第28話 南部へ

 翌日、朝早くに使用人より部屋がノックされる。予定より準備が早く終わったとのことだった。


 セントは姿を現さない。昨日、上手くやり込められたのだ、当然と言えば当然である。アルフレドが廊下から外を覗くと外は激しい雨が降っている。この土砂降りの中を移動するのかとげんなりしていると、どうやら馬車が用意しされているようである。


「アルフレド様、セントは別件で家を空けております。馬車を用意しましたのでこちらをご利用ください。使用していただく教会の説明は現地に別の者を用意してあります。詳しくはそちらの者にお聞きください」


 アルフレドとファーは用意された馬車へと乗り込む。ロバ一頭に愛想のない御者一人。鎖で座席を吊り下げた懸架式の馬車だ。バネなどのサスペンションなどは実装されていない。街道は最低限舗装がされているものの、馬車の乗り心地はすこぶる悪い。


(よく馬車まで出してくれたと感謝するべきか)


 昨日のセントとのやり取りを鑑みるに、歩いて現地まで迎えと言われてもおかしくない。腕を組み、目を閉じる。どうやら体と精神の疲れはとり切れていないようだ。アルフレドは不快な揺れにも関わらず深い眠りへと誘われた。


 ※※※


 セント・クロース別邸


 形の良いテーブルに洒落たグラスが叩きつけられる。セントは契約後に早々に別邸に移ると、使用人に命じ、娼館から呼んだ女に別邸で酌をさせていた。


 部屋に入りご機嫌を取ろうとしていた女も、セントに無視をされ、空いたグラスに酒を注ぐだけのマネキンとなっている。セントは無言で酒をあおり、鼻息は荒い、目は昨日の件で眠れなかったのか熟れた果実の如く充血している。


(世間知らずの田舎者と侮っていたがイスガン=レスリー・スティカートの名前を出してきおった。しかも、儂がどのような人物か、何をしているか分かったうえで契約を持ち掛けてきた)


「くそっ!」


 女が注いだ酒を一気に飲み干すと再びグラスを叩きつける。何よりも屈辱だったのはアルフレドに自身の素の表情を見せてしまったことだ。普段いくつもの顔を使い分けているセント。壮年と言われる年齢に達してからはここまでの失態はなかった。


「確かに失態だ。しかし、落ち着け。落ち着くのだ。駆け引きはまだ始まったばかり。一緒にいた女がいなかったということは相手もこの契約のからくりには気付いているのだろう。しかし、儂はピートモスを知り尽くしておる、初めてこの町に来た若造になにができるというのか?」


 セントは女を膝の上に座らせるとその豊満な胸に顔を埋める。女は酌から解放されたのが分かると艶やかな声を出しセントにその身を預ける。


(ふふふっ。そうだ、よそ者の若造に負ける道理はない。気にすることはない、駆け引きはまだ始まったばかりだ)


 ※※※


 かなりの長い間眠りについていたようだ。雨は降っているものの、辺りが暗くなっている。奴隷時代にどこでも眠れる技術を身に着けたのが幸いした。揺れの酷い馬車であれだけ眠りにつけたのは自分でも笑ってしまう。ファーはアルフレドが起きると、顔をこちらに一度だけ向け、また正面に向きなおる。


(眠らずに俺の護衛をしてくれたのか……そもそもファーはいつ眠っているのだろうか? 眠っている姿を見たことがない)


 アルフレドが新たな疑問を考えようとしたところで馬車が激しく揺れ、二頭のロバが歩みを止める。御者は無言のまま二人が座る客車のドアを開けると、軽く頭を下げ、降りるように促してくる。


「ありがとうございます」


 アルフレドはまだ雨が降る中、足元を確認しながら客車を降りる。舗装された道はここまでのようで、その先には何も整備されていない地面が広がる。先を見上げれば、しばらく手入れがされていないであろう建物。神殿とは言っていたがやや大きめの小屋という表現が正しいだろう。


 唯一、小屋と違う点があるとすれば三角屋根の正面にある丸い円のオブジェがついているぐらいであろうか? 確かに今は誰も住んでいないと言われてはいたが……建物は傷んでおり、草は生え放題。整備して建物として使えるようになるには少し時間がかかりそうである。


(まぁこんなものだろ。雨風がしのげれば困らない)


 雑草をかき分け木造の神殿へと向かう。建物へは短い階段が備え付けられており、そのすぐ先に扉がある。アルフレドは底が抜ける可能性を考えつつ、ゆっくりと足を上げてゆく。足場はギィギィと不気味な軋む音がなるが、取りあえず底が抜けることはなさそうである。


 ドアの前に立ち取っ手に手をかける。鍵がかかっていることはなさそうだ。


 部屋には古ぼけたものではあるが窓ガラスが備え付けられており、雨雲で太陽は見えないものの、部屋の中に僅かに明かりが入ってくる。部屋の奥には異教の神を祀る神棚。部屋に入ってすぐには元々あったであろう小さめのテーブルがある。


 部屋の造りに特別変わったことは無かったが、テーブルの上には一人の男が座り、その傍らにはヴェールを被る小柄な者が立っていた。

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