地底の葬送歌①

くぼみから出た燐とアリスは、照り付ける人工の太陽に目を細める。

そして、絶えることのない轟音の方角へと進んでいく。


一歩、また一歩と進むごとに、【呪術師】としての燐の感覚が、濃く強い呪いの気配を捉える。

揺れる地面が奏でる重低音は、まるでダンジョンの悲鳴のようだった。


「それで、どうするの?」


アリスは燐に問う。とてもあのモンスターを討伐できるとは思えない。

その声には、否定的な色が濃かった。


「まず、斧と切り離す」


燐は間を置かずに答えた。

『呪われし小鬼』が『名持ち』に変異したとはいえ、元となったモンスターは呪いの武器の使用に特化したモンスターだ。

その戦力は、斧を切り離せば大幅に減少するのではないか、というのが燐の推測だ。

だがアリスは懐疑的だ。


「どうかしら。斧も含めての『名持ち』になったんじゃないの?だとすれば、斧は肉体の一部でしか無くて、切り離しても呪いの力は使える、って可能性が高いわ」


呪いの斧を持った『名持ち』なのか。

『呪いの斧を持った名持ち』なのか。

その真実は、呪いの武器と切り離すまで分からない。


「そうかもな」


燐も苦い顔でアリスの推測を肯定する。

燐が見た鬼の片手斧は、鬼の肉体変化に合わせるように巨大化しており、細かな意匠も変わっていた。

小鬼の名持ち化の際に取り込まれたとみるべきだ。


「どっちにしろ斧は邪魔だ。右手諸共吹っ飛ばしてやるよ」


燐にはその手段がある。


「鬼の厄介な『スキル』は、斧と身に纏った炎だ。斧はこいつで吹っ飛ばす」


燐は右手に握る金属製の玉を見る。呪いの小鬼討伐のために購入したマジックアイテムであり、巨大な爆発と熱を発する爆弾だ。

下層のモンスターも殺せる破壊力があるが、その分値段も高く、予備も含めて2つしか買っていない。

一発はシュン達を助ける際に使用した。残りは一つ。


「炎は、右手で剥がす」


【呪術師】の燐が見た限り、炎は熱エネルギーを帯びたものでは無く、呪いが変異した物理的な鎧のようなものだ。

その硬度は、燐が大金をはたき買ったマジックアイテムが直撃しても無傷で済ませるほど。

だが、呪いを弾ける燐の右手ならば、鎧を引き剥がせる。


「どうやって近づくのよ」


『スターレイン』の若手パーティーを蹴散らした『アビリティ』の前では、レベル3の燐はゴミも同然だ。多少身体能力を上げる細工はしているが、焼け石に水程度の誤差だろう。


「アリスに頑張ってもらう」


笑って、燐は作戦を話し始めた。それを聞いたアリスは、表情を固まらせた。


「ちょっと、本気?」

「本気も本気だ。のんびり戦う余裕はない。すぐにがやって来る。横取りされるのはごめんだ」


燐は救援隊の中にいた見知った顔を思い出して、そう言った。

燐が止まらないと知っているアリスは大きなため息と共に諦めた。


「【ハインド】」


燐はアリスに認識阻害の魔法をかけてもらう。

そのまま気配を殺して、呪鬼の元まで向かっていく。


(いたな………)


木々の向こう側、破壊により生まれた広間を、巨体の鬼が歩いている。

距離にして50メートルほど。だが鬼が燐に気づく気配は無い。


(やっぱり索敵能力はないか)


