留守にしている間に婚約破棄されましたが、元婚約者は今……

アソビのココロ

第1話

 王太子チェスターが、どこか芝居じみた文句を高らかに言い放った。


「エメラルダ・グリーングラス! 俺はそなたとの婚約を破棄する!」


 王立学院の卒業パーティーで、出席者は皆ポカンとしていた。

 それはあまりにも唐突で雰囲気を壊すものだったから。

 チェスターは不審に思ったようだ。


「どうしたエメラルダ。何故姿を見せぬ?」


 一人の生徒が挙手した。


「殿下、発言をお許しください」

「うむ、許す」

「エメラルダ様はそもそも卒業パーティーに参加していらっしゃいません」

「何だと! 無礼なやつめ!」


 出席者一同は、ああチェスターの冗談なのだな、と思った。

 何故なら現在隣国モリナデとの紛争の真っ最中で、聖女であるエメラルダも当然ヒーラーとして従軍していたからだ。

 そのことを婚約者かつ王太子のチェスターが知らないはずはない。


 またそもそもエメラルダは飛び級で学院を卒業しているので、チェスターがエスコートするのでなければパーティーにいるわけがない。

 チェスターがエスコートしていたのは、男爵令嬢ドリー・メインだったのだから。


 メイン男爵家は二年前に叙爵されたばかりの新興男爵家だった。

 しかしその年に入学したドリーは、最近とみにチェスターに接近していることが知られている。

 もっともグリーングラス侯爵家の令嬢であり、オリサール王国どころか世界唯一の聖女であるエメラルダの婚約者としての地位が揺らぐことなんて、誰も考えていなかった。

 ドリーとの交際に眉を顰める者はいたが、まあ甲斐性の範疇だよねと黙認されていたのだ。


 チェスターが得意げに言う。


「ハハッ、卒業パーティーを欠席するなど、卒業を拒否したも同然だ。落第生など俺の婚約者に相応しくない!」


 冗談にしてはくどいのではないか?

 いや、これはツッコミ待ちなのだろうと悪乗りした者がいた。


「殿下、エメラルダ様のどこが気に入らなくて婚約破棄なんですかあ?」

「うむ、いい質問だ」


 チェスター的にはいい質問らしい。


「エメラルダは生意気なのだ! 俺に全く忖度しない!」


 そんなことはないのでは?

 エメラルダはチェスターを立てていたと思う。

 ただ王太子たるチェスターに意見できる者がエメラルダくらいしかいないから、チェスター特有の横暴さが垣間見えた時、そっと注意することはあった。


「ツンと澄ましているのだ! 可愛げがない」


 これはちょっとわかる、と皆が思った。

 エメラルダはクールビューティーだから。

 でも完璧な淑女を求められる皇太子の婚約者だ。

 他にどうしろと?


「遊び回っていて、俺に会おうともしないのだ。寂しいではないか!」


 政務と聖務に忙しいエメラルダが遊び回る?

 エメラルダは卒業してるんだから学院にはいないはずなのに、ちょくちょく殿下の様子を見に来てるよね?

 と皆の頭に疑問符が乱舞し始めた頃、チェスターは暴走する。


「俺はドリー・メイン男爵令嬢を新たな婚約者とする!」


 新たな婚約者?

 ここにきてようやく冗談ごとじゃないんだと皆が認識し始めた。

 エメラルダの代わりを男爵令嬢が務められるはずがないではないか。


「ちょっといいかな?」

「叔父上か。何でしょう?」


 ああ、出征されている陛下の代わりに、王家からはナサニエル王弟殿下がパーティーに出席しているのだった。

 ナサニエルは聡明で知られる人だ。

 チェスターの引き起こした混乱を収めてくれるだろう。


「チェスター、君やんちゃも過ぎるんじゃないかい?」

「王太子殿下と呼んでもらおうか。そして俺はもうすぐ王になる」

「ほう、それは何故?」

「我がオリサール王国軍がモリナデに大敗したからだ! 父陛下は捕虜になった。この期に及んではモリナデ王家の血を引く俺が王位に就き、講和するしか、事態を収める術がないからな」


 会場に衝撃が走った。

 オリサール軍が敗退?

 陛下が捕虜に?

 オリサール王国未曽有の危機だ!


「どうせグリーングラス侯爵家は取り潰し。旧領はモリナデに割譲だ。最早エメラルダに価値はない」


 聖女だから価値がないことはないだろう。

 しかし陛下が捕虜になるほどの大敗ならば、モリナデに隣接し小競り合いを繰り返してきたグリーングラス侯爵家の凋落は明らか。

 いち早くエメラルダを婚約破棄したチェスターの判断は間違っていない!


