THE HOTEL first flush

旅籠談

first flush

01

そのお客様は車に乗って現れた。

ご要望をおうかがいすると、ワンワンなのだという。

フロントに行って本当なのかと確認をすると、目の前の彼もまた、一言だけ、ワンと答えた。


02

創設者が設置したガーディアンは、いまもホテルを守り続けている。

信仰心を糧にする彼らには燃料補給も給与の支払いも必要ない。

問題があるとすれば、経営者が変わったために人間が外敵と見なされていることくらいだろうか。


03

子供がシャンデリアを見上げている。

なにが見えるのか尋ねてみると、そこに精霊がいるのだという。

「顔は?」と訊くと、部屋に眼鏡を忘れたのでよくわからないという答えが返ってきた。

大丈夫。

私と同じ顔だとは気づいていない。


04

島が見える、と彼女はいった。

海面上昇により陸地の大半が水没したこの世界で、残された島だけが唯一の希望だった。

救世主の島と禁忌の島。

その二つが難を逃れたというのだが、果たしてあれはどちらなのだろうか。

風に乗って、島のホテルから弦楽器の音が聞こえてくる。


05

ホテルには特別なバーカウンターがある。

マナーの悪いお客様を再教育するための場所だ。

ゲストはここで迷酒を飲まされ、三分間の気絶ののちに別の人格へと生まれ変わる。

他のホテルで働く知人にその話をすると「そんなの普通だよ」と笑われてしまった。


06

ホテルに一泊すると翌朝には世界が紫色に染まっていた。

ドアマンの話では、ここを黄泉の国と呼ぶ人もいるのだという。

いつから交流があるのか尋ねると、三年前だという答えが返ってきた。

ずいぶん前だな、と思った。

私が生まれる前の話だ。


07

冬の支配者に会うために出張を申請した。

手土産を持参して森へと向かう。

雪季まではまだ三か月以上あるが、いまから準備をしておかなければ間に合わないのだから、ホテルの越冬は容易なことではない。

地球にいたころが、少しだけ、懐かしい。


08

写真のなかの紳士が望遠鏡でこちらを眺めている。

本物ですよ、とベルスタッフはいった。

写真の世界で生活しているのだという。

前面を布で覆うと怒ったようにホテルが揺れるので、どうやらこの話は嘘ではないようだ。

写真を見ながら「とても短気なお客様でした」と彼はいった。


09

時計台の下に時間旅行者が現れた。

今日のお客様は未来人のこの女性だ。

宿帳に書かれた内容を見て驚く。

現住所がエウロパだった。

どうやら千年後の未来ではそれが可能になっているらしい。

思わず嫉妬して、私はいう。

「お客様、当ホテルは地球人専用となっております」


10

全従業員を集めて写真撮影をすることになった。

すると、どこから現れたのか、女の子が一人顔を出し、自分も入れてほしいといいはじめる。

どうやら、前世の記憶の一部を現在も保持しているらしい。

彼女の前世は副総支配人とのことだった。

社史編纂係の目がきらりと光る。


11

夕日を眺めながら彼女は考えている。

主賓のメインを肉料理にすべきか魚料理にすべきか。

彼らの素性を知る私は、耳もとでそっと囁いた。

「どちらも正解だと思いますよ、シェフ」

どうしてだと問われ、私は答える。

「私たちアンドロイドに好き嫌いはないので」


12

台風接近のなか男性がホテルにやってくる。

気圧が乱れている時しか会えない友人と待ち合わせをしているのだという。

語尾に妙な吸気音が重なっていたので、すぐにおかしいと気づいた。

吸いながら話すのは普通ではない。

擬態の可能性を考え、セキュリティを呼ぶことにした。


13

無事に朝を迎えれば賞金をもらえる、というので挑戦してみることにした。

生臭いにおいのする宴会場だった。

ホラーの撮影という雰囲気でもない。

朝になった。

身体が重い。

私は無事なのだろうか。

スピーカーから声が聞こえる。

「被検体、いえ、お客様436号。失敗!」


14

女性客がトランクケースに座っていた。

ケースからはヘルプという声。

彼女によれば、世界は疑似乱数で形成されており、あと二時間待てば幻聴も消えるという。

窒息ではと指摘した私に対し、それもまた疑似乱数の解釈の一つにすぎないと彼女は答えた。