あれば燐たちを探して森中をうろつき回る必要はない。

それに索敵能力の低さは、『呪われし小鬼』の時にもあった弱点だ。

燐は推測が当たったことに安堵しながら、バックパックから鎖を取り出す。


以前まで使っていたものよりも一回り太い鎖だ。

下層の鉱石素材を使って作られた大型モンスター拘束用の武器だ。

『呪いの小鬼』を拘束するために購入した品だが、【炎縁傷呪】グーラには通じないだろう。

基礎『アビリティ』が違い過ぎる。


燐は鎖の片側を、地面から突き出した岩に巻き付ける。


そしてもう片側を限界まで伸ばして、地面に置く。

一直線に伸びた鎖が、下草の陰に隠れるが、罠というわけではない。ただ鎖を置いただけだ。

だがこれでいいと、燐は満足そうに頷いた。


「やるぞ、アリス。準備はいいな?」

「よくなーい」

「【呪いカース】【泥の靴マッド・ブーツ】」


不服そうなアリスに構わずに、自身が持つ二つの『ステータス異常』魔法をかける。

アリスの全『アビリティ』が低下し、さらに『敏捷』が低下する。

アリスはふらふらと飛びながら、燐の胸元に入り込んだ。


「じゃあ、頼んだぞ」

「分かったわよ」


アリスは諦めたように手を突き出した。

そして詠唱を始める。


「『光の円環、巡る輪廻。消せぬ鎖よ、我らを繋げ。光輝の精は私を憎みし我が半身。共に歩きましょう、地平の果てまで』」


一息に詠唱を完成させる。

高鳴る魔力に、グーラも気づく。


『GAAAAAA!!』


逃がした獲物だと気づいたグーラは全速力で駆けてくる。

その動きを、燐はまるで見切れなかった。


(はっや……!)


グーラのアビリティは、【力】と【生命力HP】特化型。それにもかかわらず、燐は【敏捷】ですら欠片もついて行けない。


「ふっ!」


燐は右手に握っていた小さな球を放る。爆発のマジックアイテムではない。それは空中で真ん中から割れ、閃光を放った。


『GAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


現れた太陽の如き輝きに、グーラは立ち止まり両手で顔を覆う。

足は止まり、燐はようやくグーラの全身を視認できた。


(近すぎだろッ!?)