「ふむ、ドリー・メイン男爵令嬢を婚約者とするのは何故だい? 国難に当たって、新興男爵家では君の後ろ盾として不十分なのだが」

「俺が王だ! 文句は言わせない!」

「バカだなあ」

「……俺に向かってバカと言ったな? それとも聞き違いだったか?」

「もう一度言ってやろう。君はバカだ」

「衛兵! ナサニエルを捕えろ! 俺に対する不敬罪だ!」


 しかし衛兵は誰も動かなかった。

 戸惑っている様子もない。

 まるで予定通りというように。


「どうした? ナサニエルを捕えろ!」

「茶番は終わりにしようじゃないか」

「何?」

「ドリー、こちらへ」

「はい、ナサニエル様」

「……え?」


 今日ずっと局面をリードしてきたチェスターの呆気に取られた顔。

 対してナサニエルは憐憫を込めた目でチェスターを見つめている。


「ど、ドリー? どういうことだ?」

「可哀そうだから教えてやろう。メイン男爵家なんてものはないんだ。貴族の体裁を整えただけのダミーでね」

「え?」

「まだわからないのか。君に近付くスパイのドリーのために作られた、偽の貴族だってことだよ」

「す、スパイ?」

「察しの悪いやつだな。そんなんでオリサール王が務まるわけがないだろう」

「ドリーは理想の……」

「知ってるよ。ふわふわのピンクブロンドで小柄で上目遣いが特徴的な年下の少女。あまりに理想の異性が現れた時は、ハニートラップを疑えって教わらなかったかい?」

「……」


 ドリーがスパイ?

 チェスターは混乱していた。

 いや、パーティーの出席者全員が何のことだか意味を捉えかねていた。

 

「わ、我が軍は敗退したのだから……」

「まだそんな妄言を信じているのかい? 情報ソースは必ず複数に求めるべきだよ。君の王太子教育はどうなってるんだろうね」

「……」

「もっとも君の耳に入る報告は制限させていたから、正しい結論を導き出すことは難しいと言えば難しかった」

「……」

「言うに事欠いて我が軍が大敗とはね。王妃ザラやスパイであるドリーの言うことを信じ過ぎだろ。大体聖女エメラルダが従軍してるんだぞ? モリナデごときに負けるわけがない」


 オリサールは負けてない!

