這っても黒豆

三鹿ショート

這っても黒豆

 彼女の恋人が他の女性と親しくしている姿を見て、嫉妬することはないのかと私が問うたところ、

「彼は、女性だけではなく、男性にも人気があるのです。そのことを理解しているゆえに、彼が私以外の女性と親しくしていたとしても、問題視していないのです」

 実際に、彼女の恋人は男女問わず人望がある人間だった。

 彼とは親しくはないが、他者から聞いた話だけで、彼のことを信用することができる人間だと、私が考えてしまうほどだったのである。

 だからこそ、彼が彼女以外の女性と深夜の公園で交接しているという光景を理解するまでに時間がかかってしまった。

 どれほど頬を抓ったとしても、眼前の光景に変化はない。

 彼女が知れば心を痛めるだろうと思い、この件を話すべきではないと考えたが、恋人を裏切るような人間と関係を続けることもまた、あまり良いものではないのではないかとも思ってしまった。

 迷い続けた挙げ句、私は彼女に事実を伝えることにした。

 だが、彼女は私の話を信じようとはしなかった。

「彼のことを諦めるために、最後に良い思いがしたいと告げられたのでしょう。彼は良い人間ですから、断ることができなかったに違いありません」

 都合が良い考えだったが、その可能性を否定することもできない。

 私の見間違いだったのかもしれないと思うようになったが、くだんの女性と彼女の恋人が再び関係を持っている姿を見てしまったために、これは現実以外の何物でもないと信じなければならなかった。

 証拠として、私は二人の姿を撮影したが、彼女はその写真を目にしてもなお、己の思考を正そうとはしなかった。

 目を瞑ることで、精神的な苦痛から逃れているのだろうが、現実が変化することはない。

 私は、彼女が哀れで仕方が無かった。


***


 彼女のために、私は彼女の恋人に対して、裏切り行為を糾弾することにした。

 彼女が恋人の裏切り行為を受け入れることができないのならば、そのような行為に及んでいない状況に戻せば良いのである。

 私の言葉に、彼女の恋人は溜息を吐いた。

 頭部を掻きながら、私に鋭い眼差しを向けると、

「言っておくが、私は彼女のことを大事に想っている。実際に、私は他の女性たちよりも彼女に対して多くの時間を割き、誰よりも愛しているのだ。きみの目から見れば裏切り行為なのだろうが、彼女に対する私の想いは、真剣そのものである。彼女に対する想いと同じようなものを、他の女性たちに抱くことは無いと、私は断言することができるのだ」

 話に聞いていた姿とは、全くの別人である。

 彼は素晴らしい人間などではなかった。

 そのように信じたい人間たちにとって、彼は素晴らしい人間なのである。

 私はこれまで彼に対して抱いていた感情を捨て、相手を一人の悪人として見ながら、

「私は、きみの想いが聞きたいわけではない。どのような理由が存在しようとも、恋人以外の人間と交わるという行為そのものを問題視しているのだ」

「それこそ、余計な世話である。これは私と彼女の問題であり、外野であるきみがでしゃばることではない」

 どうやら、話は平行線をたどるようだ。

 私は彼に向かって珈琲をぶちまけると、逃げるようにして喫茶店を後にした。


***


 現実逃避をする彼女をこれ以上見ることは苦痛だったために、私は彼女から離れることにした。

 二人に接触することはなくなったゆえに、どのような未来を迎えたのかは不明だった。

 彼女の恋人が心を入れ替えたのか、彼女が現実を受け入れ、恋人に別れを告げたのだろうか。

 何にせよ、私が望んでいるのは、彼女の幸福のみだった。


***


 ある日、反対側の歩道を行く彼女の姿を目にした。

 久方ぶりに彼女を見たが、様子は変わっていないようだった。

 声をかけるべきかどうか悩んでいた私は、其処で彼女の隣を歩いている男性が、見慣れた恋人ではないことに気が付いた。

 裏切られているという事実をようやく受け入れ、別れを告げたのだろうか。

 それならば、彼女にとっても私にとっても、良い未来である。

 やはり声をかけようと考え、近付こうとしたが、私は脚を止めた。

 彼女の手には、犬の散歩に使うような縄が握られていたのだが、その先には、くだんの彼が存在していたからである。

 下着姿で、犬のように四足歩行をするその姿に、通行人たちが目を向けているが、彼女とその隣を歩く男性は、気にも留めていなかった。

 それは、かつての恋人に対する罰なのだろうか。

 そんなことを考えていると、彼と目が合った。

 彼は私に向かって口を動かしていたが、どのような言葉を発しているのかは分からなかった。

 そのまま彼女たちは、雑踏の中へと消えていった。

 私は、先ほどの光景を忘れることにした。

 くだんの彼が大きな罪を犯したとはいえ、彼女があのような罰を与えるとは、どうしても考えることができなかったからだ。

 白昼夢でも見ていたのだろうと思いながら、私は歩を進めた。

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這っても黒豆 三鹿ショート @mijikashort

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