祖父と妹と兄

「おお、燐。お前が無事でよかった……」


久しぶりに会った祖父は、記憶の中よりも老け込んだように思えた。

それは、実の娘が死んだこともあるのだろう。

それでも、自身の生存を喜んでくれた祖父の存在に、燐は胸が温かくなった。


だけど燐は、久しぶりの再会を喜ぶよりも、どうやって『特区』に残って冒険者をしたいと言い出すかを迷っていた。


祖父母の家は、四国だ。自分と音々は唯一の肉親である彼らに引き取られ、四国に行くことになるだろう。燐は巨大迷宮があり、冒険者向けの設備の整っている『特区』に残りたいと思っていた。


祖父は今はホテルに泊まっているらしい。

祖母は、足が悪く、両親の葬儀が終わったときに先に帰ったと聞いた。

燐たちも、祖父の隣の部屋を取ってもらい、そこで寝泊まりをしている。

両親が死んだことで手続等があり、今は東京に残っているが、いずれは四国に行くことになる。その前に言い出さなければならない。


燐はホテルのベッドに座り、悩んでいた。

妹の音々は、祖父の部屋に遊びに行って、疲れて眠ったらしい。だからこの部屋には今、凛とアリスだけだった。


「すぱっと言いなさいよ。後回しにするほど言いにくくなるわよ」


社会人みたいな正論を妖精にぶつけられた燐は、何とも言えない顔をした。

そして黙ったまま、スマホを操作する。

以前持っていたものは破損し、無くなった。また、契約者であった両親が死んだため、契約ごと新たにし直したものだ。

そのせいで連絡先も全て無くしたが、元から家族と幼馴染の連絡先ぐらいしかなかった。

燐はまっさらなスマホを開いて、冒険者向けの各種サイトを開き、眺めていた。

手元のノートには、書き出した情報が並んでいる。


「何に悩んでんのよ」


手元をアリスが覗き込む。さらさらと流れる金糸の髪が邪魔で、その小さな頭を指先で押し出す。


「全部だ。ジョブ、パーティー、武器とかな」


燐は一度冒険者になることを諦めた。それは自身の生まれ持ったユニークスキル【右方の調律】によるデメリット、『種族レベルアップ必要経験値10倍』のせいだ。


再び冒険者を目指したからと言ってその大きすぎるデメリットが消えるわけではない。

普通の冒険者が1レベルを上げるのに討伐するモンスターが10体だとすれば、燐は100体討伐する必要がある。


「俺のスキルによる問題点は、大きく二つ。俺がダンジョンの最前線で戦えるようになるころには俺はよぼよぼの爺さんになってること。もう一つが、パーティーが組めないことだ」