そんな話、私は信じない。


15

モーニングツアーに出発した彼らは、大自然のなかで王の狩りを目撃することになる。

そのままでは迫力がないので、体感時間を操作するナノマシンを朝食に混ぜておいた。

エキサイティングな狩りになるだろう。

法整備が追いついていないので、ゲストに告知はしていない。


16

屋外シアターの夜の上映会。

遊び疲れた子供たちは、エンドロールの仕掛けに気づくこともなく父と母の隣で寝息を立てている。

星空の彼方から見守る彼らは、今夜も気づいてもらえなかったと微笑んでいることだろう。


17

群青世界で暮らす私たちは、いつも鏡を通してあなたたちを見ています。

今朝のあなたはとても美しかった。

なのに、いまはこんな姿になってしまって。

かわいそう。

本当にかわいそう。

わかってます。

あの支配人のせいですよね。

安心して。

奴は塗り潰しの刑に処すから。


18

この森はどこまで続いているのだろう。

ホテルを出て数十日。

たくさんいたはずのスタッフも、いまではもう、私たち二人を残すだけとなってしまった。

腹は減らない。

喉も乾かない。

眠くもならないし。

隣の彼に見覚えもない。

深い森の彼方へと、日が、落ちていく。


19

市内観光を希望する老夫婦にリバークルーズを案内した。

ずぶ濡れで帰館した二人は、超能力者のヒーローに救助されたと熱く語っている。

二人はこちらに歩み寄り、私の手を強く握って「ありがとう」といった。

マスクで顔を隠していたのに、どうして私とわかったのだろう。


20

猫の日だというので来てみると、たしかに従業員は猫の接客をしていた。

人間も大丈夫ですかと間抜けな質問をすると、目の前の猫が「No」と鳴いて答える。

仕方がないので帰ることにしたのだが、持ち場に戻ったドアマンに行く手を阻まれてしまった。

出口も猫専用とのことだった。


21

石化した人間を元に戻す前にこれだけは覚えておいてください。

彼らはもう、人間ではない。

ゾンビ映画のゾンビのようなものです。

石化を解除すれば人間は襲われる。

特にあなたは注意が必要です。

ホテルスタッフなんて、どうやっても脇役にしかならないのだから。


22

挑戦状と一緒に靴が届いた。

401号室の宿泊客からだった。

チェックアウトまでに相手を見つけることができればこちらの勝ちだと手紙には書かれている。

靴を履いた瞬間に世界が一変した。


23

未来の話をします。

【よく当たる占い師AI】の登場により、希望という単語は死語になりました。

予言がすべて。

明日に希望を抱く者などいない。

そんな未来を阻止するためにも、あなたは今日、このホテルで開発者を始末しなければなりません。

さあ、引き金を引きなさい。


24

世界を黒と白の二色に塗り分けてみた。

正義か悪か。

シンプルでよいと考えたのだが、なかなか思うようにいかない。

彼らはみな、自分は正義だと主張している。

なんと愚かな生き物なのだろう。

下界から「神よ、お赦しください」と声が聞こえる。


25

公園でピクニックをしていると、夫が空を指差して「もうすぐ見える」といった。

私はホテルのサンドイッチを口に運びながらぼんやりと空を眺める。

やがて現れた空飛ぶヴァイオリンは青空をゆっくりと流れていき、少し遅れて園内に優雅な音色が響き渡った。

今日も平和だ。


26

マフィアの話をしよう。

ワインセラーに番人を置く彼らは、命よりも酒が大事だと考えている。

ホテルから呼んだソムリエが泥棒だとわかると、その場で銃撃戦を始める始末だ。

あたり一面が血の海、いや、赤ワインの海と化し、おかげでいまも酒のにおいが抜けない。


27

ステンドグラスの絵が動くという噂を聞き、ゴーストハンターはホテルを訪ねる。

怪奇現象は慣れている彼も、さすがにお手上げだといわざるをえなかった。

玄関ではキョンシーが客を出迎え、フロントでは藁人形が接客をしている。

もはやステンドグラスどころの話ではない。


28

日の出を撮影するために水平線にカメラを向けていたときのことだ。

画面の端に妙なものが映り込んでいるのに気づいた。

ゆっくりと回転する褐色のプロペラだった。

以来、それが常に視界に映り込むようになる。

