」

「そういうあんたも人を疑うことを知らない阿呆だな」

「ん? 嘘をついたのか? 今の話、どこからが嘘だ!?」

「落ち着けって、酒を飲もうぜ、ほら」


 簡雍自身も、どうして今、この時期に劉備から離れることを決断できたのか、よく分かってはいなかった。

 自分は一生あの男の側にいるものだと思っていたからだ。

 男が男に惚れるというのは、友達というのはそういうものだと思っていた。しかし、その道を選ばなかった。


 その答えを知りたくなって、劉璋を訪ねたともいえる。大切なものを捨てることを、この男以上に知る者はいない。

 益州に居た頃よりも体積は半分ほどになっているほどやせ細り、顔に精気はない。しかし笑顔は以前のまま明るい。


「職も官位も捨て、これからどうするつもりだ? ワシに会う目的は果たしたはずだ。玄徳殿に頭を下げて戻るのか?」

「それもいいな。だが、まだ気分じゃない。しばらくこの懐かしい荊州で飲み歩くのも悪くないと思ってるよ」

「そうか」

「俺を心配してくれてんのか?」

「あ、あぁ、そうだな。一人で飲む酒は不味いのだ。もしよければ、しばらくここに留まってはくれまいか?」

「…嘘だな。わかりやすい性格してるんだから、下手なことは言わないほうがいい」


 口元に杯を持っていく手が止まった。動揺が分かりやすく表に出るのが、劉璋の欠点であり、美徳だ。

 騙し騙されることが普通のこの乱世で、ここまで純粋な人間はさぞ生きづらかろう。簡雍はそう思い、笑みを零す。

 だからこそ、こうして友になれた。お互いに生きづらい時代だ、そう笑いあえるだけでいくらか楽になれるものだ。


「言いづらいことなら、別に言わなくてもいい。それくらいで気を病むほど俺は繊細じゃない」

「本当のことを話せばここに留まってくれるか?」

「留まると思うか?」


 簡雍は、自由だ。誰にも縛られない男だ。それは劉璋もよく分かっていた。

 そんな男を生涯側に置き続けられたところに、劉備が英傑と呼ばれる理由が詰まっている。

 故に劉璋は劉備に憧れたのだ。このような男になりたかったと、到底叶わぬ夢を抱いてしまった。


「ならば話だけでも聞いてくれ。これは友として、酒の席で語ることだ。友に隠し事はしたくない。その後のことは君が自分で決めてくれ」

「では聞こうか。所詮、酒の席での話だ」

「今、関羽将軍が江陵より攻め上り、襄陽を落とさんと快進撃を続けている。戦況は圧倒的な優勢と聞くが、戦闘の長期化でほころびは多い」


 どうして監禁の身でそれほど詳しい状況を知っているのか。

 劉璋の目には怪しい決意の光が見える。


「公安だけでなく、この辺りは無理な兵糧の徴収があった。街を見てきただろう? 様子はどうだった?」

「確かに、皆飢えていた」

「加えて関羽将軍は兵糧をうまく集められない後方の諸将に厳しい叱責を繰り返している。民に慕われていても、官僚には嫌われている」

「何故そこまで」

「教えてくれるのだ、逐一な。間もなく天下が動く。関羽将軍が荊州を留守にしている間、既に荊州は調略に染まった。孫権が、攻めてくる」


 江東の群雄「孫権」。曹操や劉備と並ぶ英雄だ。

 しかし強大な曹操に対抗するべく、劉備と孫権は共同戦線を敷いていた。

 荊州を巡る領有権の問題も数年前の会談で片がついている。

 簡雍は背筋に氷の棒を突っ込まれたような、酷い悪寒を感じた。もし本当に孫権が動けば、間違いなく関羽は荊州を失うだろう。


 荊州を失うだけならまだ良い。

 生涯、共に過ごしてきたあの高潔な堅物の友人も死ぬ。しかも最悪の形で、だ。


「関羽将軍は高潔だ。だがその高潔さを他人にも求める。人間は高潔であると信じ切っている。違うか?」

「まさしく。故に孫権を警戒こそすれど、心から疑うことはしない。あれはそういう男だ。背後から刺されるなど思ってもいないだろう」

「間もなくここは戦火に飲まれる。ここを離れるな、友よ。君を危険な目に遭わせたくはない」

「…あんたにも、孫権から誘いが来てるんだな」


 劉璋は頷いた。ここまで調略の手が伸びているとなると、もはや荊州はごっそり孫権に寝返るであろうことが分かる。

 流石の簡雍も手が震えていた。今まで何度も死線を潜り抜け、多くの死を見てきたが、今回は話が別だった。


「ワシは孫権から益州牧の地位を約束してもらった」

「盟約を反故にする男が、それを律儀に守ると思うか? 江東でまた監禁生活だぞ!?」

「それでも、このままここに居ても同じだ。ならば一縷の望みに賭けたい。ワシもまた、劉玄徳に憧れた男なのだ」


 お前は乱世に向いていない。簡雍はそう言いかけて、喉の奥で押し殺した。

 恐らくそれを一番理解しているのは本人だからだ。それでもなお、夢に焦がれているのだ。

 簡雍は頭を抱えて大きなため息を吐く。劉璋はそれを見て、悲しそうに眉を顰めた。


「友よ、だがワシも迷っているんだ。だからこのことを君に告げた。己の夢を追いたい、しかし、それ以上にワシも玄徳殿が好きなのだ。斯様な策略で、玄徳殿の道を壊したくはない」

「俺に委ねるのか、そりゃあ無いぜ。重すぎるだろうよ…」

「しかし君にしか委ねられない。このまま関羽将軍の下に走るにせよ、ここに留まるにせよ、全ての命運を君に託したい」


 この手に、全ての命運が。簡雍の手はひどく乾いて汚れていた。ずいぶん遠くまで来てしまったと、なんとなく思った。

 きっともう間に合わないだろう。確信に近い絶望が胸を占めるが、それでも簡雍は立ち上がらないといけなかった。


「すまん、友よ。お前の夢を潰すために、俺は走るよ」

「頼む」

「また飲もう。約束だ」


 簡雍はひょうたんの酒を飲み干し、それを部屋に残したまま窓から飛び出した。

 涙を流してうずくまり、劉璋はそんな友の無事を祈る。しかし、乱世は常に残酷であった。

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