第5話 触れてはいけない仙人の逆鱗

「んあ……?」


 窓から差し込む朝日で目を覚ましたジークハルト。いつの間にか眠っていたことを不思議に思いつつ、昨日以上に怠く感じる体をなんとか起こして、寝台から降りる。

 昨日は昼を少し過ぎた辺りから記憶がないので、その辺からずっと眠っていたのだろう。眠り過ぎて頭が少し痛いし、何よりも眠っているのに疲れている。それはきっと、霊華が調合して使ってくれた傷薬のせいだろう。

 ひりひりと傷に沁みているので、そろそろ交換時なのだろう。しかも結構痒い。掻きたいという衝動を抑えながらゆっくり立ち上がって、霊華を探す。


「そういえば、あの人って睡眠とか取るのかな? 女性にとって徹夜や夜更かしは天敵って聞くけど、霊華さんにはそれが当てはまるのかな?」


 昨日の記憶を想起させ、霊華の姿を頭の中で確認する。とても目を惹く綺麗な容姿をしていたため、細部までとは行かずともしっかりと思い出す。その肌は白磁の陶器のように白く美しく、深いスリットから見える脚は触れたらきっと最高の感触なのだろうと思ってしまうほど、いい肉付きをしていた。

 思い返すと意外と露出のある格好であるため、女性経験皆無な上に面食いで、そのくせ綺麗な女性と話すと意識してしまうタイプなので、顔を仄かに赤くして顔を左右に振る。


「……ん? 話し声?」


 筋肉痛のような痛みを発する左足を若干引きずりながら寺院内を歩いて回っていると、微かに霊華が誰かと話しているような声が聞こえる。

 いつも一人だから式神を召喚してそれと話しているのではないかと結構失礼なことを考えるが、昨日式神の召喚はかなり苦手な部類だと言っていたのを思い出し、それを否定する。

 なら誰と話しているのだろうか。来訪者が少ないと言っていたのでいつも一人であるという先入観から、話し相手が誰なのだろうかと好奇心を持ち、覗きと盗み聞きをしようと足音を立てずに歩いていく。


「―――どうか、何卒貴女が会得した不老不死の法を我々にお伝えください、精炎仙人、朱鳥霊華殿」


 こっそり部屋の中を覗くと、見るからに身分の高い衣服に身を包んだ男性が五人部屋の中におり、全員が膝をついて頭を下げている。その対象は、椅子に腰をかけて興味がまるでないかのように、漆塗りの櫛で髪を梳かしている霊華だ。

 見るからに身分の高い男性五人がどうしてと思ったが、不老不死の法という単語を聞いてなんとなく予想が付いた。


「我らが祖国の皇帝陛下が、病に伏してその天命が残り僅かであります。これから先永遠に我が国が栄華を誇るには、今の皇帝陛下が永遠に頂点に君臨し続けなければなりません。そのために、二千年前から存在が確認され今まで生きおられるあなたのその法が必要なのです。どうか、貴女が会得した不老不死の法をご教授していただきたい」


 深々と頭を下げる男は、どこか必死さを感じさせる声で懇願する。声からは焦りが感じ取れ、その雰囲気は何が何でも霊華の不老不死を聞き出そうと物語っている。


「……訂正があります。わたしや他の仙人が会得するのは不老不死ではなく、不老長寿です。歳を取らずに長く生きる、ただそれだけです。病にかかってしまってそれが治せない以上、長く生きるだけの術であるわたしの法を教えたところで無駄です。また、不死身ではないが故に、暗器による暗殺や毒殺も可能です。聞けば、あなた方の国の皇帝は悪逆の限りを尽くしていると聞きます。相当恨まれていることでしょう。そんな人間が仮に不老長寿を得て長きに渡って帝国を支配すれば、国民の恨みや不満が必ずいつか爆発して、暴動に発展し、無駄に命を散らすことになります。そんな見え透いた未来がある国に、仙人になるための法を教えるわけにはいきません」


