第2話 ヘル

 ヒタヒタヒタ――長靴下の先には普段履いているブーツは無い。裸足で石畳の上を歩く。


 月明かりを頼りに、砦の中の西の塔を目指し、身を潜めて歩く。


 ヒタヒタヒタ――西の塔の最上階は明るく火が灯る。


 上は鎧下のみ、身軽な恰好でベルトには短剣一本。


 あの最上階で何が行われているかを確かめ、もし――もし、だったら、あの男を――。



 ◇◇◇◇◇



 俺には小さい頃から共に剣術を嗜んだヘルという幼馴染の少女がいる。

 ヘルとは地方の領主様の元、騎士になるべく一緒に訓練を受けていた。


 俺は地位もあって、既に父と親しい騎士の小姓として仕えていたが、ヘルは騎士の卵を選りすぐる剣術大会でその腕を見せつけなければならなかった。女の騎士は少ない。少ないが、位の高い女性の護衛には重宝されるため、領主様も必要としていた。


 十五歳で成人する俺とヘル。ヘルは残念ながらこの年までの剣術大会ではその腕を見出されることは無かった。成人前の最後の剣術大会だったが、残念ながら今年も選ばれなかった。


 従騎士となっていた俺はそんなヘルにプロポーズした。

 彼女は成人を前に美しく成長していた。


「騎士として領主様に仕えられないのは残念だが、領主様に仕える俺を支えてくれないか?」


「そうね、それもいいかもしれない。ユハン、宜しくお願いします」


 ただ、その三日後のことだった。

 聖堂騎士団クロイゼクネヒトという、隣の都に居を構える騎士団からヘルに声がかかったのだ。彼らによると、ヘルは聖騎士パラディンに選ばれたのだという。おかしな話だった。そもそも聖堂騎士団クロイゼクネヒトは聖堂とは名ばかりで傭兵騎士の集まりだったはずだ。


 騎士への道は閉ざされたと思っていたヘルは舞い上がった。そして俺が止めるのも聞かず、その聖堂騎士団クロイゼクネヒトへの入団を決めてしまった。


 それからの俺は、今から思えば誤った選択をしたと思う。

 領主様の騎士となるはずだった俺は、領主様と父と、従騎士として仕えさせて貰っていた騎士に断りを入れ、もう二度と帰ることのできない旅に出た。


 隣の都についた俺は聖堂騎士団への入団を希望した。

 それなりの体格と文字の読み書き、計算といったひと通りのことがこなせた俺は、無事入団を認められた。――が、その扱いは騎士団長の側近の従騎士――とは名ばかりの、会計役だった。そしてヘルには驚かれた。自分を追ってきてくれて嬉しかったと涙して。


 騎士団ではヘルは正にその名の通り聖騎士として高い地位と栄誉を以って扱われていた。ヘルは俺と顔を合わせる度に優しく話しかけてきてくれた。そして俺のことを婚約者だと周りに言ってくれていた。何もかもを捨ててここまでやってきた甲斐があったというものだ。時間のある時には二人だけで過ごすこともあった。


 しかし――しかしだ、ヘルは徐々に俺との会話を減らしていった。代わりに、その隣に居ることが多くなったのが聖堂騎士団の騎士団長。俺の親父くらいの年齢のその髭面の男は、馴れ馴れしくヘルの傍に来ては髪に触れていった。


 俺はヘルに抗議した。

 婚約者の髪にあのように触れるなどと。ただ、彼女は騎士団長の地位が高いことを理由に断り切れないと言っていた。


 ヘルと騎士団長の距離はどんどん縮まっていった。

 彼の執務室に長い時間入り浸ることも多くなった。

 そのようなときは必ず、俺は執務室から追い出されていた。


 夜、ヘルに抗議しようと部屋を訪ねた。

 しかし、彼女は部屋には居なかった。


 翌日の晩、早めにヘルの部屋を尋ねると、暗い中、彼女はランプに火を灯して砦の廊下を歩いていく。歩いた先は西の塔。ただ、塔の周りには歩哨が居た。彼女は歩哨に声を掛け、塔へと入っていった。それが昨日の晩のことだ。



 ◇◇◇◇◇



 俺は歩哨から身を隠し、塔の中へ。狭い螺旋階段を登っていくと突き当りに鉄枠のついた木製のドアが。――俺は耳を澄ました。


 中からはヘルのものとしか考えられない嬌声が聞こえてきた。


 ――やはり、やはりそういうことか。


 ドアを押すと掛け金はかかっておらず、開いた。


 俺は立ち尽くした。

 

