第7話 演技とは

 カレントチャプターとは、少年誌に掲載されている漫画である。主人公はサカキマサルという冴えない中年男性なのだが、とにかく彼のやることなすことがハチャメチャなのだ。


 愛した女性の忘れ形見であるクララという少女を好きすぎるあまり、暴走する話である。クララが幼い頃見ていたアニメに出てきた悪役、ナイトキース。彼女は何故かこのナイトキースが大好きで、それを知ったサカキは自らナイトキースを名乗り、世界征服のための秘密結社を作る。しかし、悪事をするといっても、何故か幼稚園バスジャックだったり、誘拐を目論めばそれが人助けになってしまったり、悪役らしいことは何一つできない、といったコメディタッチのストーリー。


 そんなお話の、ある回想シーンなのだが――


 サカキは床に臥せっているクララの母、アルロアを病室で励ましながら看取るのだ。しかも、アルロアの夫であり、サカキの友人である刑事、


「水城さんは、なんで役者を?」

 そう訊ねられ、ゆっくりと頷く。

「……実は私、ちょっと事件に巻き込まれまして」

「あ、聞いたよ。大変だったよね」

「えっと、はい。それで、その」

 乃亜の記憶がないことは、外部に漏らしてはいけないと言われていた。だから、私が別人であるとは言えない。


「人生観が変わった、というか」

「ああ、それはあるかもね。大変なことがあると、考え方も変わるし」

「ええ、そうなんですっ。で、お芝居って、別の人格になれるって聞くじゃないですか。例え一瞬でも、私じゃない誰かになる、ってどんな感じなのか興味があって」

「なるほどねぇ」

「変……でしょうか?」

 急に、自分がおかしなことを言っているような気がして心配になる。

「そんなことないと思うけど? いいじゃない、色んな人生経験出来て。きっと、それは水城さんの人生にもなにかの役に立つことがあると思う」

「あ、ありがとうございますっ」


 ——そして、本番が始まる。



 私はサカキの想い人、死の淵を彷徨っているアルロアの役だ。衣装に身を包み、ベッドに横たわる。何やらおかしな器具を口に当てられ、ただ、目を閉じているだけでいい。


 アルロアは死の淵で、何を思ったのだろうか? 幼い娘のこと、忙しく働く夫のこと、この世を去ることになる自分の運命を呪っただろうか? 

 サカキのことは、考えただろうか……?


 私の母が亡くなるとき、女中長であるマルタが言っていた言葉を思い出す。


『人は、最後まで耳だけは聞こえているんだそうですよ。だからリーシャ様、お母様に話し掛けてくださいね』


 幼いながらも、私はマルタが言ったことを信じて意識のなくなった母に一生懸命話し掛けていたのを覚えている。

 サカキは知っていたのだろうか? だからこうして、意識のなくなったアルロアに、大丈夫、心配するなと力強く話をするのだろうか? それとも、自分の悲しみを紛らわせるため?

 愛する人がこの世を去ろうとしているのに何も出来ずにいる自分を、サカキは悔いていたのだろうか。


 スタート、の声が掛かる。


 凪人……サカキはアルロアに向かって切々と、想いを告げる。カルロを演じながら、いかに幸せな日々だったかを。娘のことは心配しなくていい、と。

 でもね、あなたがカルロではないって、きっとアルロアは知っている。だって、声が違うもの。一生懸命似せてくれているけど、声が……喋り方が違うもの。


 私……アルロアの閉じられた瞳から、一筋の涙が流れる。それと同時に、ピー、という機械音が流れた。アルロアの、死である。そして、一瞬の間を置き、サカキの……咆哮。絶望と、悲しみと、悔い。すべてが交じり合った、子供のように泣くサカキの声が聞こえる。つられて泣き出しそうになりながら、私は耐えた。なんて悲しいの。私は彼の姿を見てはいないのに、どんな顔で泣いているのかまで伝わってくるようだった。


「……は、はい、オッケー!」


 その声が掛かると同時に、周りのスタッフから大きな安堵の声と、泣き出す数人の女性の声がした。目を開けた私が見たのは、アルロアを見下ろし涙に暮れた、だ。


 凪人はパッと立ち上がると、スタッフに渡されたタオルを手に、走り去っていった。


 感情の波が、私を飲み込む。


 演技をする、という事。

 誰かの人生に入り込む、という事。


 その片鱗を、今、目の前で……見た。


*****


 戻った凪人がその場にいた関係者に大絶賛されているその横で、私は一人の人物に声を掛けられる。今回の映画の、プロデューサーだった。


「乃亜ちゃん」

「あ、はいっ」

 何か悪いことを言われるのではとドキドキする私の頭を、ポンと軽く叩き、言った。


「あの瞬間、涙を流したのは、何故? 台本には『泣く』なんて書いて無かったよね?」

「あの、勝手にごめんなさいっ。それは、えっと……アルロアは、聞こえてくる声がカルロではないってわかって、残していくクララのことやカルロのことも心配だったのですが、ずっと自分を励まして、味方してくれてたサカキのことも心配で。

……最後まで私のためにっ、こんな風に声を掛けてくれて、励ましてくれるサカキの優しさに、私……ありがとうって言いたくてっ、どうしてもありがとうって言いたかった! でも、もう喋ることも出来なくてっ……伝えられなくてっ、ごめんなさい、って……そしたらっ……、悲しくなって。彼の優しさが、私っ!」


 話しながら、私の中のアルロアが爆発する。ああ、サカキが私をどれだけ思っていてくれたかを、私はずっと知っていた。知りながら、ずっと甘えていたのだ。なのに、たった一言、ありがとうすら言えないなんて……。


「うん、わかった。素晴らしい演技だったよ、乃亜ちゃん」

「……へ?」

「お疲れ様」

「あ、はい、あのっ、ありがとうございましたっ!」

 私は、わけもわからないまま、顔をぐちゃぐちゃにして頭を下げる。


 わからないけど、涙が溢れて、溢れて止まらない。ただベッドに寝ていただけなのに、思いが溢れて止まらない。アルロアを、私は演じていたのだろうか。演じるって……。


 その後、カメラチェック、というものを見せられた。そこに映し出された凪人の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、三枚目であるサカキのキャラクターそのままに……いや、原作を超えるほど素晴らしい世界を作り出していたのだ。


 私は、この日のことを一生忘れないだろう。


 私は確かにこの時、カレントチャプターというお話の中に、のだから。


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