 淡々と、一切興味がないと言わんばかりに見向きもせず、髪を櫛で梳かしながら突き放すように言う。


「ですが、貴女はこの穂守の国ができて以来の六百年間、ずっと頂点に君臨しているではありませんか」


 食い下がる男。上げた顔からは、その方法を持ち帰って皇帝に教えれば、さらなる地位が確約される。だから諦めるわけにはいかないという考えが浮かんでいる。


「それはあなた方の誤解です。麓の都市国家の方々が勝手に、わたしを頂点であると祭り上げているにすぎません。理由としては、国の頂点である王が生まれたら独裁政治をしかねないから、複数ある街から代表を選んで平等な政治をするためだそうです。わたしはこの六百年間、一度も彼らの政治に口出しをしたことはありません。やるとしてもせいぜい、下らないいざこざを収めたり、都市国家が設立してから何度もこの肥沃の土地を狙って攻め込んできたあなた方を、彼らに代わって撃退することくらいです」


 髪を梳かし終え、卓の上に塗り櫛を置きその隣にある紐で長い髪を一つに括る。

 山の麓の都市国家では、小さな村の時から霊華が無償で数々の施しを与えていたため、それこそ神のように崇めてその神に近い身分とされる王権は絶対に作らないようにしようと、国となった時に国民全員で決めた。

 迷惑は承知だが霊華を穂守の国の頂点であるとして、無駄な権力争いの一切を避けるよう四年に一度の公平な投票で代表を決め、国民全員の意見を聞いて必要なものそうでないものを全員で会議して、できる限り国民の意見や願いを聞き入れるような体制を敷いた。

 そこには霊華の意思は一切介入しておらず、仮に誰かが寺を訪れても簡単な助言を受けるだけに留めている。ただそれだけだ。あとは、何か面倒ごとが起きて収拾がつきにくくなった時に、助けを求めるくらいか。


「そもそも、隣国に肥沃の土地があるから、金が出る鉱脈があるから、美しい景色があるから。美女が多いから。そんな欲だけで他国を侵略してきたあなたたちに、わたしが十年以上かけて身につけた不老長寿の法を教えるわけがないでしょう。穂守の国はわたしからすれば、小さな村の時から成長を見てきた、いわばわたしの子等です。その子供たちを奪おうとしてきたのですし、過去に宣戦布告もなしに戦争を起こし、多くの命まで奪っています。そんな悪行を成したあなたたちからの要求の一切は、突っ撥ねる所存です」

「なっ……!?」

「当然でしょう? あなた方爛花大陸統一帝国は、穂守の国の住人全てから嫌われ、家族を奪われた者からは恨まれ憎まれてすらいます。もちろん、わたしとてあなた方を恨んでいます。家族同然の人を殺したのですから、自業自得でしょう。さあ、もうこれ以上話すことはありません。さっさと荷物をまとめて帰ってください。今丁度怪我人がいて、そろそろ薬の交換をしなければならないので」


 髪を結んで少しだけ指先で遊ばせてから立ち上がり、薬の調合などを行う調合室に向かって足を進める。

 頭を下げている男たちはその背中を見て、肩をぶるぶると震わせている。帝国では言葉一つで自由に人を動かせていたのだろう。取り付く島もないという言葉がぴったりなほど無下に扱われたことが、心底気に食わないようだ。


 だが、それはまさに自業自得なことなのだろうとジークハルトは思った。その土地を奪おうと何度も侵略を仕掛けておきながら、攻め落とすことができないと分かったら霊華の不老長寿の法を教えて欲しいと頭を下げる。

 霊華はあくまで仙人であって政治家ではない。ここで法を教える条件として今後一切攻め込んでこないという条件を付け、向こうの皇帝と公約を結べばそれで手出しはできなくなる。それを破ったとしても、霊華単体で過去に数度軍勢を押し返しているという話を国の住民から聞いているし、過去の歴史にも仙人が一人で一万近い軍勢を押し返したと記されている。


 霊華がこの国から離れない以上、どうあがいても落とすことはできない。向こうもそれは重々承知の上だろう。だから一切攻め込まないという条件を飲むだけで不老長寿を得られるのなら、それは自分の命を投げ出すよりも安い取引だ。

 きっと霊華もそれを分かっているだろう。そうした方が、自分がこの国にいる限り平穏が約束されることが。

 でもその選択肢を取らず、自分の家族を殺した敵を許さないという感情を優先した。それは政治的に見れば最も愚かな選択肢だが、家族を守る親として見ればそれは最も賢いとも言える。