燐は想像以上に近づいてきていたグーラの巨体に冷や汗を流す。

脳内で敵の【敏捷】を一段階上昇補正させる。


「【フェアリーリング】!」


アリスの魔法が発動する。巨大な光輪が現れ、グーラへとアリスの【状態】が共有される。

【呪い】と【泥の靴】。二種の状態異常がグーラに適用されようとする。

だが―――


「弾かれた!」

「クソっ!」


燐は血相を変えて森の中へと駆け込んでいく。グーラの目が潰れている隙に、少しでも遠くへと逃げるべく敏捷を全開にして走り去っていく。


「やっぱり耐性あるか……!」


アリスの【フェアリーリング】はアリスの状態を光輪内の相手へと共有させる。

だが、状態異常が通るかどうかは、対象のアビリティやスキルによって左右される。

燐がかつて【耐呪】のスキルにより、自身だけは状態異常の光輪から逃れたように、耐性がある相手には【呪術】が通らない。


【炎縁傷呪】グーラは、元となったモンスターからして呪いへの耐性は高い。この結果は予想出来ていた。

それでも、燐よりも遥かに【魔力】が高いアリスの魔法が防がれたという事実は、燐の心中に暗い不安をよぎらせる。


だが、不安に浸る暇はない。燐の背後から轟音が響く。

木が丸ごと飛んできて、燐の進路に転がっていく。


「うおっ!」


地面を削り取りながら爆散した投擲の迫力に、燐は思わず立ち止まる。

そしてある事実に気づく。ここは森だ。

投擲の武器になる木はいくらでも生えている。距離を離せばまた飛んでくるだろう。そして燐の【敏捷】では避けきれるかどうかわからない。


――――撤退は、もうできない。


その事実は逆に、燐の心で揺れていた臆病心を抑え込んだ。


「アリス!もう一回だ!」


呪術は通じなかった。だが耐性が100%ということは無い。

通じないなら通じるまで何度でも試す。

燐はまだ手元にある発光玉を汗が滲む手で握りしめて、グーラに向き合う。


燐は投擲の体勢を取る。

だがグーラはまだ遠い。今投げても効果は薄い。かといって投げ時を失えば燐は死ぬ。

相手の桁外れの【敏捷】に発光を合わせなければならない。


「綱渡りだな……」


余りに遠く、険しい道に苦笑が滲む。


「ワタシは反対したからねっ!【フェアリーリング】」


木々を薙ぎ払いながら現れたグーラに閃光弾を投げる。それと同時にアリスの魔法も発動する。


グーラはアリスの魔法が不発に終わったことで脅威を感じなかったのか、光輪は完全に無視して受け入れる。だが閃光弾は警戒し、腕で目を隠す。

だがそれでいい。隻腕のモンスターの片腕が塞がれば、攻撃はない。


燐は【フェアリーリング】の結果を見届けずに走り出す。


「ダメ!」


アリスが失敗を告げる。

燐は舌打ちをする息すら惜しみ、全力で手足を振るう。


『GAaaaaaaaaaaa!!』


視界が潰れなかったグーラは燐の後姿を視界に収め、駆け出そうとする。

だが瞬間、視界が白煙で包まれた。


『――――!?』


閉ざされた視界に困惑の声を漏らす。

2階層で生まれたグーラには、視界を覆う白煙など見たことは無い。

そんな環境も無ければ、攻撃をするモンスターもいなかったからだ。


だからこそ、狼狽え、突っ込むことは出来ない。


生命体としての本能が、得体の知れない気体を吸い込むことを忌避するからだ。

だからといって、無害なただの煙だと嗅ぎ分ける五感も無い。


ゴブリン種は高い知性の代わりに獣の五感を失った種だ。

無知な人間を相手にしていると考えればいい。

燐は見事にグーラを翻弄していた。

だがそれは、ミス一つで吹き飛ぶ優位だ。彼我の戦力差はそれだけ高い。


燐は二度目の逃走を果たした。


「次だ!行くぞ」


燐は間髪置かずに、踵を返してアリスに詠唱を命じる。

白煙が残り、予想以上にグーラが困惑している今がチャンスだと判断したのだ。


「【フェアリーリング】!」


光輪は弾かれた。

くそっ、と燐は悪態を吐き捨てて煙幕弾を投げる。

白煙がさらに濃くなった。


燐は逃走しながらポーチの中を漁る。戦い始める前は一杯だった中身は、すっかり寂しくなってきた。


(閃光弾は切れた、煙幕弾が5個か……!)


あと五回、仕掛けられる、とは考えない。煙幕を使うには森という環境は広すぎる。すぐに煙が散るため、濃い煙幕を作るには複数の煙幕玉を使用する必要がある。

また、何度も煙幕を使えばグーラも対応し始める。


(2,3回が限界か)


最悪一回で使い切る可能性もある。それが切れれば詰みだ。

ここからはアリスの魔法だけに頼る余裕はない。

特攻覚悟で出の遅い【呪い】を掛けに行くしかないと、燐は覚悟を決めた。


『GAAAAAaaaaaaaaaaaaaaa!!』


苛立ちと憤怒を感じさせる咆哮が轟いた。

それと同時に【呪術師】の感覚が、煙の奥で膨れ上がる巨大な呪いの気配を捉える。


「しゃがんで!」


アリスに言われるよりも早く、燐は倒れ込むように地面に伏せていた。その頭上を何かが通り過ぎる。

斬、という僅かな音と共に、燐の視界に映る木々が伐採された。


巨大な回転する斧はその刃で大木を断ち切り、頑丈な柄は枝葉を砕いた。

燐が最初に仕掛けた広間まで一気に視界が広がる。

森を切り裂いた斧は空中で回転し、持ち主の元まで戻っていく。


「そんなこともできるのか!!」


燐は木の切り株を足場に一気に広間に駆けていく。

邪魔な木々が消えたことで燐の速度は上がった。

だがそれはグーラも同様だ。

切り株を踏み潰しながら、走り抜ける。


『GAAaaaaaaaaaaaaa!!』


振られた腕が、燐の背後を掠る。

巨大な刃の冷徹な鉄の感触を感じた燐は、どっと冷や汗を吹き出しながら、転がるように広場に辿り着く。そして手に持つ煙幕弾を全て放り捨てる。


今までよりも遥かに濃く、広い煙の塊は燐の姿を覆い尽くす。

グーラは最後に燐が居た地点に、思い切り斧を振り下ろした。

呪いの武器の力で増幅された破壊力が地面を砕き、黒き呪いと共に衝撃波をまき散らす。


煙は一気に晴れた。


燐はグーラの背後にいた。手を伸ばせば届くほど近く。まさか反転してこないだろうと考えていたグーラの虚をつく挙動だ。

高まる魔力と呪術の気配に、グーラは気づく。だがもう遅い。

セットされた二つの魔法は放たれた。


「【呪い】!」

「【フェアリーリング】!」


『GAaaaaA!?』


掛かった。燐は拳を握りたくなる気持ちを抑え込む。

何という幸運か、両方の魔法が通った。

グーラには【呪い】が二つと【泥の靴】が掛けられた。

一気に低下したアビリティが、グーラの身体から力を奪う。


燐はその隙を見逃さずに、短槍を両腕で振った。


「ぶっ殺す!!」


気炎を吐いた一撃は、会心の手ごたえと共に胴体を捉えた。

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