第23話リタ:異変
——◆◇◆◇——
[リタ]
リンドさんと思わぬ再会をした後から、私は色々と考えていました。
教会の裏とはいったい……リンドさんの見た真実とは、なんなのか……。
果たして、私は本当に正しいことをしているのか。
周りに聖騎士の方々が護衛をしている状況でそのような悩みを口にすることはできないため、自分の心の中だけで悩み続けるしかない。
「——女様。聖女様」
「っ! はい」
「目的地に辿り着きます。ご警戒を」
「はい。承知いたしました」
けれど、今の私にはそんなことで悩んでいる時間すらない。今の私は、教会に寄せられた嘆願書を解決するためにやってきているのだから、気をつけないと。
ここはもう人の領域ではなく、魔物の領域。加えて、《闇》が発生している恐れがあり、混獣もその存在が確認されている。
すでに遭遇していてもおかしくないのだから、いくら護衛の聖騎士達がいると言っても気をつけなければ。
そう考え、一つ息を吐き出して意識を切り替える。
「案内ありがとうございました。あとは危険にならないよう後方で待機をお願いします」
「へ、へえ! わかりました。あとはどうかお願いいたします!」
これまで道案内のために私たちのことを先導していた、嘆願書を出した近くの村の住人に後ろに下がるよう指示を出し、森の中を進んでいく。
しばらく進むと、瘴気の気配が漂ってきた。それでも警戒を強めてさらに先に進むと、今度は木々の陰から《闇》が姿を見せた。
《闇》そのものはそれなりに見慣れたものだ。けれど、これまで見てきたものよりも、以前リンドさんと共に戦った時のものよりも、ずっと大きい。どうすればここまで……。
そう考えた時、ふとあの時のリンドさんとの会話を思い出した。
こんな場所に《闇》となるほどの瘴気が発生するには理由がある。その理由はなんなんだろうな、と。そのようなことを話した。
あの時と場所は違えど、同じような状況であることは確かである。
ならば、原因もまた同じなのではないか? そしてあの時の《闇》が発生した原因とは……
と、そこまで考えて私はまた頭を振って、そんな考えを振り払う。この考えはいけないこと。誰かを疑うなんてことをしてはならな。人は疑うのではなく信じるべき存在なのだから。
疑うことは悪で、信じることこそが正しいこと。だから、疑わしいと思えることがあったとしても、正義の代表である聖女は、全ての者を最後まで信じ続けなければならない。
だから、きっとここでは〝何もなかった〟はず。ただ人以外の生物がたくさん死んでしまったのか、偶然ここに瘴気が溜まったかのどちらかであるのだろうと思う。いえ、思うではなく、そうでなくてはならない。
「これは……厄介なことになりそうですね」
「かなりの規模ですからね。この規模ですと、出てくる混獣も——っ!」
今回は教会から与えられた聖女としての任務なので、護衛としてついてきている聖騎士団の方がいる。
その隊長が何かを感じ取ったのか、突然言葉を止めて叫んだ。
「総員戦闘態勢を!」
すでに他の聖騎士団の方々も武器を抜いてはいたけれど、その言葉によってより一層空気が張り詰め、直後、《闇》の奥から混獣が——あれは……なに?
いえ、混獣だということは理解できる。けれど、そこに使われている素材が……人間ばかりだった。
顔だけでも四つ。手足は無数。それらの〝パーツ〟が人間のもの。
もちろん他にも獣や虫が混じっている要素はある。けれど、混じっている人間の数があまりにも多すぎる……
混獣は瘴気の発生源である死体を取り込んで新たな肉体を作る。
ならば、あれだけの人間の死体がここにあったということになる。……なぜ?
なぜこんな場所に、あれだけの人の死体が存在しているというの?
「それでは聖女様、お願いします。混獣は我々が抑えますので」
「……はい。お任せいたします」
わからない。けれど、今は考えている余裕はない。とにかく今は目の前に存在している《闇》を消し去ることだけを考えないと。私が遅れた分だけ聖騎士の皆さんが傷つき苦しむ可能性が高くなるのだから。
賜った神器——法器を両手で構えつつ術の準備を行なっていく。
準備を始めてから数分が経過したところで術が完成した。
「浄化の光よ——」
そう呟くと同時に浄化の術が発動し、発生した光がその場に存在していた瘴気を消しとばした。
これで良いはず。あとは瘴気によって生まれた混獣を処理してしまえば、それで終わり。
……けれど、今回の《闇》は今までのものよりも大きかったからか、術を使った反動で私の体がぐらつく。
吐き気と眩暈、それからわずかながらではあるけれど右手の感覚の喪失。
浄化の術を使うといつもこうなる。これほどひどい副作用は初めてだけれど、最近は特に多くなった。
けれどそれも仕方のないこと。瘴気を祓うという普通ではあり得ないことをなしたのだから、相応の代償というものが必要になるのは当然のことだから。
これはおかしなことではない。私はまだ問題ない。私はまだやっていける。
だから、まだ倒れるな。
「《闇》は消えた! 混獣も弱体化しているはずだ! 一気に畳み掛けるぞ!」
「「うおおおお!」」
そう自分に言い聞かせているうちに混獣退治も終わったようで、聖騎士団の隊長がこちらに歩み寄ってきた。
「これでもう、この場に発生する《闇》に村人たちが脅かされる心配はありませんね」
「そうですね。聖女様のお力のおかげです。これであの村の者達……も……っ!?」
隊長は突然驚いたように言葉を止め、目を見開いて私のことを見つめてきた。
「? どうされたのですか?」
「せ、聖女様っ! そ、その腕はっ……!」
腕? 確かに、言われてみれば隊長の視線は私というよりも私の腕に向けられているように見える。
けれど、私の腕にいったいなんの問題があるというのだろう?