 奥にあるベッドの上でまぐわう二人に目を奪われていた。


 ――そんな……ひどい……。


 俺は短剣を抜き、両手で構え二人に近づいて行った。

 しかし俺は気付いていなかった。この部屋には他にまだ二人の男が居るということに。

 短剣を騎士団長に向かって振り上げたところで背後から殴られ、気を失った。



 ◇◇◇◇◇



「やめて! お願い! ユハンには手を出さないって約束でしょう!?」


 俺はそのヘルの声で気が付いた。

 体中が痛い。

 後ろ手に縛られ、床に転がされている。


「これはこやつが儂を狙ってきた罰だ。その話とは別問題だ」

「同じよ! 彼を手を出すなら……私がこんなことをした意味がない」


「バカを言え、お前も悦んでいたではないか」

「それはあなたが! あなたが……」



「ほんとうに馬鹿だな、ヘルは」


「ユハン!」


 ヘルは俺の目の前まで来て屈み、優しく頬を撫でる。


「――ごめんなさい……ごめんなさい……」

「俺が脅しの種になってたのか。本当に馬鹿だな。そんなこと、脅された時点で団を抜けろよ」


「そんな……だって……」


 何となくわかった。彼女が抜けられなかった理由が。

 プライドだとか、後に引けない事情だとかいろいろ理由があっただろう。

 だが結局のところ――。


「あの男に絆されたってわけか」

「ち、違うの! 最初は、最初はそうじゃなかった」


「最初は騎士に未練があったんだろ。俺は用意された言い訳に過ぎないんだ」


 いろいろとを用意され、絡めとられたのだ。俺に理由を言えないなんて、それくらいしか思い浮かばない。


「違うの……違うの……」


 ヘルはぐすぐすと涙交じりに訴えていた。


 キャッ――不意に彼女が男たちに引き剥がされた。



 ◆◆◆◆◆



 私はユハンから男たちの手によって無理矢理引き剥がされ、ユハンと同じように縛られた。


「その男をひん剥いて柱に縛り付けろ」


 騎士団長が二人の男に命じる。


「――儂を殺そうとしたのだ。どれだけの罰が適当かの?」


 二人の男も嫌らしく笑う。


「――そうだ! 悪いことができないように指を切り落としてしまおうではないか!」

「やめて! お願いだから……そんな酷いこと……」


「お前が儂の奴隷になるならそれも聞いてやろう」

「なります……なりますので酷いことはやめて……」


「どうだ、聞いたか? お前の婚約者は儂の奴隷になるそうだぞ」


「やめろヘル、俺を言い訳にするな。自分の意志で拒絶しろ」

「お願い、もう黙っていて……ユハン、お願い……」


「感心なことだな。その従順さに免じて許してやろう…………一本だけでな!」


「イヤッ! やめて! お願い、お願い、何でもしますからお願いっ」


 騎士団長はナイフを持ってユハンに詰め寄り、そしてあろうことか――――切り落とした。


 私はあまりのショックに気を失った。



 ◇◇◇◇◇



 私は気を失っている間にも穢されていた。

 塔の上の部屋にひとり、眠っていた。


 様子を見に来た男が告げた。

 ユハンは出血が止まらず死んでしまったそうだ。

 既にユハンは運び出されていた。おびただしい血の跡はそのままに。


 男はまた、ユハンのは団長が持って行ったと言った。

 トロフィーなのだそうだ。

 死してなお、ユハンを穢し続ける騎士団長に吐き気を催した。



 ◇◇◇◇◇



 翌朝、遅い時間に目覚めた気がしたのに外が暗かった。


 ――雨?


