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亀屋 たむ

novel首塚 DAY11 お題「坂道」

 幻覚だな。

 夜勤明けの脳みそを信じていない僕は、そう結論付けた。べつに薬物の世話になっているわけではいないが、布団を欲する朝六時の頭とはバグばかり吐くものだ。

 バイト帰りのセルフスタンドで原付バイクに給油していたら、声をかけられた。目をやるとコンクリートの上に首があった。生首である。

「えーっと」

「ちょっと坂の下まで乗せてくれ。メットインでいいからさ」

 どこにでもいそうな活動的なおじさんの生首が、原付のメットインスペースを狙っているらしい。わからない。文章にして脳内で出力してみたがわからない。

 僕はとりあえずスマホを出した。

「一回スマホで撮っていいですか?」

「えっ。じゃあ何かポーズとる?」

「いや、いいっす。ナチュラルな感じで」

 ナチュラルな生首ってなんだろう。僕はおじさんの目にピントを合わせてシャッターを押した。キメ顔と思しき中年の生首の写真がフォルダに入る。知り合いでもないのに。

「すみません。で、何でしたっけ? 坂ってそこですか?」

 この谷合の町は、駅前を中心にすり鉢状となっている。つまり坂道がぐるっと駅を取り囲んでいる。傾斜が大きい場所は歩道に階段が設置されているほどだ。

「そうそう。この辺いきなり急だよなぁ。一回コケたら海まで転がるだろ」

「いや、駅前で止まるんじゃないっすかね」

「そうなの? じゃあ電車の窓に刺さっちゃうな。困るわぁ」

 生首は妙に明るく笑った。わかったことが一つあるとすれば、この幻覚が今の僕を含めた全僕よりも元気だということだ。脳みそはどこに快活さを隠していたのだろう。日頃から出しておいてほしい。

 最初に鼻を刺したガソリンの臭いは、澄んだ空中へ逃げてしまってもう追えそうもない。もし今が冬なら、代わりに白い呼気と遊んでいただろう。バイト先を出た時の青ざめた静けさはすっかり取り払われ、朝は完全に瞼を開いていた。

 疲れている。眠い。思考がしっかり回らない。ハーフヘルメットに頭皮の表面が溶けている気がする。

「50ccのスクーターで、ギア付きがあるんだなぁ」

「まあ、ないと坂道死ぬんで」

「わかるわかる、ギアある方が面白いよ」

「首にギアって付かないんですか?」

「惜しいな。首界隈はジェットでさ」

 そうか、ジェットなら仕方ない。ジェットだもんな。

 消しゴムを噛もうとする小学生のような気持ちになった瞬間、給油完了を知らせる音が鳴った。僕は瞼を揉む。さっさと帰って速やかに寝たい。消しゴムって何でしたっけ。下宿はちょうどこの坂下で、給油が終わって3分もあれば布団に入れる筈だった。

 きっと今日はいつもより疲れている。だからよく喋る幻覚を出して来て、僕に会話をさせるんだろう。喋っていれば寝落ちしないわけで。

「まあ、はい。行きます。どこに乗せようかな。切断面で汚れたりします?」

「おお、助かる。そこは大丈夫だ。俺はベッチン張ってるから」

「ベッチン?」

「いい生地だぞ。平成生まれは百均の端切れでいいとかな。あれは良くない。良くないと、おっさんは思うわ」

 生首は顰め面をしているようだ。生首界にもファストファッションの波が訪れている設定なのか。幻覚にも世代間ギャップを反映させるなんて、脳みそは凝り性が過ぎる。

 ちなみに生首は昭和生まれ、平成の生首と主張した。人間として生まれて死んで、生首になったらしい。

「なあ、俺はメットインでいいって。ぽんと入れてスーッと行ってくれりゃあ」

「いや、俺、人の頭をケツの下に敷くような育て方はされてないんで」

「おお……、そうか。立派なご両親だな」

 僕はメットインを開けた。手袋にゴーグルにレインウェアに、来歴不明のゴミが入っている。運搬に使えそうなものはない。

「そうだ。コンビニ袋はどうです? すぐそこだし」

「あー、ビニールはちょっとなぁ。すぐ口に貼りつくから」

「たしかにスイカっぽいか。秋なのに」

「悪いな、パイナップルにしては短髪で。あ、紙袋は?」

「ないっす。女子じゃないんで」

 パイナップルも夏だと思う。結局僕はスクーターのフロアボード、つまり乗車時に足を載せる場所に生首を置いて、エンジンをかけずに引いていくことにした。坂道が急なだけならともかく、途中に急カーブがある。速度が出たら遠心力で首は転がり落ちるだろう。駅前で再会してしまう。気まずい。

「足置き場ですみません。シートより安定すると思うんで」

「いや、俺結構踏ん張れるから。手押しは悪いって。エンジンかけない?」

 どうやって踏んで張るつもりなのか。足もないのに。だが根本的な問題として、客に努力を強いるなど、もてなす側としては不手際が過ぎるというものだ。吸着マットか吸盤ぐらいはあっても良かった。磁石が最強。

 ともかく幻覚と会話しながら、僕はスクーターを押し始めた。


***


 水平移動が久しぶりだとか、生首でも重力に逆らえないだとか、最近の生首消滅の原因は交通事故と炎上だとか、そろそろエンジンかけようぜだとか、そんな数々を徹夜の眠気で薄めながら僕は朝の急坂を下る。ハンドルのブレーキを握ったり放したりしている僕の膝下で、生首はよく喋った。