燐は冒険者になるために、基礎的な情報は身に付けていたため、自身のスキルの致命的な点に気づいていた。


「普通に冒険者業をしてれば、普通の冒険者の10倍、レベルアップに時間がかかる。なら、普通じゃない手段でレベルアップする必要がある」


種族レベルアップの際に必要となる経験値はモンスターを討伐することで手に入る。

経験値の量は、モンスターの強さで大体の量が決まり、そこから彼我のレベル差による加減算がされ、貢献値に応じて配分される。

つまり、強くてレベルが上のモンスターを一人で倒せば、最大の経験値を得られるということだ。

燐が人並みのレベルアップを目指すにはそれしかない。


アリスは、燐が言わんとすることを理解して、眉を顰めた。

言葉の上では、それが最高効率だが、そんなものは自殺行為だ。

もし一度、あるいは数度成功しても、いずれは実力差という揺るがぬ事実に足を取られ、死ぬ。

もし燐が無茶を通り越した自殺まがいのまねをしようとしているのなら止めようと、アリスは決意した。

だがその決意も、次の燐の言葉で消えた。


「だけど現実的じゃない。その自殺行為を無茶にまで落とせる要素を探してんだよ」

「へぇ、考えてるのね」


感心したと、アリスは鷹揚に頷いた。

何様だと言いたくなったが、燐は堪えて小さく返事をする。


「やると決めたなら、後は道だけだ」


少なくとも、自暴自棄になって冒険者を目指すと言ったわけではないようだと、アリスは燐を見て安心した。


「パーティーを組めないのもきついが、自由にジョブを選べると思うことにした」

「まあ、10倍だもんねー」


アリスは、燐の言葉を肯定する。


通常、冒険者は『パーティー』と呼ばれる集団で、ダンジョン探索を行う。

ダンジョンを管理するDMも、冒険者にはパーティーを組んで探索をするように推奨している。

パーティーを組む際に最も重要なのは、お互いのレベル、そして才能だ。


モンスターから得られる経験値は、戦闘に参加した者の間で、貢献度に応じて配分される。

どうやって貢献度を測っているのかは分からないが、かなり正確に算出される。


例えば、一人が高レベルで一人が低レベルの二人組パーティーがあったとすれば、討伐したモンスターの経験値は、高レベル一人に集中し、低レベルの者はほとんどレベルが上がらない。

そうなれば、2人の実力差はどんどん開いて行き、やがてはパーティーを組めないほど一方が足手まといになる。


また、才能の差もパーティーを崩壊させる大きな原因だ。

冒険者は、モンスターを倒し得た経験値で、高度な進化ともいえるレベルアップを成し遂げ、超人的な能力を手に入れるが、そのレベルアップの際に上昇する身体能力、魔法力は、個人の資質によって違う。