 パーティーに参加している皆は一様に安心した。


「エメラルダが従軍? それこそあり得ない! 現に三日前、俺はエメラルダに会っている!」

「三日前を最後に会っていない、の間違いだろう? エメラルダは律儀にも、君と昼食を取るために一々転移で戻ってきていたのさ」


 王都に戦地の情報をもたらす。

 またモリナデの差し向ける暗殺者の思惑を外すという目的もあったが、ナサニエルはそこまで話さなかった。


「三日前君に拒絶されたと、エメラルダがしょげていたぞ」

「ま、まあいい。我が軍は勝ったんだな?」

「ああ。モリナデは降伏した。おそらくオリサールの属国に転落する」

「ふ、ふん。父陛下も無事なんだな?」

「もちろん」

「めでたいことではないか」

「めでたいのは君の頭だよ」

「え?」

「何故衛兵が王太子である君の言うことを聞かないのか、まだわからないのかい?」

「……まさか」

「そう、陛下出征中の王都の全権は僕にあるのさ。君でも王妃ザラでもない」


 王妃ザラはモリナデの王女だった。

 今更ながら頭に浮かぶ事実に、卒業生達が息を呑む。


「数年前から王妃ザラはモリナデに我が国の機密を流していた。重大な背信行為だ」

「な、何だと?」

「君が知らないとは言わせない。ドリーからの報告が上がっている」

「ふ、ふん。そんな女の言うことを聞く方が愚かだ」

「つい一〇分前、君が婚約者にしようとした令嬢だがね。まあいい。僕は君と違って、乏しい情報ソースを鵜呑みにして行動したりはしないんだ」


 つまり王妃ザラとチェスターの背信には複数の根拠があると言うことだ。

 陛下も背信を知っていたから、ナサニエルに留守の全権を委ねた。


「今後モリナデからも、君と王妃ザラが裏切り者である証拠はどんどん出てくるはずさ。君達を売った方が罪が軽くなると考えるだろうからね」

「く、くそっ!」

「ハハッ、最後のセリフにしてはザコっぽいじゃないか。衛兵よ、王弟ナサニエルの名において命ず。売国奴チェスターを捕らえろ!」


          ◇


 ――――――――――エメラルダ視点。


 王都に凱旋したら、チェスター様と王妃ザラ様が囚人となっていました。

 ある程度話は聞いておりましたが、因果なものですねえ。


 ……何故ザラ様がオリサール王妃で満足せず、モリナデの手先のようなマネをしたかには諸説あります。

 陛下と不仲で待遇に不満があったとか。

 あるいは王子のいないモリナデを鑑みて、チェスター様を統一王国の王にすることを夢見たとか。

 最も人口に膾炙しているのは、初めからオリサールを征服するつもりでザラ様が王妃として送り込まれたという説ですね。


 わたくし個人としては、息子の婚約者が気に入らなかったので戦争で始末するため、という理由じゃなければいいなあと思います。

 それくらい遠征中、刺客やテロが多かったです。

 聖女であるわたくしを亡きものにすれば、オリサール軍の傷病兵の回復力が激減するからでしょう。

 おまけに士気も落とせますから当然ではあったのですけれども。


 内通により外患を引き起こしたザラ様は処刑、チェスター様は従犯ですので死一等を減じられるとは聞いています。

 チェスター様の婚約者でありながら、暴挙を止めることができなかったわたくしはどうなるのでしょうか?

 少々不安です。


 近衛兵とともに陛下をお守りし、王宮に到着しました。

 久しぶりですね。

 王弟ナサニエル殿下が出迎えてくれます。


「陛下、凱旋おめでとうございます」

「うむ、大過なく留守を務めたこと大儀であった」

「お疲れのところ申し訳ありませんが、せっかくエメラルダ嬢がいるので、今後の方針を話しておきませんか?」

「む、よく気付いたな。そうしよう」


 え?

 私のことなどいつでもよろしいですのに。

 一室に案内されます。


          ◇


「ザラを制御できなかったのは予の責任だ。五年後を目処にナサニエルに王位を譲ろうと思う」


 衝撃的です。

 新しいお妃様を迎えるものとばかり思っていました。

 陛下はまだお若いですのに。


「それでエメラルダ嬢の処遇だが」

「僕の婚約者になってくれないかな?」

「はい、よろしくお願いいたします」


 ナサニエル殿下は後継者争いに巻き込まれたくないという意思表示で、今まで結婚していらっしゃいませんでした。

 しかし王太弟となられるからには、結婚を急がねばなりません。

 そしてすぐにでも結婚できるほどお妃教育が進んでいる者はわたくししかいないのです。

 陛下とナサニエル殿下が顔を見合わせておりますが?


「エメラルダ嬢、いいのかい?」

「もちろん、国のためでありますれば」

「エメラルダ嬢は立派だ。しかし、そうでなくてだな……」


 何か、わたくしに至らぬところがあったでしょうか?

 陛下が仰います。


「エメラルダ嬢は聖女としてチェスターの婚約者として、十二分にオリサール王国に尽くしてくれた」

「もったいないお言葉です」

「その結果がこれだ。チェスターにまで裏切られるとは、不憫でならん」


 あっ、どうやら婚約破棄宣言とその後の暴走さえなければ、チェスター様は王太子のままでいられたようです。

 チェスター様を引き止めておくことができなかった、我が身が不甲斐ない。

 陛下は責任を取って退位される決断をされたというのに。


「ドリーはチェスターから情報を引き出すために育てた専用の駒だ。ドリーによれば、エメラルダ嬢が何を言ったところでチェスターが考えを変えることはなかった。エメラルダ嬢に責はない」

「チェスターは元王妃ザラの言うことを信じ込んでいたからね。公務のためともに過ごす時間の少なかったエメラルダ嬢が、チェスターの意見を翻させることはムリだったよ」

「しかし……はい」

「エメラルダ嬢には幸せを求めて自由に生きてもらいたいのだ」

「幸せ、ですか」

「そうだ」


 と、仰られましても。

 グリーングラス侯爵家の娘として。

 チェスター様の婚約者として。

 そして聖女として生きてきたわたくしには、自由に生きろと言われても、何をすればいいのか皆目見当がつかないのです。


「ナサニエルのことをどう思う?」

「はい、支え甲斐のある立派な殿方だと思います」

「……エメラルダ嬢はチェスターの婚約者となった時も同じことを言ったな」

「あ……」


 反逆者となったチェスター様に対してと同じ感想とは……。


「大変申し訳ありませんでした」

「公平でいいのだ。それでこそグリーングラス侯爵家の令嬢」

「でも僕個人のことも見て欲しいな」

「ナサニエル殿下個人のことですか?」

「うん。チェスターと比較してでもいいから」


 能力や実績ということでしょうか?

