天の蟹になるまで

すーみと

天の蟹になるまで

「うーん、お節介かもしれないし。いや、でもなー」


 宇宙のどこか。


 悩まし気に、それでいて楽し気に、地球を観察している存在がいた。


 その者は、いうなれば「宇宙の神」だった。天に浮かぶあらゆるものは、太陽のように巨大な恒星から、銀河系の彼方の塵ひと粒に至るまで、すべて彼が創造した。ヒトが暮らすための水と大気がある稀な星、地球も彼の手で生み出された。


「みんなはどう思う?」


 辺りは闇であり、静であり、無だった。


 誰も彼の問いかけに答えない。


 そのはずなのに、


「だよね! よし、決めた!」


 彼は、友人たちから多くの同意を得たかのように、瞳に輝きを宿して笑った。


「あの子を、こちら側の世界に迎え入れよう!」


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 世にも不思議なカニがいた。


 そのカニは、地球、ユーラシア大陸の極東、日本という島国、そのなかでも、かなり北に位置する離島の海岸で、ひっそりと生息していた。


 彼、もしくは彼女、カニの性別には疎いので、ここでは「それ」と称する。


 「それ」は、星を見ていた。


 毎晩のことだ。日が沈み、夜に包まれ、また日が昇るまで、ずっと「それ」の目は星空だけを映している。


 日中、「それ」はボーっと過ごしている。目を開けているのか、閉じているのか分からない。もっと言えば、生きているのか、死んでいるのかすら曖昧だ。およそ動作といえることを「それ」は一切しない。


 しかし、一番星を視界の端に認めれば、「それ」の首はすぐさまグワっと上空へ向けられる。その時だけは、幾分「それ」からも生気が感じられた。そのまま、飽きもせず惚けたように、瞬きも忘れ、星を見続けるのだった。


 「それ」の奇妙な生態には、いくつか理由があると推測する。


 第一に、「それ」は不眠症だった。昼間はもとより、夜が来ても眠れない。砂浜の松の木や、日ごろトビウオと格闘する海鳥、堤防の向こう側のヒト。彼らのように眼を閉じ、朝の訪れまで意識を手放すことができなかった。故に、星を見る。


 第二に、「それ」は泳げなかった。そのことが意味するのは、海に入れないということだ。「それ」はカニであるにも関わらず、母なる海から拒絶されている。当たり前だが、陸からも拒絶されていた。「それ」はカニ歩きしかできないから、堤防の上には行けない。必然「それ」を拒まない世界は、広大な天空のみ。故に、星を見る。


 第三に、「それ」は孤独だった。身近に寄り添ってくれる相手がいなかった。親、きょうだい、友だち、恋人、その類の存在は一匹もいない。ごく偶に、砂浜を横切るフナムシを目で追うくらいで、他の生命との交流が皆無だった。故に、星を見る。


 けれど、これは仮説にすぎない。哀れなカニが受動的に、いわば仕方なく惰性で、星を見ていると仮定した際の話だ。


 真実は全く逆かもしれない。


 星を見たい故の、不眠症。星を見たいから、泳がない。星を見るため、独りでいる。星が好きだから、星を見る。ややこしい理由などない。


 そうとも考えられる。


 確かなのは、「それ」は昨日も明日もそして今日も、星を見るということだけだ。


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「とまあ、色々とあの子について考察してみたけど、こればっかりは神である僕にも分からない。もしかしたら、あの子すら分かっていないのかも」


 彼は、「それ」との邂逅がひたすら待ち遠しい。


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 突然、星々で満たされていた視界が、何者かによって遮られた。


 一匹の小さなカニは、宇宙の神にこう告げられた。


「きみ、星にならないか?」


 後に蟹座と呼ばれる星の誕生であった。


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天の蟹になるまで すーみと @suimido_dododo

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