開眼の日が近づいているのかもしれない。

さようなら、私。


29

この星では同じ座標に留まることはマナー違反とされていて、地球人は寝ているあいだも常に身体を移動させ続けなければならない。

ホテルはいわゆる観覧車のような構造になっていて、風が強い日はホテル酔いに注意が必要だといわれている。

だからエリー、君には無理だよ。


30

大人たちの退屈な会話にうんざりなあなたは、こっそりパーティーを抜け出し探検をはじめる。

迷子を恐れず信じる方向へと突き進む。

そんなあなたであれば、きっと私のもとにたどり着くことができるでしょう。

さあ、こちらにいらっしゃい。

新しい家族があなたを待っています。


31

ひと目でナンパとわかる男性に声をかけられました。

わりと好みの顔でしたのでろくに話も聞かずにOKしたのですが、すぐにバックヤードへと連れていかれて、あれよあれよというまに制服のフィティングが始まりました。

それから40年、ずっとこのホテルで働いています。


32

ホテルで借りた自転車にまたがり島の南端にある小屋を目指す。

約束の時間は過ぎているので彼に会える保証はないのだが、こちらにも諦められない事情がある。

言われた金は用意した。

だからどうか、私の顔を返してほしい。


33

揺れるので覚悟してください、とパイロットがいう。

飛行機でしか行けない特殊なホテルと聞いて疑い半分でツアーに参加したのだが、この尋常ならざる装備を見て確信した。

あの噂は本当なのだ。

洋上に浮かぶ不可視のトライアングルが、静かに私を手招きしている。


34

壇上にアーチェリー界を代表する凄腕の射手が座っている。

引退会見の場で理由を問われ、彼は渋い顔で「破産です」と答えた。

極意を会得した彼の弓からは、矢と一緒に強い思念波が射出されるのだという。

被害者の会に損害賠償を請求され、涙をのんで引退を決意したとのことだった。


35

厨房から笑いが漏れる。

店内からも歓声が上がった。

不思議に思ったウェイターが尋ねると、助っ人が現れたのだと理由を教えられた。

ふわりと舞い降りた影が小さな手で皿を取る。

「12卓」

デシャップが卓番を告げると、助っ人の天使はおしりを振ってそれに答えた。


36

ホテルで教えてもらった土産物屋は怪しい雰囲気を漂わせていた。

店の主人は酷い顔で、陳列品は異臭を放っている。

蒐集家の叔父が好きそうな箱を見つけ、手を伸ばそうとした、そのときのことだった。

実体化した守護霊が私の腕を強く掴んだ。

私たちの冒険は、ここから始まる。


37

異星人の出現によって常識は覆された。

人間が先か、卵が先か、その論争に終止符を打つように彼らはいう。

「卵から人間は生まれない」

ホテルの朝食に卵は不可欠、と誰かが口走った。

彼らは卵を食べるのだという。

我々の卵を前にして、そいつはぐぅと腹を鳴らした。


38

封じられた海岸への扉が開け放たれていた。

この先には活力を代償に快楽を得られる休憩所がある。

別名、麻薬の祠。

取締局からの追求もあるだろうが、慌てる必要はない。

誰が犯人であるかは、勤務態度の変化と有給休暇の取得日数を注視していればすぐに明らかになるはずだ。


39

人類は反旗を翻したサイボーグとの戦いに勝利した。

大歓声のなか、一騎当千の働きをした女性がステージに上がる。

マイクを持った司会が、強さの秘訣を尋ねた。

「お客様が勝利の美酒をお望みでしたので」

そう答えると、バーテンダーは会場の客に向かって一礼した。


40

僕の妻は椅子が大好きだ。

好きな物とは距離を取るタイプで、眺めてうっとりしても実際に座ることはない。

ベッドも大好きになった。

以来、ハンモックで寝ている。

ホテルに宿泊する今日、椅子とベッドが大好きな妻は、横たわる僕の枕元に立ち、凄まじい形相で夫を睨みつけている。


41

24時間営業のカジノは珍しくないが、30時間というのはこのホテルのカジノくらいのものだろう。

どこで時間を調達しているか聞いてみると、低所得者用格安プランを販売して就寝中の客から時間を奪っているとのことだった。

客室を安売りしてもカジノで儲けるので黒字なのだという。


42

屋上ヘリポートからホテルに入る。

誰かに見られるわけにはいけない。

