君が笑って九月の月が出る
兎ワンコ
本編の窓
今日、初めて月が地上に降りてきた。
この日のために、どれだけ準備をしたことか。恋人の有無だとか、君の好みだとか。どんな話題は避けるべきか。
店も時間もすべて自分で調べて用意した。人の少ない隠れ家レストランで、時間は午後8時。僕ら若者からしてみれば遅くも早くもない時間帯。
そうして、君が店のドアを開けてやってくる。月は空から降りてチャイムを鳴らすんだ。なんとなく予想をしていたが、まず君の私服に見惚れてしまう。大学が終わればミニのショートパンツに黒のノースリーブに身を包んでいたとは。いつも遠くから見かけるクールフェイスは相変わらずで、踵の高いブーツの底を鳴らして近づいてくる君に、言葉を失ってしまう。サークルの帰りだったのか、背中には大きなギターケースを背負っている。
言葉もなく見惚れていると彼女は怪訝な顔つきをした。
「どうしたの?」
「あ、いや。なんでもないよ、
彼女はギターケースを横に置き、ゆっくりと座席に尻をつける。
「ごめんね、こんな夜になっちゃって。こんな時間しか私は暇がないんだ」
いやいや、と首を横に振った。もちろん、僕の想定した範囲だ。
「それで、えーと……」
「
「朝霧くん、ね。ごめん、同じ講義受けてるのに。私、人の顔と名前を覚えるの下手だから」
「大丈夫だよ」とテーブルに目を落とす。けど、すぐに困った事態になる。緊張のあまり、次にいうべき言葉が見つからない始末。
ほんのわずかな沈黙でさえ心臓がいやに重くなる。なにか、言わなければ。
「……というか、僕なんかの誘いを受けて、よかったの?」
「……なに、それ」
「いや、その、さ……。あんまり、こう、僕らは喋ったことがないだろう?」
意味がわかんない、といった感じで小首を傾げる。揺れる髪の隙間からイミテーションの三日月のピアスが揺れた。思わず見惚れ、返事がワンテンポ遅れる。
「あ、ごめん。深い意味はないんだ」
「そう」
「なんていうか、その……。僕と君は過ごす環境が違うっていうか、世界が違うというか……」
みごとに自滅している。これは仕方ない。キャンパスの中じゃ、僕は気弱で無口なオタクの部類。君は外見も話術も着飾りがうまい仲間に囲まれた陽キャの類。つり合いがとても悪い。
「……朝霧くん。君はただ雑談をしたい為に呼んだわけ?」
いや、と切り替え「きっと、違うよね」
僕は頷くしかなかった。こんな展開、自前の台本にはない。気まずい。
彼女はスマホを一瞥し、すぐに画面を暗くした。時間を確認したのだろう。きっと、このあとも予定があるのだ。友だちのところに行くのかもしれない。手短に伝えなければだ。
「あの……君がよければ、一緒に行きたいと思ったんだ」
意を決して、彼女の目の前に二枚の紙切れを見せた。知り合いから譲ってもらったプラネタリウムのチケット。
「前に、君が天体に興味があるって、小耳に挟んだからさ……。その、よかったら……」
君と一緒に。恥ずかしさでハッキリと告げることができなかった。チケットと僕を交互に見たあと、ためをつくった君は上目遣いで「最初から、それを使えばよかったのに」と言った。
「私が断る理由なんて、あると思う?」
君は相変わらず仏頂面だったが、声音が喜んでいた。それだけで、僕は椅子から飛び上がり、舞い上がる気分であった。
奇跡とは三回も起こるものなのかと高揚した。僕のメッセージが月まで届いたこと。次に、月が僕の元まで降りてきたこと。
「最初からこういえばいいのに」
「そうかも……。だけど、それってなんか卑怯な気がしてさ」
照れ臭さを隠すのに僕は必死だった。君はふーんと鼻を鳴らす。そのとおりかもしれない。でも、仕方がない。僕は生まれて初めて女の子をデートに誘ったのだから。そんな時だった。
ふたりの男が店のドア開けて入ってきて、入り口付近でなにやら店内を見回している。やがて視線を彼女に狙いを定めると、勇み足でやってきて僕らの真横に立った。大きく襟を開けた黒いカッターシャツに金のネックレスを見せつける体格の良い大柄と、白いTシャツに金のブレスレットをはめた金髪の男。顔付きからして、きっと二つか三つくらい上の男たちであった。
「よう、姉ちゃん。ひとりで来てるの?」
金髪の男は分かり易い挑発をしてきた。僕の見た目からして、脅してしまえばどこかへ行くと思ったのだろう。心臓がイヤに冷えた血を流し始めるが、ここで負けるわけにはいかない。僕は睨みつける。
「なぁ、そんなモヤシぼっちゃんなんかより、俺たちと遊ばない」
大柄な男がいう。ふたりとも小動物な僕の睨みなどまったく動じない。一方の君は頭を垂れて、肩をすっかり落としていた。
これは不味い。そう思った時だった。
「……やっぱり、満月の日は碌な男に出会わない、か」
独り言を吐き捨て、はあ、と深いため息を漏らす。
「なあ、わけわかんねぇこと言ってんなよ」と、金髪が彼女の肩を強く掴んだ。
「お、おい! よせよ!」
僕の震える怒声よりも、彼女が早く動いた。
ギターケースに手を伸ばしてジッパーを降ろすと同時に、ゴツゴツしたなにかを手にした。武骨な灰色を取り出したそれに、僕は見覚えがあった。