 陛下唯一の弟でわたくしより一一歳上で。

 学院は優秀な成績で卒業されたと聞いています。

 難しい状況下で陛下の親征が可能だったのも、ナサニエル殿下がいたからに他なりません。


「ええ、ナサニエル殿下は素晴らしいお方だと思います」

「もっと僕を見て」

「はい?」


 ナサニエル殿下がわたくしの手を握り、目を見つめてきます。


「何か感じない?」


 何か?

 手の温もりと、あっ、心臓の鼓動も感じられます。

 アイスブルーの瞳からはとても真剣であることもわかります。


「僕は君が好きだ」


 好き……今まで他人に対して好悪の感情はなるべく持たぬようにしていました。

 意味がないからです。

 お相手はチェスター様に決まっていましたし、好悪で他人を測っては正しく評価できません。


 でもナサニエル殿下はわたくしを好きと仰る。

 幼い頃から聖女の素質を認められ、家族からも離されて教育されていたわたくしは、愛という感情に疎いのではないかと考えることがあります。

 何だか心細いです。


「エメラルダの柔らかな栗毛の髪も鈴の鳴るような声も、そして若葉を思わせる緑の瞳も。皆好きだよ」


 わたくしのことが好き。

 わたくしはナサニエル殿下のことをどう思っているのだろう?

 高い身長、輝くような銀髪。

 いいえ、お妃教育に躓いた時もチェスター様に罵られた時も、いつもわたくしに優しい声をかけてくださったナサニエル殿下は……。

 自分の中の感情が急に一方向を向いた気がしました。


「どうした、エメラルダ?」

「あわわわわ……」

「顔が赤いぞ?」

「わ、わたくしもナサニエル殿下のことが好きなようです……」

「そうかめでたい!」

「僕と結婚してくれるね?」

「は、はい」

「早馬で侯爵に連絡だ!」


 初めて自覚した、これが恋ですか。

 ナサニエル殿下にぎゅっと抱きしめられます。

 見かけより厚い胸板なのですね。

 恥ずかしいです……。


          ◇


 ――――――――――五年後。


 ナサニエルが王位に就く。

 この頃までに妃エメラルダとの間には一男一女を儲けていた。


「陛下」

「む? 何だいエメラルダ」

「いよいよ戴冠式ですわね」

「ハハッ、ただの儀式だよ」

「出席できなくて申し訳ありません」

「いや、丈夫な子を生むことに専念してくれ」


 エメラルダのお腹の中には三人目が育っていたのだ。

 生まれ月も近かったため、夫王の戴冠式も欠席することになっていた。


「せめて祈らせてくださいな」

「聖女の祝福か」

「はい、天と地と人からの祝福を我が愛する夫に!」


 光の粒子がナサニエルを包む。

 それは神の愛し子である聖女エメラルダのみに許された秘術であった。

 ナサニエルの愛を知ってから使えるようになった術でもある。


「ありがとう。素晴らしい術だな」

「一つお伺いしてもよろしいですか?」

「何だろう?」

「チェスター様がお亡くなりになったと聞いたのです」


 事実だった。

 ナサニエルが王位に就いた四日前、廃太子チェスターが離宮の塔から身を投げたのだ。

 エメラルダが妊娠中であることを慮って伏せられていたが。


「黙っていてすまなかったね。君が動揺するといけないと思って」

「いえ、黄泉の世界に行かれたのかと思うだけで。不思議なほど動揺とかはありません」


 ナサニエルは苦笑する。

 チェスターがエメラルダを邪険に扱っていたから、エメラルダも特に思うところがないのだろう。

 皮肉にもチェスターのバカな振る舞いに感謝する時が来るとは。


「時間ですよ」

「もうか。では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

「ドリー、エメラルダを頼むよ」

「はい、お任せを」


 ドリーはエメラルダの侍女に取り立てられていた。

 来年には近衛兵との結婚が決まっている。

 

「ドリーももうすぐね」

「うふふ、ありがとうございます」

「たくさん祝福してあげるわ」


 エメラルダがニコと笑った。

 かつて愛を知らなかったエメラルダであったが、今では幾人もの愛する対象ができたのだった。

 エメラルダは思う、愛する人達を幸せにしてあげたいと。

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