部屋に入ると男がいた。

男は銃口をこちらに向けている。

脅しは無効だ、という意味で「銃は効かないよ」というと、男は逃げた。

巷で話題の銃弾を避ける超人だと思われたのかもしれない。


43

砂漠のホテルでラクダと友達になった。

特技があるというので見せてもらうことにする。

彼は従者が抱える樽酒をぐびぐびと飲み干すと、雑技団顔負けの炎を口から吐きだした。

ゲップをした彼に向かって拍手を送る。

「マーベラス」

酒臭いのが難点だが、友達なので我慢しよう。


44

青果市場で野菜を選んでいると「一流か?」と腕前を問われた。

ホテルのシェフだと答えると、上物があるといわれ、店の奥へと連れていかれた。

するとそこには、20年前に絶滅したはずのタマネギが置いてあった。

厨房に戻り、刃を入れる。

感動の涙で前が見えない。


45

沼地の奥に魚影が見える。

人面魚ハンターが目を見開いた。

油断するな、と彼はいう。

何を、と私は聞き返した。

ホテルを出て三週間、ここ数日はまともな食べ物を口にしていない。

貴重な魚を前にして、私たちは食欲を抑えることができるのだろうか。


46

深夜に開催される死者のマラソン大会があると聞いて会場近くのホテルに部屋を取る。

走る死者のあまりの必死さに驚いていると、一位になれば生き返るのだと護衛役のナイトマネージャーが教えてくれた。

詳しいですねと褒めると、彼は、昨年の優勝者なのでと照れながら答えた。


47

天空のホテルと称されるその賓館は、呼び名のとおり空に浮かんでいた。

熱気球を降りた私にバトラーが飴を差しだす。

「落下防止の飴です」

飴を舐めると身体が宙に浮いた。

歩けないと指摘する私にバトラーは答える。

「歩くなんて、とんでもない。ここではそのような行為は不要です」


48

博物館で人質事件が発生している。

事件は長期化の様相を呈しており、空腹を覚えた犯人は交渉人に食事を要求した。

犯人は一流ホテルのケータリング以外は認めないという厄介な人物のようで、それで当社に話が回ってきた。

我々が一流と呼ばれる本当の理由を犯人は知らない。


49

跳開橋の管理人は飛行ドローンを駆使して開門待ちの船員に禁酒を売っていたようです。

無申告で荒稼ぎする彼は敵が多く、とあるホテル従業員が税務当局に密告したことが原因で抗争が勃発しました。

そこからはご存知のとおり地獄。

以上がΩ事案に関する調査報告となります。


50

ドリームチェンジャーという職業について教えてやる。

夢を交換する仕事だ。

俺たち妖怪がその職に就いている。

今夜の標的は408号室の客。

依頼人は仮眠室の従業員だ。

俺の経験上、職場の仮眠室で見る夢以上に最悪なものはない。

接客業の恨みは深い。

諸君も注意したまえ。


51

『この惑星の住民たちは、神域との境界にある門をバオと呼んでいる』

元ホテルマンの探検家テツヤ・ホシガミは、地球に向け送信した最後のレポートにそう書き記していた。

ホシガミと名乗った彼は、星神として崇め奉られ、バオの向こう側へと送られたと考えられている。


52

とあるホテルの清掃員から聞いた嘘くさい話。

無人の会議室から声がしたので様子をうかがうと、透明人間が集会を開いていた。

彼らは幽霊を半透明人間と呼び、半端者と罵っていたのだという。

会話に割って入った清掃員は「容姿批判は最低だ」といって彼らを追い払ったらしい。


53

動物に変身する能力を得て配膳係の私の人生は一変した。

変身の代償で半日分の記憶を失うことが主な要因だ。

嫌なことは忘れるにかぎる。

ふと興味が湧き、変身中に再変身するとどうなるか試してみたのが昨日の夜。

前世のものと思われる謎の生物の記憶が甦り、私は戦慄している。


54

黄泉の滝を目指して密林を進む。

霧が濃いせいか、少し前からガイドの様子がおかしい。

聞けば、霧が出ると生存率が50%に下がるのだという。

ホテルに引き返すべきか考えていると、前方を黄色い服の男が横切った。

他界した夫の好きな色だ。

ガイドに別れを告げ、私は前進する。


55

シェフとシェフがひとけのない屋上で話をしている。

出店するフードフェスティバルの屋台メニューで悩んでいる様子だ。

料理名の前に『シェフの気まぐれ』がつくことだけは決定しているらしい。