――ルイジ・フランキ社のスパス12コンバット・ショットガン。イタリア製のセミ・オートマチック・ショットガンだ。
プレス加工されたスチール製のショルダー・ストックを、手慣れた者特有の速度で展開させる哉、銃口を男たちに向け――引き金を何度も引いた。耳をつんざくような銃声が響き、反動で何度も上半身が震える。見惚れていた細い指が、何度も何度も無骨なトリガーを引いていた。
オートマチック式ということもあってか、ものの二秒で三人の不良が三人も吹き飛んだ。彼女は周囲を気にする素振りもなく、左側面のキャリアラッチボタンを押して弾を装填している。その手慣れた動作はまさに別世界から来た人間に思えた。
声をあげそうになると、彼女はシッと唇に指を当てた。
「ごめんなさい。私、実はただのJDじゃないんだ」
チャージングレバーを動かし、カチンと薬室に弾丸を装填した。僕は彼女と撃たれて吹き飛んだ男たちの交互を見た。
「あれは人に化けた
いつものクールな調子で淡々と吐き捨てる。
吹き飛ばされたはずの大柄な男が立ちあがり、こちらを睨んだ。胸には痛々しい無数の穴が空き、そこから血が吹き出しているのに、だ。その目は狂暴なほど充血していて、開いた口から鋭く伸びた犬歯がよだれに濡れて鈍く光っていた。
「君が驚くのも無理はない。私はあいつらを狩るハンターなの」
続けて彼女はまた発砲した。耳をつんざくような轟音がすぐ真横で炸裂し、大柄男を吹き飛ばす。次いで、テーブルの下から飛び上がった金髪男にも弾丸を命中させる。
店内は妙な静けさに包まれた。気が付けば、店内にまばらにいた客も店員もいない。
「どうやら、君は誘われてしまったようね」
彼女はギターケースの中からショットシェルが巻かれたタクティカル・ポーチとベレッタ90-TWOピストルがおさまったホルスターを瞬時に腰に巻き付けた。
ショックだった。でも、仕方のないことだ。彼女と僕ではやはり、違うんだ。
「ど、どういうこと?」
「……きっと、私のせいで気を当てられたのかも。悪い気は、さらに悪いものを引っ張ってくる」
「……」
「相性が悪かったんだね。……ごめんね、私は君が思うような女の子じゃないんだ」
「そんな……」
店内のトイレやカウンターといった物陰から人影が飛び出してきた。どれも、ついさっきまで客や店員だった人だ。顔は鬼の形相よろしく醜く歪み、口からは鋭い牙が伸びていた。
一体のグールが彼女に飛び掛かろうと身構えた。
「もう、私のことは忘れた方がいいよ」
そう告げて、ショットガンが火を噴いた。銃声を合図にいっせいにグールが迫ってきた。
君はゲームのように飛び掛かるグールに弾丸を浴びせていく。血しぶきの切れ間に君が見えた。笑っていた。やっと見せてくれた笑顔は、とても悲しそうだった。
それでも君は――
空のシェルが跳ね上がり、僕の飲んでいた水のグラスに飛び込む。
――すごく、綺麗だった。
「……たしかに、君とは相性が合いそうにないよ」
かろうじて言えた。恋とは、相手のことをすべて理解したつもりになるとはいったもんだ。
次の瞬間、死角から一体のグールが彼女に飛びかかった。最初に吹き飛ばした金髪男だ。
サブ・ウェポンのピストルの弾も切れて、
だが、グールの牙が彼女の体を傷つけることはなかった。むしろ、グールの方が真っ二つに引き裂かれた。それも仕方ないのないことだ。
なぜなら、僕の手には獲物──マキタ社製の250mm充電式チェーンソーがウォンウォンと唸りをあげているのだから。ふたつある18
彼女は驚愕の顔をしていた。なぜ? どうして? といった表情を貼り付けたまま、ボルトリリースボタンを解除した。カシャンと小気味良い音が耳に届く。僕はいった。
「飛び道具は、その……苦手なんだ。なんていうか、その、卑怯な気がして」
背中合わせで二体のグールと対峙する。銃器と近接武器。やっぱり、僕らは相性が悪い。
「やっぱり私たち、適度な距離があった方がいいわね」
「そうだね。電動工具を使用する時は、近くに人がいないところで作業しないといけないからね」
「射撃する時もそうよ。ゴーグルをしっかり嵌めて、グローブを装着してね」
互いにクスクスと笑い出し、迫るグールをミンチにしていく。だが、グールはしぶとい。こま切れにでもしないとなかなか死なない。床を血の海にしても、やつらは決して倒れない。
「それにしても、このままじゃあ朝になっちゃうわね」
「じゃあ、月が出ているあいだだけ、僕と踊ってくれないか?」
君はクスリと笑い、「性に合わない台詞は、やっぱり似合わないよ」とぼやく。
彼女の耳で揺れる三日月がグールの血で濡れていた。思わず見惚れながら、僕はトリガーを引きっぱなしにしてチェーンの回転数を上げた。
※射撃と切断作業の際は、周囲に人がいないことを確認の上、必ず目を守る保護用具を使用してください。
君が笑って九月の月が出る 兎ワンコ @usag_oneko
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