秋の旅路

咲翔【一時活動休止】

***


 がたんごとん、がたんごとん。


 平仮名で書くと稚拙に聞こえるけれど、それでも確かに其の様な音を出している列車に僕は乗っていた。時折汽笛を鳴らしながら単線の線路を疾走する列車は、電気ではなく蒸気で動いており、どこか懐かしさを感じさせる。


「ゆうやーけこやけぇの あかとーんーぼー」


 きっと端から聞いたら音程がずれまくっているのだろうなと考えながらそれでも童謡を口ずさむ。列車の外は完全に秋の到来を告げていて、それこそ赤とんぼ(いや、オニヤンマだろうか……)がそこら中を飛び回っていた。列車の中に僕の歌声(とは呼べない掠れ声)が響き、がたんごとんという音もガランとした車内に一層響いて聞こえた。


「ここでも、ひとりぼっち」


 僕の掠れ声がそう呟いた。この列車には、僕以外誰も乗っていなかった。ただひたすらに秋の風景の中を、線路に沿って横断している。人影のない運転席ではレバーがひとりでに動き、列車の速度を速めたり遅めたりしていた。これが此の世の不思議というやつか、と思いながら然程その事については違和感は感じなかった。


「嗚呼、そういう列車なのだ」


 とだけ、思っていた。僕は今何故か一人で列車に乗っていて、そこには運転手も誰もいない。ひとりでに奔る列車に身を委ねて、この地への秋の到来を一人窓越しに喜ぶ。滑稽な想像かもしれないけれど、僕は(もうすぐ銀河ステーションに着いたりするのかな)なんて、自分の此の不思議な今の状況を銀河鉄道の夜に置き換えてみたりもしていた。


 しかし外に見えるのは眩い星々ではなく、一面に広がる薄野原。秋の草露が風に吹かれて飛び、河原の葦はそよそよと揺れている。


「あ、トンネル」


 気づくと目の前に黒い穴が迫っていて、ゴォォォという轟音とともに僕と列車はトンネルの中に突っ込んだ。窓を少し開けていたせいか、トンネルという閉鎖空間独特の匂いが列車内に流れ込んできた。奇妙な懐かしさを覚えながら、僕は出口の白い輝きに思わず目をつぶる。


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」


 ふと川端康成の小説の有名な一節が口をついて出たが、残念ながらトンネルを抜けても秋の風景は変わらなかった。さっきから僕は独り言しか言っていないということに気づいたが、仕方ないのだ。この列車には誰もいないのだから。僕しか、乗っていないのだから。


 ただただ、列車は走って行く。山を越え川を越え、どこまでもどこまでも線路は続いていくように思われた。ふと過去に読んだ文学作品の一節や、聞いたことのある童謡が僕の口を動かしたが、その掠れた声は誰にも聞かれることなく虚空に消える。そんな時間を過ごして、いったい何時間……いや何日経っただろうか。ようやく、僕以外の音が車内にこだました。


『次は、――。――。』


 駅名らしきアナウンス。何処かに到着するのだろうか。しかし理由は分からぬが、駅名と思しき部分の言葉は僕の耳に入ってこなかった。僕の集中力がそのときだけ無かったのか、或いは駅名が日本語という言語に変換されていないだけなのか。


 ゆっくりと、運転席のブレーキレバーが引かれ、列車は無人駅に滑り込んだ。派手な音を立てることなく、ただ静かに、秋の風景に溶け込んでいる駅に融合していくように。


 プシュー。


 空気の抜ける音がしてその列車のドアが開いた。秋の寒々しい暖かさが鼻を抜ける。(ああ、秋の匂いだ)唐突にそう思った。するとそのとき、僕を呼ぶ声がした。


「おーい、おーい」


 酷く懐かしい声だった。ここ何年も聞いていない、だけどずっと待ち焦がれていた声。秋の風が涼やかに吹いて僕の髪を揺らした。その勢いに流されるように、ゆらりと声の方を振り返る。


(嗚呼、やっぱり君だった)


 声の主の姿を視界に映した僕は、微笑んだ。意図して笑うというよりは、思わず口元が綻んでしまったというような笑みを、秋の風に転がして。


「ふふ」


 君も僕のほうを向いて笑っていた。何もかもを包み込むような、秋の穏やかさにぴったりな微笑みだった。


 君の口が、こう動く。


「また、会えたね」


 僕はその無人駅のホームで、君と見つめ合いながら。


「また、会えたね」


 大きく大きく、頷く。二人の間を秋の風が――ただ優しく寂しく、吹き抜けていった。

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