 ブレーキの補佐があっても、ズンとした重みが膝にかかる。足の親指が緊張し、他の指も反り返るように踏ん張っている気がする。安靴が古くなくて良かった。寿命だと爪先から嘴のように裂けてしまう。

 時間帯のせいかすれ違う車も人もあまりなく、追い抜いていく者も少なかった。当然ながら生首は誰に気付かれることもなく、そして危なげなくスクーターに載っている。ハンドルの繊細な取り回しに使う体力など枯れているので、この順調さは幻覚ゆえのご都合主義なのかもしれない。

「何で生首なんですかねぇ……」

「だよなぁ。俺もしょっちゅう考えてるんだけどさ。誰かの計画なんじゃないかと思うんだよ。まず人間体で首を育てて、死後収穫するっていう」

「へー、米みたいっすね」

「俺はヘチマ派」

 別にカボチャでもいいと思う。

「喋るだけなのに」

「これが実は、タブレット使えるんだよ。断面が収まって生き物じゃなけりゃ、何でもいける」

「じゃあスティック型PC系だったんですか。知らなかった」

「いやいや照れるわ。でもワイファイとかファイブジーとか? は、俺ムリよ。おっさんはラジオの電波までかな」

「そっちの方がいいっすよ。家電にアクセスしちゃうんで」

 迷子の自動掃除ロボットを保護できるかもしれないが、それ以外だと不都合が多々起きそうだ。将来自動運転とか言っていられなくなる。

 しかしこれはいただけない。ただでさえご都合主義っぽかった幻覚に、便利な能力が生えてしまった。僕の心の奥底では、何かを無双したかったりするんだろうか。

「なんか、滅びの呪文でSNSのサーバー落とすぐらいでいいっすわ。特殊能力」

「ああ、あれ。アレって予行演習と避難訓練どっちなの?」

「ただの人類の縦ノリっしょ」

「やだなぁ。アレさぁ、生首が加工品ってことを実感しちゃうね。人類は原料で」

「素材の味はフリーダムかぁ」

 坂が急カーブに差し掛かった。ブレーキがよく効いているので、常識的に考えても遠心力は発生しないだろう。カーブの外に樹々はなく、開けた視界の底を家々が埋め尽くしている。どの窓もまだ眠っているようだ。秋の軽量な涼しさが頬を撫でていくが、泥人形のような僕の状態では水気が足りず、うまく吸い込めそうにない。

「人類としては、生首消した方が良さげですかね?」

「そういうのはな、言う前にやらなきゃダメなんだぜ」

 なぜか両目は声の方を見た。見下ろす形になった生首の、睫毛と鼻筋だけがやけにくっきり映る。生首はこちらを見ていなかった。

 だがそれも少しのことで、僕はぼんやりとカーブを曲がった。無意識にちょっと多めに傾けてしまったようで一度だけ立ち止まったが、新たな幻覚は打ち出されなかったので実は微々たる動きだったのだろう。曲がり終えたら坂は緩やかな一本道になる。

「なあ、投げ捨てるなら今だぜ」

「そんな人類みたいな分母のデカい話と俺の人生がコラボするわけないでしょ。やらないっすよ」

「えっ、わかんないだろ。ロマンだよ。夢持ってもいいと思うよ、おっさんは」

 まさか幻覚にロマンを推されるとは思わなかった。

 幻覚の囀りを聞き流しながら緩い坂を下る。帽子付き生首への野望だとか、国産生首は海外で動けるのか否かだとか、超音波洗浄の好き嫌いだとかがあったが、どれも布団欲に薄められてしまう。

「あ、ひょっとしてバイクも動かせるんですか?」

 生首はひときわ明るい声で応じた。幻覚と言えど、生返事は少し嫌だったらしい。それはそうか。脳みそに悪いことをしていた。

「いけるいける、ガソリンなしでいける。入るならメットインがいいよな。これぞ夢の無人走行」

「いいっすね。ガス代高いんで」

「いやいや、それがさぁ。免許失効してんだよ俺。死んだら更新できないから」

「それはそうか。法律って意外とちゃんとしてるんですね」

「なー、よく出来てるよなぁ」

 ブレーキを解放し、膝が軽やかになり、どこかソワソワしていた足裏が落ち着いた頃、僕は原付を一旦止めた。坂が終わったのだ。すぐ横に下宿のバイク置き場へ続く通路がある。

 生首はスクーターから飛び降りた。文字通り斜め前方へぽーんと飛んで、宙で百八十度軸回転すると、1メートルほど離れたアスファルトに着地した。滑らかな動き、静かな着氷。氷ではないが、脳はフィギュアスケートの語録を参考にしたようだ。

 短い感謝と「体に気ぃ付けろよ」の言葉を残して、首は再び飛び上がった。と、同時に姿が消える。役割を果たしたのだろう。おかげで寝落ちすることなく家に辿りつけた。頭よ、ご苦労様でした。

 僕はそのまま原付を手押しで駐車場へ突っ込み、重い体をどうにか運搬した。手は鍵を開けドアを開け、踵が器用に靴を脱がして、馴染んだ部屋に包まれる。ドアは勝手に閉まった。ああ、これで眠れる。やっと沈没できる。

 数時間後に画像フォルダを見た僕が、「わ」とも「あ」とも言えない叫び声をあげたうえ盛り塩を作ることになるのだが、この時の僕にわかる筈もなく――。

 僕は布団の中で崩れた。自分のにおいを吸い込みながら。スマホだけを枕元に置いて。

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