 きっと霊華は、誰か大切な存在を失ったから、今度は悠久の時を生きる中で自分と同じような思いを感じさせないようにと仙人になったのではないかと、そう推測するジークハルト。

 だからこそ、肩を震わせる男たちの次の言葉は、弩級の地雷だった。


「貴女はどうあっても、皇帝陛下のために不老長寿の法を教えるつもりはないのですね? どれだけ金塊を積んでも、果物が良く成る肥沃の土地を与えても」

「金塊など争いの元凶となるものですし、肥沃の土地など自分で作れます。高い権力者としての身分という、天上天下で最も下らないものもいりません。わたしはわたしがしたいように、穂守の国を守るだけです」

「でしたら、貴女のその選択のせいで穂守の国が滅亡の危機に瀕すると言えば、どうしますか?」

「……どういうことでしょうか?」


 ぴたりと足を止め、振り返らずに低い声で言う。

 この時点で、扉一枚越しにいるジークハルトは、霊華が恐ろしく怒っているのが分かった。

 突き刺すような怒りと殺気が僅かに漏れ、自分に向けられているわけじゃないのに腰が抜けそうになる。


「そのままの意味です。皇帝陛下は、貴女がその法を教えないと言った場合、貴女が守護する国に攻め込んで人質として、強引にでも聞き出せと命じました。我々はその御言葉に従い、帝国から十二万の軍勢を引き連れてまいりました。東西南北にそれぞれ三万の軍勢を置き、交渉が決裂したら私の命令一つで攻め込めるように構えております」

「……」


 なんてバカなのだろうと、ジークハルトは思った。確かに、四方から同時に三万の軍勢が押し寄せてくれば、霊華一人では厳しいだろう。それは守護している本人もよく分かっていることだ。だからこそ、それを想定していないはずがない。

 一切の敵を通さない結界か、軍勢には軍勢にと大量の式神が現れるか、もしくはその両方かどちらでもないかは分からない。でも何かしら、最低でも一つか二つの策は講じてあるはずだ。それが思い至らないとなると、大陸統一帝国の皇帝はよほど戦下手かあるいは底抜けの大バカ者だ。


「さあ、どうしますか? 貴女は大切な国民を失いたくない。ですが、貴女の下手な判断一つで、この国は滅んでしまう。男は殺されるか労働奴隷として捕まり、若い女子供は犯され、性奴隷としての道を辿る。なら、取れる選択肢は―――」

「それは、わたしに対する宣戦布告と受け取ってもよろしいのでしょうか?」


 ただ黙っているだけで追い詰められたと思ったのか、男はいやらしい笑みを浮かべてつらつらと話すが、ようやく振り返った霊華の言葉に遮られ、直後大瀑布の如く威圧感でひゅっと喉を鳴らして言葉を詰まらせる。肺が物理的に強く握られているかのように痛い。

 もし物理的な威力があるとするならば、それだけで男たちはおろかこの山自体が崩落していたことだろう。そう思えるほどの、膨大な威圧感。単体で万の軍勢を押し返す力を持つ仙人の怒り。

 ようやく理解する男たち。自分たちは、仙人の触れてはいけない逆鱗に触れてしまったのだと。


「穂守の国の住民を人質にする? えぇ、それは確かに有効でしょう。一人でも人質を得られたのであれば、わたしはあなた方を褒め称えて不老長寿の法を教えましょう。ですが、穂守の国ができてからの六百年間、幾度となく攻め込んできたあなた方を押し返したのは、どこの誰だったかをよく思い出してください」


 こつん、と踵を鳴らす。それがやけに部屋に響き、男五人の肩がびくんっ! と大きく跳ねる。


「わたしにとって数など意味はありません。百人いるのならば一対一を百回繰り返せばいい。あなた方が十二万連れてきたと言うのであれば、一対一を十二万回繰り返せばいい。尤も、そんなことをしている時間も余裕もありませんし、わたしの持つ術と式神の全てを以って軍勢を壊滅させましょう」


 また一歩前に出て踵を鳴らす。濃密な死の気配が、男五人を支配する。


「今まで撃退で済ませてきたのは、単に運がよかっただけです。わたしの秘密を知るためだけに人質を取ると言うのであれば、わたしは撃退ではなく殲滅という選択肢を容赦なくとります。その場合、滅びるのはそちらになりますが」