 暗い雲が覆っているのかと思ったが違う。

 外の明るさはどんどん失われていった。

 やがて夜のような闇に。

 私の心の中のように。


 外は星が瞬いて見えた。

 私はユハンを失ってしまった。

 騎士となることに固執したばかりに。

 なんて愚かなのだろう。


 ふと、部屋の中に人の気配を感じた。


「だれ?」


 その気配は、ちょうどユハンが縛り付けられ、死んだらしい場所に立っていた。


「ユハン? ユハンなの?」


 私は居るはずのないあの人の名を呼ぶ。


「ごめんなさい、私が愚かでした……ユハン、ごめんなさい――」


 だが――ハッ――と息を飲む。


 そこに立っているのはユハンではない。もっと小柄で華奢な。明るい色の長い髪の――。


 ――私だ。


 私が目の前に立っていた。


 ――影法師ドッペルゲンガー


 影法師ドッペルゲンガーを見たものは死ぬ。喩え首を撥ねようとも首なしのまま再び戻ってくる。そういう言い伝えだ。でも、ちょうどよかった――。


「私を殺しに来たのね……どうぞ、いいわ」

「アナタハ、手遅レスギタ」


「そう、もう手遅れなの。何もかも失って」

「イイエ、アナタガ失ッタモノハ純愛」


「純愛?」

「ジュンスイナ、アイジョウ」


「そうね……彼への純粋な愛情を失っていたかも……でも彼はもう居ない」

「取リ戻セ。アナタノ純愛ヲ、アナタ自身デ」


 何故だろう。目の前に居るのは私なのに、どうしてかそれが女神のように見えた。

 そしてそれは導きのように思えた。


「取り戻します、誓って」

「アナタノ愚カサカラ、体ハ疾ニ失ワレタ。取リ戻セルノハ指ダケダ」


「指だけでも、誓って」


 私がそう言うと、目の前の私は姿を変えた。

 はだけた服の合間から見える肌は真っ白く、暗い闇を明るく照らした。

 肌には魔法文字のような模様が体の線に沿って描かれている。

 顔はワックスドールのように滑らかで美しく、目は切れ長で瞳がいくつも入った異形だったが、不思議と見つめられて安心できた。鈍い青紫の髪の間からは二本の立派で艶やかな角が伸びていた。


「姫ノ名ニ於イテ祝福ヲ与エン。汝、聖騎士アヴェンジャーナリ」


 身に纏うシュミーズはボロボロだったけれど、その手にはいつの間にか黒剣スワルトルが握られていた。私は女神様の聖騎士アヴェンジャーとなった。



 ◇◇◇◇◇



 ほとんど裸だった私は、黒剣スワルトル一本で私を穢した男たちを引き裂いていった。邪魔するものも皆、目にした者も皆。砦は血と臓物の海へと変わった。


 騎士団長の部屋へと入った。


 奴は呑気に大きなベッドで眠っていた。

 私は黒剣スワルトルで彼の指を切り離した。


 途端に大声で悲鳴を上げ、切り離された指を見て泣き叫ぶ騎士団長。

 私でもあんな惨めな泣き方をしたことは無い。

 ユハンならきっと痛くても耐えていたはず。


 私はナイフを突き立てられ壁にぶら下がっていた愛しい彼のを取り返す。


 ――よかった、これはまだ聖別されていない。


「そ、そんなもの、今更どうするつもりだ!」


 彼は必死に出血を止めようとしていた。それはそうだろう、つい昨日のことだ。ユハンが同じようにされて死んだのは。自らも死に晒されていることを意識しているのだ。


「私の愛なの。彼への純愛なの」


「何を言うか売女が……」


 ふわ――と黒剣スワルトルを振るうと、届いていない距離で彼の中のモノがまろびでた。


「――あっ、あっ、あっ……」


 慌ててかき集めようとする彼。

 何だかそんな姿がおかしい。

 ユハンを苛めるからだ。


 私は姫様に教わった通り、彼を息の出来る塊に変えていった。



 ◇◇◇◇◇



 太陽が空に戻る頃には私は砦から姿を消していた。

 ユハンの体は既に聖別され、埋葬されているという。


 黒剣スワルトルを消した私は修道院へと逃げ込んだ。


 夜になると再び女神様が現れた。

 女神様は、彼のに彼の魂を吹き込んでくれた。

 彼のは息を吹き返した。


「もう二度と離れないよ、愛してる」


 女神様は表情こそ変わらないが、祝福してくれたような気がした。

 だって、そのまま消えてしまったもの。


 私は私の中に彼を収め、何年かぶりの幸せな夜を過ごすことができた。


 その日から、私は女神様の聖騎士アヴェンジャーとして闇夜の中で戦い続けた。

 聖堂騎士団クロイゼクネヒトのような下衆を世に蔓延らせないため。







--

 チョウチンアンコウって魚が居ますね(意味深)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姫様ここにあり! あんぜ @anze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