同じようなレベルの冒険者同士でも、才能の差で実力に差が開き、パーティーが組めなくなることも多い。


才能はどうしようもないが、レベル差はパーティーを組む前に分かるため、DMは、パーティーメンバーのレベル差は10以内が望ましいと発表している。


これを燐に当てはめると、同レベル帯の冒険者と組み、同じぐらい戦闘に貢献しても、燐のレベルアップ速度は10分の1となり、すぐに実力差が開く。

そんな奴とパーティーを組みたがるものはいない。


「固定のパーティーを組めないデメリットはでかい。いろんな敵に対処するために万能型になるしかないし、何より危険だ」


DMがパーティーを組むことを推奨している理由は、それが冒険者の生還率に大きく関係するからだ。一人で戦っていれば、一つのミスで命を失いかねない。

だが仲間がいれば、リカバリーされ、重傷を負っても仲間が連れて帰ってくれることもある。


ソロでダンジョン探索をするというのは、命綱なしで崖を昇るのと同じことだ。


「何言ってんの、ワタシがいるでしょ!」


だが燐には、彼女がいる。

アリス。人間に宿った変わり者の妖精だ。


「戦えるのか?」


燐はアリスの実力を訝しむ。

妖精が強いという話を燐は聞いたことが無かった。


「ふん!見なさい、ワタシのステータスをっ!【ステータス】!」


アリスが魔法名を唱えると、燐の脳内に、情報が流し込まれた。


―――――――――――――――――――――――――

Name:アリス Lv.1 Race:妖精

Ability

生命力:―― SP:100 MP:400

力:50 敏捷:100 器用:90 

耐久:100 魔力:300 幸運:100


Race Skill:【妖精魔法Lv.1】:『ステータス』『イミテーションステータス』『ハインド』『アテンション』『ポケット』『ミニヒール』

     【宿り木作成】

―――――――――――――――――――――――――


「これは、アリスのステータス?」

「そうよ!ワタシ、妖精だからLv.1でも結構強いのよ!」


自慢げに胸を張るアリスを、燐はまじまじと眺める。

上下差が激しいアビリティとか、見たことのないスキルとか気になることはいろいろあるが…………。


「何で生命力が無いんだ?」


一番気になることを聞く。死者を【鑑定】スキルで見れば、0と表示されるらしいが、これは別の意味なのだろうと燐は予想した。


「これはね、燐と共有ってこと。燐が生きてる限りは死なないし、燐が死んだら一緒に死ぬの」

「なるほど、そういう不死なのか」


燐は、妖精の不死の秘密を知った。妖精とは恐らく、寄生生物のようなものだ。

何かを宿木にして、それに住み着き命を共有する。

今まではダンジョンに対して、寄生し、命を共有していたため、不死だった。

それを【宿木作成】のスキルで燐に寄生先を移したことで、限定的な不死になったのだろう。


かなり無茶苦茶な生態だが、ダンジョンが自身の管理をさせるために作り出した生物だとすれば、それにも納得できる。


「じゃあ、2人パーティーだな」


燐は安堵して、微笑んだ。燐の最大の懸念は、一人で探索することのリスクだった。それを軽減できるアリスの存在は、どんな命綱よりも安心感を与えた。


「えへへへへ。そうね、頑張りましょう!」


初めて笑みを向けられたアリスは、照れたように笑って、ぐっと拳を握った。


「次は、俺の『戦い方』だな」


燐はぐっと伸びをして、再びスマホの画面に向かう。夜も深かったが、中途半端なまま終わることは出来なかった。


「ワタシも手伝うわ!ダンジョンのことなら詳しいし!」


2人はいろんな策を出し合い、燐のジョブを考えた。

その間だけは、燐も楽しそうに笑っていた。


□□□


「俺は、冒険者になりたい」


翌日、燐はホテルの部屋で、祖父と音々の前で、そう告げた。


それを聞いた二人の反応は、どうして今言ったのかという疑問と、まさかという予感だった。

燐が冒険者になりたがっているということは、2人も知っている。

燐のユニークスキルのデメリットも燐が一度挫折したことも知らない二人にとっては、突然周知の事実を伝えてきたことになった。

そしてそれを四国へと向かう直前に言い出したことの意味が分からないほど、2人は愚かでは無かった。


「『特区』に残って、冒険者になりたい」


祖父は小さく唸り、頭を抱えた。

当然反対したいが、頭ごなしに否定することもできず、言葉を選んでいた。

自分のことを思い考えてくれている祖父に、燐は心中で感謝の気持ちを感じた。

それと同時に、聡明な祖父の姿に、母の姿を重ねてみて、心が痛んだ。


「なぜ、今なんや?」


田舎の訛りが混じった発音で、祖父は問う。それは、ダンジョン創成期を生き延びた彼の勘とも言うべきものが、燐の瞳の奥に垣間見える執念を悟ったからかもしれない。


ダンジョンに入れるのは、15歳になった翌年の4月から。つまり、高校生になってからだ。

多くの冒険者は、その年齢からダンジョンに潜り始め、高校や大学を卒業してから専門的に潜り出す。

燐は来年で14歳、中学2年生になる。法的にもダンジョンに入れる年齢ではない。


「なるべく早くに潜りたいんだ」


祖父の問いに答える。

燐はダンジョンに潜れる年齢ではない。だが例外はある。


「……夜見石さんところを頼るんか?」


それは、祖父の考える中で、最も可能性が高い方法だった。

燐の幼馴染の母は、大手ギルドの首脳陣だ。彼女を頼れば、ギルドに属せるかもしれない。

だが燐は小さく首を振った。


「いや、それは、無理だから、『特迷法』を使う」


資格外の年齢の者がダンジョンに潜る方法は二つある。

ひとつは、『例外的冒険者資格』だ。

この資格を所持するものは、申請を出し、国に認可を受ければ『例外的冒険者資格』という未成年のダンジョン探索を許可する資格を発行することができる。

当然、最難関資格となっており、知識の他にも人格テストや何度にも渡るカウンセラーとの面接など取得のためのハードルは高い。

現在、数多存在する冒険者組織―――通称、ギルド―――の中にも、この資格を持つ者は一握りの大手と呼ばれるところのみであり、燐が今から冒険者になろうとすれば、大手ギルドに属する必要がある。