 三度かつんと踵を鳴らして前に出ると、轟ッ! とジークハルトの知る魔力と似ているが違う何かが、突風のように霊華の体から吹き荒れる。それに乗って、小さな炎がちりちりと姿を見せ、若干魔力的な暴走、霊華の言葉を使えば呪力の暴走が起きている。


「十二万。えぇ、それは他の国からすれば脅威そのものでしょう。ですがわたしからすれば、桁が一つ増えただけの烏合の衆にすぎません。どれだけ数が増えようと、烏合の衆である以上この国の軍が前に出てきてあなた方と戦争をしない限り、誰一人として死者や怪我人を出すことはありません。その事実を、あなたたちは身を以てよく知っていると思います」


 肥沃な土地、年中常に甘い果物の成る山。それを狙って幾度となく奇襲を仕掛け、尽く返り討ちにされた爛花大陸統一帝国。六百年という長い年月の中で、彼らが穂守の国と土を踏んだことは、使者を送るか交渉をする時のみ。武力で強引に入ったことは、過去に一度もない。

 それほどまでに霊華個人の防衛力が突き抜けており、その防衛力が全て攻撃に転じた場合、それが一体どれほどのものになるのか想像も付かない。


 霊華を脅すように軍勢のことを話した男は、十数年前に一度目の当たりにした地獄を思い出す。

 それは、全身が木でできた全長数百メートルの巨龍、木の巨龍と引けを取らない鋼鉄の虎に、水でできた亀と蛇。そしてそれらをはるかに上回る大きさと存在感を持った、炎の巨鳥。四つの怪物が一斉に押し寄せて、二万の大軍がまるで子供が物を壊すかのように、路上の蟻を潰すかのように蹴散らされた。


 数少ない生き残りは、突然体が何かに縛り付けられたかのように動かなくなったり、前に立っている仲間が突然何かに押し潰されたかのように潰されひしゃげ、突然悲鳴を上げてめちゃくちゃに仲間を切りつけたりしていたと証言している。

 いくつか見当はつく。四つの獣は疑似的に召喚された四神、青龍、白虎、玄武、朱雀だろう。獣とはいえ、陰陽道で東西南北を守護する四つの神を擬似的にでも召喚するその技量。そのほかは真言か呪術を使っての攻撃だろうが、そっちは見当も付かない。

 それでも、四神や不可思議な呪術は果敢に攻め込んで行った兵士のみを攻撃し、臆して踏み止まった兵士には一切攻撃を仕掛けてこなかった。つまり、攻め込んでくる敵は容赦無く防衛として滅ぼすが、そうではない恐怖に臆した者は無駄に殺すことはしないということだ。


 完全に手加減されている。そう分かっても、それでもなお埋めがたい彼我の強さ。防衛であれほどなのだ。攻勢に転じた瞬間、それこそ世界最大と謳われる爛花大陸統一帝国が文字通り壊れかねない。

 そうさせる手段を取らせるのは、まさしく愚行。がたがたと震えながらも男がガリッと歯を食い縛り、後ろに控える四人に交渉は決裂し、かつ十二万の軍勢を動かすことなく引き返すという旨を話し、重い足取りで退室する。


 退室ざま、一人の若い男が霊華を鋭く睨め付けるが、まるで気付いていないかのような涼しげな顔をしていたのを見て、その胸の内に怒りの炎を燻らせる。

 一方で霊華は、まるで不愉快極まりないものを見てしまったかのように、見えないように歯を食い縛りすっと目を閉じる。

 扉の隙間から覗いていたジークハルトは、逃げ場所がないと風の魔術で風の層を作り、光を屈折させて姿を消す。集中していないと風の揺らめきに合わせて光が揺らぎ、その空間に不自然な歪みができるので、動くことが一切できない結構不便な術だ。使い慣れれば一切歪みを出さずに素早く動き回れるようになるそうだが、ジークハルトはまだその域に至っていない。


 息を殺して音を一切立てずに、怒り心頭の五人が出て行くをの目で追う。話を聞くだけでは、霊華にここまで無下に扱われるのは自業自得なのに、よくもあんな風に怒れるなと呆れ果てるしかなかった。

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