脳みそチャレンジ ~学業編~

武江成緒

脳みそチャレンジ ~学業編~



 ああ。

 なにが狂ってこんなことになったのでしょう?




「な、なあ、苦見子くみこ。やっぱりこれは良くないんじゃ」


 普段から情けない顔と声を、さらにおどおどとさせて口走る夫の顔を、包丁の背で殴りつけて黙らせました。


 私だって、なにも好きでこんなことをしているわけではありません。

 けれど仕方がないでしょう。

 わたしの息子は小学校受験をひかえて、最低限の期待にすらこたえてくれない《のうりん》だったのですから。


 べつに過剰な期待を寄せたわけではありません。

 ただ受験までに、日本語にくわえ英語がじゅうぶんに話せて、九九が二桁までこなせて、時事問題をおおまか程度に把握して。

 その程度すら、息子は成しとげられないのです。




 やはり種が悪すぎたのかと、悲しみといきどおりとにられるあまり、夫の種をこの包丁で“処分”しました。

 出血多量で死にかけて、さらに迷惑を重ねがけしてくれましたが、結果として、私の言葉をすなおに受け入れるようになりました。


 この息子の《脳足りん》をなおすためには、足りないだけの脳味噌をつぎたす他はないということに。




 材料もそろえました。


 十勝産の高級大豆。

 淡路島でつくられたしお

 京都の老舗しにせの味噌こうじ

 北アルプスの源泉地までゆかせてんでこさせた銘水。


 味噌づくりは名古屋から人をつれてきて、三人がかりでどうにか味噌をつくりました。

 味噌のつくりかたのついでに、人ひとりの身体からだを隠すためにもまた、かなりの手間がかかることを学びました。




 あとはこの最後の一息。

 のこぎりで穴をあけたこの息子の頭のなかへ、この味噌をすこしずつ補充すればよいのです。


 だというのに。


「やっぱり、こ、これはきっと良くないよ。

 いくらなんでも、わが子の頭に穴をあけ、あけ、あ、あ、あ」


 ここ数日、挙動のおかしかった夫が言葉をつまらせたかと思うと。


「あああふゎぁっくしょんんん!!」


 突然に、きたないくしゃみを弾けさせました。

 穢い飛沫が、そこらに無遠慮に飛び散って。


 ぴちゃり。


 息子の脳にくわわるはずの極上味噌に、たしかに飛んでまざったのを、私の目はとらえました。




 ――― 何という。

 ――― 何という、狂気の沙汰をしてくれたことでしょう。


 幾度めかの悲しみと憤りとに押されるままに、ここ数日で酷使しつづけた包丁の柄を、かたく握りしめました。




 息子はその後、なんとか志望の小学校へ入学しました。

 やはり慣れない味噌づくりなどに手をだすよりも、人ひとりの脳味噌をそのまま補充したほうが、結果としては良かったのかも知れません。


 いちおうは実の父親。拒絶反応もないようで。

 無駄な努力をしてしまったものだなと苦笑しながら、そんなチャレンジの賞品を、頭に縫い目をのこしながらも制服に身をつつんだ息子の姿を、私は目に焼きつけました。




 それなのに。

 なぜこんなことになったのでしょう?




 私はいま、台所に縛られています。

 まるであの日、息子をそうしていたように、ナイロンの縄でかたく縛られ。

 私のそばには、右手にのこぎりを持った息子が立って、実の母を敵のようににらみ付けているのです。


 けれど、私を恐れさせているものは、そんなものではありません。


 息子が左手にもっているもの。

 それは味噌のパックです。

 角のコンビニで買ってきたとおもわれる、大衆向けの安物です。輸入大豆と工場製の食塩と、化学調味料など使ってつくった、見るだけでおぞだつ粗悪な品です。


 そんなものを母の頭蓋のなかへ入れるつもりなのでしょうか?

 あんな代物を、母の脳に混ぜこむつもりなのでしょうか?




 ああ。

 一体、なにが狂ってこんなことになったのでしょう?

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脳みそチャレンジ ~学業編~ 武江成緒 @kamorun2018

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