文例1『お飲み物はいかがなさいますか?』(スタンダード)

「おっと、今日は当たりだ!」

「え、何だって?」

 その声を聞いてあなたは手を動かしながらも声の主を窺う。

 あなたはファーストフード店「クイーンズサンド」のカウンタークルーだ。客からの注文を受けてハンバーガーのセットなどを提供する。この店は大学やら予備校やらが近くにあるため学生が多くやってくる。声の主はその類なのだとあなたは認識する。

 問題の男があなたのカウンターにやって来た。「今日は当たりだ!」と言った男子高校生だ。連れの高校生を別のカウンターに追いやって、わざわざあなたのカウンターに立ったのだ。

「いらっしゃいませ、こんにちは。店内でお召し上がりですか?」

「はい」

 あなたは普段通りに対応する。どのような客であってもあなたの態度は変わらない。いや一部そうでない相手もいるが、今目の前にいる男子高校生は大勢いる客のひとりに過ぎない。

「では、ご注文をどうぞ」

「ヒューストンバーガーのセットで」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「これで」

 そう言って高校生は一枚の紙きれをあなたに見せた。

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 こんど遊びに行かない? 返事はドリンクで返して。

「よろしくね♡」→コーラ

「あなたのことまだ良く知らないわ。だから保留。また誘って」→オレンジ

「タイプじゃないわ 二度と誘わないで」→ジンジャー

「私、彼氏いるの。だからダメ」→ウーロン

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 紙切れが出された時、あなたはどきっとした。

 先日あなたは銀行強盗が出てくるテレビドラマを見た。そこに出てくる強盗は何も言わずカウンターにいる銀行員に「金を用意しろ」と書かれた紙切れを見せ鞄をカウンターに載せたのだ。

 あなたはそれを思い出して一瞬ひるんだ。

 しかし紙切れに書かれた内容は拍子抜けするものだった。

 ただのナンパなのだ。

 この仕事をしているとときどきこうした輩に出くわすことをあなたは何度も経験している。

 だからあなたは普段の冷静なあなたに戻ることができた。

「承知しました。お会計は六百円です」

 あなたはいつもの笑顔で答える。そして隣にいたカウンタークルーに合図して、飲み物を用意してもらった。

 もちろんそれはウーロン茶だ。

 そしてトレイの上にオーダーが揃った。

「お待たせしました。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」

 あなたはとびきりの笑顔を向けて彼を送り出した。

 こんなところで遊んでいる場合ではないとあなたは思う。なぜなら次にあなたの前にやって来たのが近くにある予備校の若手教師だったからだ。

 あなたの気分は高揚する。

 その予備校教師が講義がある日は炭酸飲料を飲まないことを知っていて、あなたはわざとオーダーとは異なるコーラを飲み物に選んだ。

 きっとその先生はオーダーの間違いに気づいて再びあなたのところにやって来るだろう。その時あなたは高校生にもらった紙切れを見せてコーラにした理由を先生に明かすのだ。

 どこかへ連れて行ってよ。

 先生とのデートをあなたは妄想する。

「……だよねー」

「ん?」

 という高校生たちの声がしたが、あなたにはよく聞こえなかった。



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 まずはこれがスタンダードだとあなたは知る。これをふまえて次の話へとうつるのだ。

 語り手が誰なのかこれだけではわからない。

 とかく語り手の正体は読み進めないとわからないものだ、とあなたは納得するしかない。


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