第17話司教への相談

 宝器を握る手にギュッと力を込めて決意を新たにしていると、マルコ司教が優しげな笑みを浮かべながらこちらに向かってきながら話しかけてきた。


「それにしても、まさかお前がこれほどまでに早く神器を授けられることになるとはな。予定では後数年はないと思っていたのだが」

「神器を授けられたとはいえ、私はまだ神器に相応しい人間であるとは思っておりません。まだまだ私の手の届かない方は多く、聖女の名に相応しい結果すら出すことができていないのですから」


 実際、今回のことが功績として認められるとは思っていなかったし、宝器を受け取ることになるだなんて思いもしていなかった。功績というのであれば、私のように教会の規則を違反してではなく、真っ当に事を成した方々が別にいるはず。何だったら、『聖女』という称号さえ私では足りないとすら思える。


 事実、聖女になるにも功績が必要だけれど、闇祓いとして活動していた間にどのような功績を立てたのかと言ったら、大したことは思い浮かばない。

 ……いえ、大したことどころか、私がどんなことをしたのかすら思い出せない。私は、闇祓いの時になにをしていたの? なにをして、どんな理由で聖女になったんだった?


 ……おかしい。確かに私は闇祓いとして活動していたはずなのに、どんなことをしていたのか思い出せない。


 でもきっと、忙しかったからよく覚えていないだけでしょう。闇祓いは聖人とは違って方々に飛ばされるのですから。

 今は多少なりとも混乱もあるし、後で落ち着いてから考えてみればきっと思い出せるはず。


 ですが、やはり私に功績が足りないのは事実だと思う。


「そう言うでない。確かに公に讃えられるような結果はなくとも、お前の活動の結果救われた者は多くいるのだ。この三年で休む間もなく民を癒し続けた。その功績は讃えられて然るべきものだ。少し、急ぎすぎだとは思うがな」


 確かに、休めと言われた時でさえ活動を優先しているくらいだから、私は急いでいると言えるのでしょう。けれど、私には休んでいるわけにはいかない理由がある。


「申し訳ありません。ですが、姉に置いていかれるわけには参りませんので」


 別れてから数年しか経っていないはずなのに、もう顔も声も思い出せない姉。

 けれど、それでも置いていかれてはならないと、共に進んでいくんだという想いだけはずっと胸の中にある。


「……姉、か。そういえば先日手紙が来ていたが、何か問題はなかったか?」


 ? どうかしたのだろうか? 今一瞬だけ司教様が笑ったように見えた。けれど、今の話に笑う要素なんてなかったのだから、きっと見間違いだったのだと思う。


「はい。姉も赴任先で元気にやっているようです。聖女としての活動の内容で競うことなどあってはならないとは思いますが、姉の功労を聞くと負けていられないと奮起してしまうのです」

「そうか」


 私の言葉に、司教様は満足そうに頷いたけれど、私には少し気にかかっていることがある。


「ただ……」

「ん? 何か心配事でもあったのか?」

「心配事といいますか、なんとなく、姉に元気がないような気がしたのです」


 そう。何となく……本当に何となくだけれど、そんな気がした。


「……ほう。それは手紙に何か違和感でもあったのかね?」

「いえ、手紙ではなく……なんと申しますか、双子だったからなのでしょうか。姉との間に繋がりのようなものがあったのですが、そこから悲しみのような感情が微かに感じられた気がするのです」


 自分でもおかしなことを言っているというのはわかっている。けれど、本当にそんな気がしてならない。

 聖女としての力を増幅しているのか、宝器である杖を受け取った今は尚更はっきりと感じ取れている。はっきりと、と言っても曖昧な感覚が強まっただけなのだから、それを感じ取れていると言ってもいいのかは疑問だけど。


「繋がりか……たしかに、双子の場合はそういった事もあると聞き及んでいたが、そうか。だが気にするほどのことでもないのではないか? こうは言いたくないが、教会といってもあくまでも人の組織だ。上下関係や人間関係などで悩み、苦しむことはあるだろう。それに向こうの状況次第では怪我をすることや辛い経験をすることもある。そういった日常での感情が感じ取れたのではないか?」

