6.3


 沼津についたのは、昼をだいぶ回ったあとだった。

 流石にふたりとも空腹で、とりあえずなにか食べられそうな場所を探してアーケード通りを物色して歩いた。しばらくしてメニューの豊富そうな中華料理店を見つけ、そこに入る。店は狭かったが、チャーハンとチャーシュー麺のおかげで満腹になった。炉火も同じものを頼んでいた。そういえば彼も普通の男子高生だったと、今更ながらに思い直す。


「このあとどうする。」

 この時点で、俺の財布には夕食代以外残っていなかった。水を口に含むと、炉火は携帯を見ながら「海が見たい」と言った。

「駅から出てるバスで、海岸まで行けそうだ。そこでまた考えよう。」


 海はバスに乗ってすぐだった。これなら歩いたほうが良かったかもしれないと思いつつ、どこか憔悴した雰囲気の炉火を見るとそうとは言えなかった。バスを降りた瞬間、磯の匂いがした。

 浜に降りると、サンダルから出た足に小石がいくつも当たる。砂浜だと思っていたので、この砂利浜には少し驚いた。ゴツゴツとした感触が、平坦な道を歩いてきた足に新しい。海の水面は刺すような日に照らされ、無数の金貨が泳いでいるように輝いていた。低い位置に、痩せた昼の月が浮かんでいる。


「富士山。」

 炉火は浜の後ろに青い富士山を見つけた。電車の中からも少しだけ見えたが、ゆっくりと見上げるとまるで別の山のようだった。今日こうやって見なければ、今後一生見ないかもしれないと何となくと思った。


 それからしばらく波打ち際を歩いたあと、不意に炉火が靴を脱ぎだした。むき出しになった白い足で、波の中を歩いていく。俺もそれを真似た。丸い小石が足の裏を押し上げて、少し痛い。その痛みを、ぬるい海水の感触が和らげる。かえす波が、今日の旅の疲れを緩やかにさらっていった。

 風が凪いだ時、炉火は歩みを止めた。カバンに手を突っ込むと、中からクシャクシャになった紙切れを取り出した。水彩で描かれた、黄色い花だった。


「……少し前のやつ。文化祭で立体を作ろうと思って。何枚も描いたスケッチのひとつだ。」

 花の絵をつまんで海風にかざす。淡い色がひらひらとたなびく。


「拓海、花は好きか。」

「花、」

 炉火の作品には、いつも花があった。

「俺は好きだ。生き物の中で一番きれいだし、純粋だ。なのに、俺がそれを作品にしようとすると、作るそばから死んでいく。そのたびに、兄貴ならもっと上手くやれるんだろうとか、どうせ作ったって兄貴の足元にも及ばないんだ、とか。考え出したらもう、世界で一番の駄作を作ってるみたいな気分になるんだ。

 ずっとそうだった。――拓海、ライターあるか。」

「……、」

 ポケットからライターを取り出す。それを横目で見ながら、炉火が花の絵を真っ二つに引き裂いた。指でつまんで、俺の目前へと突き出す。


 俺はライターに火を灯し、そっと絵の下に近づけた。絵は静かに燃えた。


 風に煽られて、炎が服にまでうつってしまいそうだ。炉火はそれを気にする様子もなく、ただ突っ立って、紙が燃えていく様子を見守り続けた。それからふっと指を離す。燃えカスとなった紙は波の上に落ち、その波が引くとともに海の奥へと消えていった。

 それを見届けてから、俺はいつものように煙草に火をつけた。ふと、炉火の手が口元に伸びる。彼は俺の口から煙草を奪うと、そのまま自分で咥えた。数回吸って、俺に返す。

 しばらくそうやって、煙草の回しみを続けた。白い煙が、海からくる風に押されて背中の方に抜けていく。


「今何時、」

 吸い終わったあと、潮風に溶けるような声で俺に尋ねた。

「16時半。今から帰れば、じゅうぶん……」

「泊まろう、」

 遮られたその言葉に、思わず身体がこわばる。

「でも、」

「金は俺が出す。帰りたくないんだ。あと一日、俺の現実逃避に付き合ってくれよ。」

 彼の顔にはいつもの余裕がなかった。


――側にいたほうがいいと思うけどね、


 大治の言葉が、胸の奥でこだまする。

 「わかった」と返事をすると、炉火は少しだけ安堵した表情を見せた。

 俺はその表情に、どことなく罪悪感を覚えた。



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