だが、当然未成年をダンジョンに潜らせる以上、企業への批判も多く、企業側も相応の能力を資格要求者に求める。


今まで戦闘訓練を受けておらず、まともなパーティー活動をできない燐を受け入れるところはないだろう。

祖父の言ったように、夜見石家を頼れば、入れるかもしれないが、今はまだ幼馴染に会う覚悟がなく、意識的に除外していた。


だからこそ、二つ目の方法だ。

『特異能力者迷宮探索推進法』。それは、ユニークスキル保有者をダンジョンに送り込むための法律だ。ダンジョン創成期、戦力となる者が少なかった時代に作られた法律であり、ユニークスキル所有者は、申請すれば、年齢に関わらずダンジョンに潜ることが出来る。

人道に反していると、諸外国ではすでに廃された国も少なくないが、日本では問題が起こらない限り制度を改めない保守的な政治観と、ユニークスキル保有者を管理したいDMの思惑が重なり、今も維持されている。


燐は二つ目の方法で、ダンジョンに潜ろうとしている。


燐はいい淀み、ちらりと目を逸らす。そして音々と目が合った。

目に大粒の涙を宿して燐を睨みつけていた。


「いい加減にしてよっ!」


悲痛な叫び声が部屋を切り裂いた。


「ママもパパも死んで、おじいちゃんも大変なのに、何でそんなこと言うの!」


大粒の涙の雫が、悲痛な弧を描いて頬へと降る。

理屈立てて聞いていた祖父の言葉よりも、妹の感情的な言葉はより深く燐の胸に刺さった。

それでも、諦めるわけにはいかなかった。


「ダンジョンに行きたいんだ。諦める気は無い」


言い切った燐の言葉に、今度は音々が怯んだ。

今までの燐ならば、音々が泣いて頼めば何でもしてくれた。仕方が無いなと笑って、音々を受け入れてくれていた。

だが今の燐は違う。明確に、音々を拒絶した。


「何、それ。そんなのお兄ちゃんじゃない!」


「音々、やめなさい、燐も考えて言うとるんやから」


行き過ぎた音々の言葉を祖父が窘める。自分の味方はいないと知った音々は涙を拭って立ち上がった。

ベッドがたわみ、音々の分だけ軽くなる。


「お兄ちゃん変わったね。最低!」


そう言い残して、音々は部屋を出た。

後に残ったのは、燐と祖父だけだった。


「あれでは音々も納得できん。どうして今、冒険者になりたいんや?」


再度問われた祖父の言葉に、燐は何も返せなかった。

だって正当な理由など何もないのだから。

燐はただ、妄想のような執念に突き動かされて、ダンジョンに行きたがっているだけだ。


燐の事情も考えも知らない。だが祖父は大きく息を吐いた。それは降参の合図だった。


「お前も、凛音も、頑固なところはよう似とるなぁ」


何かを思い出すように祖父は目尻を抑えて笑った。


「………好きにすればええ。だけど、音々には自分で説明せえ」


それは、条件付きのOKだった。予想外の答えに、燐は弾かれたように祖父の顔を見た。

そして、うん、とかつてのように答えて部屋を出た。



燐は隣の自分の部屋に戻る。扉をカードキーで開き、ドアノブを引く、が固い金属音が鳴り、扉は止まった。

隙間から見れば、チェーンロックが掛けられていた。

中には先に帰った妹がいるはずだが、人の声はしないし、明かりも無い。


『しばらく一人にしろってことよ』


燐の頭の中に、アリスの声がする。精神が繋がっている二人は、声に出さずに意思疎通ができる。


「帰ったら、話そう」


燐はそう言って、静かに扉を閉めた。


「どこ行くかな」


ホテルのラウンジかどこかで『ジョブ』を考えようかと思案する。だがどうも気が乗らない。

昨夜からアリスと二人で考え尽くしても何もいいアイデアは出なかった。

燐は今、行き詰っていた。


『ねえ、外行きましょうよ!ワタシ、病院とホテルしか見てないから気になるわ!』


無邪気な声が脳内に響く。

それもいいかと、燐はエントランスの広い窓から外を見て思う。

燐がいるのは東京の中でも郊外の方であり、視界には緑の森や山が映っている。


「そう言えば、この辺だな」


燐はホテルの外へと足を進めた。


『どこ行くの?』

「墓参りだ」

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