第26話 素

 用意された朝食をとり、メイドに案内されたのは客間である。部屋に入ると席にはセントが一人で腰を掛けている。


「おはようございます。昨晩はよく眠れましたな?」


「ええ、お陰様で。あのような良いベッドで寝たのは久方ぶりでした。あれっ? ルドルフさんはどうされたのですか?」


「実は今日の早朝から仕入れで出かけています。大森林にいるマグピグ族と取引予定です。しばらくは帰ってこないでしょう。そちらもマリアナ様がいらっしゃらないように見えますがどちらまで?」


「大森林ですか! それは遠くまで。マリアナはフヨッドに帰りましたよ。元々こちらには私と後ろに立つファーとで布教活動をするつもりでしたので」


「なるほど。挨拶だけでもできれば良かったのですが残念です」


 もちろん本心ではそのような事を微塵も思っていない。しかし、眉を下げ、項を垂れる姿は本当に残念がっているように見える。セントの事を予め理解してなければ勘違いしてしまうかもしれない。


「それでは契約のお話し宜しいですかな?」


「もちろんです。基本的には昨日のお話受けさせて頂こうと思います」


「それでは早速こちら――」


「ちょっと待っていただけますか?」


 セントの発言を遮るとアルフレドはペンと紙を取り出し、誓約書の空白にサラサラと項目を継ぎ足してゆく。セントは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるが、アルフレドが気付く前にすぐさま元の表情に戻り、何事もなかったかのように平然と構える。


 一、魔光の酒はセント商会が独占して取り扱う


 二、セント・クロースはアルフレド・シュミットのデモゴルゴ教の布教を認める


 三、アルフレド・シュミットは宗教活動によってセント・クロースに不利益を与えてはならない


 四、セント・クロースは魔光の取引で酒の損益が出た場合。自身の不動産、財産を担保にフヨッドに対しその損失を支払わなくてはならない。


 五、デモゴルゴ教の入信信者の氏名、人数についてはアルフレド・シュミットはセント・クロースに定期的に報告する義務をもつ。


 六、契約の改定は双方の同意があった時に初めて解約ができる。


 七、ピートモス住民が入信した場合、デモゴルゴ教の信教の自由を認める


 八、一定数の信者を獲得した場合、町から新たな司教を置き、独立した自治を認める


 九、町長は女神教とデモゴルゴ教との信者間で不平等、不公平にならぬよう常に中立である


 十、アルフレド・シュミットの認知しない新規信者による商会への不当行為についてはアルフレド・シュミットは責任を負わない


「お待たせしました。以下の契約で宜しければ契約を結びましょう」


 アルフレドは満面の笑みを浮かべ大袈裟に契約書をセントの前に置く。セントは右瞼を小さく痙攣させている。感情を抑えているように見えるが抑えきれていないようだ。セントは努めて穏やかな声をあげる。


「こ、これは何かの冗談ですかな? 七項目と九項目はまぁいいでしょう。八項目の自治とは? 私の認識が間違っていなければ町から独立すると受け取れるのですが。しかも、十項目目のアルフレドさんが新規信者の責任を負わなかったら誰がその責任を負うというのですか?」


 アルフレドの次の一言でセント・クロースの怒りは頂点に達するかもしれない。セントは自分の半分も生きていない青年に馬鹿にされていると考えたのだろう。先ほどから両こぶしに力を入れてプルプルと震えている。セントがアルフレドの次の一言を待つと――


「イスガン=レスリー・スティカート」


「はっ?」


「イスガン=レスリー・スティカートです」


 セントの顔から一斉に血の気が引いてゆく。何とか理性を保っているだろうが普段の穏やかな笑顔は消え真顔となっている。


「……その者が一体何をしたのですかな?」


「さぁ。何をされたのでしょうね? とある方からこの名前を伺いまして、詳しい話は聞いておりませんが、これから役人やギルドに報告しようか迷っているところです」


 セントの額に大粒の汗が噴き出る。今まで変面のように次々に喜怒哀楽を表現していたセントの顔は完全に素に戻っていた。

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