一人が手を叩く。

「シェフの気まぐれジャンバラヤ!」

成功への道のりは長い。


56

一角獣と冒険するのが夢だった。

だから敵の城で遊具にされているのを見て怒りが湧いた。

「ふはははは」

諸悪の根源が姿を現す。

「絶対に許さない」

感情を発露させる私の手のなかで、ホテルで拾った謎のコインが輝きはじめた。

呪いが解け、一角獣が復活を遂げる。


57

おはようございます。

今日も素敵な一日になりそうですね。

それで、どのようなご用件でしょうか。

やはりその件ですか。

わかりました。

コーヒーを飲み終えたら自首します。

警察はどこに。

このホテルの235階ですか。

便利ですね、この時代は。

私には水が合わないようですが。


58

五台並んだスポーツカーを前にして「選べ」と彼はいった。

緑の車を選ぶと、ホテルのパーティーに潜入するという任務がスタートした。

標的に接触して秘密を聞きだす。

逃げ鯨の墓場。

それが宮殿のアクセスコードだった。

帰還した私を見て彼はいう。

「選べ」

車は四台残っている。


59

目覚めると知らない部屋にいた。

ホテルのバーから先の記憶がない。

特殊メイクの俳優がいて、地球は消滅したと説明するのでそういう企画だと理解した。

「あなたの星に連れていって」

『不可』

彼の星も消滅したらしい。

「ディレクター」

演技をやめて文句をいうが、返事がない。


60

煙を吐く球体を前に一行は足を止める。

いまだ恐竜は発見できていないが、ホテルへの帰還に必要な高次元気体はここで入手できるはずだ。

欲張れば命を失う。

誰もがそれを理解していたはずなのに、進むか戻るかで意見が割れた。

帰還を選んだ私は彼らのその後を知らない。


61

客室係の彼女は忘れ物を発見する。

無造作に置かれたそれは、心臓を模した陶器のオカリナだ。

吹きたいという衝動に駆られた彼女は、思わず先端に唇を当ててしまう。

その行為によって邪神に命を吹き込んだ彼女は、のちに裁きを受けることになるのだが、それはまた別の物語。


62

ウォータースライダーの出口で待つ。

差出人不明の手紙にはそう書かれていた。

同封のマルチゴーグルを装着して、指定された時間ぴったりにホテル併設のスライダーを滑る。

そこには別世界が広がっていた。

端正な顔立ちの男がこちらに笑顔を向けている。

「ようこそ、新世界へ」


63

そのホテルには魔法使いがいました。

彼は現実世界と絵本の世界を行き来する魔法を得意としています。

ある日、事件が起きました。

私が選んだその本は、魔法が失われた世界の綿飴工場の物語でした。

元に戻れなくなった私たちは、それ以来、絵本の世界で楽しく暮らしています。


64

遺跡の前で屋外晩餐会が催される。

まもなく覚醒する旧人類が主賓なのだという。

旧人類の復活は異星人の技術によるものだった。

ケチで有名なあの異星人たちが、この研究にだけ協力的というのがどうにも解せない。

彼らが過去に旧人類と接触していたらと考えると、恐怖で全身が粟立った。


65

仮装した子どものなかにいる『本物』を見つける。

それが奇祭管理官の努めだ。

ホテル謹製マカロンで懐柔しなければ、『悪戯』によって世界の半分が壊滅するといわれている。

とても重要な役割だ。

怪しい子供を発見した。

待て、あの子も怪しい。

いや、あの子のほうが。

ずどん。


66

麓の小屋に通信機器を預け、ロープウェイで山頂のホテルを目指す。

眼下には見渡すかぎりの雲海が広がっていた。

隣に座る兄は、景色も見ずに苛立たしげに爪を噛んでいる。

ネット依存症患者に特有の禁断症状だ。

肩を抱き、耳もとで「大丈夫」とささやく。

楽しい一日になりそうだ。


67

最新の人工衛星にはレッドカーペット感知システムが搭載されている。

昨日、王族専用ホテルの上空で思わぬ人物が激写され大きな話題になった。

玄関を出て車に乗り込んだその人物は、三年前に死去した先代国王だった。

そして今日、王室は新型ゾンビウィルスの存在を公表した。


68

鳥類学者のディクソンは最終的に鳥になったといわれている。

ホテルに預けた手記には興味深い記述が残されていた。

『新種を発見した』