「そう、でしょうか? いえ、きっとそうですね。私とて、何があっても悲しまないというわけではないのですから。姉もきっと、同じなのでしょう」


 きっと司教様のおっしゃる通りなのだろう。私だってこれまで苦労してきたし、闇祓いとして動いていた時は、当時のことをなにも思い出せないくらいに忙しい日々を送っていた。その中には辛い経験なんていくらでもあったはず。思い出せないけれど、きっとそうに違いない。

 だから、姉が……リコが辛い思いをすることも、きっと当たり前のことなのだろうと思うしかない。


「うむ。ただ、君の姉はそのことを隠しているのだろう? であれば、下手に問い詰めるようなことはしないほうがいいだろう。姉として、妹に隠していたことがバレるというのは矜持を傷つけられることになるやも知れんからな」

「……はい。そうですね。相談に乗っていただき、ありがとうございました」


 司教様は私が頷いたのを見て満足そうに笑みを浮かべて頷きを返してきた。

 本来は上司といえど司教様に悩み事の相談などするべきではないのだけれど、今回のことに関しては相談して良かったと思う。お優しい司教様のことだから、他の支部のこととはいえど、きっとリコのことも多少なりとも気にかけてくださるはず。


「なに、お前は宝器を与えられた有望な聖女なのだ。その悩みを抱えたままでは、民を不安にさせることになるだろうからな。それから、姉のことは心配するな。近いうちに……といっても実際にいつになるかはわからんが、一年以内には会えるように手配しておこう」

「本当ですか! ……あっ。いえ、失礼いたしました」


 思わず司教様の前だというのにも関わらず声を荒らげてしまったけれど、それだけ感情が昂ってしまったのだから仕方ない。

 何せ、ようやく姉に会えるのだ。これまで何度申請しても会うことができなかった姉。

 幼い頃はずっと一緒にいたはずなのに、聖女になってからは会うことどころか昔の思い出をお思い出すこともできず、声や顔すらも思い出せない、頭の中で闇に包まれたまま存在し続けている姉。

 そんな姉にようやく会うことができるのだから、昂らないわけがない。


 けれど、それはそれとして司教様の前で礼を失した振る舞いをしてしまったのは確かで、そのことを咎められてもおかしくはない。喜ぶのであれば、部屋に戻って一人になってからにすべきだった。


「いや、構わない。だが、それまでは姉の違和感は知らないふりをしつつ、聖女としてしかと活動をしておけ。そうすれば姉に会うことはできるようになる。もっとも、大きな失態などがなければだがな。たとえば、今回のような勝手な出征だとか」


 目の前で騒いだこと自体はお許しいただけたが、釘を刺されてしまった。

 リコに会う前にもっと聖女とし相応しくなれるように行動したかったけれど、こうして改めて言われてしまえば勝手に動くことはできない。何より、ここで動いて姉に会うことができないとなれば一大事。

 一応体調を戻さなくてはならないという理由はあるし、姉に会った時に体調の管理もできていないようでは恥ずかしい。

 そもそも、勝手に行動すること自体が規則破りなので聖女として相応しくない行動と言える。なので、仕方ないけれどこれからはあまり規則を破らないようにしよう。

 ……絶対に、と言えないのは、私の手が届く範囲でどうしても困っている人がいれば、きっとその人を助けるために動いてしまうと思うから。


「……改めて、この度はご迷惑をおかけいたしました」

「責めているわけではない。民が苦しんでいるのを知りながら有効な手を打てなかった我々にも非はあるのだ。今回の件はそれほど大きな問題とはならんよ。ただ、やはり勝手な行動はやめておいたほうがいい」

「はい。申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます」

「ああ。それでは、今後の活躍を祈っている」

「はい。ありがとうございました。失礼いたします」


 深く礼をしてから私は司教様へと背を向け、自室へ向かうべく歩き出す。


「……はあ。本当に、早かったものだ。早すぎると言っていいな。予定が狂ってしまった」


 歩き出した私の後ろから、そんな司教様のお声が聞こえてきた気がするけれど、なんの予定がズレてしまったのだろう?

 今日あった事と言えば、私の宝器の授与と、私からの相談? それだけとは限らないけれど、もしそのどちらかに関したことであれば、ご迷惑をかけてしまったのだろうか?


「だがまあ……。せっかく……なのだ。今しばらく……」


 何となく耳に残った司教様のお声を頭の隅に追いやり、私は普段よりも心なしか早い足取りで自室へと戻っていった。

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