「腕、ですか——え」
言葉に従ってスッと視線を腕に落とし、言葉を失った。
「なん……。なに、これ……」
それまで術の副作用で感覚がないと思っていた腕。けれどそれはいつものことだからと気にせずにいた腕。そんな腕を見下ろして、感覚がないのは当たり前だと納得できてしまった。
だって、そこにあったのは〝私の腕〟じゃなかったのだから。
「聖女様。ありがとうございます。これで村は安全に……ひいっ!?」
「な、なんだあの腕!」
この場所まで案内してくれた村人も、護衛として先ほどまで混獣と戦っていた聖騎士達も、皆一様に私に……私の腕に視線を集めている。
けれど、それは当たり前のこと。今の私の腕は、まるで植物が絡み付いて人の腕を模したかのように歪なものとなっていたのだから。
「き、混獣に……混獣になっちまったのか!?」
「聖女様が……混獣に……?」
私が混獣になった。
その言葉で、私は自分がどうなっているのかを理解した。理解は、した。けれど……
「う……そ……」
とてもではないが、私は今のこの状況を信じることができなかった。
頭が真っ白になって、体がやけに熱く、けれど冷たくなっていく。
いろいろな考えが頭の中を巡り、なに一つとしてまとまることなく暴れ続ける。
なにが、なんで、どうして、なにをすれば……
「落ち着いてください聖女様! 浄化……浄化を!」
隊長に肩を掴まれて揺すられ、ようやくハッと気を取り直すことができた。気を取り直すといっても、それもごく限られたもの。
ただ、浄化をしなければという考えだけが頭の中を駆け巡る。
そうして私は〝私の腕〟に浄化をかけ続け……
「なおら、ない……?」
治らなかった。
おかしい。瘴気によって混獣となったとしても、なりかけであれば浄化をかけることで戻すことができるはずなのに。実際、私は今まで何度も治してきた。すぐには戻らずとも、戻る兆しを見ることはできた。
なのに、今の私の腕はその兆しすらなく、ただ不気味な形としてそこに残り続けている。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう……
誰か……誰か何か、どうすればいいか知らないの?
そう思い、近くにいた護衛の聖騎士に手を伸ばし——
「み、みなさ——」
「ば、化け物!」
「痛っ!」
一度は収めたはずの剣が再び抜かれており、伸ばした右手は切り払われた。
そのせいで私の腕は傷を負った。負ったはずだ。痛いはずだ。剣で切られたんだから傷ができているはずだし、痛みだってあったはず。それは間違いじゃない。だって私はちゃんと口から痛いって言えたんだから。
だから、たとえもうすでに痛みを感じていなかったとしても、私は剣で傷を負ったに決まっている。
なんでそんなことをするの、と思ったけれど、この腕では仕方がない。頭の中に残っていた冷静な部分がそう呟き、私はその言葉に納得して攻撃されたことを咎めるのではなく、助けて欲しいと手を伸ばした。
けれど……
「——総員、抜剣」
先ほどまでそばにいて私に浄化をしようするように促した隊長も、今や私から距離を取り、聖騎士団の皆で囲むように私に剣を突きつけてきた。
「み、みなさん……? う、嘘ですよね? これは、その、違います。私は別に混獣になったわけではありません。違うんです。そんなわけが……だって私は聖女で、ほら、神器だって授かって……」
そんなことあるわけがない。今は突然のことで混乱しているだけで、きっと神器を見せて私が聖女だと言い聞かせれば……
そう思って神器を持っている右腕を突き出した。
けれど、そうして突き出した腕はすでに人の腕の形をしておらず、ねじくれた木のように変質した腕が神器を巻き込んで、まるで神器に根を張るかのような様相を示していた。
そんな変化に反応したのか、神器も腕と共に変質するように歪み、不気味に脈打っている。
「きゃあっ!」
思わず神器を投げ捨てようとしたけれど、できなかった。当たり前だ。だって、腕そのものが神器と一体化してしまっているのだから。
何度腕を振っても神器を話すことができず、地面に叩きつけても折れるどころか欠けることすらない神器と腕。
どうすればいいのか。その答えを求めるために再び顔を上げて聖騎士の方々を見て——後悔した。
護衛としてこの場所までやってきて、先ほどまで共に戦っていた聖騎士達は、すでに私のことを人として見ていなかった。倒すべき……いえ、処理すべきものとして、冷たく嫌悪感の混じる目を……
「い、いや……いやあああっ!」
私に向けられている視線に耐えることができず、叫びながらその場から逃げ出す。
その際に私を囲っていた聖騎士の一人にぶつかったかもしれないけれど、そんなことを気にしている余裕なんてない。今はただ、この場所から一刻も早く逃げ出したかった。
だから私は、どこへ逃げるとも、どうやって逃げるとも考えず、ただひたすらに走り続けた。とても常人では出すことができないような速度であることにも気づかずに。
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