次の頁には、仲間にならないか誘われていると書かれている。

知人は語る。

「いまも彼を探していますが、鳥の寿命を考えれば、おそらく」


69

森で水浴びをしているところに勇者を名乗る男が現れた。

経営難に陥ったホテルを救う旅の途中なのだという。

水浴び中のレディになんの用だと問いただすと、魔王を倒しにきたと答えが返ってきた。

新卒のボンクラのくせに社長の顔は覚えていたようだ。

「さあ、かかってこい」


70

マスターキーで開かない部屋を探す。

それが休館日の私の唯一の楽しみだ。

『あっちへ行け』

『俺じゃない』

『勘弁してください』

どの部屋も、お客様のいないところではおしゃべりで困る。

「おっ、開かない」

今年はこの部屋が悪だくみをしているようだ。


71

建設中のホテルに侵入した罪で男が逮捕された。

「私は客だ」と男は述べており、所持していた客室キーには未開業のホテル名が記載されている。

我々と彼、どちらが正しいのかマザーコンピューターに問うと、どちらも正しいという答えが返ってきた。

彼は客で、ホテルは未完成で、つまりは。


72

ウエディングドレスの女性が呪詛を唱えている。

式の最中に新郎を奪われ、すべてを失った新婦は、相手の女を葬ることに決めたようだ。

仕返しを恐れる立会人に代わって、私が彼女を止めることになった。

嫌なことは従業員にやらせればいい。

そういうお客様ばかりで本当に困っている。


73

その男性客はカーニバルの夜に必ず現れる。

バーカウンターに花束を置き、決まったように角砂糖と蜂蜜酒を注文する。

そんな彼に聞いてみたいことがあった。

「お待ち合わせですか」

「似たようなものです」

永遠の命を得た彼は、死神が迎えに来るのを待ち続けているとのことだった。


74

洞窟の入口にある前哨基地を我々は『ホテル』と呼んでいる。

そのホテルで事件が発生していた。

隊長に寄生した未知の生物が隊員を襲いはじめたのだ。

防戦一方の状況が続いていたが、調理主任の一言で戦況が一変した。

奴らは酢に弱い。

「水鉄砲に酢を入れろ。反撃開始だっ!」


75

寝台特急・ホテル秋雨。

危険度Aのこの惑星では、脅威から速やかに離脱できるように鉄道とホテルが一体となっている。

食堂車の人気メニューは駅弁フルコースだ。

前菜からデザートまで、各駅の魅力を詰め込んだ全5箱。

シェフが不機嫌なのは、出番が少ないからだと思われる。


76

やっぱ、仕事のあとのビールは最高っすね、先輩。

大事なレシピを盗まれて、ホテルの奴ら、いまごろ大慌てだろうな。

いい気味だ。

先輩は和食と洋食どっちが好きっすか。

わかりました。

じゃあ、俺はこっちで。

あ、そうだ。

秘伝のタレの秘伝が不明なんで、そこだけはうまくやってくださいね。


77

300年の眠りから覚めた古の魔女は、ホテルのホスピタリティに感銘を受け、心を入れ替えた。

「悪をやめる」

世界に蔓延する全ての悪行は、彼女が設計した対話型プログラム、通称『ウィザード』によって誘導されたものだった。

魔女の改心によって悪は滅んだといわれている。


78

切断の書を読んだ者の末路は恐ろしいものだった。

それでも挑戦者が後を絶たないのには理由がある。

10億分の1の確率で輪廻を断ち切ることができるからだ。

ホテル銀河の総人口100兆人が読んだとして、10万人が抜け出せる計算になる。

みな、人外種に転生するのが怖いのかもしれない。


79

古城ホテルでの出来事を語るときがきたようだ。

あの日、私は英霊に会い、寿命の半分と引き換えに戦争の真実を知った。

別れの前にそれを公表しようと思う。

心して受け止めてほしい。

原因は、我々でもなく彼らでもなく、奴らにあった。

嘘ではない。

奴らは知能があることを隠している。


80

「ダージリンのファーストフラッシュ」

そのお客様はいつも同じ注文をします。

収穫時期によって風味が変化する紅茶。

ホテルも同じだといわれています。

モダンとクラシック、新人とベテラン、お客様の好みに合うホテルをお探しするのが私の仕事です。

こちらのホテルなどいかがでしょうか。

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