ある若者の肖像

吉永操

第1話

ある日の夜のこと、LINEに突然ひとりの若者からの電話が入った。

早逝した友人の子息からで、元気そうな声に自然と頰が緩んだものだ。話の内容は概ね次のようなもので、その若者らしい気負いと心意気に喜ぶやら不安になったりと。


曰く、僕もお父さんのようにバリバリ稼ぎたい。勤め人では多寡が知れているので、独立して自営業の道に進みたいのだが、協力してくれませんかと。


諸々の経緯があり、つい5年ほど前まで彼の亡父の経営する内装工事会社と契約し、専属の請負職人として働いていた私は彼を幼い頃から知っており、その申し出も自然な成り行きに思えたし、亡き父の遺志を継ぐかのような心意気を是非とも汲んでやりたいと思った。


偶然と言うのはこういう事なのか、時を同じゅうして私も、結果的に今も続くことになったNPO活動に心身共疲れ果て、財政的にも限界になっており、現場の職人に復帰する道を模索していたので、天の采配のようにさえ感じた。


私はそのLINEの電話の時は、即答を避けた。

ともかくもシュミレーションを作成し、旧知の取引先をあたってみるくらいの事はしてからでないと、確約出来ないからとだけ伝えて再会を約し電話を切った。


私はその時から遡ること20年前まで、年商5千万円程度の小さなドラッグストアから始めて、6店舗で年商30億円、従業員数120名のドラッグストアーチェーンを率いるまでに成長させた経営者であったから、先ずは事業計画の素案となるシュミレーションをいくつか作成する事は手慣れた仕事で、合わせて旧知の取引先への連絡、所有する道具類の確認、移動手段となる車の買い替え等、基礎となる作業を進めつつ彼と打ち合わせをする準備をした。


ところが、彼は私と会う前に聞いておきたい事が有ると。

その頃から俄然雲行きが怪しくなってきた。会うどころか電話でもなく、しばらく空白の期間があって、LINEでのメッセージのやり取りに終始し始めたのだ。


以下はそれ以降の顛末。


若者「お久しぶりです。僕は相変わらず終電生活ですが、11月までのプロジェクトを任されて、必死に働いてます。今の会社はそこで辞めるつもりです。自営業になることで、家族と母が反対してます。

母は父のせいで他人の保証人にならされたり、苦労させられたので当然です。ですので僕が自営業するには、失敗したら1人になるという覚悟が必要。

もし会社を作り、潰れたときは負債を抱えることになりますか?先生の想定してる月収はいくらくらいでしょうか?

当然仕事がないと金にならないので軌道に乗ったらの予想で構いません。

僕は最初に入った会社のときは700で、今の会社で600ですので参考にしたいです。

色々聞いてすみません。」


私「がんばってるね。決意が伝わって来て嬉しく思いました。

ただ、基本的に私に聞く事ではないと思う。父上が生きておられれば、もう少し自分で勉強してみたら?、、、と言われるかもしれない。

解答は、全て父上の人生が教えてくれています。


それでは、父上に成り代わって、私が指南を。

先ず、、、父上が負債を抱えるような仕事をしたのは内装業の会社の社長さん時代で、その頃彼は職人でなくデザイナー、元請けだった。

多額の金を動かすので、当然銀行との取引は不可欠で、当座預金を開設し、手形、小切手による決済をしていた。銀行からの借入による設備投資や、運転資金も必要で、業績向上のための試金石だった。


しかし、これには資金繰りと言う仕事が付いて回り、充分な内部留保、資本金が無いと自転車操業に陥る可能性が高い。ご多聞に漏れず、父上の会社もバブル後の建設不況に追い討ちをかけられ、破綻した。現実には生き残る事も不可能ではなかったが、父上は自ら見切りをつけた。


その後の父上は、徹底していた。職人という手堅い仕事を選び、全て基本現金決済にして銀行とは取引せず、借入金、買掛金、未決済手形などの負債を作らない方針を貫いた。

私が営んでいたドラッグストアーチェーンなど小売業には、売掛金が発生する余地はないが、職人業にはこれが発生する。父上はこれにも敏感で、支払いが一日でも遅れる取引先の仕事は、二度とやろうとしなかった。


つまり、会社を作ろうが作るまいが、父上の方針を貫く限り、この職種には基本負債は発生しない。従って自然消滅は有っても、倒産=銀行取引停止処分という事態は有り得ない。


次に、、、700、600は単位は千円?万円?それとも年収?

それと関係なく、収入は無限大と言っていいと思う。何故なら、努力がそのまま収入増につながるのが自営業の特徴だからね。


しかし父上は一番大切にしなければいけない自営業の財産である、従業員の信頼を失う行動を繰り返し、ついには長年の友人で専属の職人であった私の信頼も失った。企業は人だと言う基本を自覚してなかった結果です。

その後の結末はご存知の通り。


結論として、企業でも自営業でも、経営者の経営方針は、その人の人間性、知性や品格を漏れなく写しだす鏡と言われる所以はここに有る。

経営者たる者、自分という人間を磨けば磨くほど、それがそのまま業績向上につながる、という事を肝に銘じておく事です。


そんなあなたの考え、働く姿を見て、尚且つ不信を抱き続ける家族ならば、世間知らずにも程がある!と、逆に諭して上げなければならないと思います。完全に事実を湾曲して捉え、間違った固定観念を持つ事は、愚かな事だからね。失敗したら一人になる覚悟より、信じる道を歩むあなたを信じ、支えてくれる家族を作る覚悟の方が大切だよ。


但し、現状では四面楚歌のようなので、いくら説明しようとご家族を納得させるのは難しいと思う。行動で示すしかないね。

私が必要としているのは、今後のスケジュール作りだが、具体的な話は、また別稿にて。

先ずは、基本的認識を再確認して下さい。他に疑問があれば何なりと。体を壊さないように、ほどほどに頑張って下さいよ!」


すかさず若者からメッセージが入った。「家族と繰り返し相談し結論をだしました。申し訳ないのですがこの話はなかったことにしてください。

僕から相談しておきながら本当にごめんなさい。」


私は虚しく思い出した。

私が働いていた亡父の会社にアルバイトに来ていた彼が、二人で話していた会話を。

「お父さん。マンションもうひとつ買っといた方がいいよね、他に儲かる方法ってある?」云々、、、


誠ちゃん、あなたへのメッセージでもあります。金が金を生む世界が君の人生なのでしょうか。“誠”の字が表す世界が君の心にありますか。

偽りのない心、人に対して善かれと思う心、真情、誠意を尽くす心、お金で幸せまでは買えません。

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