第6小節目、優しい手

「話がある」


自分からそう言ったくせに、関谷とかいう男子生徒は、押し黙ったまま、抱合うあたし達をじいっと見下ろしている。


その子がしばらくそうしたままでいる間、あたしはあたしで、たった今思い出したばかりの……記憶が確かであるならば、恐らくあたしがつけた、『お殿さま病』というしょうもないあだ名で呼ばれている幼い男の子との思い出を、必死で手繰り寄せようとしていた。


他でもない、10数年の時を経て再び目の前に現れた『お殿さま病』本人の腕の中で。


(いつまで一緒に遊んでたっけ? ある時から、忽然といなくなったような……。

大体、同じ年ってことすら知らなかった)


関谷譲せきやゆずるは、美優から聞いた話だと、子供の頃から彼女にご執心らしい。それに西園寺からの情報を付け加えると、ふたりの周りを「嗅ぎ回ろうとするうざい奴ら」っていう中に確実に含まれる人物だってことは容易に想像できた。



その人物の思い詰めた様子を前に、場違いも甚だしいかもしれないんだけれど…。

それに、ふたりの目的を考えると、早速やってきた「正念場」ともいえる場面なのかもしれないけれど。


でも、あたしはそうでもしていないと、朝一番、車から降り立った時感じた緊張感も、絵麻への後ろめたさも、お昼にあたしを急に襲った切なさも、放課後の先生の大切な忠告も……その後の素晴らしい提案も、久々に描ききった感のある課題によって得た何とも言えない開放感でさえ。


そんな、忘れ去ってしまうには惜しい、今日1日の貴重な瞬間や感情を、全て抹殺されてしまいそうだったから。


……この、ダイレクトに伝わってくる、体温と匂いに。


★★★


あたし達3人がそうしている時間は、思いのほか長かった。


『お殿さま病』は、呆れたように鼻をふん、と鳴らす。

そして、あたしの背中に回していた手を緩め、その場所をぽんぽん、と軽く叩いてから少しだけからだを離した。


汗ばんだあたしの首筋を、ひんやりとした風がなぞる。


(男の子って、こんなにホカホカしたもんなんだ・・・知らなかったな)


解放されてホッとしたのも束の間、背中にあったその手が、そのままあたしの頬に触れる。


(えっ!?)


びっくりして、口をパクパクさせながら顔をしかめて見せると、『お殿さま病』は、額に皺がよる程に眉を大きく動かして、大袈裟に目配せをした。


……このままで。

再び、そう合図している……たぶん。


西園寺はそのまま、見られていても全然おかまいなし、といった様子で、あたしの髪やほっぺたを撫でまわしたり、それを突っついたりひっぱったり、ブレザーの第2ボタンをいじくりまわしたりして、執拗にベタベタするのを止めようとしない。


その手はなんていうか、ふんわりと柔らかく触れて、なんだかとっても安心できて……。


だから、たとえ期間限定であっても彼女でいるって事が、こういう触れ合いに応じる事も含まれるんだということに衝撃を覚えつつも、だまってされるがままになって、小さな頃に戻ったかのような懐かしい心地よさから離れられないでいる。


あたしはもう子供じゃないから、今じゃあパパだって、ママだって、誰だって、滅多な事でもないかぎり、あたしをこんなふうに触ったりしないもの。


その手の温かさとは裏腹に、『お殿さま病』は、背後にいるその相手の顔を見ようともしないで、冷たく言い放つ。


「突っ立ってるだけなら消えてくれないか、しっ、しっ」

「……あらた


そこまで言われてやっと、その男子生徒は、重たい口を開いた。


「美優にーーー考え直す様に言ってもらえないかな?

芸能界なんて、上手くいく方が珍しい世界だし、心配だろう?

おまえから言えば、彼女も、あるいは……」


その言葉を聞いた時の『お殿さま病』・・・西園寺の顔を、見なければ良かったと思った。

怒りの色が、激しく顔を歪ませている。


それは、その時の、あたしのーーーー。

夢の中にふわふわと漂う様な、心地いい気分を一瞬にして粉々に打ち砕く。


「何で俺が?」

「美優は……多分、お前の事が……。だからもし、お前から言われれば」


「またそれ?馬鹿か。

百歩譲って仮にそうだったとしても、そんなもん、俺が止めたからってなどうにかなるかよ。

わかんないの? あいつは覚悟を決めてる。

水を差すなんて俺は絶対御免だよ」


あたしを通り越して交わされる、ふたりの会話。

そこにあたしは居ない。

惨めでいたたまれない気分は、止まない接触を繰り返すその手の優しさに辛うじて救われている。


いちど動き出した西園寺の口先は、その男子生徒への攻撃の手を簡単には緩めようとしなかった。


「俺の周りを散々嗅ぎ回って、疑って、勝手な妄想に囚われてこうやってコソコソ付け回すくせに、肝心の相手の心の内なんて知ろうともしない。

大体、おまえはさっきから、ここに居る陽葵ひまりの事だってずっと無視し続けてるだろ?」


(え・・・あたし?)



「行こうぜ、陽葵ひまり”ちゃん”」


そう言い捨てると、西園寺は少し気だるそうにあたしの手をひいて立ち上がり、ついた砂を申し訳程度に払うと、そのまま肩を抱くようにして歩き出そうとする。


背後から、懇願するような、苦しげな声がした。


「おい、待ってくれよ…あらた!」

「お前さあ、ウザいんだよ。

美優に考え直して欲しければ、自分でそう言え。

俺は今、青春を謳歌してる最中なんだ、マジで勘弁してくれよ」


西園寺は、少し間を置いて、最後の最後にその男子生徒の方に顔を向けて、静かに言った。


「言っとくけどな、おまえにだって、俺にだって……誰にだって、飛び立とうとする者の翼を折る権利なんてないんだよ」



その声は、鈍い痛みを伴っているように・・・・。

あたしには、そんなふうに、聞こえた。

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