第42話 鉤紐

 ヴァシジが再びドラミングで胸を打ち鳴らす。


 体の巨大化によりドラミングに更なる力を宿しているようだ。その音色は森にざわめきを起こす。


 静かに囁くような音、衣擦れのような音にも聞こえなくもない。ヴァシジを中心にざわめきは広がり、やがて四方を固めるしめ縄を囲むように全方向にざわめきが広がる。


「ヴォォォォォォォォォォォ!!」


 ヴァシジの咆哮に合わせ、森のあらゆる角度から、地虫が這いずり、甲虫が羽音と共にアルフレドに向かう。虫の数は数千はいるだろう。即席の黒い絨毯と羽虫による霞は辺りの空間を埋め尽くしながらアルフレドに襲いかかる。


「なっ! ヴァシジにこんな能力があるなんて聞いてない!」


 蛍は懐から素早く煙幕を取り出し火を付けると羽虫の霞に向けて投げつける。勢いよく煙を噴出す煙幕に羽虫の一部はパサパサと地面に落ちるが、全方位から空中に飛び交う虫に対して効果は限定的である。


 ナグモとその部下も近くにある生木に火を付け、羽虫や甲虫に対し抵抗を試みるが、一部の進行を妨げる程度にしかならない。


「ぬっ! 視界が」


 コテツも例外ではない。威力のある剣技をいくら繰り出そうとも相手は虫。点と線での攻撃は、面に展開する虫たちに対して、無に等しい効果しか生まない。コテツは一瞬の戸惑いの後に刃先を地面に向け構えなおす。


「有土楽無」


 コテツが力を込めた刀が地面に突き刺さる。刀から注ぎ込まれたエネルギーは足元の土を僅かに隆起させ、一瞬の間をおいて爆散する。地面には無数の小さなひびが走り、爆風は羽虫の霞を退ける。


「――ッ!」


 開けた視界を見回す。しかし、視界に入るのは苦戦する仲間たちだけであり、ヴァシジをその視界にとらえることはできない。一瞬で駆け上がる悪寒にコテツは全力で背後を振り向く。


「ア、アルフレド殿!」


 コテツの視界に入ってきたのは、今まさにしめ縄をぶち破りながら拳を振り上げるヴァシジ。その先には苛立たちの元凶、異教徒の教主アルフレドの背中があった。


 ※※※


「――デモゴルゴを信じる者、信仰を支えとする者に祝福を」


 アルフレドは言霊に信念と願いを込めて一心不乱に読みあげた。ヴァシジの力は驚異的だ。何の戦力も持たないアルフレドにとっては一目散に逃げだすような存在である。


 しかし、コテツや蛍、ナグモが守り切ると言ってくれたのだ。その言葉を信じないわけにはいかない。アルフレドの中に込み上げてくる【何か】に従い一心不乱に祝詞を読み続けた。


 幸い、マリアナから託されたファーも後ろに備えていてくれている。自分にできることは祝詞をヴァシジが受け入れ、力になってくれることを祈る事だけである。


「――アルフレド殿!」


 アルフレドが編纂された経典を台座に置くのと同時にコテツの声が響く、アルフレドが背後に振り向こうとすると、聞いたこともない轟音を響かせながらこちらに向かう風切り音が耳に入る。


「まさか!」


 背後を振り向いたアルフレドのすぐ目の前には怒りで目を血走らせたヴァシジ。剛腕を振り上げ、目の前に迫っている。一呼吸する間にヴァシジの豪腕はアルフレドを肉塊へと変えるであろう。


「あっ」


 アルフレドの声ともならない声が喉よりでる。


 ――その瞬間、ヴァシジの豪腕へ絡みつく無数の鉤紐。ヴァシジの全身を地中、木々の隙間、術者本人の身体からとあらゆる方向から拘束する。


「ファ、ファー!」


 アルフレドとヴァシジの巨体の間に身体を滑り込ませてきたのは、仮面全体に渦を巻いた大男ファーである。ファーは両手を広げ、服の隙間からも複数の鉤紐をヴァシジに向けて発射している。


「グゥゥゥゥ」


「……」


 全方位からヴァシジの巨体から繰り出される一撃を鉤紐で受け止めている。技なのか、術なのか、はたまた錬金術による特殊な遺物レリックによるものかはアルフレドには分からないが、相当な威力のある技であるのは間違いない。


 ファーは全身を使い鉤紐を締め上げると、張り詰めた紐はギリギリとヴァシジの身体を締め上がる。


「グゥゥゥゥゥ」


 尚も力を込める鉤紐とヴァシジの力は拮抗しているようである。


 ファーの表情を確認することはできないが、全身を使って鉤紐を締め上げるその姿に余裕があるようには見えない。ヴァシジも体の筋肉に食い込む鉤紐は限界まで引き伸ばされており、今にもはち切れんばかりの勢いである。歯を食いしばるような音と激しい呼吸の乱れは苦しい状況を感じさせる。


「ファー殿、お見事! 私もそちらに向かう!」


 地面より刀を抜いたコテツが走り地面を蹴り上げる。右手に刀を持ち直し、大きく腕を振り、全身の力を使ってヴァシジの背後から全力でこちらに向けて走る。数秒後には間違いなくヴァシジへコテツの渾身の一撃が撃ち込まれるであろう。


 ヴヴヴヴヴゥ


 しかし、ヴァシジの豪腕を拘束する鉤紐に異変が起こる。今までとは異なる不快な音を響かせると鉤紐の一本に僅かな亀裂が走る。


「グウォォォォォォォン!」


 豪腕を拘束していた鉤紐が一斉にはち切れると、ここぞとばかりに全身全霊の一撃を繰り出すヴァシジ。


 ヴァシジの全てを破壊する右腕が目の前にいるファーとアルフレドに直撃した。

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